5話:暗黒街の昼下がり*4
金髪の男性を前にクロアさんが尚もにっこり微笑んでいると、やがて金髪の男性は何か、狼狽したような様子を見せながら、僕らとすれ違って階段を上がっていってしまった。
その時、多分わざとラオクレスにぶつかっていったのだけれど、ラオクレスは微動だにしなかったし、金髪の男性の方がちょっとよろけていた。そりゃあそうだよ。彼は森の自慢の名誉石膏像なんだから。その様子を見て、僕はちょっと落ち着きを取り戻す。
「行っちゃったわね。全くもう、しょうがない奴」
クロアさんはどこか晴れ晴れとした顔でそう言っているのだけれど、僕らとしてはそれどころじゃない。
「……おい、クロア」
ラオクレスが何とも言えない顔と抗議めいた声をクロアさんに向けると、クロアさんは苦笑いを浮かべた。
「ああ、ごめんなさい。ああするのが手っ取り早いと思って」
「……他にやりようは無かったのか」
「一番トウゴ君に危害が及ばないやり方ではあったと思うわ。あいつ、あなたへは意識が行っていたけれど、トウゴ君は眼中になかったでしょうし」
クロアさんがそう言うと、ラオクレスは何とも言えない顔で、なら仕方ない、と頷いた。いいのかそれで。
「まあ、あんなのは気にしなくていいわ。まあ、ここに居る奴らは全員気にしなくていいけれど。でも、あんな三下より手強いのがこの先にはごろごろいるんですからね」
なんとも不安になる言葉を発しつつ、クロアさんはいつの間にか目の前に現れていた扉に、手を掛けていた。
クロアさんが扉を開くと、途端に明るくなる。
「……わあ」
そこは、とても綺麗な部屋だった。
石の床には何枚もの絨毯が敷き詰められて、床が見えないくらいになっている。絨毯はそれぞれ上等なもので、落ち着いた色合いと曲線の模様が中々いい。
置かれた家具はデザインも種類もバラバラで、木と鉄で作ったシンプルかつ実用的なワゴンから猫脚で座面に豪奢な柄の布が張ってある椅子まで様々だ。なのに、その雑多なかんじが洒落ていて、この空間にしっくり合っていた。
天井にはシャンデリア。卓上や壁には色硝子でシェードが作ってある魔石ランプがいくつもあって、華やかな光で室内を満たしている。
……そして、そんな室内を飾るのは、机の上に無造作に置かれた宝石や金貨、お酒の瓶や見事なデザインのワイングラス。椅子の背もたれに無造作に掛けられた薄布のドレス。
それから、幾多の女性達。
……綺麗でちょっと際どいドレス姿や、動きやすそうなシンプルな格好の、それぞれにものすごく綺麗な女性達が、ドアから入ってきた僕らをじっと見ていた。
「……え?カレン?あなた、帰ってきたの?」
「ええ。ただいま」
クロアさんがにっこり笑うと、室内の女性達はぱっと表情を輝かせて寄ってきた。
「久しぶりじゃない。何年ぶり?2年以上会ってなかったわよね?」
「あなたがしくじるとは思ってなかったけれど……生きてたのね」
「シェーレの家で何かあったんでしょう?詳しく聞かせてよ。やつら、口を割る前に全員くたばっちゃってさ」
……なんとなく物騒な話も混じりつつ、女性達はきゃあきゃあと喋り出す。すごい。彼女達のエネルギーはすごい。うん……。
僕とラオクレスは顔を見合わせつつ、まあしょうがないか、ということで合意。クロアさんの話が一段落するまで、ちょっと待つことにした。
そのままクロアさんが色々話したり、やんわり話を逸らしたり、にっこり笑って隠したりする中……ふと、僕らを囲む女性の中の1人が、僕とラオクレスに目を向けた。
「……それで、こちらは?」
どうやら僕らの出番らしい。クロアさんがにっこり笑って頷いて僕に場所を譲ってくれたので、僕は緊張しながら前に出る。
「初めまして。トウゴ・ウエソラです。ええと……こちらの彼女を、雇っています。どうぞよろしくお願いします」
こういう自己紹介でいいのかなあ、と思いながらちょっとクロアさんを見てみたら、クロアさんはにこにこしながら頷いてくれた。どうやらこれでよかったらしい。
「あ、そうだ。ええと、お土産です。どうぞ」
それから、目を瞬かせたり、さっきとはちょっと種類の違うにこにこ顔をしたりしている女性達に、慌ててお土産を配る。大きな紙袋から小さな紙袋を取り出して、1人ずつ、どうぞ、と渡していくかんじに。
「……わ、これ、ソレイラのやつじゃない!」
「ああ、あの、妖精が作ってるっていう噂の?一度食べてみたかったのよね!」
「嬉しいわ。ありがとうね、坊や!」
そして僕は、女性達が喜ぶ様子を見てほっとしたり、急に抱きしめられてびっくりしたりした。やわらかい!落ち着かない!離して!離して!
僕は何故か、女性達にもみくちゃにされた。いろんな人にぎゅうぎゅうやられた。びっくりした。ここの人達、とりあえず何でも抱きしめてみる習慣があるんだろうか……。
更に、その内の1人が、じっと僕の目を覗き込んできた。彼女、綺麗なグレーの瞳をしていたのだけれど、その瞳に見つめられると……ちょっとむずむずしてくる。別に描きたくはならないのだけれど、なんとなく、体の表面をむずむずが這い回るようなかんじがあって嫌だ。クロアさんのは体の内側がむずむずするので、こういうところに魅了の魔法の腕前って出ているのかもしれない。
「あ、あの、それむずむずするのでやめてください」
まあ当然、魅了の魔法を使われてるんだろうなあ、と思ったので、そう言って彼女をちょっと押し退けた。すると、きょとん、とした顔をされて……周りに居た別の1人が、ひゅう、と口笛を吹いた。
「あら、驚いた。エドナのが『むずむずする』ぐらいだなんてね。結構やるじゃない、この坊や」
「面白いわね。私のも試してみていい?」
更に興味を持たれてしまったらしい僕は、数々の女性達の視線を浴びせられることになる。するとなんとなくまた体がむずむずしてきて……。
「あらあら。あんまり私の雇い主を虐めないで?」
そこでクロアが僕を助けてくれた。女性たちの間から、すぽん、と救出されて、途端、むずむずが消える。ああよかった。
それから少し落ち着いたらしい女性達が、なんとも興味深げに僕とクロアさんを見る。
「ねえカレン。あなた、この子に雇われてるの?本当に?あなたが買ったんじゃなくて?」
買った、って……まあ、この世界は奴隷を売り買いするんだし、買った可能性も十分にあるのか。まだちょっと慣れない感覚だけれど。
「そう。この子が私の可愛い雇い主様よ」
けれどクロアさんはそう言うとにっこり笑って、僕の頬に指を這わせて、反対側の頬に頬ずりした。すべすべしたクロアさんの肌の感触をまともに味わってしまって、その、ものすごく落ち着かない気分になる!
「あら、かーわいい」
「いいわねえ、私もこういう子に雇われたい」
「まあ、不細工ジジイに雇われるよりは、こういう綺麗な男の子に雇われたいわよね」
「駄目よ。トウゴ君はあげないからね」
クロアさんはもう一度僕を、きゅ、とやってから、そっと背後に移動させてくれた。ありがたく僕はクロアさんの後ろに逃げ込む。
「それにしても、どういう条件で雇われてるの?ここを抜けてまで雇われるんだから、相当にいい条件ってことでしょう?」
「まあ、詳細は伏せるけれど。この条件ならこの子に寝返ってもいいわ、って思ったの。ソレイラの一等地で何も不自由のない生活を送らせてもらってるわ。ついでに、程よい頻度で刺激もあることだし」
ね、と同意を求められつつ、僕はちょっと困りつつ頷く。あの、森の中央部って、ソレイラの一等地なんだろうか。あそこ、森であってソレイラじゃない気がするけれど……まあいいか。
「業務は?愛人?」
けれどこちらはよくない!
「違います!モデルです!」
慌ててちゃんと訂正する。クロアさんの後ろに隠れてなんていられない。さもないと、クロアさんが僕の愛人っていうことになってしまう!
「モデル?……ああ、そっか。この坊や、絵描きさんなのね」
「王都でやってたものね、展覧会。見に行きたかったなあ」
どうやらここの女性達には、僕が王都で展覧会をやっていたっていうことも知られているらしい。クロアさんも情報通だし、彼女達は情報通じゃないとやっていけない、っていうことなのかもしれない。
「……で?トウゴ・ウエソラ君はいいけどさ。そっちのいい男は?」
そしていよいよ、女性達の目がラオクレスへ向く。
ラオクレスは少し緊張した様子ながらも堂々として、魅了の魔法を迎え撃つ構えだ。
「珍しいわね。あんたが男連れてくるなんて。同業者じゃないだろうし、依頼主って訳でもなさそうだし」
「まあ、何でもいいわよ。中々いい男じゃない。ね?」
女性が1人、そう言ってラオクレスのすぐ目の前までひらりとやってくると、ラオクレスの顔を見上げて笑う。ラオクレスが少し訝し気な顔をしつつも魅了の魔法に身構えていると……女性の指がラオクレスの胸を、つつ、と撫でる。
ラオクレスは戸惑っているようだけれど、流石の石膏像だから表情はほとんど変わらない。むしろ、横で見ている僕の方が表情が変わっていると思う。
「ねえ。よかったら今夜、私と遊ばない?」
……多分、僕の表情が一番変わってると思う。
「あっ、抜け駆けはずるいってば!遊ぶんだったら私も混ぜてよ」
「何ならここに居る誰でも選んでくれていいわよ。何人でも構わないわ」
ラオクレスも早速、女の人達に囲まれてしまっている。ラオクレスは少し顔を顰めて黙ったまま、ちら、と僕を見た。……『トウゴの教育に悪い』とか思ってるんだろ。そうに違いない。そういう目だ。僕にはわかるんだからな。
……でも、ラオクレスが困っているのは確かだ。魅了の魔法もいくつか見えるし、ラオクレスはそれに動じた様子はないけれど、でも、このまま放っておくのもよくない気がする。
どうしようかな。ラオクレスは僕のモデルさんなので貸しませんよ、と言おうか。
……そんな具合に僕が迷っていたところ。
「駄目よ。これは私の」
横からクロアさんがにっこり笑って割り込んで、ラオクレスの腕をぎゅっと抱いた。
ラオクレスの腕が、クロアさんのいかにも柔らかそうな胸の間に、むにゅ、と、埋め込まれてしまっている。ラオクレスは少し目を見開いた状態で固まってしまった。こ、これ、僕どういう顔をしたらいいんだろうか!
そして、更に。
クロアさんは背伸びして、ちゅ、と。
……ラオクレスの頬に、口付けした。
あの!なんというか、その……重ね重ね、僕、僕、どういう顔をしたらいいんだろうか!




