16話:踊る魔物*7
「……賢い王を、描く……だと?」
「うん……いけるかもしれない、って、思ってしまって」
ラオクレスが何とも言えない顔でまじまじと僕を見る。
「ほら、魔王は描いて縮んだわけだし」
僕がそう言うと、魔王が、まおーん!と元気よく鳴いて僕の膝の上に上って、そこで胸を張るような仕草をした。この偉そうなポーズは多分、鳥の真似。
「そうは言ってもねえ……人の内面まで変わっちゃうのか、っていうのは、気になるわね。目に見えない部分まで……まあ、表現するにはできるでしょうけれど、でもそれって、まおーんちゃんが小さくなったのとは訳が違うでしょ?」
クロアさんの意見は尤もだ。
魔王を縮めたようには、王様を賢くできない、かもしれない。『小ささ』を絵で表現するのは簡単だけれど、『賢さ』はそうはいかないだろう。
表現できないものまで、絵を現実に反映させられるかは分からない。
……と、思っていたら。
「……俺は、もしかすると、トウゴに内面を変えられているかもしれない」
ラオクレスが、そう、言った。
……え?
「ら、ラオクレス……?それ、どういうこと……?」
僕は何か、とんでもないことをしてしまったんじゃないだろうか。そう心配になって、ラオクレスに聞いてみる。
するとラオクレスは何とも複雑そうな……ちょっと照れたような顰め面をして、返した。
「お前は、俺のことを最強の戦士だとでも思っているらしいが」
「うん」
その通り。名誉石膏像の肉体美は伊達じゃない。ラオクレスは強い。その通りだ。
「……そしてお前は、俺を、そういうように描くことが多いが」
「うん」
それもその通り。ラオクレスは勇ましい描き方がしっくりくるんだよ。今、画廊にいくつか飾ってある騎士の絵は大体、ラオクレスがモデルだ。特に気に入っているのは、最近描いた『民衆を導く黄金のラオクレス』。
「……お前に描かれるようになってから、力が強くなったように思う。動く鎧達やゾンビ達と戦っていた時には、自分が以前より強くなったように感じた」
……えっ。
僕がぽかんとしていると、ラオクレスはちょっとじっとりした目で僕を見て、確認するように言った。
「お前が、俺を強そうに描くあまり、俺が徐々にそうなっていったんじゃないか?」
いや、まさか。
ラオクレスは地道に鍛錬を続けているし、そういうのが出た結果だと思うんだよ。別に、僕がそう描いたからそうなった、なんてことはないと思う。だって、ほら、絵は消えずに残ってる。絵が現実に反映されたなら、絵は消えてしまうはずだし……。
すっかり静まり返ってしまった室内で、そっと、ライラが手を挙げた。発言をどうぞ。
「……私、ずっと不思議だったんだけどさ。何故かこの森に居る人達って、ふわふわになっていくじゃない。トウゴのせいだと思うけど」
失礼な。人を病原体みたいに言わないでほしい。僕はふわふわ菌じゃありません。
「魔物ですら、そうじゃない」
まあ、ここに来る魔物は皆いい奴だよ。描かせてくれるし。いや、最初は大抵、無断で描いてるけれど。
「……その理由、考えてみたんだけどさ。その……」
そこでライラは何とも言えない顔で……言った。
「トウゴが、そういう風に、描いちゃうからじゃないの?」
……なんだって!?
「成程……トウゴがふわふわに描いた生き物は、中身がふわふわになっちまう、ってことかぁ。納得は行くんだよなあ」
「納得しないで!」
フェイは、うんうん、と頷いてから……はっとして声を上げた。
「ってことは俺が最近男前なのもトウゴのせいか!」
「あらあら。じゃあ私が美人なのもそういうことかしら?」
「フェイは元々男前だしクロアさんも元々美人さんだよ!」
濡れ衣が!濡れ衣が僕に着せられている!僕のせいじゃない!絶対に僕のせいじゃない!
……ということで、『絵が現実に反映されたなら、絵自体が消えているはずで、でも絵は僕の手元にある』という主張をして僕は僕の濡れ衣を晴らした。よかった。僕が色々ふわふわにしていることにされてしまうところだった。
「まあ……トウゴの絵で人間の内面が変わるかは分からねえけど、やってみるだけやってみるか?試すだけならタダだしよ」
うん。まあ、やってみる価値はあると思う。あと、むしろ僕は絵が描けると嬉しいのでタダより安い。
……ただ。
「それ、いいんだろうか」
僕としては、それ、心配だ。
「人を作り替えてしまうって、すごく、悪いことのような気がする」
もし、僕が王様の内面を変えてしまえるとしたら、それってとんでもないことなんじゃないだろうか。言い方を変えたら、洗脳、とか、そういうことに……。
「別にいいんじゃない?向こうが先に攻撃してきたんだし、こっちが攻撃し返したってさ。むしろ、こんなふわふわした攻撃にしてやる分、温情だと思うけど」
ライラは過激派だ。すごいなあ……。
「もし本当に、トウゴ君が描いたように人の内面までもを変えてしまえるのなら、それってすごい力よね。私の魅了と同じような具合かしら?うーん、それとも違う、わね……まあ、私もライラと同じように、やっちゃえ、って思うけれど」
「私もいいと思うわ!王様がいい人になるなら、私、とても嬉しいわ!」
ライラだけじゃなくて、森の女性陣は皆、過激派だ。強いなあ……。
「トウゴの言うことは分かるんだよなあ……これ、女性陣の言う通り、あくまでも『攻撃』であって、しかも、目に見えない分、性質が悪いかもしれねえんだよなあ……」
「その上、強力だ。下手な武力などより、ずっとな」
フェイとラオクレスは慎重派。フェイは普段より慎重らしい。
「賢くなれるんならいいじゃん。悪いことじゃないだろ。何なら俺、頼みたいくらいだけど」
リアンは『よく分からない』っていう顔でそう言うのだけれど……うーん。
「人には賢くならない自由だってあるし、賢くなることって必ずしも幸福なこととは限らないし、僕の思う賢さと王様の思う賢さが一致するとも限らないし、そもそも、他人を作り変えてしまうことの是非っていうのがあって……」
「……そんなに難しく考えなくていいんじゃねーの?」
そ、そうだろうか?いや、でも、考えてしまう。考えないわけにはいかないと思う。
だって、僕、『絵を描かなくても生きていけるように作り変えてあげるね』と言われてしまったら、絶対に拒否するから……。
ちょっとの間、全員で考えた。考えて……そして僕が最初に、口を開く。
「あの、やっぱり王様に会ってみたい。それで、話して……それから、決めようと思う。和解の道があるのか、攻撃も已む無しなのか、或いは、攻撃に同意してもらえるのか」
やっぱりこういうのって、本人の同意が必要だと思うんだよ。
「……本末転倒じゃないの?それ」
「いや、王様も一緒になって、より良い未来を模索しませんか、っていうお誘いだから……」
別に、攻撃されたからって攻撃し返さなきゃいけないわけではないと思う。勿論、時には攻撃だって大事だ。特に、不寛容に対しては僕らは不寛容であるべきであって、そういう場合に攻撃するという選択肢は、持っていなきゃいけないと思う。
そして、本当にどうしようもなくなったら、戦う、ことになる、のだろうけれど……その時、王様の近くに居て戦いが始まるなら、被害を最小限に抑えて戦うことができるだろうから。
……けれど、お互いに攻撃し合うよりもお互いに利のある選択肢があるのなら、それを選んだ方がいいとも、思うから。
そこでフェイが、パン、と手を打ってそう言った。
「よし、分かった!なら、俺達の仕事は簡単だな!国王を対談の席に着かせること、そして、対談中に国王が攻撃してこねえようにすることだ!」
フェイがそう言うと、皆ちょっと考えて、それぞれに頷いてくれた。まあここが妥協点か、みたいな。
「いいな?トウゴ。これ、下手に戦うよりずっと難しいことだぜ?」
「うん。分かってる。けれど、下手に戦うよりずっと納得がいくと思う」
どうだろうか、という気持ちを込めて、皆……特に、ラージュ姫を、見る。
皆、いいよ、というように頷いてくれたり、まあしょうがない、というように頷いてくれたりしていて……その中で、ラージュ姫は。
「……殺してしまっても、いいと思いますよ?或いは、無断で描いてしまわれるにせよ……父の意思など、今更、必要ないと思いますが」
「うん」
ラージュ姫は、自分自身に戸惑うような、そんな様子でそう、話して……。
「……それでも、父に、機会を与えて頂けるなら……皆さんの慈悲深いお心に、感謝いたします」
最後にそう言って、深々と、頭を下げた。
横から見えるその表情は、ほっとしているように見えた。
……そうして。
僕と護衛のラオクレス、何かあった時のクロアさん、絵を描くとなった時の助手のライラ、交渉する時の味方のフェイ、そして今回の要、ラージュ姫。この5名と一緒に、僕は出発する。
僕らは、王城に向かった。とりあえず、王様と話すため。
「止まれ!止まれ!何者だ!」
門のところで兵士の人達に止められたので、ラージュ姫が進み出る。
……それに、兵士の人達は息を呑んだ。
ラージュ姫は今、勇者の恰好をしている。白銀の長い髪をポニーテールにして、白と銀刺繍の服を着て、勇者の剣のレプリカを腰に佩き……あちこちに、僕が全力で描いて出した宝石を身に着けている。
要は、お姫様がお城をいくつも背負って帰ってきた。そんなかんじだ。
「お勤めご苦労様です。第三王女ラージュ、帰還いたしました。後ろの方々は父のお客様です。通りますが、よろしいですね?」
ラージュ姫は凛としてそう言った。それに、兵士の人達は何も言わず、そっと道をあけた。
ちょっと惚けたようにラージュ姫を見送って、ついでに僕らも見送って、兵士の人達はただ茫然と、門のところからラージュ姫を見つめていた。
「……お城背負ったラージュ姫って、人間にも通じるんだね」
「圧倒的な魔力は強者の証だ。それだけで十分な威圧感になり得る」
ラオクレスに囁いてみたら、彼の見解を教えてくれた。成程。僕の全力の宝石を装備すると、威圧感を装備できる……。
「本来なら、高い魔力を持つお前からも似たようなものを感じるはずなんだがな。……すっかり慣らされてしまって、お前からはもう重圧の欠片たりとも感じん」
「あ、そう……」
少し複雑な思いだけれど、多分、これは褒められてるんだと思う。思うことにする。
お城の中に入ると、以前フェイと一緒にパーティに来た時にも見た、立派な壁画が目に入った。
勇者が魔王を倒すまでの物語が描かれたそれは、何度見ても綺麗だ。
「おーい、トウゴー、絵に見惚れてる場合じゃねえんだぞー」
「分かってるけど、つい目が行っちゃうんだよ」
「ライラー、あなたもよー」
「わ、分かってるけど目が行っちゃうの!」
僕とライラへの足止めトラップとしてはすごく優秀だと思うよ、この壁画。
断腸の思いで壁画の広間を通り抜けて、僕らは先へ進む。
「恐らく父は玉座の間でしょう。最近はずっと閉め切って、面会もせずにただ玉座の間に籠り切っているようですから……」
「そこにいなかった場合はどうする」
「その場合は私室かと。どちらにせよ、こちらの方向です。参りましょう」
案内はラージュ姫だ。迷いのない足取りで進んでいって、僕らは階段を上って、廊下を進んで、どんどんお城の奥へ入っていく。
「……父は、私達の話を、聞いてくれるでしょうか」
「あら。聞いてくれなかったら聞いてもらうまでよ」
心配そうなラージュ姫の言葉は、その直後、にっこり笑ったクロアさんの言葉によってふんわり掻き消される。
「大丈夫。ここにはあなたの味方が集まってるわ。それに、こっちには精霊様も居るんだもの。大丈夫よ」
ちら、と、クロアさんとラージュ姫が僕を振り返ったので、ラージュ姫を安心させるべく、ちょっと笑って手を振ってみた。僕はあなたの味方ですよ。
「……私、皆さんに出会えて、本当によかった」
ふんわり笑ってそう言うラージュ姫は、王城の廊下の窓から差し込む陽の光に照らされて、なんだかとても綺麗に見えて……描きたくなった。
まあ、それはもうちょっと、我慢。
「と、止まれ!ここから先は王の命令で何人たりとも通すなと言われて……姫様!?」
やがて、僕らは大きな扉の前まで辿り着いた。そしてその前には、兵士の人が何人も居て、誰も扉の向こうへ通さないように槍を構えていた。
「お勤めご苦労様です。通りますがよろしいですね?」
そこへラージュ姫がつかつかと進んでいくと、兵士の人達は困惑して……でも、門番の人達みたいには、僕らを通してくれなかった。
「なりません。姫様といえど、王は、その……『誰もこの扉を通すな。王子王女もだ』と、ご命令ですので……」
兵士の人達はそう言って、扉の前に陣取り続ける。
「しかし、緊急の用なのです。そしてこれは、父にとっても利になる用件。責任は私が負います。あなた達の咎にはなりません」
ラージュ姫はそう言って、更に一歩、進もうとする。けれど……兵士の人達は、動く気配がない。
「お退きなさい。命令よ」
更にラージュ姫がそう言うと……。
「そう仰られましても……なりません。その、命令に背いたら、我々は……」
兵士の人は、苦しそうにそう言って、震える手で槍を構え続けている。
「……ん?そういう呪いでもかけられてんのか?これ」
そこへ、ひょっこりと進み出たフェイがそう言って、兵士の周りをくるくる回り始めた。どうやら、魔力とかを見ているらしい。器用だなあ。
「んん……あー、成程なあ。古典的な奴だな、こりゃ」
「どういうことだ」
フェイがため息を吐きつつ結論を出したらしいところにラオクレスが聞くと……。
「この兵士達は、誰かがこの扉を通った瞬間、呪いの効果で死んじまう。そういうことだ」
フェイは『降参』と言うように両手をひらひらさせて、そう言った。
「……そんなことを、父が」
「成程ね……人の壁、ね。これはいよいよ、本気らしいわ」
ある意味、今の王様は人質を取って立てこもっているようなものなのだろう。うーん……どうしようかな。
「なんてことを……罪のない人の命を、このように扱うだなんて……」
ラージュ姫は悲嘆に暮れている。その瞳は悔しさと同時に、やりきれない怒りのようなものも宿して、扉をじっと睨んでいる。
「あー、ラージュ姫」
そこに、フェイがのんびり声をかける。
「心配要らないぜ。大丈夫だ。こっちにはトウゴが居るからな」
緊迫した状況下で、随分とのんびりしているなあ、と思っていたら……。
「要はこの呪い、『この扉を通る』ことが発動のきっかけなんだ。つまり……この扉じゃないところに出入口があって、そこから俺達が入る分には、問題ない」
……あ。
僕がフェイの意図に気づいてしまって、スケッチブックを出し始めたところで……フェイはそっと声を潜めて、僕に言ってきた。
「ってことで、トウゴ。もう分かってると思うが、やっちまえ。そこの扉の横にもう一個、扉、作っちまえ!」
うん!分かってる分かってる!了解!
……ということで。
「こういう時にもラオクレスっていいよね」
「……まあ、好きなように使ってくれて構わないが」
僕は、仁王立ちするラオクレスをついたて代わりに兵士の人達から隠れて、そこで扉の絵を描いていた。
ラオクレスは大きいから、後ろに座ってしまえば、すっぽり僕の体が隠れるんだよ。特に、今日のラオクレスは鎧の上にマントを羽織っているから、余計に。
さて。
そうして僕がついたてラオクレスの後ろで絵を描き上げると、兵士の人達のどよめきが聞こえた。多分成功したな、と思ってラオクレスの陰から出てみると、立派な扉の横に小さな扉がちょこんと新しく生まれていた。よし、上手くいった。よかった。
「よし!じゃあお邪魔するぜー!」
「お邪魔します!」
「待て、フェイ。トウゴ。先頭は俺が行く」
「あら。なら私が最後尾ね」
……ということで、僕らは玉座の間にお邪魔することにした。これは裏口入場……?いや、横口入場……?
ラオクレスが、ばん、と勢いよく、扉を開く。
「おじゃまします」
ラオクレスに続いて僕も玉座の間に入る。後ろから、フェイとラージュ姫、そしてライラとクロアさんも入ってきて……。
……玉座の間の奥には、王様が居た。
けれど……。
「……お、お父様、そのお姿は、一体……」
ラージュ姫が絶句するのも、無理はない。
「ラージュ……貴様、一体、どうやって、ここに……」
……王様を見て、皆、絶句していた。特に、ラージュ姫は。
振り向いた王様は……随分と見た目が変わっていた。
まず、右側頭部から角が一本。右手は毛深いドラゴン、っていうかんじになっていて、右脚は猛禽類のものに似ている。それに加えて、肌には鱗が出ていたり、はたまたものすごく毛深くなっていたり……。
王様は、半分、魔物になっていた。