12話:魔王との戦い*6
その日は宣言通り、ラオクレスに運ばれた。
いや、でも、ちょっとずるいんだよ。多分ラオクレス、7時45分ぐらいに来てた。それで、僕が全体の下塗りのバランスを見るために、ちょっとキャンバスから離れたら、その瞬間にひょい、と担ぎ上げて、7時55分ぐらいには僕を運んでしまった!
「あの、ちょっとずるいと思う」
「寝ろ」
「もうちょっと下塗りの検討をしたいんだけれど」
「寝ろ」
鉄壁のラオクレスだ。駄目だ。びくともしない……。
「ね、寝ない。寝ないことにする」
でも、毎回毎回こうして寝かしつけられてしまうのはなんだかちょっとその、ちょっと腹立たしいというか、自分が情けないというか。だからちょっと、そう言って、ベッドから出ようとしてみたら……。
「こいつを見ても同じことが言えるか?」
ラオクレスがそう言って、ドアの方へ行って、戻ってくると……。
「とうごー!」
にこにこ顔のレネが居た。
何が起きているのかよく分からないまま、ぽかんとしていたら、ラオクレスはにやりと笑って、レネを持ち上げた。
「これを……こうする」
「こーすう!」
「うわ」
レネは大人しくラオクレスに持ち上げられて、そしてそのまま、僕の隣に突っ込まれた。レネは終始にこにこだ。
……こうして、レネは僕の隣にすっぽりと収まってしまった。
「ふりゃー」
「あ、うん。それはよかった……」
レネがあんまり嬉しそうなので、僕はすっかり勢いを殺がれてしまったというか……ベッドから出る気力が消えてしまったというか……。いや、でも、ここで折れると僕、一生ラオクレスに寝かしつけられる人になってしまうのでは……?
「あ、あの、これ、レネはいいの?」
「許可は得ている。レネが『何かトウゴのためにできることはありませんか?』と聞いてきたので、この任務を頼んだ」
レネはにこにこしながら僕を見つめて、張り切った顔をしている。僕のために頑張ってくれている顔だ……。
……うん。
諦めた!おやすみなさい!
ラオクレスの策略によって寝かしつけられてしまった僕は、翌朝、もう一度改めて下塗りを検討して、それから少しずつ、影を描き足していく。
……迷ったけれど、光の向きは真正面から。つまり、逆光、っていう形になる。
その分、人の表現には気を遣わなきゃいけない。けれど、ダイナミックに光を表現できるから、これから明るくふりゃーになっていく世界を描くにはぴったりだ。
「魔法画だけれど水彩っぽい描き方、するのね」
「うん。影が滲みとかで柔らかいかんじになるから、影が多い画面でも変化が出て丁度いいと思って」
「いいんじゃない。あんたの水彩画、透明感があるっていうか、透き通って柔らかくって、好きよ」
今回、僕は水彩っぽい描き方をしている。つまり、魔法画用の絵の具を薄く薄く塗り重ねていって、そこで滲みやぼかしなんかを入れながら色に深みを出していく、というか。
油彩っぽいどっしりした描き方もいいけれど、水彩のあっさりさっぱりした描き方だと、夜明けの表現に良いんじゃないかと思った。やっぱり、朝とか夜明けとかって、夜よりは軽いというか、重くないイメージだから。
無心になってひたすら描いていると、いつのまにか時計の短い針が一周している。夜の国には見てすぐに分かる時間の経過が無いから、時計を見ない限りはどれぐらい時間が経ったのか分からないし、何なら、それが6時間なのか12時間なのかもよく分からない。
僕は時々、今が何時なのか分からなくなって、時々ライラに引きずられて食事を摂りに行って、時々ラオクレスにつまみ上げられて運ばれて……そして時々、レネが「とうごー」とぱたぱた駆けてきて、何かな、と思っていたらぐいぐい引っ張られて、連れていかれて、そしてそのまま寝かしつけられた。
ああ、遂にレネまで……。
「……レネを使うのはずるいと思うんだよ」
「あらそう?でもしょうがないじゃない。あんた、レネににこにこしながら連れていかれたら抵抗できずに寝るんだからさ」
ライラはけらけら笑ってそう言うけれど、いや、でも、しょうがないだろ。レネにあの顔で連れていかれて、いそいそとベッドに引き込まれたら、寝ない訳にはいかない……。そして、レネは僕を寝かしつけることを自分の任務だと思って頑張っているようなので、その、無碍にはできない……。
「ま、いいじゃない。寝た方が絶対にいいって。そう思わない?」
「うーん……時と場合による」
寝ずにずっとぶっ通しで描き続けたい気持ちはある。集中の続く限りずっと、描いていたい。けれど……うん。確かに、一度眠ると、集中とかが途切れてしまう代わりに、体の元気が戻る、のかな。うーん……必ずしも肉体の元気を優先させた方がいいという訳ではないと思うけれど、まあ、一定の効果はある、と思う。
「でもいい出来じゃない?ね」
「……うん」
そして、ライラが嬉しそうに、キャンバスを見つめている。
……キャンバスの中には、もうほとんど、絵が出来上がっている。
夜明けの空を見つめて、色んな姿形の人達が笑いあっている絵。
ピンクがかった夜明けの空のグラデーション。夜明けの光に薄れていく星。光に照らされる人達の表情。遠くにぼんやり輝いて霞む景色。
そして何より、夜の国には今までほとんど無かった、色の濃い影と強い光のコントラスト。
……こうしたものが出来上がっていて、後は、仕上げに少し筆を加えるだけだ。
「……いよいよね」
「手伝ってくれて助かった」
「私はほとんど何もしてないけどね」
ここまで描き上げてみると、達成感が強いし、あと、感謝の気持ちも大きい。
フェイもラオクレスもレネもタルクさんも、竜王様だって僕を気にして色々と世話をしてくれたのだけれど、ライラについては絵を描く仲間だから、そういう面で結構手伝ってもらった。
丁度いい色が見つからなかったら絵の具にできそうな色のものを探してきてくれたり。宝石を砕いたものを、更に水で分離させて、細かい極上の絵の具にしてくれたり。
……いつもよりも休憩が多くてスローペースな描画だったのだけれど、その間、ライラは随分と色々やってくれた。それで大変に助かったので、ライラには頭が上がらない。
「完成させるのは晩御飯の後ってことでいいわよね?」
「うん」
完成する時には呼べ、と、ラオクレスに言われてる。僕が魔力切れで倒れるだろうから、っていうことらしい。あと、フェイにも呼ぶように言われているので、折角だからレネと竜王様も呼んでおこうと思う。何かあった時にもこれで安心。
食事の席で、『もうすぐ完成します』と報告したら、竜王様が目を瞠って何か言うと、席を立ってそっと、僕の手を優しく握ってくれた。
それから『貴殿の絵の完成を、この数日間、ずっと待ち望んでいた。期待している。』と書かれた文字を見せてくれた。緊張する。上手くいけばいいけれど……。
「じゃあ、トウゴがぶっ倒れてもいいように全員で囲んでおかねえとなあ……」
「鳥さん置いときましょ。鳥さん。そうすれば倒れた時にもクッションになってもらえるでしょ」
ライラが呼ぶと、一丁前に晩御飯のパンを啄んでいた鳥が、『呼んだ?』みたいな顔をした。呼んだけど別にいいよ、パン食べてて。
「……緊張しているか」
「少し」
ラオクレスに聞かれて、正直に答える。
上手くいくか分からないし、上手く絵が現実に反映できたとして、僕の魔力切れが何か月になるのかも分からない。だからちょっと、緊張している。
「……ちなみに、楽しかったか」
けれど、こっちの質問には……笑顔で、即答できる!
「楽しかった!」
そうしていよいよ、最後の一筆を描き加える。
場所は城の屋上。東の空に臨む、この国で一番高い場所。そこで僕は、絵の中のレネの服の裾の模様を描き込んでいく。
皆が見守っている中での一筆だから、ものすごく変な緊張の仕方をした。けれど、無事、手元が狂うこともなく、模様を細かく描き込むことができて……。
……すると。
ふるん、と、絵が震えた。
ふるふる、と絵が震える。それと同時に、絵がどんどん、滲んで広がっていく。
キャンバスの外へ。外へ。……空へ。
広がった絵は、段々空気に溶けて、透けて、空にオーロラみたいに広がって……そして。
「あ」
東の空に、きらり、と、光が差す。
光が一筋、僕らへ届いた。黄金色の……朝の、光だ。
しんと静まり返った夜の国の空の端に生まれた光は、じわり、と、まるで水彩絵の具を滲ませたように夜空へ滲んでいって、滲んで、滲んで……一気に広がった!
ばっと一気に色が広がる。それはまるで、炎が燃えるみたいに。だってその色は、確かな光の色だから。
空は、明るい淡い黄色からピンクを通って淡い紫、そして夜明けの藍色へと続くグラデーション。
差し込む光は黄金色。城の壁が、城下の家屋の屋根が、石畳が、どんどん黄金色に染め上げられて、濃い影と強い光の激しいコントラストを生んだ。
……この頃にはもう、静寂はどこにも無かった。
城のあちこちで、そして城下で、何事か、と人々がざわめきながら外へ出てきて、東の空を見つめる。
彼らは東の空を見て、そこに滲んだ朝焼けの色を見て、そこに強く光る太陽を見て……わっ、と、歓声を上げた。
……その彼らを見て、僕は、自分が成功したことを実感する。
だって、彼らの表情は、僕が絵に描いたような……笑顔だったから。
「……綺麗だ」
長らくこの世界に存在していなかったはずの朝焼けが、皆の顔を照らす。
それがたまらなく嬉しくて、嬉しくて……ああ、綺麗だなあ、と、ただ、そう思った。
「トウゴー!やったなあ、おい!」
「すごい!すごいわ!勇者の剣も魔王も何も関係なくやっちゃうところがあんたらしいわよね!」
フェイに肩を組まれて、ライラに小突かれて……そして、僕の手が、きゅ、と、握られる。
「……とうご」
レネが、じっと僕を見つめていた。
その星空色の瞳は涙に潤んで、それが朝陽に煌めいて、いつもより更に綺麗に見えた。
「りり、てぃあーめ。ばうあ、いーな、あるま、じぇーすた……きれい」
きれい、と、伝えてくれたレネの瞳から、遂に涙が零れ始める。
そして感極まった様子のレネが、僕に、きゅう、と抱き着いてきた。
「とうご!せきゃー!」
そして、抱き着いたまま、レネはぴょこぴょこ跳ね始めた。
……頬を伝う涙よりも、その笑顔が一番、輝いていた。
「ところで魔力切れは大丈夫なのか」
レネがぴょこぴょこして僕がガクガク揺さぶられることになっている中、ラオクレスが横からそう聞いてきた。
ちなみに、僕の後ろでは鳥が待機している。『まだ?まだ?』みたいな顔してる。そんな、魔力切れを期待されても……。
「うん、なんか、今は大丈夫みたいだけれど……」
「……数分後に一気に来るやつか」
「かもしれない……」
何せ、そういう経験は結構あるので……。
最近の僕は、魔力切れになる時は大体いつも、何か描いて、実体化して、それを確認して、あれこれやって……それから魔力切れになっている。
「わにゃ?とうご、あう、おーりゃ?」
僕らの微妙な顔を見てか、レネが心配そうに僕を覗き込んでくる。ああ、大丈夫だよ。ただちょっと、ええと、数日から数か月、寝込むだけなので……。
……まあ、魔力切れは、さておき。
「よかった。成功して」
僕らも改めて、東の空を眺める。
朝焼けのグラデーションが空に滲んで、明るくて、明るくて……なんだかすごく、いい具合だ。
「未来、か。……うん。そういう眺めだよなあ」
「うん」
夜の国の未来、なんて、僕が描くのは烏滸がましかったかもしれないけれど、でも……こうして、皆が喜んでくれているんだから、よかったなあ、と、思う。
これで、夜の国も……。
……そんな時、だった。
「まおーん……」
空から、そんな、重低音。
いや、重低音の割にちょっと情けないかんじの、ちょっと気の抜ける音が、空から聞こえた。
……うん。
あの、今の、何?




