13話:2人の勇者、それから絵描き*6
問題の絵は、ブローチだ。黒水晶のようでそうじゃない、でも水晶の気配がする不思議な大粒の宝石が嵌ったやつ。中に風の精が入ってて、ちょっと可愛かった。
「違和感があるのはここよね。光沢と影の入り方」
「うん」
「これがなんか違和感あるのよ。妙に奥行きっていうか透明感があるかんじ、するじゃない?これ黒水晶でしょ?なら、もっと金属光沢みたいに表面で光が反射するように描いた方が違和感ないんじゃないかしら。ええと、こういう風に……」
ライラはそう言って、お手本を描いてくれた。うん。それなら確かに、おかしくない。
けれど……。
「ええと、これ、黒水晶じゃなかったんだよ。水晶の気配はするけれど黒水晶じゃないっていうか、そういう……だからこれは奥行きというか透明感を出したくて、こういう描き方してる」
このブローチの宝石、黒水晶じゃなくて、なんとなく奥行きと透明感のある不思議な石だった。何というか、黒いのに表面が透明っていうか……。
「あー……だとしたらもっと抽象化しちゃっていいんじゃない?下手に写実的にすると却って分かりづらいっていうかさ」
「なるほど」
あ、それは分かる。
影に実際よりも青を足して描いたり、空を鮮やかに塗ったりすること、僕もある。
他にも、実際に見えた風景だと枝葉の重なり方がちょっと複雑すぎると思ったら適当に省いて描いたり、馬の脚の交差の仕方がちょっと気にくわないと思ったら馬の足の角度を微妙に変えて描いてみたり。そういうこと、やるよね。
早速、ライラと協議に入る。これはお互いにお互いを負かそうとするんじゃないし、悪口を言っているわけでもない。より良いものを作ろうとするための協議だから、楽しい。
「じゃあ、むしろ嘘を吐いた方がそれっぽい、っていうことなのかな」
「そうね。……あんたの魔法画ってやっぱり特殊だわ。あんまりにも自由に魔法絵の具を操れるからこその、見たまま思ったままをそのものを描きだせちゃう、っていうのがあんたの強みでもあって弱みでもあるのよね。見たものを絵にする時にはある程度本当じゃないことを描いた方が見せたいものをよりはっきり見せられたり、より魅力的に見せたりできるじゃない」
「デフォルメって大事だよね。それは分かる。あんまり得意じゃないけれど……ライラは抽象化が上手いからなあ。単純な技巧は魔法画のおかげで大分上達してきた自信があるんだけれど、画面構成とか、ライラの言うところの『嘘を吐く』とかはまだ苦手だ」
「そうかしら。あんたの画面構成、好きだけど。……えーと、じゃあ、描くとしたらこう?透明感を出したいなら、いっそ思い切ってもっと色を薄く描いちゃってもいいのかも」
「グレーのガラスみたいなかんじだろうか。そうすると上の方は色が薄くて、奥の方はガラスの色が深く濃くなるよね」
「そうね……でも、この絵を見る限り、なんとなくグラデーションっぽいっていうか、上層は透明に近くて、その奥に黒い宝石があるような、そういうかんじ、しない?確かそういう宝石もあるわよね。途中で色が変わってるやつ」
「……このデザインのブローチでそういう宝石の表現って、ものすごく難しいな。上下とか左右で色が違うんじゃなくて、手前と奥で色が違う上に、上面も半分近くが銀細工で隠れていて奥行きがよく分からなくて……あ、でも、このブローチの裏側って銀細工が無いように見える。そっか、だから裏からも光が入って、余計に不思議な質感に見えるんだ」
「わー、デザインの勉強にもなるわね、これ。宝石職人に見せてやりたいわ」
……というかんじに、僕ら、楽しくお絵かき談義をしていたのだけれど。
「ちょっと見せてね」
横からクロアさんがやってきて、そして、しげしげと僕の絵を見る。……どうしたんだろう。
クロアさんはしばらく、僕の絵を見ていた。そして……。
「……分かっちゃったわ」
くすり、と笑って、そう言ったのだ!
それから、3日後。
出かけていたクロアさんが、意気揚々と戻ってきた。ラオクレスと一緒に。
……クロアさんは何故か、ラオクレスと2人で出かけていったんだよ。『ルギュロス達がやったことの証拠を手に入れに』っていうことだったから、どうしてラオクレスを連れていくのか、不思議だったんだけれど……。
「あったわよ。やっぱりゴルダだったわ!」
クロアさんの言葉を聞いて、納得した。
成程。調べるのがゴルダなら、ラオクレスが居た方が何かと融通が利くだろう。何せ、ラオクレスはゴルダの英雄!みんなの自慢、黄金の石膏像だ!
「……ふふ、王都で加工したら足が付くと思ってゴルダでやったんでしょうけれど、見誤ったわね。こっちにはゴルダの英雄様が居るんだから。宝石職人に口を割らせるのは簡単よ」
クロアさんはそう言って上機嫌にラオクレスの肩のあたりをぽんぽん叩きつつ……机の上に、紙を置いた。
「これが証拠よ。……『2つの宝石を重ね合わせて作ったブローチ』の、ね!」
「成程」
「こういう石もまあ、あるのよ。薄く削った石の上に、別の宝石を重ねて張り付けるの。大体は、色付きの石の上に透明な水晶とかを乗せて大きな宝石に見せるっていう、質の悪い詐欺まがいなのだけれどね」
クロアさんが置いた紙は、注文のための紙、らしい。簡単な設計図が描いてあって、それを見る限り、『2種類の宝石をそれと分からないように重ね合わせて使ってほしい』というような注文だったみたいだ。
宝石は持ち込み。薄い水晶と、ごく大粒のブラックオニキスの2つ。……どうやらあのブローチ、ブラックオニキスの上に水晶を張り付けてあったらしい。道理でなんとなく不思議な奥行きというか透明感というか、そういうのがあったわけだよ。
「これではっきりしたわね。ルギュロスが牢を脱出できたのは、彼が魔物になって、二重底の宝石に入り込んだから。二重底の宝石の上面、薄っぺらい水晶に風の精が入っていたのは、宝石が二重底であることを誤魔化すためね」
うん。これでもう間違いない。
アージェントさんが持っていた宝石は1つじゃなかった。2つの宝石が貼り合わせてあったんだ。だから、ブローチの裏側から宝石に触れれば、上面の水晶じゃなくて、その下のオニキスに触れる。ルギュロスさんを召喚獣にすることができるっていう訳だ。
「ルギュロスは元々、王を召喚獣にするつもりだったのかもしれん。王が近づいた時を見計らって隠し持っていた宝石を使って王を召喚獣にし、そのまま混乱に乗じて逃げるつもりだったというのなら、あの態度にも納得がいく」
そして、ルギュロスさんが目論んでいたであろう『第一案』も、何となく見えてくる。
……もし、アージェント家が『王が魔物になった』っていう情報を手に入れていたなら、王様を宝石の中にしまって攫うことを十分に思いつくだろう。
そう。もし、王様が魔物になったと知っていたなら。
「……となるといよいよ、アージェント家も『魔王の使い』とやらと契約してるってことかよ」
フェイはそう言って、なんとも渋い顔をした。
そうなんだよ。僕の脚元で魔王がまおーんと鳴いているけれど、こっちじゃなくて……その、平和じゃないらしい方の『魔王』が、あちこちに声をかけているんじゃないか、っていう説が、浮上してきてしまうんだよ……。
……それから。
ひとまず、魔王については置いておくことにした。それよりも今は、国の安定が優先される、っていうことになった。
だって、このままアージェント家が国を動かす立場になってしまったなら……それって、ものすごく大変なことだ。
何の目的か『魔王の使い』と契約している人が、たくさんの人々の命を握る事態になってしまうのだから。
僕らは王城に行って、オーレウス王子とラージュ姫、ついでに王様に、僕らの推理を話した。
王様は『ならば即刻事実の公表を!アージェント家に謝罪を要求する!』と息巻いていたのだけれど、ラージュ姫の大福で黙った。
……王様が何とも言えない顔で大福をもぐもぐやる横で僕らは話し合って、『やっぱりこれの証明は難しいね』という話に落ち着く。
アージェント家に迫っても、事実を認めるはずはない。
証拠品になるブローチは、もう処分されてしまっているかもしれない。
そして何より……この複雑な事情を、この国の人達に分かってもらうのは、すごく難しい。
人を動かすのは、単純な理論と単純な感情論だ。何が真実なのかを調べてくれる人はすごく少ないし、よりセンセーショナルで刺激的な説の方が、正しいものより人気になってしまうことだってある。
いつだって、壊す方が簡単なんだ。
……だから僕らは、作戦を立てる。
それは、『国の人達にどうやって納得してもらうか』っていう作戦だ。
国の人達に納得してもらうのは結構難しい。
正しさよりも、納得のいく物語が必要になるから、らしい。
……絵でもそうだけれど、真実よりも説得力がある嘘、っていうものは存在する。
光の具合や色合い、影の落ち方。実際にあるものよりもそれらを強くしたり弱くしたりするのは、絵の常套手段だ。……というか、それができるからこそ、絵っていうのは写真に勝る部分があると思ってる。
けれど、絵の領域を出てしまったら、そういうの、僕の専門外だ。今も、フェイのお父さんとクロアさんがにこにこ話しているのを眺めつつ、つくづくこういうのは僕に向いていないなあ、と思うだけ。
「トウゴくーん、ちょっといいかーい」
「はーい」
けれど、僕の出番が無い訳じゃあないみたいだから、全力で手伝うよ。……手伝えることがあるっていうのは、嬉しい。
これから先、ルギュロスさんは間違いなく、人の不安を煽る方法で自分の支持を広げていくだろう、と、クロアさんは言っていた。
『こんなにも世界は危険で恐ろしい。だからきちんとした勇者が必要だ』っていう具合に。……王家の『王家』っていうアドバンテージを覆してアージェント家が国の覇権を握るには、『安定と平和』を覆すような、そういう方法しかありえない。
実際、ルギュロスさんは、『王家は無数の魔物を飼っている!なんと恐ろしいことか!』っていう具合に、魔物への恐怖を煽ることで王家への嫌悪を煽るようにしているんだそうだ。
……そして、ラージュ姫はそれに対抗する場合、『安定と平和』を武器にするしかない。何せ、現王家の人なので、『こんなにも世界は不安です!』なんてやるわけにはいかないんだよ。『王家があるから国は安泰です!』ってやりたい。
……その上で、困った部分は2つある。
1つ目は、ルギュロスさんがあることないこと言い始めた時、それを一々否定するのはものすごく難しい、ということだ。
否定して、正しく主張しても、それを一々聞いてくれる人は少ない。残念なことに。……多分、アージェントさん達もそれを見越しているんじゃないかな。真実なんて、外からは分かりっこない。説明したって説明を聞かない人には関係ない。だからアージェントさん側が不安を煽れば煽っただけ、効果がある。
そして2つ目は、魔物だ。
……ルギュロスさんの演説をちらっと聞いてきたクロアさん曰く、彼らの主な攻撃材料は、『王家はアージェント家が目障りだからこそ、アージェント家による国王殺害未遂をでっちあげたのだ』っていう論の他、『王家は魔物を操っている』っていうところ、らしい。
これは真実なのでどうしようもない。王様が魔物を大量に生み出していた時には、王城から魔物がぞろぞろ出てくるのを見てしまっていた人達だっていたわけで、もう今更、その辺りを否定することはできない。
そして今も、王家には沢山の魔物達が居るので……これも何かの拍子に現れたりしてしまっているから、否定できない。
裏では『アージェント家も魔物を操っている』っていうのも真実なのだけれど、これをやっても水掛け論なので、最初に水を掛けてきたアージェント家の方が強い。
何なら、『鎧が魔物に変じた事件こそ、王家が魔物を生み出し操り、国民を襲おうとしているという証拠なのだ!』とやられてしまったら、本当にどうしようもない。困ったものだ。
と、いうことで……アージェント家は、結構、対抗が難しいことをやってくれているんだよ。
だから王家に必要なことは、『正確な説明』や『事実の周知』ではない。そんなのは聞いてくれない人も多いし、何が事実かなんて分かりっこないから。
つまり……『勢いのある印象操作』。
『勢いのある印象操作』こそが、王家を救うんだ、という結論に至った。
「……結局、あんたって、精霊になっても森になっても、仕事はこれなのよねえ」
「うん」
そうして、僕は絵を描き始めた。
なんでって……印象操作の為、と、クロアさんは言っていた。
そう。僕らは、『世界は平和です!』とか『ラージュ姫は頼もしいです!』とか、はたまた『魔物は案外可愛いやつらです!』とか、そういう印象を、国の人達に印象付けていくんだ。
……絵で。