9話:魔王との戦い*3
それから数日。
僕らは色々と試してみた。
仕込んでおいた膠液を使ってみたり。
レネが嬉々として持ってきてくれた、めぉーんの骨なるものから膠みたいなものを作ってみたり。
一度昼の国に戻って松脂を採ってきて、それで粘り気の強いゴム状の目止め材を作ってみたり。
夜の国にあった漆みたいなものにごく細かい木くずを混ぜてみたり。
油を塗ってみたり。その油を乳化させてみたり。胡粉をはたいてみたり。色々。
……色々とやってみたのだけれど、それらを試していく内に、『煮詰めた月の光の蜜とめぉーんの膠もどきを合わせた下地材を塗る』のが一番良さそうだね、ということに落ち着いた。なんというか、それだと、塗られている魔王がおとなしい。ぶるぶるしないから塗装が剥げない。それに、蜜と膠でできた下地材は程よく伸縮性があって、魔王が多少動いても伸び縮みしてフィットしていてくれる。剥がれない。それでいて描き味は滑らか。素晴らしい!
……要は、ちょっと変わった質感のゼラチンの面に色を乗せていくわけだからそれ、できるのだろうか、と心配になったのだけれど、でも、大丈夫そうだった。
光の筆はそこのところ、融通が利く、というか……光の筆で乗せた絵の具って、光でできているような具合で、定着するのに問題は無い、というか……。うーん、不思議な感触だ。油彩でも水彩でもないかんじ……。
「よし……じゃあ早速、塗っていきましょうか」
そうして僕らは青空の木の下、魔王の端っこを見上げながら意気込んでいた。
「れーしゅ、とうご」
「うん。頑張るね」
また僕らはレネ達に見送られて、地上を飛び立つ。
「この辺りは明るいな」
「周りだけずっと暗くて、ちょっとへんなかんじするよなあ……」
青空の木の周りは、青空が広がっている。特に、青空の木には小さな太陽が実っていて、それが青空を広げている、ように見える。この光景は、誰が見ても息を呑む美しさだと思うよ。
「ってことは……お!ここに魔王の端っこ、あるぜ!」
「ほんとだ」
僕らは青空の木の近くの空の、青空と夜空の境目らへん……地上から見ているとよく分からなかったけれど、上空で見ると『なんかちょっと境目がある』ってなる何かを発見して、そこをつつくと……ふに。よし。確かに魔王だ!
「じゃあ、範囲はこのあたりっていうことで」
「いいんじゃない?このくらいならなんとかなるでしょうし……この範囲が青空になるだけでも、大分違うでしょうし」
それから、マーキング。マスキングテープみたいな、薄い紙でできたテープに下地材をちょっとつけて、それを魔王にぺたぺた貼っていって、一区画分、区切る。魔王の端っこから少しの範囲が区切られた。よし。
「よーし、塗っちゃうわよ」
「僕も塗っちゃう」
ライラと僕は、たっぷりと下地材を含ませた大きな刷毛を手にして……魔王に、塗る。
ぺた、と下地材が塗られていくと、魔王は最初、少しだけ、ふるんと震えた。けれどそれだけだ。ライラは急いで、下地材を塗り広げていく。それはどんどん進んでいって、そのうち、マーキングした分全てに塗り広げられていくだろう。
「気を付けてやれ」
「うん。分かってるよ」
ラオクレスの言葉を聞きながら、どんどん下地材を塗っていく。光沢があって、とろりとして、そして月の蜜の影響でちょっと光る下地材。これを魔王に塗っていく。ムラにならないように、縦に塗ったら横に塗って……。
「よし。とりあえず塗り終わったわね」
「半日かかったね……」
そうして僕らは無事、魔王に下地材を塗った。……まあ、一部分、なんだけれど……。
「やっぱりこの後に着彩することを考えても、漆喰よりは膠が主成分の下地材の方が良さそうだ」
「そうね。……漆喰の上に絵を描くってなると、筆でやってたら筆の消耗が早いし……光の筆だとそういうの、ないのか」
僕らは話しつつ、とりあえずはこれで休憩。あとは、膠が乾いてからだ。
そうして翌日。
僕らはまた、青空の木の下に集まって、今日こそ、魔王を本格的に着彩していく。
「じゃあ、私は下地、作っておくから」
「うん。よろしく」
今日は分業。ライラは別の区画に下地を塗っていって、僕は昨日の下地が乾いたところに着彩していく。
光の筆にたっぷりと空色を含ませて……ぺた。
「……嬉しそうだな」
「うん。すごく塗りやすい」
すっ、と筆が動く。絵の具が伸びる。すばらしい感覚だ!やっぱり漆喰よりもこっちの方が描きやすいのは描きやすいし、そして何より、魔王の肌に直に描くよりずっとずっといい!
僕は夢中になって、魔王をひたすら空色に染め上げていった。
……そうして。
「できた!」
無事、マーキングした範囲内を全て、空色に染め上げることに成功した!
「おお!やったな!」
「圧巻だな」
そこそこの範囲が空色になったので、なんというか、下から見上げるとちょっと不思議な眺めだ。達成感もある。
……けれど。
「……ん?これ、魔王が空色になっただけ、だなあ」
うん。
何故だか……色を塗ったのに、魔王は青空になってくれなかった。
部分的に青空色になった魔王が、ふるん、と震えた。ぶるぶる、と空が波打つ。
……どうやら、これじゃ駄目、らしい。
「穴が開くかと思ったんだけれどな……」
「あー、空色の範囲、円いもんな」
魔王を塗るにあたって、空色の範囲は魔王の端っこから繋がるように、円くとってある。縁が虫食いになった葉っぱみたいなかんじ、だろうか。
だから……その範囲が空になってくれればな、と思っていたのだけれど……どうやらそうは上手くいかないらしい。
「物体に直接絵を描くってのはやっぱ駄目なのか?」
「いや、門を作った時は、門の位置に風景画を直接描いたから……」
あの時と、理屈は一緒なんだよ。森の門を作った時には、門の中に布を張って、そこに直接絵を描いた。それで上手くいったんだから、ものに直接描く、っていうのは、魔法の発動を妨げる要素にならない、と、思うのだけれど……。
「じゃあ、塗る範囲かしら……」
「うーん……」
……とりあえず。
僕、座礁した気分だ……。
「どうしたらいいんだろう……」
「さあなあ……おーい、トウゴー、そんなに落ち込むなよー」
その日の夜。僕らは夜の国のお城の客間で、ぐったりしていた。僕はソファにうつ伏せ。ライラはベッドで仰向け。フェイは椅子にぐったり。ラオクレスはドアに寄りかかり。鳥は床の上で重力に負けた大福餅。そんなかんじ……。
「はあ……結構疲れた割に、成果は無いものね。トウゴの気持ち、分かるわ。悔しいけど」
ライラもぐったり。僕もぐったり。……いや、案外疲れるんだよ。ひたすら天井を見て下地材や絵の具を塗りつけていく作業って。天井に壁画を描いていた昔の画家の皆さんの苦労が伺い知れる。本当にお疲れ様でした……。
「……あーあ。結構頑張った割に何も起きない、ってのは、結構、クるわよね」
「ごめん……」
ライラがぐったりげっそり、やさぐれ気味なのを見て、申し訳なくなる。手伝ってもらったのにこのザマだ。本当に申し訳なくてしょうがない。
「いや、あんたを責めてるわけじゃなくて……いや、今のはそういう言い方になっちゃってたわよね。ごめん」
けれどライラはすぐに起き上がってそう言って……それから、深々とため息を吐いた。
「……まあ、元気出しましょ。何か見落としてることがあるんだろうしさ。あんまり私達に元気がないと……ほら」
ライラがそう言う傍ら、こんこん、と、控えめにドアがノックされた。
「レネが心配するでしょ」
ラオクレスがそっとドアを開けると、その隙間から、心配そうな顔のレネがひょっこり出てきた。
『ごめんね。あんなに意気込んでいたのにこんな結果で。』
『いいんです。トウゴは悪くありません。悪いのは空になってくれない魔王です!』
レネはどうやら、僕らを励ましに来てくれたらしい。スケッチブックに力強く文字を書いて見せてくれる。
『とりあえず、このまま魔王を全面空色にしてみようと思います。そうしたら、今度こそ、空を戻すことができるかもしれないから。』
他に言えることもなくて、ただ、そういうことを書いて、僕はレネに見せる。
レネは笑顔で居てくれているけれど……うう、心配をかけている、よなあ。これ。
『竜王様は大丈夫か?議会を動かしてもらっておいて、俺達はこのザマだ。竜王様が悪く言われたり、してねえか?』
それからフェイの心配も、分かる。
夜の国の人達にとっても、『魔王に着彩する』っていうのは、すごく大きな決断だったはずで……それだけ大きな決断をさせておいて成果が出せない、っていうのは……只々、申し訳ない……。
『大丈夫です。竜王様はしっかりしたドラゴンです。だから大丈夫です。』
レネは慌ててそう書いてくれるけれど……僕らがこのまま成功しなかったら、竜王様の立場って、悪くなるんじゃ……。
『こちらの心配はしないでください。大丈夫。失敗しても誰も責めません。元々、魔王をどうにかできるかどうかなんて、分からなかったし、トウゴ達を責めるのは間違いです。』
更にそう書いて見せてくれるレネに、やっぱり申し訳なく思いつつ……そんなレネの後ろから現れたタルクさんが、ちょい、ちょい、とレネをつついて、何かを言う。
するとレネは思いだしたように慌ててスケッチブックに文字を書いて、見せてくれた。
『すっかり忘れていました。そろそろご飯なので呼びに来ました。たくさん食べて、ゆっくり休んでください。』
それから僕らは夕食をご馳走になって、そして、また泊めてもらうことになった、のだけれど……。
「……どうすっかねえ」
「ひとまず、全面、魔王を塗ってみるか?」
「けれどそれって、途方もない面積よね?現実的なのかしら……。1年で塗り終わる?その前に私達の世界の方でこっちの世界の封印が始まらない?」
僕らは落ち込んでいる。
とても、落ち込んでいる。
レネが『元気出してね』と言ってくれたとしても、僕らは落ち込んでいる!
「どうすっかなあ……やっぱ、このまま魔王を塗ってくかぁ?」
「うん……それしかないような気がする……」
これから、あの広大な面積の、更にその10倍や20倍じゃきかない面積を塗って……。うう、考えただけで大分げんなりしてきてしまう。
「……珍しいな」
そんな中、少し疲れ気味のラオクレスが、そんなことを言う。
「筆を持っているお前が、楽しくなさそうな顔をしているのは、初めて見た」
「……え」
なんだか唐突に、でもすごく大事なことを言われたような気がして、咄嗟に頭が回らない。
「楽しくないだろう?」
「え……あ、うん……そう、だね。楽しい、っていう感覚よりは、疲れた、っていう感覚の方が、大きい、のかな、これは」
自分で自分のことがよく分からないのだけれど、確かに、そうだ。僕、筆を握っているのに、楽しくない。
なんでだろうなあ、と自分で分析してみると……多分、あれだ。
「なんというか、絵を描いている、っていうよりは、作業に近い、っていうか……変化が無いからかな。或いは単純に、天井に色を塗るのが大変だから……うーん……?」
駄目だ、分析している途中で分からなくなってきてしまった。
魔王に色を塗って、空にする。それ自体はすごく楽しいのに、どうして今、こんなに楽しくないんだろう。先が見えないから?疲れたから?単調だから?
「……なんていうかさ」
そんな中、ライラが、ちょっと気まずげに、言った。
「提案しておいて私が言うのもなんだけど……」
うん。
「これって、絵じゃ、ない、わよね」
……うん?
「塗装、じゃない。これ」




