24話:後退した季節*4
唐突にライラに言われてびっくりして、でも、すとん、と、僕の中にライラの言葉が収まる。
「……声」
声。
……声、か。僕の絵は、僕の、声。すごく、しっくりくる。
魔王に星模様を描こうと相談していた時のことを、思い出す。『声を発さないものは認識されなくても仕方がない。だから声を発することには価値がある。』ラオクレスがそんなようなことを言っていた。
「だから僕は、絵を描いてる、のかな」
自分が認識されるように。僕はここに居るって伝えるために。声を、発するために……?
「そうなんじゃない?まあ、あんたの場合、それで伝えたいものがものすごく平和だけどさ」
……あ、もしかして、『声』って、自分の存在の表明だけじゃ、ないのか。考えだったり、理想だったり、そういうものの為にも、声が必要で……僕の場合、それが、絵。成程……。
「あんたの絵って、不要な争いは無くて、穏やかで、幸せで……『皆、幸せになーれ』っていうか、そういうのが分かるっていうかさ。『トウゴ・ウエソラの魂ここにあり!』っていうかさ……伝えたいんだか、勝手に伝わってるだけなのかは分かんないけど。でも、そういうかんじよね」
……僕の魂、ここにあり……?
「あ。そういえば、前、聞いた時さ。絵は魂だ、って言ってたじゃない?」
「うん」
言った言った。先生の受け売りだけれど。
「そうよね。あんたの絵って、やっぱりあんたの魂なのよ。根幹の部分というか。そういうのが、あんたの絵を作ってて、あんたの絵に作られてるんじゃない?」
僕の魂、ここにあり。
……成程。そうか。なんとなく、しっくりきた。
絵は、僕にとって、魂だ。これがないと生きていけないし、僕の根幹にあるものだ。だから、魂。
……けれど同時に、僕にとっての絵は、声でもある。
こういうことを考えている。こういうことを思っている。こういうものを見た。こういうものが綺麗だった。こうしたい。こうでありたい。……そういうものを表現する手段であって、或いは、もっと漠然として曖昧で、それでいて僕から切り離せない何か……性格とか、魂とか、なんかそういうものが勝手に漏れ出してしまうもの、でもある。多分。
そして、僕は絵を描くことで色々なものを発信して、同時に、自分の中に取り入れていく。絵を描くことで僕は僕の内側にあるものを外に出すことができるし、同時に、僕の内側がちょっとずつ豊かになっていく。そんな気がする。
……そうか。
先生が言っていたことが、やっと分かった。
『いっぱい描け。君は僕より口下手だからな』。そう、先生は言っていた。
……口下手な僕は、絵を描くことで、声を発しているから。
だから。だから、いっぱい描かなきゃいけない。僕がここに居ることを表明するために。僕はこういう人です、僕の魂はこんなかんじです、って、表明するために。
「……僕の先生が、いっぱい描け、って、言ってくれた。僕は口下手だから、って」
思いだしながらライラにそう言うと、ライラはちょっと笑って頷いた。
「成程ね。確かにそうだわ。あんた、いっぱい描いた方がいいわよ。楽しそうだし、合ってるみたいだしさ。それで何より、あんたは口下手だから」
うん。僕は口下手なので。
だから、これからもいっぱい描かなければならない。我が魂ここにあり、って、やるために。
「……別にさ。絵って、別に、作者が綺麗なら綺麗な絵になって作者が悪い奴なら汚い絵になる、みたいなこともないわけだし、作品と作者の人格に相関関係なんて見出されちゃ困るんだけどさ……」
ライラはふと、そう言ってため息を吐く。
きっとライラは、絵を描いても、そこにあるライラの声を聞いてもらえることはほとんど無かった。別の人の作品として展示されるライラの絵から、誰が何を読み取れたんだろうか。……そもそも、絵からそういうメッセージを受け取ることが正しい絵の見方かどうかも分からないし。
「……でもさあ、あんたの絵は、なんか、こう、別だわ。のほほんとして綺麗で透明で。ああ、こういう気持ちの奴が描いてるんだろうな、って、思っちゃうっていうか……」
ライラはそう言って……僕が描いたライラの絵を見て、笑う。
「……綺麗な魂だわ」
……その。
あの。ええと……うん。
今まで、容姿を、褒められたことっていうのは、その、ぼちぼち、あったよ。お母さんに似て美人さんね、とか、お父さんに似てかっこいいね、とか。そういうのもあったし、クラスの女の子から、その、そういう……なんかそういうことを言われたことも、あった。勿論、お世辞が大分入ってたんだろうし、本気にしてないけど。
……けれど、その、『綺麗な魂だわ』って。魂を、綺麗だって、褒められる、って……なんか、初めての経験で、ええと、どうしていいのか、分からないっていうか……。
「……な、なに変な顔してんのよ」
「い、いや、別に……」
ライラも僕につられてちょっと恥ずかしげな顔をしたけれど、ライラは開き直るのが僕より早い。早速開き直ってしまった。
「恥ずかしがってるの?ふーん?へーえ?」
「……揶揄わないでよ」
「揶揄ってないわよ。本当に思ったことだもの。あんたが描く絵はあんたの声で、魂で……すごく綺麗で、透き通って、繊細で、あったかくって……中々、悪くないのよね。これが!」
詳細に褒めないでほしい!いや、絵を褒められてるんだけれど、それは嬉しいんだけれど……なんか恥ずかしい!
「……面白がってるだろ」
「まあ、半分は、ね?」
……うう。これ、『面白がってなんかないわよ』って言われるよりも恥ずかしい。つまり半分は面白がってないってことで、それはなんか本当のことに聞こえてしまうというか……。
ライラはにんまり笑って、多分、存分に僕の反応を楽しんで……それから、ふと、ちょっと真剣な顔になった。
「まあ、よかったじゃない。声を出したり魂を見せたりできる手段があって。あと、いい先生に出会えて。ね?」
……うん。
それは、誰よりも強く強く、僕が思ってる。
そして、それを他の誰かに言われると……なんだかじんわり嬉しい。
「いっぱい描きなさいよね」
「うん」
いっぱい描く。いっぱい描くよ。僕は口下手だから。
絵を描くのは、存在の証明のためでもあり、声を上げるためでもある。だから、描かなきゃいけない。
……そして何より、楽しい。だから、いっぱい描こう。これからも描こう。ずっと描こう!
「……ん?そういや、先生、って……あんた、絵の先生が居たの?」
ふと、ライラが首を傾げつつ、そう聞いてきた。
あ、勘違いされている。でもまあ、そうか。今の説明だとそうなってしまうのか。ええと……。
「いや、先生は絵の先生じゃなくて、むしろ絵はヘタクソで、キウイを描いたらタワシになるし、猫を描いたらドリアンになるような人で……それはいいや」
先生の不名誉はちょっと置いておこう。いや、でも、いつか先生が描いた猫の再現はライラに見せてみたい気がする。『見ろ、トーゴ。これが僕の渾身の絵だ。分かるだろ?僕には絵心ってもんがミジンコたりとも無いのだ!』って堂々と言ってたあの時の先生、妙にかっこよかったな……。あと、あのドリアンは中々愛嬌があってよかった。かわいいドリアン……。
「先生は……ええと、『先生』って僕が呼んでただけで、別に先生って訳じゃなかったんだよ。何かを教える仕事をしている人じゃなかった。色々と大事なことを教えてもらいはしたけれど……」
僕にとっての『先生』の説明は、中々難しい。ええと……。
「小説を書く仕事をしてた、というか、小説を書くことを仕事にしてた、というか……うーん」
伝わるかなあ、と思いながらそう言ってみると、ライラは案の定、怪訝な顔をしたのだけれど……ちょっと考えて、それから、納得したように頷いた。
「成程。あんたが絵を描くように、文を書く人。そういうことね?」
「そう!そういうかんじだった」
何故か伝わった!それが嬉しくて、ついつい笑顔になってしまう。
……『書く仕事をする、っていうのと、書くことを仕事にする、っていうのは、なんか違うんだぜ、トーゴ』と、先生も言っていた。やっているのは仕事なのか、仕事ってことにしているだけの別の何かなのか、っていうのは、大事なことだ。どこに境目があるかで、感じ方や捉え方が結構変わるから。
「僕は先生の家にお邪魔して、そこで絵を描かせてもらってたんだ。家や学校や塾で絵を描くわけにはいかなくて……いや、家でもこっそり寝る前に描いたりしてたけど」
「ああ、やっぱり……あんたの家、そういうかんじだったんだ」
ライラは『ちょっと想像ができない』みたいな顔をしつつ、曖昧に頷く。……多分、学校や塾、ってものがライラにはよく分からないのだろうし、学歴とか、それに固執することとか、もっと分からないと思う。
「それで、色々、教えてくれた。先生は絵は下手だったけれど、僕に絵を描かせてくれたし……僕が僕でいられたのは、先生のおかげで、ええと……」
……なんというか、色々と説明を飛ばしているから、空中に建物を建築しているような気分になる。土台も無しに色々説明するのは難しい。ふわふわしてしまって、伝わっているのかすごく不安なのだけれど……。
「……ま、いいわ。とりあえず、あんたにとって尊敬する人であって、大切な人、ってことでしょ?」
「うん」
伝わっていた。よかった。
なんというか……そう言ってもらえるのって、嬉しいな。
先生は、僕にとって、尊敬する人であって、大切な人。うん。その通り。
「あんた見てると、ふわふわの中に、所々、芯みたいなのがあるじゃない。それって、あんたの『先生』に教えてもらったこと?」
「うん。大体はそうだと思う」
更に色々伝わっている。なんだか嬉しい。
「その一方であんたがふわふわしてるのもその先生の影響のような気がするのよねえ……」
あ、そこも?……まあいいか。うん。先生のせいです。
それから少し、僕は先生の話をした。出会った時の話とか、その他諸々、あちこちの話をするとなんだか深刻になりそうだから、とりあえず、笑い飛ばせるやつだけ。
「……ということで、先生はそれ以来、白いシャツをほとんど着なくなったし、カレーうどんを食べる時にはカレーの怒りを鎮めるために『ナマステ』って言ってから食べ始めるようになった」
なので、こういう話をしていた、のだけれど……。
「……あのさ。あんたのその『先生』って……変な人でしょ」
ライラに、そういうことを言われてしまった。
……うん。
「うん。すごく」
よく分かったね。そうなんだ。先生は、変な人なんだよ。
「あんたも変なやつだもんね」
うん。そして僕は変なやつです。今後ともよろしくお願いします。
……うん。今後とも、いっぱい、笑い飛ばしてくれると嬉しい。




