7話:暗黒街の昼下がり*6
クロアさんの『お父様』は、僕の想像と似ているような、似ていないような、そんなかんじの人だった。
ライオンのたてがみのような色の髪は綺麗に整えられて後ろに撫でつけてある。皺の刻まれた顔の中、スモーキーグリーンの目がじっと僕らを見ていた。
着ているシャツは上等なやつで、後ろの衣装掛けに掛けてあるジャケットも刺繍がたっぷり入っていてちょっと派手だ。フェイのお父さんが着ていてもいいような……つまり、貴族の服と言ってもいいようなものだった。
「よく戻ってきたな」
「ええ。私が戻ってこなきゃ、ここの宝物庫が火の海になるんだもの」
クロアさんはちょっと半眼気味にそう言って、『お父様』をじっとり見る。そうだよね。カチカチ放火王の封印の宝石を処理しないと、この人もタダじゃ済まないわけだし。……それが分かっていて宝石の受け渡しに色々条件を付けてくるって、この人、すごいなあ。
「そちらが今の雇い主か」
「ええ。紹介するわ。トウゴ・ウエソラ君よ。お父様もご存じでしょう?」
スモーキーグリーンの目が、じっと僕を見る。……魅了の魔法が込められているわけでもないだろうに、なんだか体が動かなくなるような、そんなかんじがする。僕を獲物として狙っているような……少し怖い目だ。
「ふむ……中々に彼は面白いな。若くしてソレイラの町長となり、また、この国の美術史に名を残すだろうと言われている画家でもある人物……成程。一目見て納得した」
『お父様』は、ふと視線の鋭さを和らげると、椅子から立ち上がって僕の前へやってきた。そして、僕の前に手を差し出してくる。
「どうぞよろしく」
「……こちらこそ」
なので僕はその人の手を握って、握手握手。……一瞬、ラオクレスが『いいのか』みたいな顔をしていたけれど、いいと思う。クロアさんが止めに入らないんだから安全っていうことだと思うし……それにやっぱり、クロアさんの『お父様』なわけだから。挨拶はちゃんとしたい。
「『娘』が世話になっているな。ああ……君の所では『クロア』という名か」
「はい。クロアさんです。どちらかというと、僕がお世話になっていますが」
『クロア』という名前が出てくると、クロアさんはちょっと嬉しそうににっこり笑った。それにしてもこの『お父様』、さっきの女性達を超えるぐらいに情報通なんだろうな。誰がどこでどの名前を使っているか、まで把握してるってことなんだろうし。
「どうかこれからも、君の望む限り傍に置いておいてやってくれ。クロアは君のところが気に入っているらしいからな」
握った手を離して、『お父様』はそう言った。
「……あの、いいんですか?クロアさんを、森でもらってしまっても」
なので念のため、聞く。
「僕、望む限り、なんて言われてしまったら、その、彼女を森から出すつもりがないんですけれど……」
……すると、『お父様』は少し目を見開いて、それから笑い出した。
「……いや、失敬。クロアを気に入ってくれているようで何よりだ」
やがて、笑い終わった『お父様』はそう言って、それから、にこ、と笑って続ける。
「子供が巣立っていくのを見るのは嬉しいものだ。クロアが森へ巣立つというのなら、それはそれで構わない。手放すのは惜しい、という気持ちもあるがね。まあ、この『紅茶缶』で元は取れた。後はとやかく言うことではない」
結構あっさりしてるなあ、と思いつつ、でも、これが彼らなりのやり方なのかもしれない、とも思う。まあ、僕がとやかく言うことではない。
「だが……そうだな。もし君さえよければ、これからも是非、遊びに来てほしい」
けれど、『お父様』はふと、そんなことを言って……机の引き出しから、一枚のカードを取り出して、そこに何かを書きつけた。
「表が店になっている、というのはクロアから聞いているか?」
「はい。昼はカフェで夜はバー、ですよね」
「ああ、そうだ。どちらも偽装のための店とはいえ、中々良い味のものを出す。是非利用してみてくれたまえ。……そして、そこのカウンターでこれを見せれば、裏口から入らずともここへ通される。今後、もし君が王都まで来ることがあったなら、是非立ち寄ってくれたまえ」
渡されたカードは、限りなく黒に近い緑色。艶は無い。けれど、紙よりはプラスチックの方が近いような、そんな質感のものだった。そこにくすんだ金色のインクで、よく分からない模様が描いてある。僕の手元を覗き込んだクロアさんが、あらまあ、とだけ言った。……『あらまあ』な代物らしい。後で聞こう。
「ついでに……そうだな。トウゴ・ウエソラの絵を買わせてもらいたい。まあ、これは後日、そちらへ正式な依頼の手紙を送ろう。ソレイラのトウゴ・ウエソラ殿宛てでよいのかね?それとも、ソレイラ町長殿宛ての方がよいのだろうか」
「うちの郵便配達員は優秀なので、どんな書き方でも僕に届きますよ」
さりげなくリアンの自慢をすると、『お父様』はちょっと笑って、それから……僕の後ろに居たラオクレスにも目を留める。
ラオクレスは黙ってじっと『お父様』を見返して、2人はしばらく黙ったまま表情も動かさずに見つめ合っていた。
……先に目を逸らしたのは『お父様』の方で、彼はそのままクロアさんへと視線を移すと、少し面白がるような表情でクロアさんに尋ねる。
「……彼は、お前のものかい?」
「そうねえ、ジャネットやエドナ達にはそう言ったわ」
「成程。そうか」
ちょっと悪戯っぽい笑みを浮かべたクロアさんに、『お父様』はにやりと笑う。それからラオクレスにも手を差し出して、握手した。
「これは中々のじゃじゃ馬……いや、風の精のようなものか。捕まえようとすればするりと逃げていくような女ではある。が、魅力的だろう、クロアは」
「……まあ」
ラオクレスが何とも言えない顔で何とも短い返事をすると、『お父様』は益々楽し気に笑う。
「ほう。気に入らないかね?」
ちょっと怖い台詞なのだけれど、『お父様』はあくまでも楽し気に、軽い調子でそう言う。それに対してラオクレスは怯えるなんてこともなく……ただ、少し考えて、言った。
「……俺がトウゴの前に立つなら、後ろはクロアに任せたいと思っている。その程度には、信頼している。それだけだ」
……ラオクレスがそう言った後、たっぷり数秒後。
「ほう。……中々面白い住処を見つけたようだな、クロア」
「……ええ。ほんとにね」
『お父様』はいよいよ楽しそうに大笑いして、クロアさんは額に指先を当てて俯いて、深々とため息を吐いた。
何事かぶつぶつ呟くクロアさんを見て、僕はなんとなく表情が緩んでしまう。
……ラオクレスが勝った、っていう気分だ!流石は僕らの石膏像!
それから僕は、『お父様』に、森でのクロアさんの様子を話した。
クロアさんが作ってくれるご飯は美味しいです、とか、妖精カフェにクロアさん目当てで来る人も多いですよ、とか、クロアさんは枝豆が好きみたいです、とか。他にも色々。
僕が話して、ちょっとラオクレスが補足して、クロアさんが笑って、『お父様』が満足げな顔をしている。そんな雑談を僕らは楽しんで……そして。
「さて。夕方になる前に、そろそろ本題に入ろうか」
よいしょ、と、『お父様』は立ち上がると、部屋の片隅、飾ってある綺麗な壺の中に手を突っ込んだ。
……すると、壺の横にあった壁が、するり、と消えてしまう。な、なんだこれは。
「君達の目的は、例の宝石だったな」
壁が消えた先には……眩いばかりの宝物が、ところ狭しと並んでいる部屋が見えている。
「宝物庫にご案内しよう。だが、くれぐれも他言無用で頼む。もしこの情報を漏らされたら、私は君達を始末しなくてはならなくなるからね」
……あ、はい。気を付けます。
宝物庫の中には素晴らしいものがたくさんあった。
美術品か実用品か、価値が高いか低いかに関係なく集められたんだろう品々が、所狭しと並んでいる。
そんなにじろじろ見るのも気が退けるので、ちら、としか見なかったけれど、蔦模様があしらわれた銀細工のナイフとか、素朴ながら品のいい焼き物の食器類とか、そういうものが置いてある。あと、何に使うのかよく分からないようなものも。
「ここにあるものは私が気に入ったものだ。価値や他者の評価は関係なく蒐集している」
「いいですね」
この宝物庫を眺めるだけで、『お父様』の趣味がなんとなく分かる。……この人、きらきらした宝石は好きだけれど、あんまり派手で実用的じゃないものは好きじゃないんだろうな、と思う。僕達、ちょっと趣味が合うかもしれませんね。
そして、それほど広くはない宝物庫の、奥の方。そこに、それはあった。
「そしてこれはグリンガル領で見つけたものだ。中々いい宝石だろう。……君達が探しているのはこれだな?」
「はい」
カチカチ放火王の封印の宝石が、台座ごと、ちんまりとそこに置いてある。こうして宝物と並んでいる様子を見ると、本当にただの宝石に見えるんだけれど。
「これを手に入れるのには少々苦労した。結局は回りくどい細工をして、ようやく元の持ち主に手放させた代物だ。この宝石には中々面白い逸話があるらしいと聞いてね。どうしても手に入れたくなったのでな」
『お父様』はそんな話を零しつつ……ふと、僕らの方を見た。
「……逸話?」
カチカチ放火王が封印されています、っていう話じゃなさそうなのでそう聞き返してみると、『お父様』はにやりと笑う。
「聞きたいか?」
はい。勿論。
……ちょっと気になる。もしかしたらカチカチ放火王が言っていた、『奴の名は……』に続く何かが、分かるかもしれない。