23話:何度でも楽園を*7
ぼっ、と音を立てて、僕の羽の先に火が灯る。その火は確実に僕の羽を焼いて、僕自身を、燃やしていく。
ものすごく熱い。熱くて、痛い。
「くそ、消えん!なんだこれは!」
ラオクレスが自分のマントで僕の羽をばふばふ叩いて火を消そうとしてくれるのだけれど、火は一向に消えなくて、どんどん燃え広がって、僕の背中を焼き始めている。
熱くて痛くて苦しくて、もう、僕はどうしていいのか分からない。
「トウゴ!しっかりしろ!ほら、水だ!」
鳳凰が近くの水場へ飛んで、水を汲んできてくれたらしい。そして水が入ったバケツを受け取ったフェイが水を僕に掛けてくれるのだけれど、それでも火は消えない。
……そして。
「大変だ!火事だ!森が燃えてるぞ!」
そんな声が、聞こえて、町の奥……中央の森を見ると、そこから、黒い煙が、上がっているのが、見えた。
「火事……森が焼けている、だと!?」
ラオクレスの声をどこかぼんやり聞きながら、ああ、なるほどなあ、と納得する。
そうか。僕が燃えてるのか。だから僕が燃えてる……。
「くそ、誰が、どうやって、こんなことを……!」
ラオクレスが怒っている。珍しいなあ。いつも冷静で落ち着いている彼なのに、今はすごく慌てているみたいだし、ものすごく、怒っているし……。
「……燃えてるの、鳥の巣のあたりだ」
だから僕は、却って冷静になった。
熱くて痛くて、ぼんやりしてくるけれど、でも、自分がすべきことをしなきゃ、と、思って動く。
「そこに……何か、あった、んだと、思う」
燃えているあたりを感じ取ると、鳥達がキュンキュンキョンキョン言いながら、火の回りで大慌てしている。巣はすっかり燃えてしまっていて、巨木の数々が炎に呑み込まれていくところだ。
……中心になっているのは、鳥の巣があった巨木。
その根元……根っこに包まれるようにして、地中に、何か、あったんだと思う。
今までずっと静かに眠っていただけのものだった。だから何も分からなかった。多分、あの鳥も理由を知らないままあそこに住んでいた。
けれど、そこに……何か、あったんだ。
「……何か、すごく大きなものが、来てる」
朦朧とする意識の中でも、それだけははっきり分かる。
燃え盛る巨木の下から、何かが、這い出てくる。
這い出たそれは、這い出てすぐ、森の結界に力を奪われる。
そして忌々しそうに結界の外へ出た。
……そこで僕らは、それの姿を見る。
巨大な体躯。頭部に伸びる角のようなもの。開いた口らしい部分には牙が覗き、大きく太い手足は捻じれた老木を思わせる。目らしいものが熾火のように光って僕らを睥睨する中、それの向こう側の景色が透けて見えた。
……そう。巨人、と言うべき大きな体は炎か蜃気楼かのように朧げだった。揺らめいて、薄れて、時々、向こう側が見える。
つまり、物質というよりは、魔法。そういう存在だ。
……魔法の王。
だから、『魔王』。
僕は、あれが、『魔王』なんだと、知った。
『見つけたぞ』
魔王が僕を見る。すると、背中で炎が勢いを増した。背中は相変わらずひりついて痛んで……でも、段々、感覚が無くなってきた。
『忌々しい、精霊め……まずは、貴様からだ』
そんな僕に向かって、巨大な手が伸びる。
僕は、僕を叩き潰そうとする巨大な手を、ぼんやりと、現実味を感じられないままに眺めていた。
……僕、死んじゃうんだろうか。
まあ、そうだろうなあ、と、思う。
ラオクレスが立ちはだかって剣を構えるけれど、でも、そんなラオクレスすらちっぽけに見えるくらい、迫りくる手は大きい。
逃げて、と言おうとしたのに、声が出ない。駄目だ。駄目だよ。これじゃあ……。
……また、死んでしまう。
キュン、と、軽やかながら鋭い鳴き声が響く。
空を裂いて、僕の意識を叩き起こすように。
あっ、と思った時にはもう、鳥が居た。
……鳥が、横から突っ込んできて、魔王の腕に、深々と……草花を象った美しい光の剣を、突き刺した!
『な、何を』
魔王は、明らかに動揺した。僕を叩き潰すことを忘れてしまうくらいには。
鳥は、キョンキョンキョン、と鳴きながら光の剣を引き抜いて、そして、またキョンキョンキョン、と鳴きながらさっさと逃げていく。一撃だけ入れたら後はお任せ、っていうことらしい。
……けれど、その一撃には、ものすごく大きな意味があったんだ。
『……ぐ』
魔王の姿が、大きく揺らぐ。魔王の苦しそうな声が聞こえてくる。
『未だ、安定せんようだな……』
そう言って、魔王は更に大きく姿を揺らがせると……ぎろり、と悔しそうに僕を睨んだ。
『だが……聞け、人間達よ!我は魔王、貴様らの世を打ち滅ぼす者!そして、精霊よ!……必ず、お前は殺してやる……!』
……そして、そう言い残して、魔王は、ふっ、と掻き消すように、姿を消してしまったのだった。
「……消えた」
魔王は、消えた。気配も無い。どうやら、あの鳥の一撃が相当に響いたらしい。
けれど、死んではいないんだろうな、ということは、分かった。だからまだ、安心は、できないし……。
「くそ、なんとか、なんとかこの火、消す方法は……」
相変わらず、僕は燃えている。火事がそう簡単に収まる訳もないから……。
フェイもラオクレスも周りの人達も、僕の羽の炎を消そうとしてくれているのだけれど、僕は自分の羽よりも、自分自身……森の一部が燃えていることに、危機感を覚えている。
自分が燃えている。自分が燃えている。どんどん焼け焦げて、失われていく。
それがどうしようもなく怖くて、なのにもう、体はぴくりとも動かなくて、ただ、僕は生きたまま荼毘に附されてしまうんだなあと、思って、意識を手放そうとした、その時。
キョキョン、という気の抜けた声が響いて……次いで、猛々しく吠える声が、空に響いた。
響いた声に、誰もがはっとする。僕も、もったりとして重たい意識の中で、その声をはっきりと聞いた。
それは怒りの声で……けれど、すごく頼もしい声だ。
「……龍だ」
僕らの頭上を飛んで行った龍は、大きく吠えると……ぎろり、と地上を睨んで、そして……空から、一気に雨を降り注がせた!
ざっ、と大雨が降る。ぴしゃん、と、大きな音を立てて雷が落ちる。
それを眺めながら、僕らはそのまま、雨に打たれていた。
雨が冷たくて気持ちいい。嫌に火照った体がひんやり冷やされて、それがすごく気持ちよくて……そして。
「……消えた」
ラオクレスの、心底ほっとしたような声を聞いて、僕は、自分の羽を燃やしていた炎が消えたことを知る。つまり、森の火事も収まった、っていうことだ。
ぶすぶすと黒い煙が上っていて、じんわり焦げ臭い。自分が焼けた焦げ臭さだと思うと、すごく嫌だなあ、これ……。
「おい……大丈夫かよ、トウゴ……」
「うん……大丈夫……」
心配そうに、フェイが僕に声をかけてくれる。それを聞いて、僕は、なんとか彼らを安心させなくちゃ、と思いながら……でも、背中に残る熱と重い痛みと、緊張してから一気に弛緩した精神とのせいで、なんだか、瞼が重くなってくる。
……寝てる場合じゃないぞ、と思いながらも、でも、沈んでいってしまう意識はどうしようもなくて、雨は冷たくてじんわり気持ちよくて、眠くて……僕はそのまま、眠ってしまった。
いや、もしかしたら、魔力切れ以外で人生初の、気絶、というものだったのかもしれない。
……いや、初めてじゃ、ない、気もするけど。
ぼんやりしている。
ぼんやりと、見えている。体の目じゃなくて、森の目で。
……森は中央の一角やその周り数か所が焼けてしまって、ぶすぶすと煙を上げている。動物たちの住処は、もう無残に跡形もなかった。
けれど幸いにも、焼けてしまった動物は居なかったみたいだ。鳥の子達が兎の子を咥えて飛んでいたりリスを羽毛に収納して運んだりしていたから、きっと、彼らが頑張ってくれたおかげなんだと思う。ありがとう。
納得しながら、でも相変わらずどこかぼんやりしながら、僕は、僕の周りのものを観察する。
なかよし魔物ふれあい広場の会場は騒然としていた。魔王が這い出る姿を見てしまったお客さん達は更に大雨にやられて、不安そうにざわざわとしていて、ソレイラの人達がお客さん達にタオルを貸してあげたり、妖精カフェでは温かい飲み物を用意し始めたり、皆が助け合っているみたいだ。
幸いにも、魔物達を怖がる人は居なかった。これは、森の魔物達のファインプレーだ。彼らが、彼ら自身の力で勝ち取った信頼だ。……森の魔物達が人々に受け入れられているっていうことが、嬉しい。
それでも、町にも被害は出ている。森の方に比べると大分穏やかだけれど、こっちの方にも火が出てしまったらしくて、家屋や畑なんかが燃えてしまったらしい。焼け出されて困っている人達の姿も見られる。家財も燃えてしまったみたいだ。せめて、彼らの大事なものは、残っているといいけれど……。
そして……アージェントさんが居る。
ソレイラの森の外で、何かを嘆いている。その横には……ルギュロスさんが、居る。2人は何かを言い争っているようにも見えるし、よく、分からないのだけれど……。
……まおーんじゃない魔王が復活してしまったことって、ルギュロスさんが何か、関係しているのだろうか。
だとしたら、どうして、そんなことを、したんだろうか。




