15話:2人の勇者、それから絵描き*8
「何をしに、ここへ来たのかね」
「絵を描きに来ました。取材旅行です」
不審げなアージェントさんをしっかり見つめ返しながら、スケッチブックを見せる。ほら、何も怪しいことはありません。僕はただの絵描きです。
「ほう……ルギュロスの絵を描いていたのか」
「はい」
スケッチブックを見たアージェントさんは、ちょっと感心したように息を吐く。そして、小さい声で、『やはり引き抜いておくべきだったか』とかなんとか、言った。やめてやめて。引っこ抜かないでほしい。僕はレッドガルドの森に生えていたいんです。
「スケッチだが、十分に上手い。どうだ、今からでもアージェント家のお抱えになるというのは」
「勿体ないですが、お断りします。ソレイラのこともあるので」
アージェントさんのことだから、僕がソレイラの町長ということになってしまっていることはもう知っているだろうな、と思ってそう言ってみたところ、『だろうな』というような顔で頷かれた。駄目で元々のお誘いだったらしい。まあ、社交辞令として受け取っておきます。
「ルギュロスの絵を描いていた、ということは、これは君の画廊に飾られるのかね?」
「ええと……」
聞かれて、どうしようかな、と少し思う。……けれど、隠しておくのはフェアじゃないし、隠さなくても問題ないだろうと思われたので、話すことにする。
「王立美術館に展示される予定です」
「何?」
案の定、アージェントさんは眉を顰めた。『王立』美術館だからね。王家と対立しているアージェント家にとっては、敵が運営している美術館っていうことになる。
「……それはどういった目的で、展示されるのだ」
「ええと……ライラ・ラズワルドとの合同展なんです」
多分、アージェントさんは『ルギュロスを貶める目的で絵を展示するのか?』っていう意図で聞いてきたと思うんだけれど、僕は一介の絵描きなので、素直に展覧会の話をする。
「僕とライラ・ラズワルドが同じお題で絵を描いて、その対比を楽しむ、っていう。そういう企画らしくて」
僕がそう言うと、アージェントさんは肩透かしを食らったような顔をした。『やっぱりこいつの相手は苦手だ』みたいな顔も、ちょっとした。
「……その『お題』とは」
「いくつかありますが、ルギュロスさんの絵は『勇者』のお題で描くつもりです」
けれど、僕がそう答えると、アージェントさんは一層、不可解そうな顔をする。同時に、それを隠そうともしていたけれど。
「……トウゴ・ウエソラ。君は、ルギュロスを勇者だと思っている、ということか?」
「うーん、それは少し難しい質問で……あの、ライラ・ラズワルドと少し相談したんです。そうしたら、彼女は『ラージュ王女を描くつもりだ』ということだったので、じゃあ、折角なら僕はもう1人の勇者の方を描こう、っていうことにしたんです。どちらが勇者か、と言われると、少し困ります」
僕の答えはアージェントさんをより悩ませてしまったらしい。何とも言えない顔で、アージェントさんは少し考え込んで……言った。
「君が、ルギュロスを支援する、ということなら……こちらから絵を依頼してもいい。高値を付けよう。そちらの言い値で構わん」
い、依頼……。
なんというか、アージェントさんからそう言うことを言われてしまうと、その、すごく困る。
「ええと……依頼はもう、王立美術館から頂いているので……」
「それに上乗せする形で出資する」
「お金が欲しいわけではないので……」
どう断ったものか、と思いつつそういうことを言うと、アージェントさんは少し、不愉快そうに眉を顰めた。
「……分からんな。君が求めるものが、分からん。以前も思ったことだが」
僕が欲しいものは、まあ、お金ではなくて、評価、というか……うーん、難しい。自分でも何が欲しいのかはっきりしないものだから、説明なんてできっこないな。
「……まあ、君はレッドガルドの意図で動いているのだろうからな。無理強いはせん。だが、君が望むなら、いつでも我々は君に手を差し伸べよう」
「あ、ありがとうございます……?」
アージェントさんはなんとなく、僕のことを買ってくれている、らしい。
けれどそれがどうしてなのかよく分からないので、僕としては困惑するしかない。
レッドガルドの仲間を引き抜こう、っていう意図なのかもしれないし、それ以上の価値を僕に見出しているのかもしれないけれど……。
うーん……まあ、いいか。申し訳ないけれど、僕はやっぱり、レッドガルドと共に在ろうと思っているし、それはずっと変わらないから。
「伯父上」
やがて、演説を終えたルギュロスさんが、こちらに近づいてきた。……伯父上、っていうことは、ルギュロスさんって、アージェントさんの甥っ子なんだろうか。
僕がちょっと不思議に思っていると、アージェントさんが丁寧に紹介してくれた。
「知っているとは思うが、ルギュロス・ゼイル・アージェントだ。妹の子にあたる」
成程。そういうご関係。……そういえば前、聞いたことがあったような気もする。『アージェント家の傍系の方から勇者を擁立した』って。成程。妹さんの息子さんなら、本家ではない、ってことなんだろうな。
「ルギュロス。こちらは、トウゴ・ウエソラ君だ。レッドガルド家のお抱え絵師をしている」
そして、アージェントさんは僕のことをルギュロスさんに紹介してくれたのだけれど……。
「……貴様」
ルギュロスさんは僕を見て驚くと、じろ、と、鋭く睨みつけてきた。
「レッドガルドの手の者か」
あ、はい。その通りです。
僕はレッドガルドの傍に生えている森であり、レッドガルドの傍の森に住んでいる者なので、レッドガルドの手の者というか、レッドガルドのお隣さんなのだけれど……まあ、そこは誤差だろう。
「そして、王家の手の者でもある、と。そういうことか」
「うーん……手の者、と言われてしまうと、どうなんだろうか……多分違うと思います」
更にルギュロスさんは僕を警戒してそう言ってきたのだけれど、僕としては、王家は仲のいい相手であるだけなので、『王家の手の者』と言われてしまうと違う気がする。
「……まあ、貴族連合やレッドガルドが何を考えているかは分からんがな。王家とよろしくやっていたいのはお前も同じだろう」
「まあ、はい」
王家と仲良くしておくと、変なものも美しいものも沢山描けるので、是非、これからもよろしくしてもらいたいところではある。
……と思って返事をしていたら。
「調べは付いているぞ。お前はただの絵描きの身分でソレイラの町長の座に収まっているらしいな。普通であれば、考えられないことだ」
ルギュロスさんは低い声で、そう、僕に言う。
「僕もそう思います」
なので正直にそう答えてみたところ、ルギュロスさんはちょっと拍子抜けしたような顔をした。あ、この顔、アージェントさんと似ている。ルギュロスさんの方がずっと表情豊かというか、感情が表に出てくるみたいだけれど。
「まあ……レッドガルドとて馬鹿ではあるまい。狡猾と評してもよいくらいだ。ならば、考え無しにただの少年を町長にするわけがあるまい。ならば……」
ルギュロスさんはちょっと僕との距離を詰めて、言った。
「教えてもらおうか。お前は一体、何者だ?」
「私は不審に思っている。あの王家がどうして持ち直したのか。貴族連合との和解など、ありえんことだ。『魔の手に堕ちた』王家が平然としていることも、ありえんことだな。それこそ、神の奇跡でも起こらん限りはありえなかったはずだった。……だが、王家は貴族連合と和解し、更に、『魔の手』をすっかり隠し通している。まるで、何事も無かったかのように、な」
ルギュロスさんは僕をじっと睨んで、僕との距離を更に詰めて、言った。
「お前が何かやったのだろう?」
え、ええと……何もしなかったとは言えない。王様を人間に戻したのが主な働きだっただろうか。
ルギュロスさん達、王様が魔王の使いと手を組んでいたことは知っていそうだしなあ……。僕がその辺りをどうにかした、と思われているのか。僕がやったかどうかなんて、分かりっこないはずなんだけれどな。
「お前は何を企んでいる?何をするつもりだ?」
でも、そう言われても困る。僕はただ黙るしかないのだけれど……。
「あまり脅かさないで貰おうか。トウゴは見ての通り、ただの絵描きだ。これ以上の話がしたいなら、レッドガルド家に言え」
僕が困っていたら、ため息交じりにラオクレスが割って入ってくれた。
「……話はここまででいいか」
そしてラオクレスはそう言って、ぎろり、とルギュロスさんを睨んだ。不動の石膏像だと思っていたものが動いて睨んでくる、という迫力に、ルギュロスさんはたじろいでいる。流石は僕らの石膏像!
「ルギュロス」
そこへ、アージェントさんが声をかける。
そしてアージェントさんはルギュロスさんと何かを囁き交わした。
途中、ルギュロスさんが訝し気に僕の方を見たけれど、話の内容が聞こえないので意図は分からなかった。
……2人のひそひそ話が終わって、改めて、というように2人は僕に向き直る。
とりあえず、ルギュロスさんは不満げながら、これ以上の追及はやめてくれる、らしい。不満げだけれど。すごく不満げだけれど。
「いいか、トウゴ・ウエソラ。私はお前を疑っている。伯父上がお前に価値を見出しておいでであったとしても、だ」
「あ、はい」
どういう反応をしたらいいのか困ることを言って、ルギュロスさんは僕をじろりと睨んで……そして、去っていく。綺麗な動作でくるり、と背を向けて、そのまま颯爽と歩いて行ってしまう、のだけれど……。
……あ。
「あ、待ってください!」
待って待って。まだ去らないでほしい!
僕が呼び留めると、ルギュロスさんは立ち止まって、不審げな顔で振り返る。
「あなたの絵を描いて展示したいんですが、いいですか?」
……ルギュロスさんが、ものすごく困った顔をしてしまった!
それから、絵についてはアージェントさんから許可を貰えた。ルギュロスさんは少し不満げだったけれど、アージェントさんの判断に異を唱える気は無いらしい。
モデルさん本人が乗り気じゃないのは少し気がかりだけれど、ルギュロスさんが心配していることは『自分を醜く描いて評判を落とすつもりなのではないか』っていうことらしいので、そこは安心してもらいたい。
折角描くんだ。全力で、美しく勇ましい勇者の姿を描くつもりだよ。
……ということで。
僕らはアージェントさん達と別れて王都に戻って、そこで一泊。
「小さい部屋だが、どうせ寝るだけだ。構わんだろう?」
「うん。僕、狭いところ大歓迎」
フェイ達と一緒に来た宿ではなくて、もっと小さくて狭くて落ち着く宿に泊まることになった。荷物置き場と簡単な造りの水浴び場とベッドがあるだけの狭い部屋だ。いいね。狭いところって落ち着く。……ラオクレスには若干、ベッドが狭いようだったけれど、僕には丁度いい大きさだ。
「……ルギュロスのことだが」
「うん」
そこで荷物を下ろして少し寛いだ僕らは、少し話す。
「警戒した方がいい。まだアージェントは多少理性的に見えるが、ルギュロスはお前に手出ししてきかねん。奴はお前のことをよく思っていないらしいからな」
うん。まあ、それはそうだろうなあ、と思う。
僕はレッドガルド家と仲良しだし、王家とも最近仲がいい。だから、ルギュロスさんからしてみれば、敵、というわけだ。それは分かるよ。
「むしろ、アージェントさんが僕に対して何故かそんなに悪い印象が無いように見えるのが不思議なんだけれどな」
逆に、僕が分からないのはアージェントさんだ。
何か、僕のことを買ってくれているらしい、ということは分かるのだけれど……何故だろう。
「……まあ、お前の噂を聞いていれば、ある程度、お前に手出しすることの愚かさは分かるだろうからな。味方に引き入れたいとは思っても、敵に回したいとは思わんだろう」
成程。つまり、触らぬ神に祟りなし、ってことか……。
僕をそのままにして置いたらアージェント家にとって不利益が起こることは結構ある、と思う。けれどそれ以上に、僕を攻撃することのリスクを大きく見てくれている、っていうこと、なのかな。
「……少し複雑な気持ちだけれど、概ね嬉しい」
「そうだな。要は、お前はアージェントを牽制するだけの能力と実績を手に入れているということだ」
「これで森を守るのに少し役立つだろうか」
「現に役立っている」
そっか。……嬉しい。
僕はあんまり頼りがいがあるようには見えないだろうし、威厳も貫禄も無いから、舐められる、っていうことが大いにある、と思う。いや、実際、大したことのない奴だから、舐められてしまっても仕方がないんだけれど。
……でも、そんな中でも、僕がやってきたことの積み重ねが、『森に手出しはしないでおこう』って思ってもらえる材料になったんだとしたら、それは、すごく嬉しいことだ。
「おい、あまりふわふわするな。アージェントは保留にしておいてもいいだろうが、ルギュロスがアージェントの思惑を外れて行動する可能性もあり得る。十分に注意しろ」
「ふわふわするなと言われても、少し嬉しいのはどうしようもない」
今だけはちょっとふわふわさせてもらおう。ふわふわ。
……少し呆れた顔をされてしまった。
翌朝、少し寝坊気味に起きた僕らは出発して、森へ帰った。
「あ!トウゴ!お帰り!」
「ただいま」
すると、僕の家の前でライラが絵を描いていた。『勇者』の絵だ。ラージュ姫の。
……ライラの絵は、影より光を描くようなかんじだ。暗闇の中で1人だけ強くスポットライトを浴びているような、そういう絵。
一方、僕は昨日の宿でちょっと下描きしたかんじだと、明るい中で1人だけ濃く影ができていて色が見えるような絵になりそうなので、ライラとは真逆になる。狙ってやったわけじゃないので、ちょっと面白い。
「どう?ルギュロスの絵、描けそう?」
「うん。本人っていうか、アージェントさんの許可は貰えた」
「会って来たの?まあいいけど。変なことされなかった?」
「うちのお抱え絵師にならないか、ってまた言われた」
「……ま、平和そうで何よりだわ」
ライラは少し呆れたような顔をしていたのだけれど、まあ、それは置いておくとして……。
「え?もう描くの?帰ってきてそうそう?」
「ライラの絵を見てたら僕も描きたくなってきた」
画材を出して、足りないものは描いて出して、絵の準備だ。
……僕は精霊で、森で、ただの人で、そして何よりも絵描きなので。やっぱり、まずは描くのが先決だと思うんだよ。
それから、僕らは随分絵を描いて、そして、同時にアージェント家の擁する勇者ルギュロスの動きも大きくなってきていた。
王家批判の演説はアージェント領を出て王都でも行われていたし、それに伴って、王都の人達の不安は何となく増しているように思えた。
その余波はレッドガルド領にも届いていて、ソレイラでも、情勢の不安定さを憂う声が聞こえている。
ラージュ姫はルギュロスさんに対抗するためにやはり演説に立ったり、人々の話を聞いて回ったりしているのだけれど、やっぱりこういう時って、『世界は平和です』っていう主張よりも『世界は滅ぶ!』っていう主張の方が強いんだよ。
ルギュロスさんは結構、いい加減な、というか、意図的に間違ったことも言っているんだ。『国王は魔王復活を目論んでいる』とか、『魔物による侵略が始まる』とか。今の王様はそういうこと、考えていないんだけれどね。
……けれどやっぱり、『何もない』とか『多少何かがあってもそれらは問題ないこと』っていうような主張は、どうしても弱いから……王都の中には、ルギュロス派の人も生まれてきてしまっている。
そして彼らは『一丸となって王家を打ち倒そう』という革命の流れに乗ろうとしていて……。
……そんな情勢の中、王立美術館の『トウゴ・ウエソラとライラ・ラズワルドの対比展』は、開催された。