8話:暗黒街の昼下がり*7
「そうだな。君達はグリンガルに行ったことはあるか」
「僕は無いです」
「私はあるわ。まあ、仕事で」
「俺も多少は知っている」
グリンガル、という地名自体、僕はほとんど聞いたことが無い。精々、森の町に移住してきた人の中に『元はグリンガルに住んでいたんです』っていう人が居るくらいで、そこがどういう場所なのかは知らない。
「まあ、大したものがある場所でもない。ただ……昔、グリンガルの領主は、1人の魔導士を雇っていたらしい。その魔導士がグリンガルに発展をもたらしたと言われている。領主は魔導士に頭が上がらなかったそうだ」
魔導士、か。……僕はまだこの世界の『職業魔導士』に会ったことはない。けれどまあ、魔法が得意な人なんだろうな、というくらいのイメージは沸く。
「グリンガルの魔導士は代々、領主に仕えていた。だが、代替わりごとに次第に魔力は薄れ、そして領主は愚かになった。そうして遂に、領主がグリンガルの魔導士から財産を巻き上げるに至った。適当な罪を擦り付けてな。……そうして遂に魔導士の一族は途絶えた」
……あんまりいい逸話じゃないなあ、と思いながら、聞く。もしかしてカチカチ放火王の言う『奴』って、グリンガルの魔導士の怨霊とかだろうか。
「あとに残された財産は全て、当時の領主のものになった。その中にあったのがこの宝石だ。この宝石は魔導士がとても大切にしていたものらしく、家の地下に厳重に隠されていたのだそうだ」
「それはそうよね。カチカチ放火王が封印されてる宝石なんだから。はあ、全くもう……」
クロアさんがため息を吐くと、『お父様』は『そういえば何故、カチカチ放火王、なのだろうか……』みたいな表情をチラリと見せたけれど、気にせず話を続けることにしたらしい。
「そして……この宝石が保管されていた場所には、書き置きもあったという。それ自体はもう残っていないが、写しが奇跡的に残っていた。……これだ」
封印の宝石の隣の棚に乗せてあった箱から、ぺらり、と一枚の紙が出てくる。本当に何ということのない、普通の紙に普通のインクでちょっと走り書きっぽい文字が並んでいるだけだ。
……そこに書いてあるのは、こうだ。
『かの者を現へ目覚めさせるな。さもなくばこの世界は崩れ去る。そしてこの世界を焼かんとする者を封じ続けよ。この石は、7つに分けたそれを封じるものである。』
「……という具合だ。ちなみに、当時のグリンガル領主は魔導士の一族が絶えて数年もした頃、突如として全滅した。魔導士の呪いだと噂されていたものだ。その後、生き残っていた遠縁が領主となり、今のグリンガル領主となったわけだ。……どうだ、中々興味深いだろう」
まあ……興味深くは、ある。うん。ちょっとホラーチックだけれど。
そういえば先生はホラーが苦手だったなあ、とぼんやり思いだしつつ、頭に思い浮かんでしまったホラーな様相を追い払った。先生程じゃないけれど、僕もホラーは得意じゃないんだよ。
「こういう面白い逸話があるものだから、どうしても手に入れたかった。そして……これを君達に譲ろう」
頭の中からホラーを追い出して先生が描いた愛嬌のあるたわしの絵を思い浮かべていたら、『お父様』が、ひょい、と封印の宝石を掴んで僕に渡してくれた。
「いいんですか?」
「惜しくはあるが、仕方ない。クロアに言わせれば、これは『放っておくと周囲一帯を巻き込んで燃える』とのことらしいのでな」
うん。……琥珀の池での様子を考えるに、この宝石、間違っても家の中にしまっておくべきじゃないと思うよ。本当に。
「まあ、もし代金が気になる、ということであれば、時々ここに遊びに来てくれたまえ。いつでも歓迎しよう。ああ、そうだな。次に来る時には君の絵を1枚、持ってきてくれ。部屋に飾りたい。それでこの宝石の代金としよう」
それから、僕らが何か言うより先に、『お父様』はそう言って笑っていた。
「分かりました。どんな絵がいいですか?」
「それは君に任せる。自由にやってくれたまえ」
自由に、か。ええと、じゃあ、ライオンの絵にしようかな。この人に似あいそうだし。あと、部屋に似合うようにするとなると……ちょっと薄暗いかんじに仕上げようかな。闇の中、目を光らせるライオン。うん。ぴったりじゃないだろうか。
「楽しみにしているよ、トウゴ・ウエソラ君。それから……そちらのゴルダの英雄殿も」
『お父様』はそう言って笑う。まあ、何はともあれ、僕は絵の依頼と封印の宝石を貰ってしまって……ええと、ものすごく上手くいってしまった。うん……。
……ということで、僕らは今、お店の『表側』で食事をしている。
お酒を提供するお店ではあるらしいんだけれど、軽食の類が出てくるので、それで晩御飯だ。クロアさんがカウンターの人に『適当に食事をお願い』と言ったら、僕らのテーブルの上には白身魚のムニエルとジャガイモのガレット、バターとワインで蒸したアサリに酸味の強いドレッシングの掛かったサラダ、といったご飯が運ばれてきた。
僕らはしばらくそれを食べて……そして一息ついたら、足元に置いてあるものについて、話す。
「……貰っちゃったね」
「そうねえ。まあ、よかったじゃない」
足元に置いてある紙袋には、布でくるくる包んだ封印の宝石がある。妖精洋菓子店の紙袋にカチカチ放火王の封印が入っているなんて、誰も思わないだろうなあ。
僕はちょっと面白いような気分で、ジャガイモのガレットをつつく。『お父様』の言っていた通り、このお店のご飯はとても美味しい。
「……だが、上手くいきすぎているような気がするのは確かだな。お前が父と呼んでいた男の狙いは、一体何だ」
上手くいって嬉しい僕とは反対に、ラオクレスは心配らしい。
……まあ、僕もそれは少し思うけれど。何か裏があるんだろう、とは思うけれどさ。
「そうねえ……」
それに対してクロアさんは、『どう説明しようかしら』みたいな顔でちょっと首を傾げて考えて、ムニエルを切っていたナイフをお皿に置くと、説明してくれた。
「……まあ、あなた達、私のことが大好きでしょう?」
「うん」
ちょっと唐突な内容だったけれど、即答する。僕、クロアさんのこと、大好きだ。当然。
……ラオクレスはなんとも言えない顔でちょっとじっとりクロアさんを見ていたけれど、クロアさんは、ふふん、と笑って気にも留めない。
「だからあなた達って、私の実家を攻撃しようとは思わないでくれるじゃない?」
「うん、まあ」
ちょっと不穏な話はちらほら聞こえたので思うところはあるのだけれど……まあ、見て見ぬふり、ぐらいはできるよ。ああいう組織も、きっと誰かのためには必要なんだと思うから。
「つまりあなた達って……まあ、特にトウゴ君については、『そうそうこちらを裏切らないと分かっている有力な人物』なのよね。仲良くなっておいて危険は少なく、利益は多い。なら、人脈を繋いでおいて損はないでしょう?それに元々、封印の宝石は処分しなきゃいけないもので、むしろ引き取ってもらえてよかったと思ってるわよ、お父様は。あの人、そういうことは絶対に言わないけれど」
成程。そういうことだったのか。聞いて納得した。
……けど。
「……有力なんだろうか、僕は」
それは疑問だ。ただ、僕がそう言った途端、クロアさんはころころ笑った。
「あなたねえ。ソレイラの町長さんなんだから、しっかりして頂戴」
そっか。そうだよね。ソレイラはもうすっかり、大きな町になったし、そこの町長っていうことになっている僕が有力人物に見えても不思議はないのか。そっか。
僕がそう頷いていると、クロアさんはふと、目を眇めた。森っぽくない表情で、じっと僕を見つめる。
「あとは……」
……うん。
「……単純に、お父様があなたを『蒐集品』に決めたんだと思うわ」
「え?」
クロアさんの視線が妖しくも鋭く魅力的で、思わずどきり、とする。
「要は、気に入ったのよ。あなたのことを。だから……閉じ込めて鳥籠に入れておくか、空に放してやって、時々窓辺に遊びに来るように仕向けるか悩んで……その結果がこれだと思うわ。よかったわね、鳥籠に入れられなくて。まあ、あなたを入れておける鳥籠なんて、人間には用意できないでしょうけれど」
……うん。
ええと、どこまでが比喩なのかは分からないけれど……ええと、僕、外に放し飼いの方が向いていると思うので、是非、今後もこんなかんじでお願いします……。
その日は王都の宿に泊まった。
いつもの、1部屋の中にいくつも部屋がある不思議な宿を取って、そこのリビングルームみたいな場所で、早速……。
「とりあえず2本か3本、生やしておいていい?」
「……まあ、いいと思うわ。森に着くまでに封印が解けちゃったら大変だし」
「折角なら10本程度生やしておいたらどうだ」
「うん。そうしようかな」
僕は画材を取り出して、カチカチ放火王の封印の宝石にたんぽぽを生やすことにした。ラオクレスの提案通り、10本くらい。いや、もうちょっと生やしておこうかな……。
「……自分で提案したことではあるが、敵ながら不憫に思わないでもない」
「あら、そうかしら?可愛くしてもらえてカチカチ放火王だって嬉しいんじゃないかしらね……っふふ」
なんとも言えない表情のラオクレスと笑い続けるクロアさんに見守られながら、僕はたんぽぽをたっぷり生やすことに成功した。みょん、と伸びた茎の先、ふわふわ揺れる黄色の花がなんとも平和なかんじだ。
そしてもう、封印の宝石が封印の宝石に見えない。妖精の国で見た時も思ったけれど、これ……ええと、平和なかんじだよね、ってことで、いいかな……。
それから僕らは順番にお風呂に入って、部屋に分かれて就寝することになった。おやすみなさい。色々あったからか、なんだかとっても眠い。
たんぽぽが生えた封印の宝石は僕の部屋に置いておくことにした。もし何かあった時、僕の傍にあればすぐたんぽぽを描き足せるので。
……やっぱり、封印の宝石は宝石に見えない。たんぽぽを活けた風変わりな花瓶か植木鉢か何かに見えなくもない。ああ、そういえば、苔玉、っていうの、あったな。あれのたんぽぽ版があったらきっとこんなかんじだ。
それから、封印の宝石の下半分は、網のように根っこが絡んでいて……ええと、浮き球。薄いブルーグリーンのガラスでできていて、網が掛けてある、中空の球。あれにも見える。宝石の浮き球にたんぽぽの根の網。うん。いいんじゃないかな。
そんなことを考えながら、封印の宝石を試しに部屋に入ってすぐの棚に飾ってみる。棚の横の壁、部屋の角にあたる部分には綺麗な模様の細工があって、その横にちょうど、たんぽぽが揺れる。……本当にそういう生け花に見えてきた。おもしろいなあ。
くすくす笑いながらベッドに入って、今日のことを振り返りつつ……考える。苔玉と浮き球について。
苔玉って、描くの、ちょっと難しいよね。
苔のあのビロードみたいな質感。あれが結構、難しいんだ。森にあるものだから細部までしっかり分かるけれど、あれを水彩画にした時、ちょっとテクスチャをデフォルメしなきゃいけないから難しい。描くとしたらどんなかんじだろうか。
ええと……あとは、そう、浮き玉。あれも難しいと思う。何が難しいって、中空のガラスだから。中身が詰まった透明なものは、分かる。宝石や何やらでたくさん描いてきたから、質感の表現ができる。けれど、中空のガラスだと、ビー玉みたいに描くわけにはいかない。もっと軽やかな具合になるから……。
……考えていたら、ベッドの中に入った後だというのに描いてみたくなってしまった。苔玉と浮き球。
描きたくなっちゃって眠れなくなってきたので、仕方ない。ベッドを出て、水彩の道具を出す。これだから僕はしょうがない奴なんだよなあ。
……けれど、描いてみたら上手くいかなかった。というか、実体化させてしまった。なんだかちょっと力が入らないなあ、と思いながらちょっと力を入れて描いていたら、力を入れ過ぎたらしい。眠くてふにゃふにゃしている時って魔力の制御が上手くいかないのかもしれない。
その上、苔玉はまあまあ上手くいってちゃんと苔玉が出てきたんだけれど……浮き球が駄目だった。中空にしたかったのに、中身がしっかり詰まったガラス玉になってしまった。駄目だこりゃ。
うん。こうなったらもう駄目だ。苔についてはまだまだ研究の余地がありそうだし、浮き球は……もっと研究の余地がある。
でも、寝てからにしよう。寝て起きたらまた描こう。
ということで、僕はたんぽぽの植木鉢みたいになってる封印の宝石の横に苔玉を飾っておくことにした。2つ並んで、ただの植物の飾りに見える。おもしろい。
そして、ただのガラスの球になってしまった浮き玉は……部屋に入ってすぐの棚にはもうスペースが無いので、しょうがない。窓辺の小テーブルに乗せておくことにした。ただ、土台が無い浮き球は転がって落ちてしまいそうなので、簡単に布を丸めて土台代わりにする。ええと、封印の宝石を包んできた布でいいか。
……ということで、『眠い時に作業しても駄目だなあ』と思いつつ、僕はもう一度ベッドに入って、ぬくぬくと一緒に温まって……今度こそ眠ることにした。
……そして、翌朝。
「……あれ?」
起きて最初に気付いたことは、鳳凰と管狐と風の精が、僕のベッドの中に詰まっていたことだ。どうりで妙にふわふわしてくすぐったいと思ったよ。
最近すっかり秋めいてきて寒かったのかな、と思いつつ、彼らを退かしてベッドから出て……更に、僕は気づく。
……昨夜描いて出したはずの浮き玉が、消えていた。
ええと……夢だった、っけ?いや、でも、苔玉はちゃんと、たんぽぽ玉の隣にあるしなあ……。うーん……?