4話:生きた石膏像*3
「おい、トウゴ。まさかこっちで決めたのか?」
「うん」
僕に追いついてきたフェイに、鉄格子の奥に居る石膏像の人を示して、言う。
「あの人にする」
フェイは、じっくりと、鉄格子の奥の生きた石膏像を見て……僕を見て……それからまた石膏像を見て……言った。
「……お前の趣味どうなってんだ?」
「描きたい」
僕は自分の欲望をそのまま伝えた。そしてこれが僕の趣味です。
「いやいやいや、描くにしてももっとあるだろ!可愛いのも綺麗なのも!」
「うん。この人にする」
「正気か!?男だぞ!?」
正気だよ。何言ってるんだ、フェイは。
「だって、折角奴隷買うんだぞ!?女だろ!女を選ぶだろ!」
「……女の人のヌードデッサンは、ちょっとまだ……うん」
「待て!お前、男のヌードデッサンするつもりなのか!?正気か!?」
うーん……うん。この人のデッサンだったら、勉強になる気がする。まるで筋肉のつくりというものを標本にしたみたいだ。
別に、裸が描きたいわけじゃないけれど、この筋肉のかんじは何枚も描きたい。いろんな角度から見て、何枚も描きたい。
大体、石膏像だ。石膏像って、鉛筆デッサンのモチーフの代表みたいなものなんだ。
そして僕の目の前には、生きた石膏像がいる。これはもう描くしかない!
「……もしかしてお前、男が好きなのか……?」
「そんなことはない」
そんなことはない。でも石膏像はずっと欲しかったので。
それから僕は、フェイに石膏像について説明し始めた。
石膏像は優れた彫刻のレプリカだっていうこと。デッサンをする人が、絶対に一度は描くモチーフだっていうこと。僕は石膏像を頭の中で明確にイメージすることができないから、イメージだけで石膏像を描いて実体化させることはできないだろうということ。
それから……ずっと、石膏像のデッサンが、憧れだった、ということ。
……憧れだったんだ。石膏像のデッサン。美術部の人が石膏像のデッサンを描いているのを見て、羨ましかった。
文化祭か何かで美術部の展示をほんの少しだけ見に行った時も、何枚か石膏像のデッサンがあった。
僕もやってみたいと思った。でも、石膏像は高い。高校生の昼食代で買うには、ちょっとあんまりにも高い。油絵のキャンバスや水彩用の画用紙を買ったり、絵の具や鉛筆を買い足したりするのでいっぱいいっぱいで、だから、石膏像なんて買えなかった。
……だから、石膏像のデッサン、やりたい。
生きた石膏像が居たら、買いたい。
この人、描きたい。
僕がそう滾々と説明する内に、フェイはなんとも言えない顔になってきた。多分、『こいつ馬鹿だなあ』って思いながら、『でもそこまでやりたいなら止めたくはない』っても思ってるんだと思う。そんなかんじの顔だ。
……そしてフェイは、唸って、唸って……鉄格子へ近づいていった。
「あーもう……おい、そこのお前!お前、家事はできるか!?」
そして、鉄格子の向こうの生きた石膏像に、話しかけ始めた。
……生きた石膏像が、動いた。
ゆるり、と首が動いて、目がこちらに向けられる。
すごい。体が動くと、筋肉も形を変える。それに引っ張られて、皮膚も伸びたり縮んだりするし、あと、やっぱり角度によって印象が変わる!すごい!描きたい!
「俺を買う気か」
「らしいぜ!んで、お前、こいつの世話はできるか!?この、浮世離れしててすぐに寝食を忘れる、どっかフワフワ飛んでいきそうな奴の世話はできるか!?寝食の世話と、あと1日1回の用事を思い出させる仕事だ!」
……とんでもないご紹介に与っている気がする。寝食は確かによく忘れるけれど、浮世離れはしてないだろうし、フワフワ飛んでいきそうでもないと思う。いや、フワフワ飛んでいきそうって、なんだ。僕ってそういう風に見られてるのか。なんか……うーん。
「正気か?俺にできるのは戦うことだけだ。……その札を見ろ」
生きた石膏像はそう言って、それから、顎で軽く、鉄格子に取り付けられた札を示した。
「……げっ」
そして、札を見てフェイは呻く。……何が書いてあるんだろう。
「見ての通りだ。俺は人を殺している。だからここにぶち込まれた」
……あ、もしかして、罪状……?
どうやらこの石膏像は人を殺したことがあるらしい。そっか。大変だ。
「な、なあ、トウゴ。流石にちょっとこいつはやめておいた方が……よくねえか?」
「嫌だ。絶対にこの人にする」
罪を憎んで石膏像を憎まず。
「いや、お前、当初の目的忘れてねえか?封印具の魔石の交換と生活の補助、だぜ?交換は誰でもできるとして、とりあえず家事とかやってくれる奴隷、探しにきたんだぜ?……おい!奴隷さんよ!お前、戦う以外に家事できねえの!?なあ!できるって言ってくれ!言ってくれたら俺も折れられる!」
「家事をさせたいなら他の奴隷を選ぶんだな。力と体力には自信があるがそれ以外に期待は掛けるな。見れば分かるだろう」
「うん。見れば分かる。すばらしい。よろしくお願いします」
見ればわかる。見れば見るほど石膏像だ。その通りだ。
それに、モデルになってもらうなら、体力は必要だ。体力がある、生きた石膏像。……うん。条件にぴったり。
「い、いや駄目だ!トウゴ!正気に戻れ!別のにしよう!な!」
フェイはそう言うけれど、石膏像は欲しい。
「大体トウゴお前、生活は?生活はどうするんだよ」
生活。生活……。
……ちょっと考えてから、僕は、鉄格子に近づいた。
鉄格子の向こうの生きた石膏像は、ちょっと怪訝そうな顔をしたけれど……僕が言うことは、決まっている。
「……僕、頑張ってあなたの健康を保てるようにする」
石膏像が、ものすごく不可解そうな顔をした。あ、表情が付くと石膏像っぽくなくなる。けれど、これはこれで……。
「……買われる俺が言うのもなんだが、あんた達、本当に俺でよかったのか」
「うん」
「俺はよくねえよ。よくねえけど……トウゴが折れねえんだもん、しょうがねえだろ、もう……」
ということで、僕は生きてる石膏像を買うことになった。大満足。
やったぞ。生きてる石膏像を手に入れた。
すごいな。見れば見る程石膏像だ。彫りが深い、っていうのかな。そういう顔立ちといい、鍛えた体つきといい。あと雰囲気。あんまり喋らなくて、あんまり動かない。そういうところがますます石膏像っぽい。すごい。
どうしよう。楽しみだな。この人には僕の家に住んでもらって、それで、モデルをやってもらうんだ。
あ、もしかして、同居じゃない方がいいだろうか。なら、彼のための家をもう一軒建てた方がいいかな。
それから、彼を綺麗にしなくては。やっぱり犯罪奴隷だからか、手入れされていない……要は、髪を切ったり、お風呂に入ったりはあまりしていないようだ。折角モデルをやってもらうんだから、そこはしっかりしていこう。
ということはお風呂を建設した方がいいかな。生きた石膏像に水浴び場って、ちょっとあんまりにも失礼な気がする。彼にはちゃんとお風呂に入ってもらって体を温めて、血流とかよくしてほしい。
僕が彼に世話をしてもらうんじゃなくて、僕が彼の世話をするぐらいの気持ちでいよう。うん。
「……トウゴ。お前、お前……いや、何も言わねえ。親友の選択だ。俺が口出すところじゃねえよな……!」
うん。フェイがそういう人で本当によかった。
……ちなみに、この生きた石膏像の代金は、レッドガルド家持ちになっている。僕は辞退しようとしたのだけれど、『なら町に別荘を1軒』とか言われてしまったので、ここは大人しくお世話になることにした。
「なあトウゴ。もう1人、奴隷、買うか?ちゃんと世話してくれる奴。こいつ犯罪奴隷だから、予算より大分安かったんだ。もう1人雇おうと思えば雇えるぞ」
「ううん、いい。他に描きたい人、居なかったから」
「……あの、ここにはモデルじゃなくて、お前の世話してくれる奴隷をだな、探しに……ああもういいや」
うん。そういうことだ。
ということで、僕は生きた石膏像を手に入れたのだ。フェイにも許可は貰ったから大丈夫だ。やったね。
「まあ……今ここで色々言っても分かんねえだろうし。とりあえずうちに帰るか」
「うん」
もうそろそろ日暮れだ。今日はこのまま、レッドガルド家に泊めてもらうことになりそうだ。お世話になります。
とりあえず、フェイのお兄さんとお父さんには、大笑いされた。
生活の補助のために奴隷を雇いに出ていって、生きた石膏像を連れて帰ってきた。それが彼らにとって中々面白い事だったらしい。うん、面白がってもらえるならそれはそれでいい。
「ふふ……そうか。トウゴ君。君はこういう人なんだなあ」
「とりあえずその奴隷の身なりを整えてもらおう。まずは入浴からだな」
……ということで、まずはレッドガルド家のお屋敷で、奴隷の人をお風呂に入れることになった。
その間、僕はレッドガルド家の庭で待つ。
僕が責任をもって石膏像の人をお風呂に入れようと思っていたら、レッドガルド家のメイドさん達に『流石にトウゴ様にそんなことをさせるのはちょっと』と言われてやんわり追い出されてしまったので、庭で待つことになった。
なんで庭か、って言ったら、窓から庭の花が見えたから。僕が見たいって言ったら、フェイは快く許可してくれた。ということで、僕らは今、庭に居る。
「綺麗だなあ」
「ん。うちの庭師はいい奴だからな」
フェイがにこにこしながら答える。そうか。この綺麗な庭も、作っている人が居るんだもんな。
庭は、僕が知らない花で色とりどりに輝いて見えた。多分、この花、僕の世界には無いやつなんじゃないかな。似ている奴もあるけれど、ちょっとずつ違う、というか。うん。この庭もいつか描かせてもらおう。
……そうして庭をちょっと見ていた時だった。
「なあ、トウゴ。あの奴隷のことだけどな」
フェイがそう、切り出してきた。
「いいか?この奴隷は犯罪奴隷だから、首輪を掛けてある」
「うん……ちょっと邪魔だから外したいなって思ってた」
首輪、というのには覚えがある。鉄でできているように見える、少し幅の広い奴。それのせいで、首筋の様子がちょっと見づらい。あれ、外したい。
「話は最後まで聞け!……あのな?その首輪は魔法の道具だ。それを着けている限り、絶対に主人や主人が攻撃してほしくない人や物には攻撃できないし、主人から一定以上離れることはできない」
あ、そういう機能があるものだったのか。
へえ、すごいな。首輪がついているだけで、『主人や主人が攻撃してほしくない人、物には攻撃できない』のか。この世界はやっぱり異世界だな。……いや、もしかしたら僕の世界でも、脳みそに電極とか刺したら、似たようなことができるのかもしれないけれど……。
「だからよっぽどのことにはならねえけど、でも、注意するんだぞ。……いいか、忘れるな。この奴隷の犯罪歴は、『殺人』だからな?」
「うん」
そうだね。そこは……ちょっと怖い、かもしれない。
……でも、今、手続きをしているらしい生きた石膏像の彼を見る限り、とても大人しい人に見えるし……僕を絶対に攻撃しない、というのならば、特に問題は無いだろう。多分。
「それから!生活はちゃんとしろよ!あの奴隷がやってくれねえなら、お前がやるしかねえんだからな!」
「うん」
それから、そっちも大変だ。
生活、主に食事について、これから2人分用意しなきゃいけない。頑張らなきゃな。主に、食べるのを忘れないようにする、っていう意味で。
「トウゴ様。できましたよ」
それから、メイドさん達が生きた石膏像を連れてきてくれた。
……うん。すごい。
「綺麗になった」
お風呂に入って綺麗になって、それから髪と髭も整えてもらったらしい。伸びっぱなしだった髪がちゃんと整えられている。髭は整えて残しておいてもらうように頼んでおいたので、本当にヘラクレス像みたいだ。或いは、先生に借りた美術の資料集にあった、ラオコーン像。
うーん、どっちだろう。ヘラクレス?ラオコーン?筋肉の締まったかんじはラオコーン像に近いかな。整った顔立ちはラオコーン像よりずっと若く見える。若い頃のヘラクレスの像に似てるかな。髪が巻き毛じゃないから、その分、どっちともちょっと違うか。でも、うん、どっちでもいいや。
……それから、綺麗になって、明るいところでちゃんと見て、彼の色味がやっとはっきり分かった。
髪はスチール・グレイ。肌は多少、浅黒くて、それで、瞳は綺麗な黄色だ。黄色、というか、金色、というか……そうだ。冬場、日の出が遅い時刻、朝陽が真横から差してくるような時。ああいう時、雲とか電線とか道路とかが、全部この色になるんだ。そうだ。彼の瞳は朝陽の色だ。
なんだろう。瞳の色が明るめだからかな。余計に石膏像っぽい。ほら、石膏像って白一色だから、瞳や肌や髪に色味の差が無いんだよ。そして目の前の生きた石膏像も、髪が暗くて瞳が少し明るいくらいで……あんまりコントラストに差が無い、というか。
例えば、僕は髪も目も黒いし、肌は……外に出ないから、あんまり焼けてない。だから、目や髪と肌の違いははっきり出てしまう。けれど、目の前の彼にはそれが無いんだ。
すごいな。異国情緒、というのか、異世界情緒、というのか。そういうかんじだ。フェイを初めて見た時も思ったけれど、こんなに綺麗な色の人、居るんだなあ。
しばらく、生きた石膏像を眺めていた。すると、生きた石膏像は、ちょっと気まずげな顔をする。あんまり見ていたら失礼だったかな。ごめんなさい。
「……主人。名前は」
そして、生きた石膏像はそう、聞いてきた。声は低くて、まるで重い石同士をこすり合わせたような、そういう響きがある。中々いいね。
「名前?僕は上空桐吾。あなたは?」
「無い」
「ナイさん?」
「……名前は無い。好きに呼べばいい」
ええと……ちょっと困って、フェイの方を向く。するとフェイは、少し驚いたような顔をしていた。あ、これ、異世界では普通なのかと思ったけれど、そういうわけじゃないらしい。
「おいおい、名前が無いってどういうことだ?」
「捨てた」
捨て……られるものなんだろうか、名前って。
「まあ、人殺してる時点で訳ありだろうしなあ。ま、いいや」
あ、いいんだ。フェイがいいって言うなら多分いいんだろう。
「ってことでトウゴ。名前、何かつけてやれよ。名無しじゃあんまりだ」
「うん。石膏像」
「それ以外で」
あ、はい。
……そういう訳で、生きてる石膏像の彼の名前が決まった。
彼の名前はラオクレス。当然だけれど、石膏像からとった。
「これからよろしくね、ラオクレス」
ラオクレスは特に答えず、ただ、ちら、と僕を見てため息を吐いた。うん、まあ、いいよ。
「とりあえず今日はモデルをよろしくね」
「……どういうことだ」
ラオクレスは僕を見て怪訝そうな顔をする。
「動かずにいるのって辛いだろうから、できるだけ速く描くね。あ、でも休憩入れたら別のポーズでまた描かせてほしい。とりあえずそのソファに座って……」
「おい、主人」
僕は夢中で画材を用意する。画用紙と、鉛筆。鉛筆は鉛筆デッサン用の、芯を長く出した削り方の奴だ。この世界にきたから、鉛筆をこの削り方にしても怒られなくなった。うん。こういう細かいところが一々嬉しい。
「大丈夫。徹夜はしないから。3枚くらい描いたら終わりにするから」
「何のことだ。何をするつもりか言え」
僕はちょっとびっくりしたけれど……そう言いつつもソファに座ってくれているラオクレスを見て、嬉しくなった。
「あなたの絵を描きたいんだ。描かせてほしい」




