8話:2人の勇者、それから絵描き*1
それから急いで王様のところへ行って、事情を聞くことにした。ルギュロスさんへの面会を求めてきたアージェントさんについて。
……アージェントさんが面会、というと、今更、というか、なんというか。
本当に面会したかったなら遅すぎるし、公式発表を聞いてから動いたなら早すぎる。どういう意図なのかなあ……。
「……というわけで、アージェント領主からは、余に対しての謝罪とルギュロス・ゼイル・アージェントに関する弁明が発せられた。どうやら今回の事件はルギュロス・ゼイル・アージェントの勝手な行動であったらしい」
王様はそう、説明してくれた。もうアージェントさんと話したらしい。早いなあ……。
「どうやらアージェント家ではルギュロスの行動を誰も把握していなかったようだな。此度の発表を王都で偶々聞いて、ルギュロスが何をしたかを知ったらしい。ルギュロスの犯した罪が本当であるならば全面的に謝罪すると申し出てきたぞ」
王様は少し機嫌が良さそうだ。まあ、全面的に対立することになりそうだった人がとても温和な対応をしてきたんだから、それ自体は喜ばしいことなのだけれど……どうにも、何かが怪しい気もする。考えすぎだろうか。
「そういうわけで、アージェント領主にはルギュロス・ゼイル・アージェントへの面会を許可しても問題無かろう」
「いけません、父上」
そして案の定、王様に待ったがかかった。
「アージェントの連中が何を考えているのか、まるで分からないこの状況。過信は禁物です」
「だが、相手は謝罪すると言っているのだ。何を躊躇う必要がある?」
「アージェントは『ルギュロスの罪が本当なら』謝罪する、と言っているのですよね?なら、まだ罪を認めないという出方も残ります。それに、父上の他に聞く者も居ない密談で発された約束など、後からいくらでも反故にできます」
そう、なんだよなあ。うーん……とにかく、アージェントさん達については、心配なことが多すぎる。
鎧が魔物になったことについても、アージェント家が関わったという証拠があるわけでもないのだけれど、でも、なんとなく疑わしいし、アージェント家ならやりかねない気もするし……うーん、やっぱり考えすぎなんだろうか?
「だが、これは絶好の機会でもあるのだ。アージェント家との関係が修復されれば、最良の結果になるではないか!」
「自らに剣を向けてきた相手の生家と手を取り合っていくのは中々難しいことのように思いますが……」
王様はもうすっかり、アージェントさんと仲良くなるつもりらしい。考え自体は、すごくいいんだけれど、それが本当にできるのかは疑わしい。
「とにかく、面会の許可はもう少々お待ちください。許可するにしろ、万全の体勢を整えてからにしなければ……」
ラージュ姫がそう言うと、王様は……。
「もう許可は出したが」
……とんでもないことを言いだした!
「父上!?何故そのようなことを!」
「何故!?余がそうせよと思ったことをするのに理由が必要か!?身の程を弁えよ、オーレウス!何故、余がお前の思う通りに動いてやらねばならぬ!何から何までお前達の言う通りにせねばならんとでもいうのか!?」
王様は機嫌を害したようにそう言う。それに対して、オーレウス王子は唖然として……そして。
「お父様があまりにも浅慮故、ですよ!」
ラージュ姫が、そう、叫んでいた。
「な、何を」
「どうして、どうして皆の努力を踏み躙るようなことができるのですか!何故我々がこれほどまでにアージェントを警戒しているのかもお分かりにならないのですか!」
王様が反論しようとするより先に、ラージュ姫がまくしたてる。
「全てはこの国の為ではありませんか!この国が、ひっくり返されるかもしれないという中で、よくも、『何となく言う通りにするのが嫌だから』などという、そんな、下らない理由で……」
言葉の途中で、ラージュ姫の瞳から、大粒の涙が零れ落ちた。紫水晶のような瞳が溶けてしまうんじゃないかと思ってしまうくらいに、ぼろぼろと涙が溢れ出している。
「な、何をそんなに……ただ、面会を許可しただけではないか。牢に入っている者との会話1つ程度、何が問題だと……」
この状態のラージュ姫を見て、王様は流石におろおろし始めた。頭が冷えた、っていうことだろうか。弁明もどこか力無い。
……王様の気持ちの理屈はなんとなく分かるし、ラージュ姫の今の気持ちはそれなりに分かるし、何とも言えない。
「とにかく、地下牢が心配だ。今すぐ様子を見に行かねば……」
そして、オーレウス王子が部屋を出ようと動いた、その時。
「陛下!大変です!」
駆け込んできた兵士の人に、僕らは全員、嫌な予感を覚えて……。
「地下牢に、ルギュロス・ゼイル・アージェントが居ません!」
「なんだと!?」
ああ、やっぱり!
「どういうことだ。ルギュロスが投獄されていると聞いたのに、牢には誰も居ないとは!」
アージェントさんは静かに怒りながら、地下牢の前に居た。
「もしや、王へ刃を向けたということも偽りなのではないかね?」
「いえ、決して、そんなことは……」
そして、牢の前で、兵士の人達が詰問されて困っている。
そこへ、オーレウス王子がつかつかと寄っていった。
「一体、何があった」
「ああ、王子!」
オーレウス王子が寄っていくと、兵士の人達は明らかにほっとした顔になる。信頼されてるんだなあ。
「それが……アージェント様を面会の為お連れしたところ、牢の中のルギュロス・ゼイル・アージェントが、忽然と、姿を消しまして……」
「いや、違う」
兵士の人が説明していると、そこにアージェントさんが割り込んでくる。怒りの表情を浮かべつつ、言葉を発し始めた。
「私が牢の前に着いた時には、もう中には誰も居なかった。……王子。これは一体どういうことですかな?」
「ルギュロスはどこに居るのでしょうな。或いは、始めから居なかったか……あなた方が秘密裏に、既に『処分』している、ということも考えられる」
アージェントさんはそう言って、オーレウス王子を睨む。
「決してそのようなことはありません」
「ほう。では、ルギュロスは一体どこへ?王へ刃を向けたという、その張本人は一体どこへ消えたというのですかな?」
そう詰め寄られて、オーレウス王子は……少し迷いながら、言った。
「失礼ながら、身体検査をさせて頂きます」
オーレウス王子がそう言うと、アージェントさんは静かに、けれど確実に怒った表情で言った。
「何のために?」
「あなたの潔白を証明するために」
怒ったアージェントさんを前にして、オーレウス王子は動じなかった。ただ、両者は黙って見合う。
「……よろしいですね?」
一歩も退かない様子のオーレウス王子を見て、アージェントさんは少しだけ、たじろいだようにも見えた。予定外だ、とでもいうような。
「……いいだろう」
けれどアージェントさんは気を取り直したようにそう言って頷く。
「私を調べたところで何も出ませんが、お好きなようになさればよろしい。気苦労の多いことですな、王子」
アージェントさんはそう言って、その場に立ち尽くす。……それを見て、オーレウス王子は近くに居た兵士達に指示を出して……アージェントさんの身体検査が始まった。
アージェントさんのポケットの中に入っているものが取り出される。これが貴族の持ち物か。描いておこう。こういう時に魔法画は便利だ。
黒檀に銀の象嵌細工の万年筆。今日のスケジュールらしいメモ書き。刺繍の入ったハンカチ。それから……。
「……これは」
ころん、と出てきたのは、綺麗な細工のブローチだった。親指ぐらいの長径の楕円形で、水晶……っぽい石が嵌っている。水晶は水晶だって分かるんだ。なんだろうな、水晶の気配が分かる、というか。ほら、森には水晶の湖があるから。
けれど、この水晶は珍しい色合いをしていた。透明感のある光沢を表面に宿しながらも、黒いんだ。かといって、モリオンとも違うし。
そして、そんな不思議な石の側面から上面の半ばまでは、ぐるりと一周、石を守るように銀細工がある。手の込んだ品物だな、と、一目で思わされた。
「召喚獣だ。何か問題でも?」
「……何の召喚獣ですか?」
これだけの大きさの石だから、大きな召喚獣が入っているのかもしれない。ちょっとワクワクしながら待っていると、アージェントさんは涼しい顔で、中から……煙みたいなものを出した。
「風の精、ですか」
「如何にも」
煙はふわふわと空中で固まって、羽が生えた猫みたいな形になって、アージェントさんからふらふら離れていく。そしてそのまま、ふらふらと僕の方へ飛んできた。
かわいいなあ、と思いながら、絵の具のパレットを置いて、風の精に手を伸ばす。ふわふわというかすかすかした触り心地だったけれど、撫でられたら風の精は嬉しいらしい。懐っこく僕の手に擦りついてきて、ますます可愛らしい。
「何だ?私の召喚獣が風の精では不満かな?」
「いえ。……もう結構です。お戻しください」
オーレウス王子がそう言うと、アージェントさんは黙ってブローチを掲げる。すると、ちょっと名残惜し気に僕の指に纏わりついていた風の精が、するん、と宝石の中に吸い込まれていった。
それから服の中も調べたのだけれど、アージェントさんからは特に何も出なかった。
「結構です。失礼しました」
「全くだ」
アージェントさんは気分を害した、というような顔で服を直しながらそう言って、そして、深々とため息を吐いた。
「全く……いよいよ王家は信用なりませんな、王子。我がアージェント家の擁する勇者を、一体どこへやったのですか?」
「……それは我々が知りたいところです」
オーレウス王子が油断なくそう言ってアージェントさんの様子を窺うと、アージェントさんは面白くない、とでも言いたげな顔をする。
「もしあなた方の言うことが本当なら、罪人として捕らえた者をみすみす逃したことになる。嘘を吐いているなら、あなた方は勇者を秘密裏に殺したことになるが……さしずめ、魔王といったところですかな?」
ぎろり、と、アージェントさんがラージュ姫を睨む。ラージュ姫は『勇者』として、毅然としてアージェントさんを見返した。
そのまま両者は見合って……そして。
「……王家がそのつもりなら、こちらも出方を考えねばなるまい。精々覚悟なさることだ」
アージェントさんはそう言って、地下牢から出ていった。
「お兄様、追わなくていいのですか?」
「追ってどうする。アージェントをここで捕らえる訳にもいくまい。それに……」
遠ざかっていくアージェントさんの背中を見て、オーレウス王子は声を潜めた。
「……奴もまた、我々に『近づいてほしい』のかもしれん」
オーレウス王子の言葉が聞こえたわけでもないだろうに、ちらり、とアージェントさんはこちらを振り返って、そして、また、カツカツと足音を響かせながら去っていく。
僕らはただ、それを見送って、空っぽになってしまった地下牢を見て……途方に暮れる。
ルギュロスさんは、どこへ消えてしまったんだろう。




