11話:強欲に、傲慢に*2
「毒……」
どく。どく。……なんだか実感が湧かない、というか、ちょっと疑問に思うことが多いというか……。
「クロアが見た『風変わりな格好』は、毒から身を護るための服だろう。奴隷を使っていることからも、危険な仕事だということが分かる。恐らくは毒の生産だ」
「えーと?つまり、王家はゴルダ領から譲り受けた毒をレッドガルド領の井戸という井戸に投げ込む、とか、そういうことを考えてるってわけか?」
「それでもいいだろうが、毒と言っても、何も水や食べ物に混ぜるだけではないからな」
ラオクレスはものすごく渋い顔をしながら、説明してくれた。
「例えば、ゴルダの鉱山で採れる特定の石を火にくべると、毒の煙を発することが分かっている。そこに特定の毒草の干したものやサラマンダーの血を混ぜ込めば、それこそ、ドラゴンすら殺せるような毒の煙を作ることができるらしい。無論、ゴルダの秘伝の技だ。そういうものがあるらしいとしか聞いていない。傍仕えをしていても詳細を知らん」
ドラゴンすら殺せる、っていうのがどれぐらいのものなのか、僕には今一つ分からない。けれど、周りの反応を見る限り、ちょっとやそっとの威力じゃない、ってことだろうな、と思う。なんだろう、アフリカゾウコロリだと思えば大体合ってるだろうか……。
「食物や水なら、飲まず食わずで対処できるだろう。或いは、安全な食物を確保しておけばそれでいい。だが……空気はそういう訳にもいかないだろう」
うん……。それは、分かる。毒ガスは危険だ。すごく。だからこそ毒ガスの類の化学兵器は、僕らの世界でも使用が禁止されているわけだし……。
「……空気に溶ける毒、ねえ。でもやっぱり、俺はそれじゃねえと思うぜ。煙っつったって、それを生み出すための大掛かりな装置が必要になるだろ?それに、町1つ分を覆う毒の煙を生み出すのだって、相当な量の材料が必要になるはずだ。うちを機能不全にしようとしたとして、どんだけの材料が必要になる?」
「だが、逆に言えばただソレイラの民を惨い目に遭わせようとするだけなら事足りる可能性が高い。見せしめとしては、十分だ」
ラオクレスの言葉に、フェイが『げっ』みたいな顔をする。
「……いいや、見せしめの後、どうすんだよ。それだと王家は他の領からの総攻撃を受けて滅んで終わりだぜ?そんな状況で毒なんざ、使うか?」
「まあ……私なら、やるわね」
フェイの反論も空しく、クロアさんが冷酷にもそう言い切った。
「突破口が他に無いんだもの。王家の目線で考えるならば、このままだと王家は貴族連合とアージェント家に袋叩きにされて滅びる運命すらあり得るのよ?なら、貴族連合の象徴、精霊様のお膝元、王家からしてみたら厄介極まりないこのソレイラを潰すだけでも十分、って考えるわ。ただ毒を流すだけなら、兵力はそんなに必要ない。王城の防衛には既存の兵力のほとんど全てを割けるでしょう?」
フェイはいよいよ、頭を抱えるみたいにして机に突っ伏してしまった。「あああー……」って声が漏れている。
「勿論……まだ、裏に何かある可能性は、あるわね。それこそ本当に、鉱山の中にとんでもない兵士でも隠してるかも。でも」
そんなフェイをつん、とつつきながら、クロアさんはため息交じりに、言った。
「もし本当にそんなものがあるのなら、毒は、来るわね。それは確実視していいと思うわ。だって……毒を撒かれたら、こっちは対処のしようが、無いんだもの」
……事態は思っていたより深刻かもしれない。
空気に溶ける毒の煙……毒ガスを用いた大量殺戮を王家が試みているのなら、それに対処する方法が、僕らにはあんまり無い。
「ええと、解毒剤とか、無いの?」
「俺は聞いたことがない。……クロア、何か知っているか」
「いいえ、何も。っていうかね、解毒剤があるような毒の方が少ないわ。解毒剤の開発よりも毒の開発の方が早いのよね。人を治すことより人を殺すことの方がよっぽど簡単だもの」
「まあ……そういうことだな」
一応聞いてみたけれど、解毒剤の類は無い、と。
……そう、だよね。治すより殺す方が簡単だ。分かる。それは、分かる。
「生み出したり守ったりすることより、壊したり殺したりすることの方が余程、簡単だ。お前なら、分かるだろう」
ラオクレスにそう言われてしまうと、頷かざるを得ない。絵を描くのに時間がかかっても、捨ててしまえば一瞬だ。火を着けたら画用紙はほんの数秒で灰になってしまうんだ。その画用紙の上に何時間が乗せられていても、同じことだ。それはそうだ。分かるよ。分かるんだけれどさ。でも……。
「……理不尽だと、思う」
「……そうだな」
僕がそう言うと、ラオクレスはちょっと寂しそうに笑って僕の頭を撫でた。
「さーて、どうする。とりあえず親父に報告かぁ?」
「そうね。あとは精霊様を連れていって、どんな対処ができるか話し合った方がいいんじゃないかしら」
うん。僕も連れていってもらおう。
……僕が知っている限りのものなら、描いて出せる。防壁でも、ガスマスクでも、知っている限りなら出せる。……ただ、防壁はともかく、ガスマスクなんて実物を見たことはないから、正しく動作するものを作りだせる自信はない。
やっぱりシェルターだろうか。シェルターを出してなんとかする?シェルター、シェルター……。
「……トウゴ様」
僕が考えていたら、横から、ついつい、とラージュ姫が僕の服の袖を引っ張る。なのでさりげなく議論の輪から外れて、ラージュ姫に近づくと、ラージュ姫はこっそり、僕にだけ聞こえるくらいの声で、言った。
「実は、父が『森の騎士団を引き渡せ』と命じる際の名目を、私は知っています」
「えっ!?」
特にそこは必要じゃないだろうと思ったけれど、知っている情報が多いならそれに越したことはない!すぐに教えてほしい!
……のだけれど、ラージュ姫はなんだか、深刻そうな顔をしている。思いつめたような、そんな顔をしていたラージュ姫は……遂に、言った。
「現ゴルダ領主が……この森の騎士団の中に、かつてのゴルダ領での大罪人を見た、と証言したのです。また、当時の領民という者の証言もあり……ですから父は、ゴルダ領主殺し、そして領民殺しの犯人を捕えるため、森の騎士団を引き渡せ、と……」
……一瞬、迷った。
これをラージュ姫が僕にこっそり伝えてくれたのは、皆がこの情報を知らないと思ってのことなんだろう。不必要にラオクレス達、森の騎士団の名誉を貶めないように、こっそり、僕に言ってくれた。ありがたい。
けれどまあ……皆はそれ、知っているから。森の騎士団の名誉石膏像の皆さん方が犯罪奴隷として売られていた、っていうことは、この場に居る人は全員知っている。だから、隠しておく必要はない。
ない、のだけれど……。
……きっと、気にするだろうな、と、思った。ラオクレス達の罪の意識を助長させるよな、と。
それは、折角、前向きになってくれたラオクレスの心に傷を負わせるだろうし、これから結婚式という人生で一番華やかな時を迎えるマーセンさんとインターリアさんも、大きく傷つける。
だから、言わない方がいいんじゃないか。
僕はそう、考えて……。
「……あの、ラージュ姫」
でも、それは違うよな、と、思った。それに、ここで僕らが隠したって、どうせ王家から命令が下る時には分かってしまうことだ。
なら、隠しておくのは誠実じゃない。
言った方がいい。……言っても大丈夫だって、僕は、そう、思ってる。
「彼らは皆、犯罪奴隷だった。ここに居る人は全員知ってる。だから、それ、皆に話しても大丈夫だ」
ラージュ姫が慎重に、できるだけ皆を傷つけないように、感情が混ざらないように、ただ彼女が知っている情報、ただの事実だけを伝える。
僕はすごく心配だったし、ラージュ姫はもっと心配だっただろうけれど……それは、皆に、案外あっさりと受け止められたのだった。
「まあ、俺が顔を見られているからな。今のゴルダ領主が俺達のことを知っていたのは驚きだが、俺を見た時のあの様子を考えれば、十分に考えられるところだったな」
ラオクレスはそう言ってため息を吐く。それにマーセンさんは『顔を見られていたか』と、ちょっと納得したように頷いた。
そういえば……僕が、うっかりゴルダ領主の人にぶつかりそうにならなければ、こんなことにはならなかったのか。なら、僕が……いや、やめよう。こういうこと考えてもしょうがない。どうせ、ラオクレス以外にも理由を見つけて、何か理由を適当にくっつけて、王家はどのみち、攻め込みに来た。うん。そう、考えることにしよう。
「まあ、これで色々とはっきりしたな。ゴルダ領主が王家に垂れ込んだのだろう。この情報とゴルダの秘伝の毒薬の製法、或いは製造を駄賃に、王家へ擦り寄ることを選んだ、というところか」
「でしょうね。アージェントが第三勢力になった以上、今、王家に擦り寄れば国で一番優遇される大貴族になれるんだもの。まあ、思い切った賭けではあるけれど、愚かだとは思わないわね。むしろ、ゴルダの立場からしてみれば、結構イイ線行くんじゃないかしら。まあ、私達を敵に回したのは愚か極まりないけれどね」
マーセンさんの分析とクロアさんの分析、そしてクロアさんの棘のある言葉を聞きつつ、僕は考える。
これ、どうしたらいいんだろうか、と……。
「あの、フェイ。クロアさん」
「おう、なんだ?」
「どうしたの?お腹空いた?」
クロアさんは僕を何だと思っているんだ。
「王家の人達は、森の騎士団がかつてのゴルダ領主を殺したから引き渡せ、って要求しているけれど……引き渡させた後、どうしようとしているんだろうか」
ラオクレスも他の騎士達も、皆、犯罪奴隷として売りに出されていた。僕が買うまで、他の持ち主の所を転々としていたらしい。その間もずっと、犯罪奴隷として。
つまり、今更罰も何もないと思うのだけれど、その上で森の騎士団を欲しがる正当な理由って、何だろう。
いや、勿論、裏に隠した考えとしては、森の防衛力を削ぎたいっていうところなんだろうけれど……。
……フェイとクロアさんは顔を見合わせて、ちょっと考えて、それから、彼らなりの考察を教えてくれた。
「まあ……重罰を与える、とかじゃないかしら」
「或いは、余罪を何か被せてくるかもな。今のゴルダの領主が絡んでるなら、それも十分に可能だろ」
「彼らはずっと、犯罪奴隷として過ごしてきたのに?更に、罰?」
そんなのあんまりだ。犯罪奴隷として過ごすことが罰だったのに、なのに、更に罰を加えるって、それ、あんまりじゃないだろうか。
「そういうものだ。更に、ゴルダ領主だけでなく、領民の証言もある、ということなら……まあ、そういうことなんだろう」
僕としては納得がいかないのだけれど、ラオクレスはそう言って、わしわしと僕の頭を撫でる。
そして、ラオクレスは僕の頭をわしわしやりながら、少し黙って……もう一度口を開いて、僕の方を見ずに、言った。
「毒のこともある。向こうは幾らでも理不尽にこちらの領民を殺せる可能性がある以上、ここは、引き渡しに応じるのが一番いいように思う」
「僕は反対だ」
すぐに僕は声を上げる。ちゃんと、ラオクレスの方を見て。
「森の騎士達を奪って、更に毒を流してくる可能性は十分にある。だったら、あなた達を引き渡すのは悪手だと思う」
ラオクレスは、やっと僕の方を見た。
「……少なくとも、それで相手は出兵や殺戮の名目を失う。名目無しに出兵できるなら、そもそも『森の騎士の引き渡し』など命じてこないだろう。王家が『森の騎士の引き渡し』をわざわざ名目に挙げているのは、名目が必要だからだ。違うか?」
「必要ない。森の町を毒から守れるように、高い高い防壁を築けばいい。シェルターでもいい。いくらでも出す。それで十分なはずだ」
何も、わざわざ王家の要求をのまなくたっていい。抵抗する手段は幾らでもある。
「この町以外が襲われる可能性もある。レッドガルド家そのものに毒が流されるかもしれない。或いは、他の町に。……それら全てを護ることは不可能だ」
「なら全部の町にシェルターを出す!」
「時間が掛かるだろう。1日や2日でレッドガルド領のすべての民を護るための設備を生み出すことはできないだろうが、明日王家からの命令があったとして、明後日にも、毒が流される可能性はある。それに、もし、この町を偵察している王家の者が居たらどうする。いきなり飛び出した防壁を見て、作戦が漏れていると知れる可能性がある。安易に建築するべきではないだろう」
「だったらこっちから攻めに行けば……」
「出兵する訳にはいくまい。かといって秘密裏に動くとしても、何かしらかは賭けになる。それならば、相手の出方が分かるまで動かない方がいいだろう。確実に人命を守るならば」
……ラオクレスの意見は、あくまでも、最悪の場合の想定でしかない。
王家の対応がものすごく速くて、毒がもう用意されていて、更に、それがレッドガルド領内のどこかの町を襲って、それでいて僕らにはどの町が襲われるか分からない、っていう、そういう最悪の事態の想定でしかない。
「安易な想定の下に動いて領民を危険に晒すことは許されん。……フェイの立場ならそうだろう」
でも、ラオクレスはそう言う。フェイはものすごく渋い顔だけれど、否定はしない。
「そして俺も、この町の騎士としてこの町を……人の命を、危険に晒すわけにはいかん」
ラオクレスが言うことの正しさは分かる。
人命最優先、っていうのは、分かるよ。取り返しのつかないものは、絶対に守らなきゃいけない。
けれど反対する気持ちはどうしても僕の中にあって、それが正しい理論をうまくくっつけて説明できなくて、僕の我儘なんじゃないかとも思えて、頭の中がぐちゃぐちゃだ。
「時間稼ぎは、どのみち必要だ。違うか?」
「……時間を稼ぐだけなら、他にも手段はあるんじゃないかな。ここで森の防衛力を失うことの方が、まずいと思う」
ぐちゃぐちゃの頭でなんとか考えてそれらしい反論をしてみるけれど、多分、僕が主張したいのはこういうことじゃない。そう分かっているのに、じゃあ正解は?と自問しても、上手く答えが出てこない。
「いや、何も森の騎士全てを失う必要はないだろう」
ラオクレスの言葉に一瞬、期待する。
けれど、ラオクレスの顔を見た途端、ああ、何か違うな、と、分かった。
「森の騎士団の中で、ゴルダの領主に顔を見られている者はそう多くない。騎士団員のほぼ全員が当時のゴルダに仕えていたなどと、知る者の方が少ないだろうな」
ラオクレスは……何かを決意したような顔をしていたので。
「俺が1人で行く。犯人らしい者を見つけたのでそれだけ引き渡す、ということにすればいい。……それで時間稼ぎくらいは、できるだろう」