6話:成長期*5
「羽!?」
「うん。羽」
僕が慌てて聞き返すと、アンジェはのんびり頷いた。それに合わせて、カーネリアちゃんももそもそしながら僕の背中側に回って、そこで僕の背中をさすりはじめた。
「私、この間、アンジェに見せてもらったわ!妖精さんに羽が生えるところ!」
「……妖精って、最初から羽が生えている訳ではないの?」
「そうよ!当然だわ!ちょうちょだって最初から羽が生えてるわけじゃないわ!」
……いや、蝶を引き合いに出されてしまうと色々と僕の中の妖精像が崩れそうなんだけれど。え?それとも僕が知らないだけで、妖精の幼虫みたいなのが居るの……?
「妖精さんは生まれてからすぐは羽が生えてないの。でも、森の中でおひさまの光とおつきさまの光をいっぱいあびて、お花の中でゆっくり眠って、そうしたらむずむずして、羽が生えるんだって」
アンジェの説明を聞く限り、妖精は生まれてすぐにあの人間型をしているのだけれど、羽は生えていない、ということらしい。ええと……そういうものなのか、と思うしかないのかな。これは。
「……で、僕にもそれ、生えるの?」
「ううん、わかんない……でも、トウゴおにいちゃん、なんだかちょっと妖精さんみたいだったから、もしかして羽が生えるのかも、って思ったの」
アンジェは、妖精と話ができるし、ちょっと変わった子だ。その分感覚は繊細で、僕の変化にも気づいているんだろう。それがアンジェにとっては『妖精さんっぽい』ということなのだと思う。
……のだけれど、でも、それにしたって、僕……僕、妖精っぽいの?妖精みたいに羽が生えてくる?いや、それは困るよ。なんか、その、見た目にまで森成分が浸出してきてしまったら、僕、いよいよ人間じゃなくなってしまう!
「トウゴおにいちゃんの羽はどういう色かなあ……」
「トウゴの羽だから、きっと綺麗な色だわ!どんなのかしら。森の色?空の色も似あうわ!あと、真っ白もきっといいと思うの!」
アンジェとカーネリアちゃんが僕の背中をなでなでとやりながら、楽しそうに話している。いや、いやいやいや、楽しそうに話さないで!怖いよ!怖いよ!
「あとはピンク!ピンクがいいわ!」
「うん!ピンク、いいと思う」
女の子達にはピンクが好評らしいけれど、僕はピンクは嫌です!というか羽が嫌です!
夕方になって、子供達は帰っていった。多少魔力を吸ってもらえたみたいで、僕の体は少し楽になっていた、のだけれど……。
「羽……」
「羽が生える、っつうのは、なあ……」
僕とフェイは、その、非常に、困っている。
「トウゴ君、羽、似合うと思うけれど」
「……似合う似合わないの問題じゃあないだろう」
そして同じく、クロアさんとラオクレスも僕のベッドの周りに集合して、深刻な顔をしている。
「アンジェのことだから、結構鋭いと思うのよ。妖精さんに関することなら、そこらの学者より詳しいもの。あの子」
「ということは、僕には本当に羽が生えてくる……」
「そうねえ。その可能性は、あるのよね」
クロアさんは、僕の毛布の中に手を入れて、そのまま、つつつ、と僕の背中を撫でる。くすぐったい!くすぐったい!
「やはり、森の拡大は無理があるな。トウゴの体にこれだけ影響があるとなると……」
それから、ラオクレスがなんとも心配そうに僕を見る。
「森を伐採するなら、俺がやるが」
「こ、困るよ!やめて!」
そしてラオクレスがとんでもないことを言うものだから、僕は心底びっくりした!伐採って、伐採って……ラオクレスもこういうこと、言うんだなあ!
「いや、でもよお、トウゴ。お前、羽生えるぞ?」
「まだ本当に生えるかは分からないし……それに、やっぱり、結界のことを考えると森を増やさないという選択はできないと思うんだ」
ゾンビがまた来たら困るし、今度はゾンビよりもっと強いのが来るかもしれない。その時に、ソレイラも森もちゃんと守らなきゃいけないから……うう、そのためなら、羽が生えるくらいは……我慢、すべき、なのかなあ……。
「……いよいよお前が危ないと思ったら、森を伐採するぞ」
「う、うん……」
ラオクレスはそういう結論に至ったらしい。もう梃子でも動かない構えだ。それでも『いよいよ僕が危なくなったら』までは待ってくれるみたいだから、ありがたい。見守ってもらえてるんだな、と思う。ラオクレスのこういうところ、いいと思う。
翌日。
僕のむずむずは大分弱くなっていた。まだむずむずするけれど、我慢できるくらいになっている。
ということで、早速、できたての森の様子を眺めに行くことにした。
「森だね」
僕は管狐と鳳凰にそう、声をかけてみる。森だ。ここについ一昨日まで何もなかったとは思えないくらいには、ちゃんと森だ。
……改めてここに立つと、ちゃんと、結界の魔法がここにまで届いて、このできたての小さな森からも魔力を徴税していることが分かる。そして集められた魔力は結界装置に送られて、結界装置に直接アクセスできる僕がその分、成長痛に見舞われていたというか、バランスを崩していたというか。
ただ……森を見ていたら、なんとなく、また、むずむずしてきた。
「んー……?」
むずむずする。すごくむずむずする。伸びたい。伸ばしたい。ここじゃ届かない。もうちょっと……。ん?もうちょっと、ってなんだ?僕は何を伸ばしたいんだろう?どうしてこんなにむずむずするんだろう?
森の中に居ると、どんどん、むずむずというか……焦燥感?そういうものが増してくるし、やっぱり体もむずむずしてくる。気持ちもむずむず、体もむずむず……。
「おーいトウゴー!」
僕が謎のむずむずと向き合っていたら、フェイが上空からやってきた。
フェイは火の精に掴まって飛んできて、ふわり、と着地すると、早速僕の様子を見始めた。
「……よし。羽生えてねえな」
「生えてないよ!」
そんな、羽が生えることが決まってるみたいに言わないでほしい!怖いから!
「で、調子はどうだ?」
「うん。昨日よりはいいよ。それから、結界にも少し力が出てきた、っていうか……そういうかんじ」
僕は自分の体の調子と一緒に、森の結界の調子も伝えた。そうなんだよ。結界はフェイの予想通り、森を増やした分、強化されたみたいなんだ。
「おお!んじゃあ、もう敵が攻めてきても大丈夫か!」
「いや……それは、そうでもない、と思う」
けれど、はしゃぐフェイのようには喜べない。だって、結界の強化の具合、きっと、全然足りないから。
僕には感覚で分かるのだけれど、森の結界装置は正常に働いていて、新しくできた森からも少し、魔力を徴収できているみたいだ。徴収した魔力は無事に森の結界の強化に回されていて、僕はそれを流す役割を果たしているから、その辺りが分かって……。
……ただ、それだけ、なんだよなあ。
なんとなく、魔力が足りない、というか、なんだか……予想していたよりもずっと、得られた魔力が少なかったみたいなんだ。
おかしいな。森を東西南北に増やしたんだから、もう少し結界装置に魔力が来てもいいと思ったんだけれど。
あと、やっぱりむずむずするし、伸びたい気持ちになってしまう。これってやっぱり、森がまだまだ足りない、っていうことなのかな……。
「やっぱり、森面積が足りないのかな」
「いやいやいや、これ以上森を増やしちまったら、いよいよトウゴがむずむずじゃあ済まなくなっちまうだろ!」
そっか。でもなあ。
……このままだと、やっぱり、ソレイラを守り切ることは難しいと思う。竜王様が攻めてきた時よりも更に強い敵が来ないとは限らないんだ。念には念を入れたくて、だから、この強度で満足するわけにはいかない。
「何がいけないんだろう。森を増やしても、思っていたより得られる魔力が多くなかったというか、結界の補強に足りないっていうか……うん。やっぱりもうちょっと、森、増やすべきだと思う」
「おいおいおい、大丈夫かあ?お前、下手すりゃ、羽が生えちまうんじゃねえのか?」
「でも、結界がこのままっていう訳にはいかないし……」
僕がそう言うと、フェイは、ぐ、と言葉に詰まって……それから、ぺろん、と僕のシャツを捲り上げた。
「……生えてねえな。よし」
「だから、大丈夫だってば」
フェイは真剣に僕の背中を確認して、それからそっと、シャツの裾を戻した。
「まあ……ホント、無理しないでくれよな、トウゴぉ……」
「うん」
まあ、心配をかけていることは分かるのだけれど、やっぱり僕は僕で、森の結界のことが心配なので……そこはごめんね。
……ということで、僕はまた、森を増やした。
森はすっかり増えて、最終的には森の周りにソレイラがぐるりとあって、そのソレイラをぐるりとドーナツ状に囲む森を作ったようなかんじになる。ソレイラはすっぽり、森と森に挟まれてしまったことになる。
お陰で、結界装置に流れ込んでくる魔力は増えた。それこそ、今まで結界に僕がつぎ込んでいた魔力の分を超えるくらいには。
……けれど。
「上手くいかない……」
何故か、結界は上手く強度を上げてくれない。増やした森に見合った魔力が来ていない、というか……。
……森を増やして、得られる魔力は確かに増えた。なのに、何故か、結界装置で消費する魔力もまた、増えてしまっている、らしい。
「なんでだろう……」
「なんでかしらねえ……」
早速、僕は様子を見に来てくれたクロアさんとラオクレス、あとフェイに向かって、今の状態を説明する。
森が増えて魔力も増えたけれど、何故か結界に足りない、というこの状態。説明してみても上手く伝わっているのか分からないし、説明の内容も僕の感覚によるところが大きいから、なんだか申し訳ないというか……。
「まあ、もしかしたら、もう少し落ち着いたら上手く魔力が回るようになるのかもしれねえ。急に色々変わったから落ち着いてねえだけかもしれねえし、焦らなくてもいいんじゃねえのか?」
「うん……でも、何か、悪いことが起きてるとか、上手くいっていない要因があるとか、そういうのじゃないかと思って、心配なんだよ」
フェイは『焦らなくていい』と言ってくれるけれど、どうにも心配だ。だって、これだけ森が増えたのに……増えたかんじがしないんだよ。
なんだろう。何が悪いんだろう。どうしてか、僕はまだ、伸びたいような伸ばしたいような、そういうむずむずした気持ちで……。
「……俺はお前の体の方が心配だが」
ラオクレスはじとり、と僕の背中を見る。大丈夫だよ、生えてないよ。
「そういや、トウゴ。お前、むずむずはどうした?あれは治ったか?」
「うん。大丈夫だよ。むずむず、完全に無くなったわけじゃないけれど、最近はそんなに酷くはないんだ。ちょっと背中がむずむずするくらいで……」
「……背中、って、お前、本当に羽生えてくるんじゃねえだろうなあ……」
フェイが何とも疑わしげな眼で僕を見つめてくるけれど、大丈夫だよ!
「大丈夫だって。ほら。この通……ふえ」
大丈夫だ、と言いたかったのだけれど、急に鼻がむずむずしてくる。あ、これ、くしゃみだ。
……そういえば、先生が言っていたっけ。『人間、くしゃみをする時には意外と力を使っているんだぜ、トーゴ。だからくしゃみをしまくった翌日の僕はこうして腹筋が筋肉痛なのさ』と。
そうか、くしゃみって、そんなに全身に力が入るのか、と思った記憶があるし、実際、くしゃみって、力が入るよなあ、と、思う。
「へくしっ」
ということで、自分で予想できた通り、僕は、くしゃみをした。
その瞬間、僕の体は、先生の教え通り、意外なまでに力が入って……。
……うん。
力が、入っちゃったんだよ。
「……トウゴ、お、お前……」
「え?な、何?これ、何?僕、どうなってる!?」
僕は、くしゃみと一緒に、出しちゃいけないものまで、出してしまった、らしい。
「……羽が、生えて、いる……」
「生えちゃってる、わねえ……」
僕は、唖然としたフェイとラオクレスとクロアさんの表情から、そして何より、自分自身の体の感覚から……生えちゃったらしいことを、悟った。
「えええええ!?あ、ほんとだ!なんかある!なんかあるよ!」
背中側に手を伸ばしたら、なんだか、ちょっとひんやりして柔らかくてしなやかな何かに手が触れた!怖い!なにこれ!
「そうだ、なあ……なんか、ある、なあ……」
「と、取って!取って!」
「いや、取れと言われても……」
ラオクレスがそっと、捲れ上がった僕のシャツの裾をさらに持ち上げつつ、僕の背中をじっと見て……そして、首を横に振った。
「……生えている」
「い、いや、そりゃ生えてるんだろうけれど」
「これを取れ、というのは、お前の体を傷つけることになるんじゃないか?」
う。
……そ、そう言われてしまうと、そんなような気もする。だって、生えちゃったもの、僕の意思である程度、動くんだよ……。
「……体の一部だなあ、こりゃ」
うん……。
「切り離しちゃうのは、ちょっと危ないかもしれないわねえ……」
うん……。
なんというか……途方に暮れる、って、こういう気分、なんだなあ……。
……それから、改めて、観察した。
僕の背中から生えてしまったのは、羽……というか、木、というか。そういう何かだ。
僕の親指くらいの太さの真白い木の枝が2本、背中から生えて、その枝から枝分かれした細い枝や、ほんのり透き通った白の葉っぱがわさわさと下向きに茂っていて……うーん。木でできた、羽……?
「木だなあ」
「木だよね……」
そういう見た目なものだから、動かしてみても、ぱたぱた、というかんじではなく、わさわさ、というかんじになる。ちょっと間が抜けてる。
「綺麗な木ね。生き物らしくないというか……もっと、魔法の産物のようなかんじがするわ」
「まあ、魔法の産物なんだろうなあ。いきなり生えてきたんだしよお……」
そっか。これ、魔法の産物か。まあ、そうだろうなあ、と思う。そうじゃなかったらこれ、僕がこの木にいきなり寄生されてしまったということに……。
……寄生。
「あ、あの、これ、この木が僕に寄生して、そのうち僕の意識まで乗っ取ろうとしているとか、そういうことは」
先生の家で見たDVDにそういうのがあった。先生はホラーが苦手だから、仕事の関係とかでどうしても見なきゃいけないホラーとかがあった時は、絶対に僕と一緒に見るようにしていたんだよ。怖いものも『怖いなあ!』『怖いね!』ってやれば、ちょっと怖さが軽減されるから……。
「……否定はできねえけど、まあ、お前の体から生まれたもんだし、大丈夫、だと、思いてえ、なあ……」
「そ、そうね。きっと大丈夫よ」
うん……今も、一緒に心配してくれる人が居るから、少しだけ、怖さが軽減されている気がする。
「ところで、その羽は動かせるようだが、飛べるのか」
「え?」
ラオクレスが唐突にそう聞いてきたので、僕、羽を動かしてみる。わさ、わさ。
……すると、5㎝くらい体が浮いた。
怖くなったのですぐ羽を動かすのをやめた。
僕は、すっ、と地上に戻ってきた。
……うん。
「飛んでしまった……」
「……そうだな」
明らかに揚力とか関係ない飛び方をしてしまった。多分これ、鳥と同じ飛び方なんだよ。物理的にじゃなくて、魔法的に飛んでる奴だ。僕が飛ぼうと思ったら飛べてしまうやつだ……。
「いよいよ、人間離れしてきたな」
ラオクレスが難しい顔で腕組みしている。この顔は『いよいよ森の伐採か』って思っている顔だ!
どうしよう、僕に生えちゃったのは困るけれど、森を伐採されてしまうのも困る!というか、この羽が僕の体の一部だから切れないって言うのなら、森だって僕の体の一部なんだから伐採しないでほしい!折角伸びたんだし、まだまだ僕は伸びたいんだよ!
「……決めた」
そんな折、フェイが唐突に立ち上がる。僕はフェイを見上げて、どうしたのかなあ、と思う。
「もし、森を増やすことでトウゴが人間に近づくとしても、森に近づくとしても、関係ねえ。人間から離れていかねえようにするのは悪くない手のはずだ」
悪くない手?一体、フェイは何を考えているんだろうか。妙にやる気に満ち溢れて、妙に楽し気な……すごくいい悪戯を思いついてしまった子供のような表情をしているけれど。
「ってことで!俺はお前を人間にする!お前はクロアさんを森っぽくしたが!今度は俺が!俺達が!お前を人間っぽくしてやるからな!」
うん。……うん?
あの、ええと……。
……うん。
どうやら僕、人間っぽくされるらしいよ。