18話:妖精の国*10
「いやああああああ!色が!色がついちゃう!」
「うん」
僕の目の前で、水の女の子は段々黄色くなっていく。
ええと、確かこの色は森の百合の花粉から作ったやつだ。
「やめて!やめて!」
更に、黄色くなった女の子に赤が混ざって、少しくすんだオレンジ色になっていく。多分、混ぜてる赤はソレイラと森を区切る壁に生えてる木苺の赤だ。
女の子はジタバタと暴れているのだけれど、それはそれとして、どんどん色がついていく。……不思議な仕組みだ。僕、花瓶の方に絵の具を入れられたら何かが嫌なんだろうなあ、とは思っていたのだけれど、まさか、花瓶に入れた絵の具が本体の方にまで影響してくるとは思わなかったよ。
……そうして、水の女の子はすっかりオレンジ色になって泣きべそをかいている。それを見ながらローゼスさんは「ああ、女王陛下になんてことを!」とか言いながら、『これは一体どういう仕組みだろうか……』みたいな目で水の女の子を見ていた。やっぱりフェイのお兄さんだけあって、魔法の仕組みには興味があるんだろうなあ、ローゼスさん。
サフィールさんはサフィールさんで「お労しいことです」とか言いながら、やっぱり興味深げに水の女の子を眺めている。更には、ちょっとナプキンのはしっこで水の女の子の顔を拭いてみて、オレンジ色に染まった涙がナプキンに染み込んでいくのを見て『面白い!』みたいな顔をしている。
僕は水の女の子がしくしく泣き出したのをちょっと申し訳なく思いつつ、瓶の蓋を開けた。水の女の子はもう瓶の蓋を開けられないようにする気力が無かったらしくて、瓶の蓋は簡単に開く。
「……こっちまでオレンジになってる」
瓶の中身は、いつの間にかオレンジ色に染まっていた。一体どういう仕組みなんだろうなあ、これ。
「ひどいわ!ひどいわ!私、色が付いちゃったじゃない!」
「うん。オレンジ色だね……」
「これ、こんなの……透明に戻るまでに、どれぐらいかかるの……?も、もしかして、二度と戻らないの……?」
どうでしょうか、という気持ちを込めてローゼスさんとサフィールさんを見てみる。すると2人共首を傾げた。まあ、そうだよね……。
ただ、サフィールさんがナプキンについているオレンジ色の涙を見つつ首を傾げているのだけれど……もしかしたら、人間で言うところの新陳代謝みたいなものがこの子にもあって、その内透明に戻っていくのかもしれない。水だし。
まあ最悪の場合、僕が書いて治せば治るとは思う。けれど、今は、それは隠しておこう。
「ええと……泣いているところ悪いんだけれど」
「泣いてないわ!」
声を掛けたら怒られてしまった。まあ、元気があるみたいで、それは何より。
「封印の宝石と妖精の国の治世の改善を要求します」
水の女の子には申し訳ないけれど、僕はこっちを諦める訳にはいかない。水の女の子がパニックに陥っている様子を見て心が痛むのだけれど、でも、まずはこちらの要求を呑んでもらうように、言質をとりたい。
……と、思ったのだけれど。
「どっちも渡したくないわ!ほら、早く戻してよ!私のこと、透明に戻しなさい!このっ!このっ!」
うーん、駄目か……。どうしよう。これ、更に虐めてもいいんだろうか?虐めて効果があるんだろうか?
やろうと思えば、まだ絵の具を足すことはできるよ。僕の手の中には絵の具のチューブも水の瓶もあるんだから。
けれど、意味もないのにこの子を虐める、っていうのは、その……うーん。
……僕がちょっと困っていたら、サフィールさんとローゼスさんが、水の女の子に見えない位置でにこにこしながら身振りだけで伝えてくる。
『やっちゃえ』と。
……あのね。あのですね。
これ、楽しい実験とかじゃないんですけれど!
「ひどいわ!ひどいわ!酷い色になっちゃったじゃない!なんてことしてくれるの!あんまりだわ!」
……結局。
僕は、絵の具を足した。
ええと、ウルトラマリンブルーのやつ。なので今、水の女の子はくすんだココアブラウンみたいな色になってしまっている。
……ちゃんと事前に言ったよ。『要求を呑んでくれないなら更に絵の具を入れてとんでもない色合いにすることだってできる』と。でも返答が「うるさいわね!さっさと戻しなさい!無礼者!私の邪魔をしないで!」だったので……あと、その、ローゼスさんとサフィールさんの期待に、押し負けて……。
瓶の中に絵の具を足して、ぐるぐる、とかき混ぜていくと、どんどん瓶の中が青っぽく染まっていって、オレンジが段々ココアブラウンへと変わっていく。でもやっぱり変なかんじだ。瓶の中に入っている水の量と、青い絵の具での染まり方がちょっと変。水が瓶の中だけじゃなくて、花瓶の方にも、この女の子自身にもつながっているから、っていうことなんだろうけれど……結構違和感がすごいぞ、これ。
ちなみにローゼスさんとサフィールさんが目を輝かせつつ混色の様子を見ている。まるで、色水遊びを見つめる少年たちのようだ。楽しそうですね。僕、ちょっとあなた達の見方を変えようかな……。
そうして水の女の子は、すっかりくすんだココアブラウンになって、また泣きべそをかいている。サフィールさんが涙をぬぐってやりながら、涙の色もココアブラウンになっているのを見て、『おお!』とばかりに顔を輝かせている。
「ひどいわ、ひどいわ……どうしてこんなことするの!」
「ええと、要求は呑んでほしいので。それと同時に、君を殺すのは、最終手段にしたいので……」
僕がそう言うと、水の女の子はさっきよりもずっとしおらしい態度で、でもちょっと僕を睨みつけてくる。絵の具を足した効果はあった、だろうか。
なににせよ、殺してしまうよりは絵の具を足した方がいいよなあ、と思いつつ……僕は、鞄から絵の具のチューブを出して見せる。
「次はこれを入れようと思う」
僕が見せたのは、ほんのり青みがかった深緑の……ビリジアン、とでも言うべき色の絵の具だ。確かこれは森の葉っぱから作った絵の具で作ったマラカイトで作ったやつ。
「……こ、これを入れると、今度は私、何色になっちゃうの!?」
「えーと……ちょっと待っててね。多分……」
僕はその場で混色シミュレーション。魔法画用の絵の具と水彩絵の具だと発色が違ったりするからあくまでも参考程度なのだけれど……。
「こんなかんじ」
海松色、というかんじの、暗くくすんだ黄色寄りの緑色、みたいな、そういう色を提示。
水の女の子は、ぽかん、としながら色見本を見ていた。
そして……。
「……絶対に、嫌!こんな色、絶対に嫌!」
大きく叫ぶと、ローゼスさんの膝の上で立ち上がる。
どうやらこの色は、水の女の子にとってオレンジとかココアブラウンより更に、圧倒的に、嫌、ということらしい。
この色、昼間から夕方の木々の様子とか描く時に木々の影の色に使ったりもするし、僕は嫌いじゃないんだけれど……まあ、自分の体がこの色、ってなると、確かに、嫌、か。うん。
「こんな色、ドブ川みたいじゃないの!不名誉だわ!最大の不名誉だわ!」
なるほど。水の妖精だから、余計にこういう色が嫌なのか。そっか。水の妖精の美的感覚がちょっと分かって、異文化交流の気分だ。
「それで、どうする?この絵の具、入れる?」
「嫌!やめて!やめて!」
水の女の子は小さな体でティーテーブルの上によじ登って、僕の方へ来ようとする。お行儀が悪いけれど、それだけ切羽詰まっているらしい。
「なら、封印の宝石は僕らにくれる?」
「あげる!あげるからすぐ私を戻して!」
「妖精の国は?」
「それももうあげるから!だからドブ川は嫌ぁ……」
ぐすぐすと泣き出した水の女の子はついに、封印の宝石……と妖精の国まで、僕にくれることになった。
……ええと。
国は、別に、いらない……。
それから、諸々の作業を行った。
まず、水の女の子から直々に、『この国に大きな人間を入れてはいけない命令』を撤廃してもらった。なのでようやく、フェイとラオクレスとクロアさんとも合流することができる。
彼らを気の良い妖精達が迎えに行っている間に、次の手続き。
「私は……ぐす、この国の、王位、を、ぐす……トウゴ・ウエソラに……ぐす、あの、これ、何て読むの……?」
「譲渡、です」
「うう……じょーと、します……ぐすん」
どうやら、妖精の国の女王様の権利は、こうやって儀式みたいなことをして譲渡するらしい。
……譲渡されてしまった。
「あの、僕……僕が王様になるの?」
「ぐす……だって、あなた、この国、ほしいんでしょ……?ぐすん」
いや、いらない……。
「だから……ぐす、あなたが、ぐすっ、女王様……」
いや、僕は女の子ではない……。
「立派な儀式でしたよ」
「お疲れ様でした」
そして、泣いている水の女の子をナプキンに包んで、ローゼスさんとサフィールさんが労わっている。ナプキンにはココアブラウンの色がじわじわと浸み出して来ているのだけれど……この子、不思議な生き物だなあ。
そして最後に……カチカチ放火王の封印を、もう一度見に行く。
「はい、あげる……。なんか、変になってるし、こんなのもう要らないわ……」
水の女の子はカチカチ放火王の封印についていた水の糸を全部撤収して、ずい、と僕に宝石を押し付けてきた。
「ありがとう。これでなんとか、妖精の国への被害を防ぐからね」
「もうどうでもいいわ、そんなの……ぐすん」
水の女の子はすっかり不貞腐れて、ぐすぐす泣きながらローゼスさんの手の中、ナプキンに包まってふて寝しそうな雰囲気だ。
ローゼスさんとサフィールさんに『任せていいですか?』とひそひそ聞いてみたら、2人ともにこにこして頷いてくれた。2人はどうやら、水の女の子のメンタルケアをしてくれるらしい。よかった。このまま不貞腐れて余計にとんでもないことをされたら困るし、ちょっと元気になって、ついでにちょっと行いを反省してもらえたら、それが一番いいんだけれど……それは難しいだろうか。
……さて。
ローゼスさんとサフィールさんが水の女の子を連れて地下宝物庫を出ていったところで、僕は改めて、カチカチ放火王の封印を見る。
……うん。
「たんぽぽだ」
僕が描いたたんぽぽは、すくすくと成長していた。
「たんぽぽで……周りが見えない……」
そして、成長したたんぽぽは封印の宝石の周りをすっかり覆い尽くしてしまって、宝石自体が1つの大きな綿毛か毛玉か、そういうような見た目になっていた。
えーと、これ、どうしようかな……。