17話:地の底からこんにちは*3
……最初に、少し、迷った。
もしかしてこれ、僕が『何もない』絵を描いてしまえば、それで済む話なんじゃないか、とか。
でも、そういう絵を描くには現場に行く必要がある。そして僕らはまだ、毒がどこにあるのか、よく分かっていない!
……花の知っている風景は、花を通じて見せてもらった。だから、毒がある空間がどんなところなのかは分かるのだけれど、それがこの山の中のどのあたりに位置しているのかとか、そこまでどうやって辿り着けばいいかとか、そういうところはよく分からない。僕が貰えた情報は、あくまでもこの精霊の目線での情報だ。
確かにこの花、根っこを伸ばせば道なんて気にせずにあちこちへアクセスできるわけだし、毒の部屋までの道順なんて、あんまり意識するはずが無いんだよな……。
大体、毒の部屋に押し入って毒の処理をやってしまうと、間違いなくそこにいるであろう人達に見つかってしまうのは確実なので……秘密裏に、相手に『毒が失われている』って気づかれない内に毒を消してしまうには、やっぱりこれが一番いい、っていう結論に達した。
なので僕は、ひたすら木の実を描き続ける。
透き通ったガラス細工みたいな木の実は、描くのが結構大変だ。
……大量のものを出したい時って、籠に盛り付けた状態で描くとか、そういう風に『見えない部分にもある』っていう絵を描くと効率的なのだけれど、この木の実の場合、透き通ってしまっているので……盛ると、その後ろに別の木の実が透けていなきゃいけない。更に、透けた木の実の向こうにも木の実が透けているわけで……大変だ。
なので僕は今、3つくらいの木の実を1セットとして、重なり合う部分を減らしながら透明感を表現できるような画面構成で描いている。
それを一度に5枚ぐらい並行して描いていけば、まあ、それなりに効率的。
こういうガラスっぽいものを描く時、水彩って中々に楽しい。油彩のガラスよりもずっと透明で軽いかんじが描けるし、重なり合ったガラスの色合いがちゃんと表現できる。
絵を描く目的は木の実の実体化および花への魔力の供給なのだけれど、ちゃんと描く絵の1枚1枚が納得のいく出来になっていて、嬉しい。
「トウゴ君、大丈夫?そろそろ休憩にしない?」
「いや、ここの精霊様が頑張ってるのに僕が休むのも申し訳ないし……」
クロアさんは心配してくれるけれど、僕は大丈夫だ。……魔力の高い木の実を描いて出しているからか、やっぱりちょっと疲れてきているけれど……でも、それぐらいだ。まだ平気。
また3つ、ころん、と木の実が絵から出てきたのを、蛾が拾っていく。
蛾も大変だ。僕が次々に出す木の実を拾っては鳥のところに持って行って、鳥がくちばしでつついて割った木の実の中身を花の根元に撒いて……っていう作業を繰り返している。小さな体でよく働くなあ。
ちなみに鳥は木の実割り機になっている。運ばれてきた木の実をくちばしでつついて割って、また割って……と、一応働いてくれているわけだ。まあ、これくらいは手伝ってもらってもいいよな、と思って見ていたら、時々、木の実を割りついでに木の実の中身を飲んでいることも判明した。こいつ!
……ただ、そうやって木の実の中身を飲んだ後、鳥は花に寄り添って、何か花を元気づけているようなので……何かしているのかもしれない。あくまでも『かも』だけれど……。
花は急いで毒の浄化作業をやってくれている。
今、どんなかんじ?と聞いてみたら、まためしべで額をつついてくれて、イメージが伝わってきた。
どうやら、毒の樽を奥の方から順番に処理していて、今、4分の1くらいを浄化できたところ、らしい。
ええと……。
「ラオクレス。今、何時ぐらい?」
「……昼過ぎ、ぐらいか」
そっか。朝から始めて、お昼過ぎ。
……それでこのペースだと、間に合わないかもしれない。
花には魔力の補給をしているけれど、やっぱり花は疲れてきているようで、時々、疲れたようにしゅんと萎れてしまうことがある。そりゃあ、毒の処理が体に負担にならないわけがないよね……。
「おい、トウゴ。そろそろ休め」
「もうちょっと……」
「……おい」
「うん……」
花はともかく、僕は休んでられないよ。ラオクレスの言葉に曖昧に返事をしつつ、また木の実を描き始めて……。
「……休め」
「うわ!」
あ、駄目だった!持ち上げられてしまった!画用紙から引き離されてしまう!
離して、と主張してみるけれど、これも駄目だった。クロアさんがそっと、僕の手から絵筆を持っていってしまう。
そしてそのまま僕は運ばれて……鳥の上に、すぽん、と、乗せられてしまった。羽毛に埋まる!
「駄目だよ、このペースじゃ、間に合わない!多分、今日の朝には王家からレッドガルドに命令が出て、早ければ今日の夕方には毒が運ばれると思うんだ。だから……」
「今、どのくらい進んでいるんだ」
「まだ4分の1くらい」
「そうか。ならどのみち、今日の夕方には間に合わん」
ラオクレスの言葉に、花が、しゅん、としょげる。僕もしょげる。どうしよう。これじゃ、森の子達を守ることができない……。
どうしよう、と僕は考える。解決策が何か、無いだろうか。
……そうやって考える間、唐突に、ラオクレスが動いた。
彼は、ちょっと迷ってから、そっと、自分の耳元に手を持って行って……。
……いつの間にかそこに飾られていた、赤い石の耳飾りを、つついた。
「あ!それ、フェイのやつ!」
「預かってきた」
いつの間に!いつの間に、召喚獣の貸し借りなんてしてたんだろう!?うわ、全然気づかなかった……。
僕がなんかショックを受けている間に、火の精が洞窟の中をするりと飛んで、戻ってきた。ラオクレスは火の精を「お前の主人でもないのに働かせてすまなかったな」と労わりつつ、火の精の首のあたりを撫でていた。火の精は『撫でられるのはやぶさかではない』みたいな顔をしている。
「お前の鳳凰は、ただの伝令にするには少々目立つからな。その点、火の精なら、太陽の光に紛れて飛べば、然程目立たん。……よし」
それからラオクレスは火の精の脚に括りつけてあった手紙を取って、火の精を放した。火の精はたちまち耳飾りの宝石の中へ潜り込んでいく。お疲れ様。
……どうやらラオクレスは、僕の気づかぬ間にフェイに連絡を入れていた、らしい。
「あの、フェイからの手紙?」
「ああ。フェイに、水晶の湖の木の実をありったけ運んでもらうよう伝えた」
「いいの?フェイがそんなことしてるのがゴルダ領内で見つかったら、問題になるんじゃ」
「フェイ自身が運び屋をやる必要はない。……リアンが鸞を使って運んでくるそうだ」
あ、ああ、そうか……。そうだった。なんか僕、色々と頭が回ってなかったな。
「魔力の供給については、それでなんとかなるだろう。お前が無理に描く必要はない。火の精が戻ってきたんだ。その内、鸞が到着するだろう。それまではお前も鉱山の精霊も、休憩するといい」
そ、そうか……いや、でも、魔力の供給がたっぷりあったとしても、花の疲労と消耗はどうしようもないんじゃないかと思う。これ以上ペースを上げて毒を処理しろだなんて、言えない。
「でも、どちらにせよ、毒の処理は間に合わない、よね」
早ければ夕方には、毒がもう運び出されてレッドガルド領へ向かうと思う。
王家の命令にレッドガルドがどう答えるにしても、王家は絶対、攻撃の準備は直前まで進めておくはずだ。反抗したレッドガルド領に準備の暇を与えずに攻撃するために。
……だから、それまでにすべての毒を空っぽにしておけるのが理想的だったんだけれど……。
ということで……花が吸い上げた毒を、浄化せずにそのまま吐き出してもらえるよう、頼んでみた。
要は、出てきた毒を僕が絵に描いて、毒が水になってしまっているような絵にすれば、僕にも毒の浄化作業ができるんじゃないかと思ったから。
……結論から言うと、断られてしまった。
ええと、毒は火にくべて初めて毒ガスを発生させるものらしいけれど、だからと言って、火にくべる前のものでも触れると危ないらしい。
つまり……浄化して無毒な水になったものを吐き出すだけの花の器官に毒を通したら、花が傷ついてしまう、と。そういうことらしい。
なので、僕はひたすら、花を応援することになる。魔力補給用の木の実と励ましの言葉ぐらいしか、僕が花にあげられるものは無いのだけれど……それでも、やらないよりはマシだろうし……。
……いや、待てよ。
「……あの、ちょっと試してみたいことがあるのだけれど」
思いついてしまったので、花に、聞いてみる。
「ここに植物が増えても、いいですか?」
花から許可は貰えたので、僕は早速、描き始める。
描くものは……花と一緒に毒を吸いあげてくれる、他の植物だ。
浄化の仕組みはよく分からないから、毒を吸いあげて吸い上げて、吸い上げた毒を吐き出してくれる植物にした。要は、毒を移送してくれる植物、というか。
毒が遠く離れた位置にあるのが問題なわけで、僕の目の前にあれば、それは僕が絵に描くことで消せる可能性が高いので……。
どういう植物なら傷つかずに毒を移送できるかな、と考えて……理科の実験で使ったガラス器具を想像した。ああいう植物ならきっと、毒にやられはしないだろう。
ということで、ガラス細工の花を描いた。
大きさはそんなに大きくない。僕の腰ぐらいまでの高さの花だ。
その花を出した途端、僕はちょっとふらついたのだけれど、まだ大丈夫だ。寝る程じゃない。……多分、なのだけれど、僕、動物を描くより植物を描く方が、疲れない。なんだろうな。僕が森だから?
「じゃあ早速、毒を吸いあげてほしいんだけれど……」
……けれど、ここで1つ、問題が発生した。
「……おーい」
僕は、毒を移送してくれる植物を、確かに描いた。けれど、ガラス細工の花は、毒を吸いあげてくれない。
……ちょっと考えて、花が『どうしたの?』と言いたげにこっちを見てきて、鳥が興味深げにガラス細工の花を覗き込んで……とやっている間に、思い当たった。
「もしかして、毒の位置が分からない?」
ガラスの花は、この山の精霊じゃないから、この山の様子なんて分からない。だから、どっちへ根っこを伸ばせばいいのかもわからないんだ!
「ええと、じゃあ、精霊様の根っこと同じ方へ伸びてもらうっていうのは……」
提案してみたけれど、駄目だ。反応が無い。それはそうだ。相手は精霊でもなんでもない、ただの植物だ!
……ただ、僕が『毒を吸いあげてほしい』と思って描いたのが反映されているらしくて、根っこの端を持って軽く引っ張ると、引っ張った分だけ根っこがするする伸びた。
ついでに、木の実の殻まで根っこを持って行くと、根っこは木の実の殻に溜まった果汁を吸い上げて、蕾の部分から吐き出し始めた。成程。機能はしている、と……。
うーん、つまり、根っこを引っ張って、毒まで持って行けばいい、っていうことなんだろうけれど、問題はどうやって根っこを運ぶか、なんだよな。
花にお願いするのは申し訳ないし、かといって僕らがこの狭い石の割れ目何かに潜り込んで根っこを運ぶという訳にもいかないし。うーん……。
悩んでいたら、ふと、僕のポケットがふるふる震えた。
おや、と思っていると……中から管狐がぴょこんと飛び出してきて、こん、と鳴いた。
……そういえば君は、隙間に入るの、得意だったよね?