21話:後退した季節*1
ふ、と、何かが額に触れる感覚があって、それで、ぼんやりと意識が戻ってきた。けれど目を開けて体を動かすのが億劫で、目を閉じたまま、もぞもぞ動く。
体が重い。それから肌寒い。なんとか暖をとれるようにちょっとでも動いて、そのまま、なんだかあったかくて、二度寝……。
「トウゴ!」
……と、思ったのだけれど、もぞもぞしている途中で起こされてしまった。
目を開けると、目を瞠ったフェイが僕を覗き込んでいた。
「くっそ、お前……お前、よく起きたなあ!」
「お、おはよう……」
「おそようだ!馬鹿!あーもう!ほんと、お前、今度こそ起きねえかと……!」
フェイが僕をぎゅうぎゅうやりながら耳元で大声を出すものだから、きわめてうるさい。
……けど、ええと。
その、ご心配を、おかけ、しました……。
状況が分からないのでちょっとフェイには離してもらって……それから、目だけ動かして、周りを見る。
どうやらここは昼の国、らしい。昼の国の、森の中の、水晶の湖の小島。龍の小島だ。
僕はそこで……水晶と沢山の花に囲まれて寝かされている!これ、多分また葬式っぽくされている!まだ死んでないよ!
……まあ、犯人は今度もレネなのだろうし、レネは善意で葬式風デコレーションをしてくれたのだろうから、その、何も文句は言わないけれど。
それからすぐ、龍がやってきた。龍は僕を見ると、尻尾で僕の頭を撫でて、それからいつものように木の実を……。
「……え?これ全部?」
木の実を、大量に、僕の横に積み上げていく。いや、これ全部は流石に、入らないっていうか……。
「よし!これ全部トウゴに食わすんだな!任せろ!」
……と思っていたら、フェイが待ってましたとばかりに木の実をとって、ナイフで殻に穴を開けて、そこに用意してあったらしいストローを差して、僕に中身を飲ませようとしてくる。
「ほら!飲め!」
いや、飲むよ。飲むけれどさ。……でも、体がなんだか全然動かなくて、木の実の中身を飲むことすらままならない、というか。
「……トウゴ?どうした?」
「あ、いや、大丈夫。ただ、ちょっと、体が全然、動かない……」
何なら、喋っているだけでもなんだか疲れてきてしまう。な、なんだこれは。
僕がそうやってもたもたしていたら、しびれを切らしたらしい龍が……木の実の中身を操り始めた。この龍、液体ならある程度なんでも操れるらしいから、そこに不思議はないのだけれど……。
……龍はそのまま、僕の口へ、木の実の中身を突っ込み始めた!
「噎せるかと、思った……」
そうして僕は、一気に5つ分の木の実を飲まされた。お腹がたぷたぷする……。
凄いのは龍の技術だ。とにかくすごい勢いで僕の口から喉へ、喉から胃へと木の実の中身を送り込まれてしまったのだけれど、その間、僕は噎せることも無かった。ただただびっくりしていたら終わった、というか。……龍がちゃんとコントロールして、気管に入らないように頑張ってくれたらしい。
けれど、とりあえずこれで魔力の補給ができたらしい。僕は少し元気になった。
元気になって、改めて、フェイを見る。
フェイは僕を見て泣き笑いみたいな顔をしていて……あと、見た目に変化がある。
「……髪、伸びたね」
「おう。まあ、お前が寝ちまった後ぐらいにそろそろ切ろうかとも思ってたんだけどな。折角だからお前が起きるまで願掛けがてら、切らずにおこうかと思ってさ」
フェイは、大分髪が伸びていた。
元々、男性にしては長いな、ぐらいの長さがあったのだけれど、今は……ええと、しっかり、肩甲骨を超えるぐらいまでは伸びてる。
これを見たら、結構時間が経ったんだなあ、ということを実感せざるを得ない。ええと、ええと……。
「で、まあ、気になってるだろうから、お前が寝てた時間を発表するぜ」
うん。……どきどきしながら僕は発表を待つ。記録更新は間違いないよなあ、と思いながら、でも、なんとか、その、3か月ぐらいで……。
「10か月ちょいだな」
……大分寝ていた!
「道理で季節が後退していると思った……」
「前進なんだよなあ……」
なんか肌寒いと思ったら、これ、春先の肌寒さだったらしい。そろそろ春から夏になるね、という季節に居たはずの僕としては、季節に後ずさりされてしまった気分なのだけれど、実際は僕が周回遅れになっているだけなんだからやるせない。
「それは……フェイも泣くわけだ」
「いや、ほんとになぁ?あーくそ、なんか腹立ってきたぜ。このやろこのやろ」
「やめてやめてくすぐらないで」
10か月ぶりに僕が起きたら、そりゃ、フェイもこうなってしまう。……フェイはさっきからずっと、僕の傍から離れようとしない。時々、ぐす、ってやっている。それを誤魔化すみたいに僕にくすぐり攻撃を仕掛けてくるのも含めて、その、なんというか、只々、申し訳ない……。
僕が大分寝ていて申し訳なかった、っていうのはさて置き……さて、大変だ。
僕が10か月以上寝ていた、ということは、その間、他の皆は色々と大変だったわけで、色々と社会情勢は動いているはずで……。
「ええと、魔王は?夜の国は?勇者はどうなった?」
気になることが山ほどある。沢山聞かなきゃいけないことがある。だから僕はフェイを質問攻めにするしかない。のだけれど……。
「あー、落ち着け落ち着け。えーと、そうだなあ、どっから話すべきか……」
フェイはちょっと困った顔をしながら、考えて……。
「えーと、とりあえず、魔王だけどな……」
フェイがそう言って、ちらり、と龍の後ろを見ると。
まおーん。
……なんだか気の抜けたかわいい声がして、魔王がてくてくと歩いて現れた。
「こっちに住み着いてる」
「……そっか」
魔王は太陽の光をたっぷりと浴びて、まおーん、とのんびり鳴いた。
魔王はてくてくと歩いて近づいてきて、そのまま僕に、ふに、と抱き着いた。やわらかい。それから僕の頬を、尻尾でつついてくる。ふにふにしてやわらかくてあったかい。起き抜けのあれは魔王の尻尾だったのかな。
……ん?あれ?
「……あれ?魔王、ちょっと縮んだ?」
よくよく考えると、魔王のサイズ感がおかしい。魔王ってこんな、僕の腕にすっぽり収まるような大きさだったっけ……?
「あー、うん。ちょっと縮んだな。溶けちまった、っつうか……」
……溶けた!?
「ええと、お前が倒れた直後から説明するな?お前が倒れた時には、魔王は結構もう溶けちまってて……でも鳥とライラのお陰で、魔王はなんとか、この大きさで溶け残って、今は元気に日光浴してるぜ」
そっか。魔王、大分溶けちゃったのか……。
でも、魔王は僕の腕にすっぽり収まるぐらいのサイズになって、僕の胸の上ですりすりやりながら、まおーんと鳴いてご機嫌だ。尻尾がふらふら揺れているのがなんともかわいらしい。お腹にはしっかり星模様。僕がなんとか手を動かして魔王のお腹を撫でると、魔王はそれに気づいて、自慢げに胸を反らして、まおーん、とのんびり鳴いた。
……うん。今、元気そうでとりあえず、よかった。
「まあ、ただ、魔王がこっちに居るだろ?それって、国王陛下とかに夜の国の封印をやめるように説得する材料としてこっちに連れてきたんだけどよぉ……」
……そういえば、そういうの、あったね。途中からすっかり忘れていた。
「まあ、そこは後で色々と、こう、親父とかクロアさんとかから聞いてもらうとしてだな……まあ、とりあえず、なんとかなった。夜の国の封印については待ったをかけられたし、俺達は夜の国とやり取りを続けてる。勇者についてもラージュ姫が対抗してくれてるし、ラージュ姫が王族な以上は国王も動きにくいらしいし……いや、まあ、いつ戦いが始まるか分からねえんだけど……」
……なんかとんでもなく物騒な話を聞かされてしまった気がする。き、気になる。すごく気になる!駄目だ!僕が寝ている間にとんでもなく色々変わっているらしい!
「ま、まあ、そこはあんま気にすんな。うん。それはこっちが動くことだ。お前は気にせず、まずは体を治さねえとな」
「治すも何も、体が動かないだけで、元気は元気なんだけれど……」
そして、ものすごく、今の国内情勢が気になるんだけれど……。
「だったら猶更、まずは体を動かせるようになってくれ。な。皆、心配したんだからな?……この花、レネが運んできたと思ってるだろ。残念だったな。レネだけが持ってきてるわけじゃねえんだぞ。ほら」
フェイがにやりと笑って湖の外を見ると、そこには……馬。あと、リアン。
「あ!トウゴが起きてる!」
「リアーン、おはよーう」
「おはようじゃねえよバーカ!バーカ!」
リアンに罵倒されつつ、彼が手に持っている花を見て、大体のところを察することができた。……どうやら、森の皆が花を運んでは、僕の周りに飾ってくれていたらしい。
「森の皆が花を見つけたらここに飾ろう、ってやってるからよお……」
「……豪勢なわけだ」
なんというか、心配かけたなあ、と、思う。それが申し訳なくて、でも、ちょっと嬉しい。起きるのを待っていてくれる人が居るっていうのは、幸せなことだ。本当に。沢山迷惑をかけて、沢山心配をかけて……でも、それを許される程度には働けている、っていうのも、ちょっと嬉しい。
僕の胸の上で魔王がまおーんと鳴く。
……夜の国と魔王のことが上手くいったなら、僕が10か月寝て、皆に多大なる心配とご迷惑をおかけした甲斐もあった、のかな。
「ま。お前らの周りを花だらけにするの、ちょっと楽しかったけどな」
「楽しまないでほしい」
「これからもお前が魔力切れになったらやるからな!覚悟しとけ!」
……これから先、僕は魔力切れで倒れる度に、葬式デコレーションをされてしまうらしい。それはちょっと嫌だ……。
花を持ってきたリアンが龍にいつものあれをやられているのを見て大変申し訳なくなりながら、フェイにいくつか、今の社会情勢を聞かせてもらう。
夜の国の存在が、昼の国の国内にもある程度広まった、ということ。でも夜の国と昼の国を繋げるのは僕かレネか竜王様か鳥か、ぐらいなので、僕ら以外の人達は夜の国と行き来できていない、ということ。
逆に、レネと竜王様は何度か昼の世界に来て、森の町の人達にはある程度顔を知られているらしい、ということ。
……そして。
「まあ、夜の国の存在を公表したのは、当然、夜の国の封印に待ったをかける世論にしたかったからなんだけどよお……」
フェイはそう言って、頭を掻く。
いや、いいと思うけれど。多くの人が夜の国について知ることで、夜の国との交流を持とうと思う人が増えて、そうすれば夜の国を封印しようっていう流れからは遠ざかっていくはずで……ん?
「それってつまり、魔王についても説明しなきゃいけねえんだよな。で、魔王について説明したら、その……お前がやったことも説明することに、なるだろ?」
……うん。
そうだった。
「そこで、『トウゴ・ウエソラが魔王を無力化してしまった』っつうことになってだな……王家が、すげえ、つっかかって来てるんだよなあ……」
王家の人達は……とにかく、魔王を自分達でどうにかしたがっていたんだった!
「た、大変だ。魔王がこんなにかわいくなってしまった」
これじゃあ、王家の人達が魔王を倒しにやってきてしまうかもしれない!大変だ!魔王を守らなければ!
「いや、まあ、かわいくなっちまったのはむしろ、よかったかもしれねえな。おかげで『魔王は無力化して我らの仲間になりました!』っていうのの説得力がものすごく出たし。逆に、魔王が本当に魔王なのかは滅茶苦茶疑われたけどよ」
まあ、そうか。人畜無害な生き物に見えれば、警戒はされにくいし、かわいいのは丁度いいのか。
でも……うん。魔王らしくは、ないね。うん。これは魔王ではなくまおーんなのではないか、と言われてしまっても反論の余地がない。それこそ、レネ達に証言を貰うとか、魔王が光を食べるところを見てもらうとか、そういうことでもしない限り、魔王が魔王だって証明できないだろう。
「まあ、魔王は無事に受け入れられてるんだけどよ。なにせ、勇者じゃねえ奴が魔王を無力化、ある意味での封印をしちまった、っつう、そういう話になっててよお……それで王家はご立腹なんだよなあ。そこに親父達の独立国家の話も混ざってきて、てんやわんやで……うん、そんなこんなのここ10か月だったぜ」
……うん。
成程。
大変だ……。
「で、そりゃ、いいんだ。どうでもいい」
ど、どうでもよくはないと思うんだけれど。むしろ、そこからが大変なことなんじゃないんだろうか。もっと聞きたい。何がどうなってるのか、聞きたい。
……でも、フェイはがしがしと頭を掻いて、それから、ちら、と僕から離れた位置を見て、またため息を吐く。そっちに何かあるんだろうか?僕、寝っぱなしだから見えないのだけれど……。
「……まあ、お前が起きたんだし、そろそろ、起きる、よな」
フェイはそう、珍しくも苦い表情で呟くと……。
「まだ、ライラが起きてねえんだ」
そう、言った。