23話:巣立つ妖精*3
……それから。
僕らはものすごい勢いで、妖精達を問い詰めた。『本当に週5勤務でいいのか』とか『勤務時間は何時から何時までだ』とか『お昼休憩はあるのか』とか。『アンジェはお昼ご飯の後か夕方ごろにお昼寝したくなるけどお昼寝の時間は確保されるのか』とか。
通訳は全部アンジェだったから、忙しくて大変だったと思う。ごめんね。
けれど、忙しかった甲斐はあったと思う。妖精達は一生懸命考えてくれて、ああでもない、こうでもない、と色々条件を出し合って……そして、僕らはようやく、納得のいく結論に達することができたんだ。
「じゃあ、アンジェは週に5日、大体朝10時から夕方4時ぐらいまで、途中お昼休み1時間くらいとお昼寝休憩30分くらい、あとおやつ休憩30分くらいを挟みながら、妖精の女王様として働く、っていうことでいいのか?」
妖精達は満面の笑みで頷いている。それでいいらしい。なんというか、妖精ってすごいなあ!
「妖精の国お昼寝法の制定がアンジェの最初の仕事になるわけね。成程……。確かに全員でお昼寝しちゃえば、その間仕事は無くていいわね……」
ちなみに、お昼寝時間については『国中全員でお昼寝してしまえばいいのでは?』っていうアイデアを思いついてしまった妖精が居たため、お昼寝休憩が確保されることになった。僕はもうびっくりだよ。妖精ってすごいなあ!
「ふむ、実に面白い国だ。寝食に困っていなければ、確かにこういう風になるか……。ある種、理想の領地経営だね」
「我が領も妖精の国式にしようかな。いや、流石に難しいか……」
ローゼスさんとサフィールさんがなんだか別の観点からこれを面白がっている。まあ、理想の領地経営、なのかもしれないけれどさ。
でも、この国のやり方を他所に持って行くのは難しいと思う。妖精の国は外敵が滅多に来ないらしいし、妖精達が食べる果物や花の蜜はいくらでも国中のあちこちに溢れているし、中には『ハムが生る木』とか、そういう植物もあるらしい。そして寝床になる花もたっぷり、と。確かにこれなら生活するために働かなくてもいいから、のんびりした国になるよね。
「じゃあ、後は妖精の国と森を繋げれば完璧だね。森に帰ったらすぐにフェアリーローズの茂みを設置しよう」
そして、アンジェの通勤経路は確保できそうだ。
どうやらこの妖精の国、フェアリーローズの大きな茂みがあればそこが門になって妖精の国に入れるようになるらしい。ただ、フェアリーローズって普通にはそう大きな茂みにならなくて、妖精達が世話をして初めて、大きな茂みにまで成長するんだとか。アンジェが女王様になったら、フェアリーローズの管理も彼女の仕事になるんだそうだ。
……でも、まあ、描いて生やす分には、生やせるので。
妖精の国の入り口を森にも設ければ、アンジェが楽に通勤できる。そうすれば10時から4時までの勤務をして、それ以外の時間は森で過ごすことができるようになる。
「レッドガルドの森とうちの庭が妖精の国を挟んで繋がる、ということか。なんだか感慨深いね」
サフィールさんはにこにこしながらそんなことを言う。……そういえば、確かにそうだった。
「あの、サフィールさん。妖精の国と森を繋いでしまっても大丈夫ですか?」
「ん?ああ、勿論。どんどんやってくれ。……そして時々、妖精の国にお招き頂いて、妖精の国を通ってレッドガルド領へお邪魔しに行きたいな。そうすればもう少し頻繁にローゼスに会いに行けるし……何より、私の妻を連れてレッドガルド領へ行くことも簡単になる!」
「それはいい。是非遊びに来てほしいな。私も遊びに行こう。いやあ、便利になってきた」
……土地同士を繋ぐことになってしまうことについてはどうやら問題なさそうなのでよかった。
仲の良い人があちこちに居ると、こういう時に話が早くていいね。
さて。
これで大方の問題はなくなった。アンジェは妖精の国の女王様を妖精の国に通うことで実現できるし、通いだからリアン達とも一緒に居られる。
リアンはまだ、アンジェが遠いところに行ってしまうような気がしているみたいなのだけれど、大体は落ち着いたみたいだ。……やっぱり、自分の大切な人が自分の手の届かないところへ行ってしまうっていうのは不安だけれど、いつでも自分の手が届くところに居る、っていうのはそれなりに安心なんだと思う。
そうしてある程度僕らも落ち着いて、アンジェも落ち着いたところで、リアンがアンジェに確認する。
「アンジェは妖精の国の女王様、やってみたいんだな?」
「……うん」
「見ての通り、妖精ってのは、人間とは全然違う常識を持ってるんだぞ?それでも平気か?妖精の国で頑張るのもそうだけど、人間の常識をトウゴみたいに忘れちゃ駄目なんだぞ?」
「うん。どっちもがんばるよ」
ものすごく口を挟みたいところだったんだけれど、リアンとアンジェは真剣な顔で頷き合っているので、僕は異議を唱えることを諦めた。僕の肩に、ぽん、とラオクレスの手が置かれた。うう……。
「……ところで、アンジェはどうして、妖精の国の女王様、やりたいんだ?妖精が好きだから?」
「ええとね……」
リアンが『そういえばちゃんと聞いてなかった』と気づいたらしくてそう質問すると、アンジェは頷いて、理由を考えながら、一生懸命話してくれた。
「できることがあるの、うれしいの。おにいちゃんみたいにお仕事できないから……できるお仕事があったら、やりたいの」
リアンがはっとしたような顔をしている。……リアンは森で郵便配達の仕事をしたり、馬の世話をしたり、妖精カフェの店員をやったり、色々忙しく働いている。けれどアンジェは体が小さいこともあって、カフェの手伝いをするくらいだったから……本人は、それを気にしていたのかもしれない。
「それからね、妖精さんも好きなの。この国も、好き」
それに加えて、アンジェは妖精や妖精の国が好きみたいだ。ちょっと笑顔を浮かべるアンジェは、成程、ここが好きだって、確かに主張している。
「……そっか」
リアンはちょっと笑って頷いて、それから、妖精達をちょっとじっとり睨む。
「……で、アンジェは妖精になるのか?」
妖精達はリアンに睨まれてびっくりしてから、皆で首を傾げて……ちょっと話し合ってから、アンジェを通して話してくれた。
「ええとね、人間で女王様なのは、はじめてのことだけれど、まあ、しばらくはそれでもいいか、ってことになった、って」
それでいいのか。妖精って、すごいなあ!
「それで、えっとね……いつか、おにいちゃんが、アンジェが妖精さんになってもいいよ、って言ってくれたらぜひ妖精さんになってね、って言ってる」
成程。どうやら妖精達は、リアンとアンジェの様子を見て、そういうことにしてくれたらしい。
リアンはちょっとびっくりしてから、なんだかちょっと申し訳なさそうな顔で、妖精達に『ありがと』と言って、妖精達と妖精式の握手をしていた。
つくづく、思うんだけれど……妖精って、すごいなあ!
そうして、ひとまず妖精の国でのあれこれが片付いたので、僕らは森に帰る。妖精達を数匹連れて。
……そして早速、フェアリーローズの茂みを作ることになった。場所は少し迷ったけれど、妖精洋菓子店の裏庭にすることにした。そこなら何かあってアンジェが帰ってきても、すぐ誰かが発見できるし。あと、森の妖精達がすぐそこに住んでるわけだし。
僕らは妖精達に意見を聞きつつ、なんとか、妖精洋菓子店の裏庭にフェアリーローズの茂みを設置。試しに妖精の国へ移動してみたら難なく移動出来てしまったので、どうやらこれでよさそうだ。
「ちょっとずつ慣れていけばいいよ、って、妖精さん、言ってくれるの」
夕食の席で、アンジェはそう言ってにこにこしている。ちなみに今日の夕食はキノコと鶏肉のグラタンと野菜たっぷりのスープ。あと、森の木の実を使ったサラダとオースカイア領のお土産にもらってきたチーズ。どれもアンジェが好きな食べ物だ。
「だから、ちょっとずつ、がんばってみる」
「うん。そうするといいよ」
アンジェの前向きな言葉に、リアンも幾分穏やかな顔をしている。僕はそれが嬉しい。
「……あのね、トウゴおにいちゃん」
アンジェがもじもじしながら僕を見上げていた。なあに、と返事をしながらアンジェを見つめ返すと、アンジェは照れたような笑顔を浮かべて、言う。
「妖精の国に行っちゃだめ、って、言わないでくれて、ありがとう」
「……うん」
「おにいちゃんも。ありがとう」
「ん」
「ちょっと不安だけど、でも、がんばりたいからがんばる。がんばれる気がするの」
アンジェはそう言って、ふわふわした笑顔を浮かべた。
……多分、今、アンジェはちょっと不安なんだろうし、それと同じかそれ以上にリアンが不安なんだろうな、と、思う。
アンジェが妖精の国の女王様になるにあたって、とりあえず今すぐに人間をやめたり森を出ていったりすることは無くなったわけだけれど、それでも、アンジェがリアンの手元から巣立っていくことには変わりがないし……多分、リアンがアンジェに望んでいた巣立ちじゃないんだろうな、とも、思う。
……リアンは僕なんかよりずっと現実を厳しい目で見ていて、アンジェもその中で生きていけるように、って思っているんだろう。リアンが言っていた言葉を思い出すと、そんな気がする。
『いつまでも子供じゃいられないんだぞ』って、子供が言っているのは……その、少し、堪えた。なんだろうな。その通りなんだけれど、でも、そう言われてしまうのは悲しい、というか……いや、これも僕の我儘か。
他の人が僕の人生をどうこうする権利を持たないのと同じように、僕も他の人達の人生をどうこうする権利を持っていない。彼らが何を思ったって、それは彼らの自由だ。
……結構難しいなあ、と思うけれど、でも、ちょっとずつ慣れていこうと思う。
そうすることで、なんというか……自分で自分に納得がいくような、自分で自分を巣立たせてやれるような、そんな気がする。
夕食後。僕は珍しくもリアンに誘われて、彼と2人で森を散歩していた。
夏も終わる森の中は、ちょっと肌寒いくらいにひんやりしている。蛍めいて光って飛ぶのは妖精だったり、そういう虫だったり。この季節の夜の森は、幻想的ですごく綺麗だ。
僕らは並んでそんな中をぷらぷら歩きながら、お互いに黙っていた。
リアンは何か話そうとしては口を噤んでいるし、僕はリアンが喋るのを待っていたいので黙っている。
けれど、そのまま5分くらい歩いて、ようやくリアンが口を開いた。
「その……ありがとうな」
唐突なお礼を不思議に思っていると、リアンは自分でも言葉足らずだったと思ったんだろう。ちょっと気まずげな顔で続ける。
「俺がアンジェを邪魔しようとするの、止めてくれて」
「……邪魔、ではなかったと思うよ」
「それでもだよ」
僕は決して、リアンの言動が悪いことだとは思ってない。彼はアンジェのことを大切に思っていて……ただ、思っているものが兄妹でちょっと違ったっていうだけだ。そもそもこうしてリアンは今、色々考えている。兄妹の間の違いを埋められるように、頑張ってる。
「……知らなかったこととか、考えたことがなかったこととか、分かったから。だから、よかった。アンジェが何を考えてるか考えずにアンジェの邪魔しないで済んで、よかった。他にも、色々……あー。なんか、まだ、整理、ついてないけど。でも、もうちょっと色々、これから考えてみる」
「うん」
今回の諸々で僕も色々、思ったことも考えたこともある。けれど今はひとまず、リアンがちょっと吹っ切れたように笑っているのが嬉しい。
僕らは散歩を続けた。
『変なキノコだなあ、踊ってる……』とか『あの木の実美味そうな見た目だけど渋いよな』とか『ここ、夜になると雰囲気が違うね』とか『俺、夜の森に居たら偶々見回りしてたラオクレスと出くわして滅茶苦茶ビビったことある』とか、そういう話をしながら、のんびり歩く。
散歩をするのは考えをまとめるのにいいらしい。先生も時々散歩していたなあ、と思い出す。
「なんつーかさ。人と相談するのって、悪いことじゃねえし、なんならどんどん相談してみるべきだな、って、思った……いや、思った、っていうか……えーと」
「『学んだ?』」
「そっか。うん。そう。学んだ」
リアンはちょっと笑って、それから視線をふらふらさせて、更にそれから気が抜けたような呆れたような顔をする。
「……だって、相談したら妖精の国が週5勤務で6時間労働、内2時間は休み時間、っていう条件が分かったわけだしさ。難しく考える前に、話して聞いておけばよかったんだよな」
「うん」
まあ、そうだよなあ、と思う。妖精の常識が分からないのに勝手に推し測ってこちらで騒いでもしょうがなかった。最初から色々確認していれば、最初から落ち着いて話ができたかもしれない。幸いなことに、妖精達は僕らに友好的で、対話を厭わなくて、積極的に折衷案を考えてくれるような、柔軟な生き物なんだから。
「変な生き物だよなあ、妖精って。トウゴみてえ」
「僕、そんなに変だろうか……」
「変だよ」
そうか。まあ、僕、変なやつだってライラにも言われてるからな。変なんだろう。多分。
「まあ、アンジェも……あんまり認めたくねえけど、トウゴみてえなとこあるし」
「どういうところだろう、それ」
「ふわふわしてるとこだよ!……だから、まあ、妖精の国みたいな、ふわふわしたところで、いっぱい休憩しながらふわふわ働くようなのが合ってるのかもな」
リアンは真剣にアンジェの将来を考えているみたいで、唸りつつ虚空を見つめている。足元に意識が行っていなくて危なっかしいので、木の根っこに躓く前に、ちょっと引っ張って誘導しておいた。
「俺は……俺はさ、ちゃんと働きたい、っていうか、ちゃんと働くべきだって、思ってるから……妖精とは違うよな」
「リアンももっと休憩時間をとっていいと思うけれど」
「それは性に合わねえからやだよ」
そっか。僕から見るとリアンは働きすぎなのだけれど……でも、彼がそれを望むなら、そうさせた方がいいのかな、とも思う。彼が自らやることを否定したくはない。僕だって食事を忘れて描いていることがあるし、先生だってめんつゆを啜っていた。
「……俺の考え方と違うからかな。アンジェが妖精の国に行くのに抵抗があるっていうか、自分の考えと違うことをアンジェがやろうとしているのが許せないっていうか、それじゃ駄目だって思う、っていうか……怖い、っていうか」
「知らないことはいつだって怖いね」
「うん。……だから、聞いて、知らなきゃいけねえんだよな。って、今回学んだ」
「こういう話するの初めてだ。自分の中で偶に考えることはあっても、こういうの、話さねえから、変なかんじがする」
僕らは帰る方向へ足を進めながら、もうちょっとだけ散歩を楽しむ。リアンは難しい顔をしながらもひょいひょい足元の木の根っこを避けて歩く。さっきみたいな注意散漫ではなくなっていた。
「そっか。僕は割と先生とよく話してたよ。こういうこと」
「……『先生』って、桜餅の人か?」
「うん」
先生にちょっと不名誉な称号がついてしまった。でも先生ならきっと、喜ぶんだろうなあ、こういうの。『桜餅の人』はきっと先生にとっては名誉の称号だ。
「トウゴって……その人の影響でこうなったんだよな、きっと」
「そうだよ。だから僕と話して、リアンもだんだん変なやつになるんだよ」
「まじかあ」
2人でちょっと笑っていたら、リアンがふと、2、3歩分走って僕を追い越していって、それから立ち止まって僕を振り向いて笑う。
「あのさ。ちょっとだけ、今日のトウゴ、『兄ちゃん』っぽかったよ」
「……そう?」
「ん。ちょっとだけな」
そっか。ちょっとだけか。でもまあいいや。
兄貴分としては、弟分がちょっと成長したように思えて嬉しいです。
……あと、弟分が僕も成長させてくれたので、それも嬉しいです。




