25話:帰る場所*4
翌々日、クロアさんが帰ってきた。『後始末』が終わったらしい。
僕に描かれていたラオクレスとラオクレスを描いていた僕、そして遊びに来ていたフェイとフェイにつつかれたり伸ばされたりして遊ばれていた魔王。そこにクロアさんが合わさって、僕の家でちょっと話を聞くことになった。
「まあ、分かっていたことだけれど、王家に報告したって何にもならなかったみたいね」
僕の家のテーブルでちょっとくったりしながらアイスティーを飲むクロアさんは、『仕事をやりきった!』っていう顔をしている。お疲れ様。
「むしろ、毒のことがあったから王家としてはゴルダの印象が悪いのよ。王家はゴルダを切り捨てるでしょうね。となると、ゴルダはいよいよ、すり寄る先を失くした、っていうところかしら」
「これ、うちの方に来るかぁ?」
「まあ、一番可能性が高そうなところよね。貴族連合への加入って。王家との融和を諦めるなら、アージェントかうちしか無いってことで……でも、アージェントとゴルダは元々仲が悪いみたいだし、となれば、ゴルダは第四勢力になるか、貴族連合に擦り寄るかのどっちかしか無いと思うのよねえ……」
やれやれ、とクロアさんは肩を竦めて見せる。こういう仕草が似あうよなあ、クロアさん。
「……まあ、偽物の遺族を立てる、なんつう面の皮の厚さを見せてくれてるからよー、今更、もっと厚かましいことしてきても驚かねえけど」
「そうね。私も驚かないわ」
フェイはちょっとげんなりした様子でストローを咥えて、アイスティーを吸っている。ほとんど氷だけが残ったグラスの中で、ずずずずず、と音がした。ちょっとお行儀が悪いけれど、今のフェイはそういう気分らしい。
……あ、でも、そういうことすると魔王が覚えて真似するからよくない。魔王も早速、ずずず、とやっている。魔王はそういう音がするのが楽しかったらしくて、『まおーん』とご機嫌だ。うーん、お行儀が悪い、って、どうやって教えればいいんだろうか……。
「……それで、トウゴ君もラオクレスも気になってると思うから、ゴルダの報告をしちゃいましょうか」
僕が魔王を見て悩んでいたら、クロアさんがそう言ってくれたので、姿勢を正す。僕の横で、ラオクレスはずっと姿勢がいい。
「確認だけれど、ゴルダ領主は何故か、ラオクレスにご執心だったわね。最初は単に、王家がレッドガルドを潰すための名目づくりだったけれど、2回目……おとといの面会については、本当にわざわざ、ラオクレスと、もしかしたらマーセンさんも、捕まえてしまおうとしているように見えたわ」
うん。ここまではオーケーだ。
最初の要求は多分、王家の人がレッドガルド領に毒を流す口実づくりの為だった。
けれど……2回目の要求は、別に、そんなことなかったと思うんだよ。わざわざやる程のものか、っていうか……ええと、目的が読めない、っていうか。
「でもそれって、あんまりにもみみっちいのよね。森の町の戦力を削りたいっていう話ならあまりにもお粗末なのよ。だって、たった2人よ?たった2人の騎士を戦力外にするために、あんなことする?だったらまだ、無差別殺人を狙って突撃してきた方がいいわよね?」
うん……いや、まあ、無差別殺人は困るけれど、でも、それは分かる。クロアさんの理屈は、僕にも分かるよ。
ラオクレスも頷きながら難しい顔をしているし、フェイも若干身を乗り出してクロアさんの話を聞いている。魔王は相変わらず、ずずずず、まおーん、をやっている。平和だ!
「……そこで、私、思ったのよ。これってもう、森の町、関係無いんじゃないかしら、って」
……うん?
「本当に、ラオクレス本人が問題なのよ」
「……俺が、か?」
「そう。あなたが」
「……何故」
「あら、そんなの簡単よ」
只々不可解そうなラオクレスを見て、クロアさんは、びしり、とラオクレスへ指を突き付けて……言った。
「あなた、今の領主よりもゴルダの人心を集めちゃってるんだもの。目障りに決まってるでしょ!」
「……俺、が……か?」
「そうよ」
ラオクレスは、ぱちり、と瞬きして、しっかり5秒ぐらい、固まった。それから、ちら、と、僕を見て、それからちら、とフェイを見て、クロアさんを見て……言った。
「ありえん」
……ラオクレスもこういう、途方に暮れたような顔、するんだなあ。描こう。人間の色んな表情って、すごく勉強になる。
「残念ながらあり得るのよ。ええと……あなた達、ゴルダの町の広場、行ったかしら。あの、タイルが大理石と黄金でできてるやつ」
「行ったよ。綺麗だった」
「あらよかった。……ええと、なら、隅の方にあった噴水、見た?」
「勿論!」
覚えてる。あの、黄金の騎士像が飾られた小さな噴水。真ん中の方じゃなくて、隅っこの、こじんまりとした一角にあったからあまり目立たなかったけれど……黄金のタイルの広場よりも、繊細な細工の外灯よりも、何よりも、あの、石膏像の黄金像、みたいな、造形美溢れる優れた金属彫刻が一番良かった!
「……トウゴ君の顔を見る限り、噴水に騎士像があったのも見たみたいね」
「まあ、見たが……」
「ラオクレス似だった。もう少し若いかんじがあったけれど」
「それはそうね。あれ、ラオクレスの像だもの」
……あ、ラオクレスがまた、固まってしまった。
「今、ゴルダ領は2回目の暗黒期を迎えようとしているの。それは分かる?」
「分からん」
「分かって。それは今の領主の無能さから分かって。……外から見てたって、分かるでしょう?非人道的な毒を作って王家へ取り入ろうとして、なのにその王家への擦り寄りに失敗しているのよ?どこへ行くにも宙ぶらりん。これから大動乱に呑み込まれる国の中でこれは流石に舵取りが下手すぎ」
クロアさんの言葉、結構棘があるなあ。思うところがある、っていうことなんだろうけれど……まあいいか。僕もそういう気分です。
「要は、ゴルダってもう、終わりなのよ。民衆は今の領主を望んでいない。民衆は、革命を起こそうとしているの。……かつてあなたがやったみたいに。それでいて、今度はもっと、上手なやり方で」
にっこりと笑って、クロアさんは言った。
「その革命の象徴が、あなたなのよ」
「あなた自身が必要な訳じゃないの。あなたが居なくても、ゴルダの民衆は立ち上がれるわ。前回の反省を生かして、ね。……でも、あなたは確かに、ゴルダの民の心の支えなのよね。噴水の像にしちゃうくらい」
ラオクレスはいよいよ頭を抱えそうな顔をしている。戸惑いと迷いと、ちょっと照れとかそういうものが混じった複雑な表情だ。
「だから、ゴルダの領主は、あなたが怖いの。ゴルダの民の心に居る英雄は消せないけれど、その実物が生きているなら……そいつをどうにかしなくては、って思うくらいには、ね」
……うん!成程!すごく……すごく今、納得がいってしまった。
そうか。ゴルダの領主の人は、森の町をどうこうしよう、とか、僕をどうこうしよう、とか、そういう考えじゃなくて……自分の領地をなんとかするために、ラオクレスをなんとかしたかったのか。
そういうことなら、あの態度にも納得がいく。どちらかと言うと消極的で、僕に対してあまり攻撃的じゃなくて、どちらかというと穏便に済ませたいような雰囲気があったから、僕への嫌がらせ、というにはちょっと違和感があったんだよ。
それにやっぱり、ゴルダの人達の心に、ラオクレス達が強い光を灯している、っていうのは、納得がいく。それは証言者の男性や、その他にもたくさん集まっていた人々の様子から分かることだし、あとはやっぱり、広場の噴水の、黄金の石膏像!
……ああいう風に飾られるくらい、ラオクレス達は、ゴルダの人達に愛されているんだ。うん。それは、嬉しい。
「要は、あなたやマーセンさんが欲しい理由って、民衆の心を折るために一番有効だからなのよね。かつて、罪に塗れながらもゴルダを救った英雄が、今の領主の奴隷になったら?領主の言葉が、あなたの口から伝えられるようになったら?……と、まあ、そういうことよ。納得が行ったかしら?」
「僕はいった」
「俺も納得したぜ。いやあ、そっかぁ、そういうことかぁ……」
僕とフェイは、クロアさんの説明ですっかり納得がいった。けれど、その一方で……。
「……俺は分からん」
ラオクレスは何とも言えない顔で、どこへともなく視線を彷徨わせている。分かるぞ。これはちょっと照れて困っている顔だ。
「分からないフリしたって駄目よ、英雄様?」
「俺は英雄じゃない」
「じゃあ、英雄じゃなくて、黄金の石膏像」
「それ、余計にわかんねーんじゃねえかなぁ……」
そっか。じゃあしょうがない。
「ラオクレスは、ラオクレスが思っているよりずっとすごいやつなんだよ」
僕は一応、そう言ってみるけれど、ラオクレスがそれを受け入れられるのはまだもうちょっと先のことになりそうだ。まあ、それはそれでいいかな、と思う。彼が分かっていなくても、僕は分かっているからそれでいい。
「だから、ラオクレスをとられないように頑張らなくては」
「……まあ、そういうことなら頑張ってくれ」
「うん」
ラオクレスは色々と混ざった表情で、でも、苦笑いしながら僕の頭を撫で始めた。『俺も努力しなくてはな』なんて、ぼそぼそ呟きながら。
それからしばらく。
クロアさんは、時々外出していっては、ゴルダ領でちょっと色々やったり、情報を集めてきたり、色々と働いてくれていた。
でもどうやら、ゴルダ領は今、落ち着いているらしい。
……ゴルダの人達が、『同じことの繰り返しでは意味がない』って、思ったんだそうだ。
つまり、領主の人を殺して強制的に治世を終わらせても、それは根本的な解決にならない……っていう、そういうことだ。
今、ゴルダの領主の人は、民衆達からの突き上げをくらって大変らしい。けれど、王家にも縋れないし、アージェント家とは仲が悪いから手を組みたくないし……っていうゴルダ領は、今、民衆にまで反乱を起こされたらたまったものじゃないので、民衆に動かされてでもちょっとずつ変わらざるを得ないらしい。
しかも、そこにレッドガルド家からちょこちょこ横槍が入っているらしくて……要は、ゴルダ領主の人は、もう、根本から改心した善政をする以外に民衆から攻撃されないで済む道が無くて、ついでに、レッドガルド家に取り入って貴族連合に入れてもらうしか生き残る道が無い、という状況らしい。
大変だなあ。いや、まあ……ラオクレス達に酷いことをしてきた分は、ちょっと大変な思いをすればいいと思う。こういう考え、よくないかもしれないけどさ。
「まあ、そういうわけでもうゴルダは大丈夫よ。下手に動いたらレッドガルドや王家がどうこうって前に、民衆に革命を起こされて滅びるわ、あの領」
クロアさんのにっこりにこにこ報告会はクロアさんのちょっと擦れた台詞で幕を閉じた。クロアさん、やっぱりこういう笑顔も似合うんだよなあ。森の子でありながら夜のパーティーの子だからなあ、クロアさん……。
「それもこれも、ゴルダの英雄のおかげね」
「……茶化すのは止せ」
報告を聞いてほっとした様子のラオクレスだったけれど、クロアさんににこにこからかわれてしまうと弱いらしい。渋い顔をしながらお茶を飲んでいる。要は、照れている顔。
「英雄、かあ……」
ついでに僕もそう、呟いてみる。ラオクレスは『勘弁してくれ』みたいな顔をしていたけれど、僕の頭の中にはもうイメージが広がりつつある。
英雄、というと……やっぱりあの黄金の石膏像みたいに、躍動感があって、勇ましい、そういうイメージがある。そうか。ラオクレスが、英雄……。
……あ。
「描きたくなってきた……」
「あら。いつものやつね」
うん。そう。いつもの発作。描きたくなってきた。うずうずする。ああいうラオクレス、描きたい。英雄ラオクレス、描きたい。そういうラオクレス、描きたい。ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』みたいなかんじになるんだろうか。『民衆を導く自由のラオクレス』、描きたい!
「描きたい。描きたくなってきてしまった。ねえ、描いてもいい?」
「……好きにしろ。俺の業務内容に、描かれることも含まれるんだろう?」
ということで、僕は早速、許可を貰った。やった!業務内容にモデル業も含めておいてよかった!
「うん!じゃあとりあえずまずは鎧から!」
なら早速、善は急げ、という奴だ!
「……鎧?」
「うん。新調しようね」
「描くために、か?贅沢だな……」
「だって、式典用の鎧、あった方がいいよね?」
ちょっと苦笑していたラオクレスが、きょとん、とした。フェイもちょっと首を傾げていて、でもクロアさんはすぐ分かったらしくて、くすくす笑う。
「式典、か?何の……」
「忘れちゃ駄目だよ。大事なの、あるじゃないか」
すっかり忘れてしまっているらしいラオクレスのために、僕は、説明する!
「マーセンさんとインターリアさんの、結婚式!」
……僕がそう言った途端、ラオクレスは、ぽかん、として……半ば唖然とした様子で、言った。
「……忘れていた」
「駄目だよ忘れちゃ」
まあ、結構それどころじゃない事態になっていたけれどさ……それはさておき。
そろそろ、2人の結婚式、挙げても、いいよね?