2話:生きた石膏像*1
僕は絵が描けないかもしれない。
それって、『お抱え絵師』としては致命的な欠陥じゃないだろうか。
餅の絵を注文したはずなのに餅が届いたら、流石に、レッドガルド家の皆さんだって困るだろう。僕なら困る。
「……ん?それ、どういうことだ?」
「そのままの意味で、その、僕、『絵が実体化する』のはできるんだけれど、『絵が実体化しない』のは、手を抜いて絵を描く以外で、できないから……」
……僕がそう言った途端、食卓の皆さんが黙り込んでしまった。うん、そうだよね。うん。
「え……お前……」
そこで、フェイが誰よりも早く反応を取り戻した。
「もしかしてまだおねしょ、してる?」
……ん?
「いや、しないけど……」
「でも魔法は漏れるんだろ?」
何だよ、魔法が漏れる、って。……もしかしてこの世界では『発動させようと思っていなかった魔法が出てきた』って、お漏らしとか、おねしょとか、そういう扱いなんだろうか!?
「そ、そうか……いや、悪ぃ悪ぃ!そうだよな、お前、まだこの世界に来てちょっとだもんな!ある意味、生まれたてみてえなもんだし、別に恥ずかしいことじゃ……っふふ」
笑いが漏れてるよ。僕は魔法が漏れてるのかもしれないけれど、フェイは笑いが漏れてるよ。我慢しきれてないよ。
「っははははは!そうかぁ!お前、その顔で、その顔で魔法の制御、できてなかったのか!言葉も普通に喋るし、所作綺麗だし、しっかりしてるみたいに見えるのにな!んだよ、そっかぁ!」
「わ、笑わなくたって……」
気まずい。とても居心地が悪い。フェイはけらけら笑っているし、お兄さんとお父さんもなんだかにこにこ笑っている。「そうか、彼は異世界の人だったな」「そうだった。すっかり忘れていたが、こういうこともあるのか」なんて話している。
……僕には全く分からない価値観に基づいて、僕はなんというか、こう、面白がられている。或いは、微笑ましがられている。不愉快に思われているわけではなさそうだし、それは良かったんだけれど、なんというか……。
「フェイ。異世界人の友人というものは、非常にこう……我らを明るい気持ちにさせてくれるな」
「だろ?兄貴、羨ましいだろ?な?」
……なんか、恥ずかしい。
結局、『魔法の制御はおいおい練習していこう』『とりあえずお抱え絵師の話は考えてみてくれ』ということで、朝ごはんの席では話が終了した。
レッドガルド一家としては、僕が『魔法の制御ができない』と知ってもお抱え絵師の話を取り下げる気はないらしいし、むしろ異世界人の僕を興味深く思って、『やっぱりうちに住まないか?』とまで言ってくれた。うん、面白がってもらえて何よりだよ。でもなんだか申し訳ないし、やっぱりなんか、恥ずかしいし……。
……ということで、僕はフェイと一緒に、魔法の制御を練習することになった。
「よし。まずは魔法を自覚するところからだな!」
フェイはそう言うけれど……これがまず難しい。
今まで僕は、特に何も意識しなくても絵を実体化できている。つまりそれって、『どうして絵が実体化したのか分かってない』ということだ。
魔法を使ってる自覚が無いから、魔法を制御することもできない。……これじゃあまずいので、僕は、自分の魔法を感じ取るところから始めることになったんだ。
「お前、魔力を消費する時、そういう感覚、ねえの?」
「うーん……ある、かもしれない」
馬の羽や角を治した時。或いは、緋色の竜を出した時。そういう時、僕は、自分の中から何かが流れ出していくような感覚を味わっている。もしかして、あれが魔力?
「そっか。なら、その時に消費したアレが、体の中にあるって意識してみな」
……いや、それは難しい。目に見えないものが体の中にあるって、それ、どういう意識なんだろう。
「……駄目か?」
「うん」
僕が早々にギブアップを表明すると、フェイは1つため息を吐いて……それから、僕に何かを手渡してきた。
「ならこれだな!」
手渡されたものは、木の握りに真鍮みたいな金属で模様が象嵌してあって、そして、握りの先には水晶玉みたいな透明な石が付いている……そういうものだ。
なんだろう、と思いつつも握りを握ってみると……金属の模様が光って、そして、先端の水晶玉が、光る。
「おっ。よしよし。いいかんじだな」
更に、水晶玉の中で光はゆったりと色を変えていきながら、持ち手を通って、僕の体の中に入るのだ。
「……うわ」
びっくりした。
手がふんわりあったかい。そしてさらりと冷たくなる。……水晶玉の中の光の色によって、手に入り込んでくる感触が違う。
「分かったか?これが魔力だ」
「……うん。分かった」
多分これ、僕の中にある魔力を一回出して、それをもう一度体の中に入れるための道具なんだな。面白いな。一度外に出してみるだけで、そこにあるものに気づける。確かにこの、魔力ってやつが僕の中に流れてるって、分かってくる。
「じゃあ、手から意識を広げていけ。な?手だけじゃなくて、全身を流れてるのが分かるだろ?」
言われて意識してみると、確かに分かる。僕は確かに、魔力を持ってる。
水晶玉の中で色を変えながら、きらきら光るもの。これが僕の魔力か。綺麗だな。そうか。僕の中にはこんなものが流れてるのか。なんだか少し嬉しい。
「この道具、すごいね」
「お、そうか。喜んでくれたなら何より」
しばらく自分の魔力を感じる練習をしてからフェイに道具を返す。すると、フェイが握った途端、石の中には緋色の炎が燃え盛る。
……そうか。魔力って、人によって違うって、フェイも言っていた。それはこういうことか。
「ちなみにな」
それからフェイは……にやにや笑いながら、言った。
「このおもちゃは、この世界で赤ちゃんに持たせるやつだ」
……うん。
まあ、僕は、この世界に来てまだちょっとの、いわば赤ちゃんみたいなものなんだろうけれど……。
ちょっと腹が立ったのでフェイの脇腹のあたりを小突いたら、フェイはけらけら笑うのだった。
その日は夜もずっと、『赤ちゃんのおもちゃ』を握って魔力を感じる練習をした。
……面白いもので、一度自分の中の魔力が分かってくると、自分の外のも分かるようになってくる。
フェイにも、庭の花にも、風の中にも、なんとなく魔力、というらしい何かがあるのが分かるのだ。うん。これはちょっと面白い。
「よし。じゃあ次の段階だな!次は魔法が漏れないようにする練習だ!これが出来れば絵を実体化させないこともできるかもしれねえぞ!頑張れ!」
翌日もフェイと一緒に魔法の勉強だ。
……自分の中の魔力を感じ取れたから一歩前進はした、んだろうけれど、どうにも、その先がまた難しい。
魔法が漏れないようにする練習ということで、今日は、金色の石と金細工でできた蝋燭、みたいな、そういう道具を握っている。
けど。
「……駄目だ」
「おー……うん、まあ、頑張ってみろ。うん」
昨日の道具みたいに、この道具も魔法の制御のための練習道具だ。この蝋燭もどきは握ると魔力が流れて、先端に光が灯る。だから、僕はこの蝋燭を握りながらも光を灯さない練習をしている、のだけれど……。
ある意味、自分の血流を自分の意思だけで止めるようなものなのかもしれない。それくらい難しい。
蝋燭もどきの光は全然消えてくれない。僕の手から魔力が流れて伝わって、それが光になっていることは分かるんだけれど……それを止める方法が分からない。
「しょーがねえなあ。ほい」
「へっ?」
そんな僕を見かねてか、フェイが僕の手首を握ってきた。
すると、蝋燭もどきの光は消え……同時に、じわじわと。なんだか、むずむずするような感覚がこみあげてくる。
「ね、ねえ、これ……」
「よし。そこでそのまま我慢しろ」
「ええ……」
我慢しろ、と言われてしまったけれど、これ、中々に耐え難い。むずむずして、うずうずして、どうにも我慢できない。
「フェイ、離してよ」
「もうちょっと我慢したらな」
多分これ、フェイが僕の手首を掴んで、魔力を止めてるんだろう。でも、そのせいで落ち着かない。すごくむずむずする。
「ねえ、フェイ」
「もうちょっとな」
くすぐったいのでも痒いのでもなく、ただ、何かがどうしようもなくむずむずする!
むずむずして、うずうずして……我慢しなきゃいけないって分かってても駄目だ!
「もうやだ……」
「うお?おいおい、堪え性がねえなあ……」
フェイの手を掴んで引き剥がしにかかったら、流石にフェイは離してくれた。そして。
「うおわっ!?」
同時に蝋燭もどきからビームが伸びて、空へと飛んでいった。
……ちょっとの間、何も考えられなかった。ぼーっとしてた。
「今の、何だ……?すっげえ……」
そしてフェイが何やら感心する中、僕は、やっとむずむずから解放されてほっとしていた。うん、あんなのそうそう我慢したくない。もうやだ。
……そして僕が落ち着いてきた頃。
「お前……魔力の制御は結構難しいかもなあ」
フェイがそう言いながら、まじまじと僕を見つめる。だから、僕はさっきからそう言ってるんだけれど……。
「魔力が桁違いに多いぜ、多分」
……え?
翌日。
「こいつ、魔法が漏れるようになったんですよ」
「今まではほとんど魔力が無かったようですが、急に魔力が増えたようでして」
「本人も制御できなくて困っている。どうにかならんか」
……昨日の今日で、魔力を診るお医者さんに来てもらって、僕を診てもらっている。レッドガルドさん一家に囲まれて、僕もお医者さんもちょっと困っているけれどしょうがない。
それから……僕が異世界人だってことは隠してもらってる。だから、僕が異世界人だって知ってるのは、フェイとお兄さんとお父さん、それから一部のレッドガルド家のメイドさん達と、あと、馬と鳥。
「ふむ……そうですね、急に魔力が増えることはままあることですな。成長期にメキメキと魔力が伸びる例も報告がありますが……他に何か、魔力が増えるようなきっかけはありましたかな?」
「きっかけ?っつーと、どういう奴だ?」
「例えば、特殊な魔導書を読んだですとか、精霊の寵愛を受けたですとか、新しい魔法を覚えたですとか……ああ、生命の危機に陥ると眠っていた魔力が目覚めることもあるそうですが。そうですね、何か、最近、怪我などは?」
……10日ほど寝たきりになっていたらしいけれど、知らない。
結局、原因は分からなかった。というか……まあ、死にかけたこともある訳だから、それも原因なのかもしれないけれど、僕は一応、この世界に来てすぐ、絵に描いた餅を餅にしているから。だから多分……うん、『異世界人だから』
なんだろうな、って……。
とりあえずお医者さんは『きっと成長期で伸びるタイプだったんだろう』みたいな診断をして、対処法とかを一通り書いてくれて、それから帰っていった。
……ただ。
お医者さんは帰り際、困った事を言ってきた。
『これだけ魔力が高いのですから、王宮の魔導士の道を目指されては?』と。
……王宮の魔導士って、絵は描けますか?
「……なあ、トウゴ。お前、王宮の魔導士になりたいか?」
「ううん」
「だよなあ。どう考えても王宮の魔導士になったら、日がな一日絵を描いてるって訳にはいかねえだろうしなあ……」
フェイが僕のことをよく分かってくれていて嬉しい。
「トウゴ君が望むなら王宮へ連れていくべきなのだろうが……そうではないなら、まあ、うちのお抱え絵師になる話も出ている事だし、このままで居てもらうのがいいだろうか」
フェイのお兄さんは僕を絵師にするのを前向きに検討しているらしい。
「そうだな。まあ、トウゴ君としても、魔力の制御はできるようになった方がいいだろう。しばらくはその封印具をつけて、魔力の制御を勉強するといい」
……そして、フェイのお父さんは。
『封印具』を僕に着けてくれた。
『封印具』というのは、別に怖いものじゃない、らしい。魔力が急に増えてしまった人や、魔力が多すぎる人の為の矯正具みたいなものらしい。
形としては、腕輪だ。今は僕の左手首についている。腕時計みたいなものだから、違和感はあんまり無い。
効果としては……僕の魔力の一部を『封印』してくれる、らしい。
……そうやって魔力を一時的に減らして、その状態で魔力の制御の練習をする。
慣れてきたら封印具を少し弱いものにして、それからまた魔力の制御の練習。
それにも慣れたらまた封印具を少し弱くして……とやっていって、元々の大きさの魔力でも制御できるようにする、んだそうだ。
うん。これを使って、頑張って魔力の制御ができるようになろう。
フェイに『おねしょ』って言われるのは恥ずかしいし、第一に……これで魔力の制御ができるようになれば、ちゃんと絵が絵として描けるようになるかもしれない!
……ただし。
僕の計画は、1日半で座礁した。
「う、うわあ……まさかこうなるとはなあ……」
封印具を着けてもらって、早速魔法の制御の練習をして、すっかり疲れてしまったから休憩がてら絵を描いて、それからレッドガルド家で泊まって、そして翌日、また魔法の制御の練習をして……そうして大体、1日半経ったら。
封印具が、壊れた。
「……こ、これだと1日が限度ですね」
「そ、そんな……」
もう一回お医者さんに診てもらったら、そういう絶望的な事を言われた。
どうやら僕の魔力が多すぎて、封印具が駄目になってしまうらしい。僕が一体何をしたっていうんだ。
……そうして、僕はまた別の封印具を処方してもらうことになった。
今度の奴は、まあ、腕輪なんだけれど……その中心に黒い石が付いている。
今度からは、1日ごとに黒い石を交換して、交換した黒い石は『溜まった魔力を逃がす』ようにしてお手入れして、それで封印具を長持ちさせる方針らしい。封印具を弱くするときは、石の種類を変えればいいらしいから、こっちの方がいいかもしれない。
……その分、ちょっと高くつくらしいんだけれど、フェイのお父さんは僕にお金を払わせてくれない。いや、僕、確かに払うお金、無いんだけれど……。
お金のことでちょっと申し訳なく思っている間、僕以外の人達は、もっと違う事を考えていた、らしい。
「……トウゴって、1日1回、ちゃんと封印具の魔石の交換、できるか?」
フェイにそう言われて……僕は、思った。
うん。自信が無い。
1日1回、ちゃんと石を交換する自信が無い。絵を描いていたらうっかり忘れそうだし、そして何よりも困ったことに、うっかり石の交換を忘れると、石が……爆発する可能性もあるらしい。
となると、絶対に石の交換を忘れないようにしなきゃいけないんだけれど、僕にそれができるかというとちょっと自信が無い。でも石を交換し忘れると大変なことに……でも自信が……。
と、いうことで。
「よーし。んじゃあトウゴ、行くか!」
「うーん……」
僕はこれから、フェイと一緒に出掛けることになった。
それは何故か、というと……。
「あー、やっぱり抵抗あんのか?奴隷」
「うん……」
これから奴隷を買いに行く、からだ。




