6話:剣と宝石*1
その日から、ラオクレスとの生活が始まった。
ラオクレスは結局、昼過ぎに起きてきて、僕の家までやってきてくれた。
寝すぎた、と彼は言っていたけれど、僕は特に気にしない。だって僕も10日くらいずっと寝ていたこと、あるし。半日なんて、全然、寝すぎた内に入らない。
僕はともかく、ラオクレスにはちゃんと食べてもらわないと困るので、果物だけで食事、というわけにはいかない。
なので僕はパンを描いた。
それからハム。どっちも飛び切り大きい塊で。
いや、一々描くの、面倒だから……。
ということで、僕らの食事はパンとハムと果物。あと水。そんなかんじでスタートした。
……スタートした、とは言っても、多分、今後当面、変わらないと思う。うん。当面はパンでハムで果物だ。多分。
ラオクレスを描ける枚数は限られているから、その他の時間で僕は魔力の制御を練習する。
静物なんかを描きながら、実体化しないように気を付ける。
まず、1つ気を付けなきゃいけないのは、一筆一筆に魔力を込めないようにすること。
フェイ曰く、僕は描いてる間ずっと魔力を注ぎ込んでるんじゃないか、っていうことだった。だから、魔石?とやらを使わなくても魔法になってしまうんじゃないか、って。
まあ……気合は入る。うん。しょうがない。だって絵を描いているんだから、気合ぐらい入る。
けれど、気合と一緒に魔力も入ってしまっているのが問題、らしいので……自分の中に流れている魔力を注ぎ込まないように、意識しながら絵を描くことにする。
ただ、これがうまくいかない。
最初。桃を描いていた。桃の皮の産毛のかんじとか、鉛筆と水彩絵の具だけで表現するのは中々難しい。けれどそれが楽しい。
……慎重に、慎重に、魔法になってしまわないように、描く。それでいて本気で、手を抜かずに、描く。それはすごく難しい事だった。魔力の制御って、すごく気を遣う。フェイは『慣れりゃーなんてことなくできるようになるぜ』って言ってたけれど、まだまだ僕はその境地には遠い。
「へくしっ」
……そしてくしゃみをした瞬間、気が抜けて実体化した。
ああもう。
桃を剥いて食べながら、次。
次は葉っぱ。
枯れ葉と青い葉を1枚ずつ。2つの質感の違いとか、枯れ葉の乾いて歪んだかんじとか、青い葉のみずみずしさとか、そういうものを表現するのはやっぱり楽しい。
……のだけれど。
「……う」
描いている間に、むずむずしてきた。これ、魔力を抑え込んでる時の感覚だ。これもその内慣れて、収まってくるらしいんだけれど……僕はまだ、慣れていないらしい。
むずむずしてどうしようもないので、フェイに貸してもらっている蝋燭もどきを握る。
蝋燭もどきが強く光ると、だんだん僕の中のむずむずも収まっていく。
……絵を実体化させないためには、こうやって、溜まってしまった魔力を放出するのもいい、らしい。
けれど。
「あ」
放出のさせ方を間違えたのか、それとも、やっぱり描いている間に魔力がこもってしまっていたのか。紙の上にはしっかり、葉っぱが2枚、乗っていた。
次だ。次。次は石。
ただの石ころだけれど、これが案外むずかしい。
自然の石って色々な形をしているし、材質だって均一じゃない。色々な鉱物が混ざってできていて、そのかんじを描き込んでいくのはとても楽しい。
けれど、それを楽しみ過ぎないように。筆に魔力を込めてしまわないように。
そう気を付けて、僕は描いていたのだけれど……。
「おい、主人」
「え」
唐突にラオクレスに声を掛けられて、それでびっくりしたら石が実体化してしまった。
……うん。
ラオクレスは僕の部屋には基本的に入ってこない。特に絵を描いている時には入ってこないようにお願いしている。
けれどそれでも彼が入ってきた、っていうことは……。
……ラオクレスが黙って、左の手首を右手の人差し指で、ちょいちょい、と指し示してみせる。うん。そうだね。交換の時間だ。
「ありがとう」
僕が封印具の石を取り換えている間、ラオクレスはそれを黙って見ている。そして、僕が交換し終わったら、ドア近くの小テーブルの上に食事を置いて、黙って出ていく。
……彼はあんまり喋らない。僕のことも『主人』とか『おい』とかしか呼ばない。
なので彼のことは実は、よく分かっていない。
でも、まあ、彼自身が特に話したくないなら、別にいいかな、と思う。誰かと話すことって、別に、必ずしも必要なわけじゃないだろう。
いつか僕と喋ってくれると、僕としては楽しいけれど。でもまあ、無理は言わない。
今の時点でも、十分に働いて貰ってる。封印具の石の交換を忘れないでいられるのは彼のおかげだし、『家事はできない』って言いながらも、食事を用意して1日2回は僕に食べさせるようにしてくれている。
勿論、料理が上手い、というわけじゃないらしくて、凝ったものは出てこない。まあそれは聞いていた通りだ。
今、彼がおいていってくれた食事は、僕が出したパンの塊を切って、僕が描いたハムとフェイが置いていったチーズを挟んだだけのものだ。でもこれが結構おいしいので、僕はこれが気に入っている。何よりこれ、食べるのが楽だ。
実体化してしまった石は置いておくとして、僕は早速、食事を摂る。
もそ、とした食感の香ばしいパンに、塩気の強いチーズとジューシーなハムがよく合う。飲み物は水。泉から汲んできてくれたやつだと思う。うん。十分。十分。
ご飯を食べると眠くなる。これは仕方がない。食べると副交感神経が刺激されてアセチルコリンが出てくるから眠くなるんだって先生が言っていた。言いながら寝てた。覚えてる。
しょうがないから僕も寝よう。食べたら眠くなるのは仕方ない、仕方ない。
……でも一応、寝る前にラオクレスに挨拶しに行く。
ラオクレスは外に居た。彼は大体、外に居る、気がする。
「僕、寝るね」
「ああ」
ラオクレスはちら、と僕を見ただけで、また体を動かし始めた。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
ラオクレスはまだ起きているらしい。彼は外で何をしているのかというと……薪を割ったり、水を汲んだり、あと、洗濯とかもやってもらっているけれど、それらよりもずっと長い時間……体を鍛えてる。
そう。体を鍛えているんだ。
すばらしい。実にすばらしい。こんなに真面目なモデル、他にそうそう居ないだろう。
……いや、別に、彼が体を鍛えているのは僕の為じゃないし、肉体美を維持するためでもない、らしい。
ただ、聞いた時には……落ち着かない、って、言ってた。うん。体を鍛えていないと落ち着かないらしい。
まあ、僕も絵を描いていないと落ち着かないから、気持ちは分かる。多分。
僕の部屋の窓からも、ラオクレスの姿は見える。
月の光に照らされて、彼の筋肉の動きが、肌の張り具合が、均整の取れた体が、よく見える。……動いているけれど、本当によくできた彫刻みたいだ。
今、ラオクレスはどうやら、素振りをしているらしい。長めの薪の一本を持って、振っている。
……そういえば彼、『戦うことしかできない』って言ってたな。いや、その割には食事の準備も洗濯も、封印具の石の交換のお知らせもやってもらっているけれど。
でも、『戦うことしかできない』ってことは……元々、奴隷になる前は、戦ってた、んじゃないかと、思う。
どうやって戦っていたんだろう。やっぱり、剣?うん、似合いそうだ。剣と盾、それから鎧を身に着けて戦うラオクレス。きっと神話の一幕みたいになるんだろうな。うーん、いつかそういうのも描いてみたい。
……まあ、そこらへんは魔力の制御ができるようになってから、か。うん。頑張ろう。
ということで、必死になって魔力の制御の練習をした。
ラオクレスを描く時も、魔力を制御できるように練習した。ラオクレス以外を描いてる時も練習した。なんなら、食事を摂っている時も、水浴びする時も練習してた。
……あ、ちなみにお風呂はまだ作ってない。早く作りたいけれど、それも、練習ができてからだ。
そうして10日くらい、ずっと練習していた。
すると不思議なもので、魔力を込めるのを我慢しても、そんなにむずむずしなくなった。
そして……僕は遂に、『餅にならない餅の絵』を描くことができた。
「できた」
僕はフェイに、出来上がった絵を見せる。
それは、果物の盛り合わせの絵だ。鉛筆デッサンに水彩で着色したもの。……僕の全力で描いた。
「おー!遂にできたのか!おめでとう!」
フェイは僕の絵と、何よりきっと、僕の顔を見て喜んでくれた。うん。僕は今、きっと、すごく嬉しい顔をしている。
「そうか!じゃあとりあえずお前、封印具をつけてれば、絵を実体化させずに済む、ってことか!」
「うん」
そうだ。これで僕はやっと、『絵』が描ける。
描ける、んだけれど……。
「なら、次の魔石、貰ってこようぜ!ほら、もうちょっと封印の力が弱い奴!」
……あ。
そうか。この練習って、これで終わり、じゃ、ないんだっけ……?
……うん。
まだ練習は続きそうだ。
少ししょんぼりしながらフェイの家に行く。そこでまた、お医者さんに診てもらうためだ。
ちなみに、ラオクレスも一緒に来てもらうことになった。ラオクレスには奴隷の首輪を着けてもらっているから、僕から一定以上離れられない。だから、こうやって遠出する時は一緒だ。
……そして、今回の遠出は、いつもと少し違う。
「あの、誰か、僕を乗せてフェイの家まで行ってくれる?」
僕は馬達を前に、そう尋ねる。
そろそろ、フェイの召喚獣頼りじゃない移動方法も覚えなきゃいけない。
……そう思って僕は、誰か、僕を乗せて運んでくれる馬は居ないかな、と思って声を掛けたのだけれど……。
「予想以上だった」
僕は馬に囲まれている。
ぎゅうぎゅう押されている。
……うん、ちょっとこれは、予想以上だった。
結局、馬を1頭選ぶのが大変だった。馬は全員いいやつだから、皆が皆『自分に乗っていけ』とばかりに寄ってきてくれる。うん、だから大変だった。
それでも僕は一番近くに居た天馬にお願いすることにして、彼の背中に乗せてもらった。
「なあ、トウゴ。お前、鞍とか使わねえの?」
「え?」
「というか、その乗り方でいいのか?」
「うん」
僕は姿勢を低く、馬の背中に僕のお腹をぺったりつけるみたいにして馬にしがみつく。この乗り方が多分一番安定すると思う。
「……お前、乗馬ってしたことはある?」
「ほとんどない」
牧場でポニーに乗ったことがあった気がするけれど、そのぐらいだ。
「その内、練習しような?俺、ペガサスにこんな乗り方する奴、本当に初めて見たぜ……」
「うん……」
……乗馬の練習よりは魔力の制御の練習、そしてそれよりは絵の練習をしていたいのだけれど、しょうがない。馬が馬鹿にされちゃうといけないから、乗馬も練習しよう。うん。
そうして僕らはフェイの家に着いた。ちょっと久しぶりだ。しばらくは森に籠って魔力の制御の練習ばっかりしてたから。
「医者、明日来るってよ。次の魔石の準備、してもらってる。ってことで、今日は泊ってくか?そうすると親父も兄貴も喜ぶけど」
うーん……あんまりお世話になってばかりなのもどうかと思うけれど。
「じゃあ、お世話になります」
でも、また戻ったりするのも面倒なので、今日はラオクレス共々泊めてもらおう。天馬はレッドガルド家の厩が気に入らなかったらしく、中庭に居ることになった。森で見たことがないんだろう様々な花に夢中になって、尻尾を振ったり、翼をぱたぱたさせたりしている。まあ、行儀良くしているみたいだし、大丈夫だろう。
「じゃ、今日はどうする?この後、町にでも行くか?」
ウキウキとした様子のフェイを見て、考える。
町は確かに、楽しい。絵を描くだけじゃなくて、色々なものを見た方がいいのかもしれない。
或いは、町で何か必要なものを買っても……。
あ。
「食料、買いたい」
「ん?おう、いいぜ。じゃあ行ってみるか」
「その前に、質屋とか、行きたい」
「……ん?」
……そろそろ、お金のことを全部レッドガルド家に頼り切りにするのはやめたい。
お抱え絵師の話もあるけれど、その話とは別に、自分で自分のことはできた方がいいだろうと思う。
「宝石とか、描いて出したら売れるよね?」
僕は、ちょっとお金を稼ぎたい。




