9話:剣と宝石*4
『とりあえず殺しておくか』と言われて、一瞬、何のことか分からなかった。
けれど、店の人がカウンターの下からナイフを出してきたら……流石に、これはまずいって分かる。
店の人が出したナイフは、僕に向かって投げられた。
慌てて避けたら、今度は急に、視界の右端から鋭く光るものが突き出てくる。僕はこれもほとんど反射みたいに避けた。
避けて、体勢を崩して、でもなんとか振り返って見たら……もう一度、僕に向かって鋭く光るものが繰り出されるところだった。
鋭く光るそれは、多分、ナイフだ。2本目が来てしまった。
そして、2本目のナイフを持って僕を狙うのは……店の中に居た、他のお客さん。いや、客じゃなくて、関係者、だったのかな。元々、店の人と知り合いのようだったし。
「運が悪かったな、坊主!」
僕は僕に向かってきたナイフを、何とか床を転がって避ける。僕、運がいいね。僕を狙ったナイフは、床に突き刺さった。
「仕留め損なってんじゃねえよ」
「何、どうせもう逃げられねえ。じっくりやろうぜ」
「けっ。次は外すなよ」
次も外してね、と心の中でお願いしつつ、どうせお願いしても当てに来るんだろうな、と思いつつ……僕は、なんとか立ち上がって身構える。
状況はまるで分からない。質屋っぽい店に入ったら、途端に殺されることになってしまった。
そして……。
「それにしても……俺達の宿敵かそのお仲間が、大金持って殺されに来てくれたとは、驚きだな」
店の人達は、そう言って笑う。
……これは一体、どういうことだろう。
まず、今、僕を狙っている理由の1つは、お金、だろう。
うん、確かに僕、お金の袋を持ったままだった。迂闊だっただろうか。
でもお金以上に……僕があの剣を買いに来たからこそ、僕は今、殺されかけているように思える。
店の人の反応も、僕が剣を買いに来たと分かった時からおかしくなった。だから多分、そういうことなんだろう。
……この人達は、僕のことを『俺達の宿敵かそのお仲間』と言っていた。ということは……『剣を買い求めに来る人』が、『宿敵』ということだろうか。なら、あの剣を見つめていたラオクレスは……。
それ以上考えている余裕はなかった。すぐに次のナイフが来る。僕は姿勢を低くして一気に走って、店の人が投げたナイフを避けながら店のドアに向かう。けれど、ドアに辿り着く前にもう1人、客だった人が立ち塞がる。僕はその人が振り回した斧みたいなものを避けることになって、中々ドアへ近づけない。
そうこうしている間に、もう1人の客がドアの鍵を内側から閉めて、そのままナイフをもって近づいてくる。更にどこからかナイフが飛んできて、そこら辺にあった壺を割った。焼き物が割れるけたたましい音が響く。
そこに斧が振り下ろされて、慌てて避ける。すると、店の棚が1つ壊れて、またすごい音がする。
……そうして逃げ回っている内に、すっかり追い込まれてしまった。
元々そんなに広くない店内だ。逃げ場はない。
……これは、まずいかもしれない。
「……あなた達は、単にお金が欲しいから僕を殺す、ってわけじゃ、ないみたいに見える」
僕がそう言ってみると、店の人も客も笑った。
「金?金は欲しいぜ。いくらでもな。坊主が持ってる分、いくらだ?それだけたんまり持ってるんなら、中々の額になるよな?」
そう言ってから……店の人は、続けた。
「だがそうだな。金だけなら、命まではとらないでやっただろうな」
そうか。やっぱり。
「じゃあ、あの剣が単に綺麗だったから欲しかった、って言ったら?」
「今更だな。それを言ってる時点で心当たりはあるって言ってるようなもんだぜ」
そう言われても困る。心当たりはあるけれど、その詳細は何も知らない。
ラオクレスが見ていたから、というのも、もしかしたら、単に彼が奴隷になる前は剣を使っていて、それで懐かしくなった、とかかもしれないし。
……けれど。けれど、何か、引っかかるのは確かだ。
もし。あの剣が、ラオクレスと関係があったなら?そこには一体、何があったと予想できる?この人達が『あの剣に興味を示した者は全員殺す』というとんでもない発想に至る理由は?
……そもそもどうして、ラオクレスは奴隷になった?
「もしかしてあの剣、人を殺したの?」
だから僕は、そう聞いた。
……すると、店の人は、にやりと笑って答えた。
「ああ、そうだ。お前が欲しがった剣は、俺達の大事な大事なご主人様を殺した奴らの剣だからな!」
そして、僕に向けて、ナイフや斧が迫ってきて……。
……その時だった。
店のドアが、ガチャガチャ、と鳴る。
その音に、店の人達が一瞬、怯んだ。……その直後。
バン、とすごい音がして、ドアが……蹴破られた。
吹き飛ぶドア。そしてドアの破片。ついでに壁の一部。
……そういったものを撒き散らして、そして、入ってきたのは……ラオクレスだった。
ラオクレスと一瞬、目が合った。そしてその直後、もう、ラオクレスは動き出していた。
最初に彼は、荷物を投げた。大きなチーズの塊とパンの塊。袋ごと。
……チーズの塊は客の1人の胴体に勢いよくぶつかって、彼をその場に倒れさせる。
「てめっ、まさか……!」
更に、ラオクレスはその手に握った買い物袋を振り回して、何か驚いていた店の人の側頭部を殴り飛ばした。そのまま買い物袋は投げ捨てて、彼は片手を自由にする。
そしてラオクレスは……斧を持った客の1人と、生ハムを持って対峙する。
……すごい。生ハムが、こん棒に見えてきた。ヘラクレス像の中に確か、あったよね。こういう、こん棒持ったヘラクレスも……。
生ハムこん棒のラオクレスは、すごかった。斧を生ハムで受け止めて、左手で客の胸倉を掴んで、頭突き。
起き上がってきた店の人を見て、今度はそっちを生ハムで殴り飛ばす。
……すごい。本当にすごい。ラオクレスはすごく強い。
強くて、そして……すごく、綺麗だ。
動く筋肉ってこんなに綺麗なのか。腕を振りかぶる時の、腕の筋肉の盛り上がり。飛んでくるナイフを避ける時に逸らされる体の動き。緊張する筋肉の、ただの彫刻では絶対にありえない、躍動感。
……いや、見とれている場合じゃないのは分かってるよ。でも、ラオクレスの戦いぶりは、あまりにも一方的なくらいで……ただ見ているだけで、戦いは終わってしまったのだ。
床の上に倒れた3人を見下ろして、ラオクレスは小さくため息を吐いた。
それから僕の方を見て……ちらり、と気まずげな顔をして、そっぽを向いて……そっぽを向きながら、僕へ、手を伸ばした。
思わず身を竦めたけれど、体が予感したような衝撃は無くて、ただ、ぽん、と、僕の頭の上にラオクレスの手が乗せられただけだった。
それから、ぎこちなく、不器用に彼の手が動く。わし、わし、と。
「……迷惑をかけた」
「え?」
ラオクレスはよく分からないことを言って、それから、放り投げていた買い物袋やチーズやパンを拾い集めて、店を出ていこうとする。
迷惑って……店に?まあ、確かにドアは壊れたし、棚は壊れたし、商品も割と壊れた。けれど、多分ラオクレスが言ったのは、そういうことじゃなくて……。
「……僕に、迷惑かけた、って、思って、るの?」
躊躇いながら聞いてみたら、ラオクレスは立ち止まって、それから小さく、そうだ、とだけ言った。
「あの、迷惑かけたのは僕の方だ。勝手に出歩いて、変なことになった。ごめんなさい」
僕はすぐにラオクレスを追いかけて、そこでちゃんと謝った。
彼に迷惑をかけた。勝手に彼の思いの切れ端を見つけてしまって、それを捕まえにいってしまった。彼が望んでいるかも確認しないまま。……反省してる。
僕が謝ると、ラオクレスはまた、気まずげな顔をする。何を言ったらいいのか分からない、というような、或いは、どう言っていいのか分からない、というような。
「俺が……あの剣を見ていたのを、お前は見ていたんだな」
「うん」
「だからお前は動いた。それは、分かっている。なら俺が巻き込んだようなものだ」
「ううん。……あの剣を買いに行っていいか、ちゃんとあなたに聞くべきだった。聞くことを怖がっちゃいけなかったんだ」
なんとなく、聞いちゃいけないような気がした。ラオクレスが何か言いたそうで、それでいて、きっとそれを僕には言ってくれないだろうという気がしたから。それでも、言われなくても、彼が思っていることを叶えたいと思ってしまった。
多分、烏滸がましかった。それだけのことだ。
「……とりあえず、戻るぞ。あの貴族が道に迷っているだろうから」
ああ、そういえばフェイにも迷惑かけたな。そっか、彼、道に……。
……うん。
そうしてラオクレスが店を出ていこうとするのを追いかけようとして……僕は思い出した。
そもそもの、この店に来た理由を。
「あの、ラオクレス」
今度こそ、ちゃんと聞くんだ。彼の意思を。僕が勝手に量るんじゃなくて。僕が勝手に怖がることのないように。
……けれど、僕がその先を言うことはできなかった。
しゅうしゅう、と、奇妙な音がしたと思ったら……荒れた店の一角、倒れた店の人の手の中で、何か、黒いものが蠢く。
あれ、と思った途端。
凄まじい音がした。地面が揺れる。何かが壊れる重い音がいくつもいくつも、響く。
……そして。
「これは……大変だ」
黒い黒い、夜の闇を集めて作ったような不定形のお化けが……天井を突き破って、その大きな体で、のっそりと僕らを見下ろしていた。