8話:魔王との戦い*2
「困ったな……」
僕らは一度、地上へ引き返して、そこで作戦会議をすることにした。
「えーと、なんだ、その、魔王は滅茶苦茶塗りにくいって?」
「うん……」
「しかも絵の具が色褪せちゃうのよね。……あー、成程。確かに、あんたが塗ったところ、灰色だわ」
見上げた空の一部分は、見事、灰色だ。夜空にぽっかりと灰色の部分が浮かんでいて、ちょっと変なかんじがする。
「魔王、というのは流石だな。魔の王に相応しい手強さだ」
「うん……手強かった。すごく描画に不向きな画材だった……」
「……そういう言い方してやるなよぉ。なんか、気ィ抜けちまうだろーが」
いや、そう言われても、魔王は画材。広大なキャンバス。そしてものすごく描きにくいキャンバス……。
「……まあ、ちょっと色々考えてみましょうよ。なんとかする方法、きっとあるわよ」
うん……。
……僕らの後ろの方で、レネと竜王様と他の人達が、心配そうに僕らを見ている。
彼らの為にも、こんなところで終わりになってしまう訳にはいかない。
「まず、魔王のすげえところだな。えーと……絵の具を吸い込む」
「うん」
魔王のすごいところは、絵の具を吸い込んでしまうところだ。
……ものすごく吸水性が良い素材、というか。要は、絵の具を乗せても、絵の具が伸びない。だから狭い面積しか塗れなくて、時間が掛かる。
「それから、絵の具が色褪せる」
「うん」
そして、魔王に塗った絵の具は、どんどん色味を失っていって……灰色になってしまう。さながら、青ドラゴンが紺ドラゴンになってしまったこの世界みたいに。
「……まあ、魔王が絵の具の光を吸ったというのなら、この世界を間接的に救うことにはなっていそうだがな」
「延命じゃあ意味がないんだ。根本から解決しなきゃいけないから……」
だからなんとしても、魔王を青空にしなきゃいけない。うーん……どうすればいいだろうか。
「なー、トウゴ。その筆、もっとでっかくならねえの?」
最初に、フェイがそう言い始める。
「もっとでかい筆なら、一気に広範囲が塗れるだろ?なら、色褪せちまう前に全部塗り終えられるんじゃねえかな、って」
成程。巨大なキャンバスに小さな筆でちまちまやっていても非効率か。
……今の状態でも光の筆は十分大きいのだけれど、でも、更に大きくないと、とてもじゃないけれど全然間に合わないから……。
「あまり筆を大きくしても、トウゴに持てなくなる可能性がある」
僕が『もっとでかい筆』を想像していたら、途中でラオクレスがそう、言い始めた。……確かになあ。僕、そんなに力がある方じゃない。あんまりにも大きな筆だと、僕が振り回されてしまいそうだし、僕を支えるラオクレスとアリコーンも大変そうだ。うん。ちょっと無茶かもしれない。
「そっかー……じゃあ、もっと広範囲に一気に塗れるような道具って、ねえの?」
だから、筆以外のもの、ということで考えることにして……。
「……エアブラシ?」
「なんだ、そのえあぶらしというのは」
「ええと、スプレー……絵の具を霧状に吹き出して、それを吹き付けるんだ。そうすると一気にムラなく広範囲が塗れる」
エアブラシの簡単な説明をしながら、僕自身、これでいいのかな、と不安になる。なんと言っても僕、エアブラシなんて実際に使ったこと、無いし。
「じゃあ、勇者の剣がその、えあぶらしってのになりゃあいいんだろ?やってみろやってみろ」
「……うーん」
……けれど、勇者の剣って、その、形をそんなに簡単に変えられるんだろうか?
『エアブラシ、エアブラシ……』とと思いながら勇者の剣もとい光の筆を握ってみたけれど、残念ながら、筆は筆のままだった。
「……難しいかぁ」
うん……。難しいみたいだ。
「まあ、道具については一考の余地アリ、だよな。もしかしたら別に勇者の筆じゃなくても魔王に色、付けられるかもしれねえし。その、えあぶらし?って奴を作ってみてもいいんだろうしさ」
そうか。なんだかずっと、魔王を倒すなら勇者の剣、という先入観があったけれど、別に、これだけで魔王と戦わなくてもいいのかもしれない。よし。次は光の筆以外でも色を塗ってみよう。
「それから、色褪せてしまう、という話だったが……それならば、色褪せることを前提に、色鮮やかすぎる程度の絵の具を使う、というのは駄目か」
「うーん……調色が難しいかもしれない。あとは、そもそもそこまで彩度の高い絵の具が手に入るかな、って」
何せ、この世界には合成色素の類がほとんど無い。だから、使える色は、自然にあるような色に限られてしまう。
僕が青の絵の具を入手する時に苦労したのと大体同じ理屈だ。自然界に無いから、絵の具も無い。色鮮やかな絵の具……シアンブルーの絵の具なんかがあればいいのだけれど、それを作り出すのって、中々難しい、と、思う。
「成程な。だが、そうなるといよいよ、速度が必要になってくる。この広大な面積を、最初に塗った絵の具が色褪せる前に全て塗り切る、ということは不可能だろう」
「うん……」
そう、なんだよなあ。どうしたらいいんだろう。
せめて、絵の具がもっと伸びればいいんだよな。そうすれば、もっとすごい速さで色を塗っていくこともできるのだけれど……。
やっぱり、エアブラシを導入する?でも、それもなんかなあ……。
……そんな時だった。
「目止めしちゃえばいいんじゃない?」
ライラが、そう言ってくれた。
「……めどめ?なんだそりゃ」
フェイには聞き慣れない言葉だったらしくて、フェイは首を傾げている。その隣で鳥も首を傾げている。多分鳥は分かってる分かってないじゃなくて、とりあえずフェイの真似をしているんだと思うよ。
「目止め、っていうのはね。まあ、なんというか……下地を作っちゃう、というか。吸水性の高い素材に樹脂とかを塗っちゃえば、絵の具が無駄に染み込むこともないでしょ?」
「素焼きの壺に釉薬をかけちまえば水を吸い込まなくなる、っていうのと一緒か?」
「まあ、大体は一緒ってことでいいと思うわ」
ライラが説明すると、フェイは納得がいったように頷いた。ラオクレスはちょっと疑問が残っていたみたいなので、おやつにチョコレート掛けのカステラを出す。
「ほら。こうするとカステラに水が染み込まない」
「ああ……成程な」
実物を見たら、ラオクレスもなんとなく分かったらしい。更にカステラをつまみながら、成程、と頷いている。
「だから、魔王にもそういうの、塗っちゃえばいいと思うのよね」
「うん……そうか」
確かに僕、ちょっとよくないことをしていた。下地も無いのに絵の具を乗せようとしている。これはよくない。
キャンバスは材質によって全然描き味が違う。コピー用紙と水彩画用紙が同じ描き味なはずはない。油彩にしても、牛皮のキャンバスと帆布のキャンバスだと描き味が違うらしいし……そういうの、他にも幾らでも挙げられる。
「じゃあ、魔王の描き味を良くするものを塗布するとして……それなら、時間が多少かかっても大丈夫かな」
「そうね。実際に色を塗るのはその後なんだし、多分、大丈夫なんじゃない?」
成程。それは素晴らしい!……となると、ええと。
「何を塗ればいいんだろうか」
「漆喰とかどう?駄目?」
ああ、つまり、フレスコ画。成程。フレスコ画は時間経過と共に漆喰が結晶化して、中に染み込んだ色がより深く鮮やかに見えるようになるから、確かに魔王向きの描き方になる、のかな?
「それだと、一区画ずつ区切って描く、ことになる、のかな」
「そうね。漆喰が乾く前に色を付けなきゃいけないから、どっちみち、急ぐ作業になるわね。だったら膠とかの方がいいかしら……うーん」
うん。フレスコ画の欠点は、その、時間制限がある、っていうところだ。
フレスコ画は漆喰の上に顔料を乗せて描いていくやり方だけれど、漆喰が完全に乾いてしまう前に着彩しなければならない。だから、壁画とか、巨大な面積をフレスコ画で埋めるような時は、区画ごとに区切って、ちょっとずつ描き進めていった、らしい。
まあ、つまり、それぐらい時間にシビアな描き方、なんだけれど……興味はあるので、一度どこかでやってみたくはある。光の筆無関係の時でよければ、魔法画で一気に仕上げられるから、フレスコ画、良いと思う。うん。良いと思うよ、フレスコ画……。フレスコ画……。
「……まあ、膠だと、膠液を作るまでに数時間かかって、それを塗って目止めしてから乾くまでに2日くらいかかっちゃうから……じゃあ、とりあえず漆喰でやってみる?お試しってことで」
「うん!」
ということで、僕らは早速、準備に取り掛かる!やった!フレスコ画!フレスコ画!
まずは、膠液を仕込んでおく。
水に膠を放り込んで、後は放っておく。明日の朝になったら煮溶かして使う予定。
これで膠の方はいいってことで……次は漆喰。こっちは膠液とは違って描いて出せる自信がそこそこあったから、描いて出した。速くて便利。
「よし。じゃあ硬さはこんなもんかな……」
ライラが漆喰を練り上げて、良い具合にしてくれた。お世話になります。
「じゃあ、目止めは私が手伝ってあげる。私がひたすら漆喰を塗っていって、あんたが着彩すればいいじゃない?要は、あんたが色を塗るのと同じ速度で私が漆喰を塗っていけばいいのよね?」
「いいの?」
「そのための私でしょ」
すごくありがたい。僕1人じゃ塗り終わらないものでも、アシスタントさんが居れば塗り終わりそうだ!
ものは試し、ということで、早速、やってみることにした。
とりあえず試し、っていうことで、漆喰も少しだけ。……とはいっても大きめのタライ1個分ぐらいはあるけれどさ。
「塗るの、どれくらいにする?ちょこっとにしとく?」
「とりあえず地上から視認できるぐらいの面積でいいんじゃないかな」
面積も少しだけにする。とりあえず、やってみるだけだから。
僕らはまた、空を飛ぶ。どんどん高度を上げていくと、さっきと同じくらいの高さで、ふに、と魔王にぶつかった。ふにふに。柔らかい。よし。魔王だ。
「ええと……じゃあ、いくわよ」
そしていよいよ、ライラが漆喰とコテを手に、魔王へ近づいて……。
魔王に、漆喰がつく。ぺたり、と。
そして、漆喰がコテでさっと塗り広げられて……。
「……どう?」
「いいかんじよ。あ、なんだろ。魔王って手触りいいのね。麻のキャンバス地よりも細かいかんじ。うーん、それこそ、漆喰壁とかに近いのかしら。でもふにふにしてんのよね……。うん。まあ、漆喰の食いつきもよさそうだし、いいんだけどさ……」
ライラの感想を聞きつつ、そういうかんじそういうかんじ、と嬉しくなる。そうなんだ。魔王って、漆喰壁に近いテクスチャを持っているふにふになんだよ。すごく色が塗りにくい!
「……ま、とりあえず、半乾きのところに着彩、始めて。乾き切ったら駄目なんだからね」
「うん。分かった。やってみる」
ライラと鳥が退いたところに僕が割り込んで、ちょっと魔王の表面を確認。
……最初にライラが漆喰を塗った辺りは、もういい具合だ。湿っているけれど、水が滲んだりはしていない。
僕はそこに、色を塗る!
さっきよりずっと、やりやすかった。生乾きの漆喰の上に色を乗せていくと、少なくともさっきみたいなことにはならない。絵の具が吸い込まれていくような感覚は無くて、ちゃんと、色を塗れている。
「トウゴ!どう!?」
「いいかんじだ!漆喰じゃなくてもいいかもしれないけれど、とりあえず目止めするっていうのは成功だと思う!」
ライラの問いかけに応えて、また、絵の具を塗っていく。光の筆が撫でていった先が空色の光で明るく色づいていく。
よし!この調子でやっていけば、魔王全部に色を塗ることだってできるかもしれない!
そうして僕らは一度、地上に戻った。
理由は……漆喰が切れたからでも絵の具が切れたからでもなく……漆喰が、剥がれてしまったので。
「まあ、魔王がふるふる震えたら、石膏は剥がれちゃうわよね。うかつだったわ」
「生き物に塗るものって、難しいなあ……」
ちなみに、剥がれて落ちた漆喰は、フェイの火の精がちゃんと回収してくれたので、地上の被害は無い。そして、空色の光の絵の具で色が付いた生乾きの漆喰の板は、レネのお気に召したらしくて、「きれーい!」と言いながら板を眺めてにこにこしている。気に入ってくれたんなら何より……。
「ま、今回はあんまり上手くいかなかったけどよ、方針としては悪くねえんじゃねえか?」
「うん。とりあえず、漆喰に代わる目止め材を探して、それを塗ってから着彩していくっていう方針でいけばいいんじゃないかな。青空の木の方、魔王の端っこの方から始めてみて、それで魔王が縮むかどうかをやってみよう」
そして僕らも、失敗はしたものの、それなりに前向きだ。
とりあえず、色が吸い込まれてしまうことはなかったし、褪せてしまうことも無かった。漆喰の上の絵の具は、綺麗な空色のままだ。
つまり、ちゃんと目止めをしておけば、そこそこの時間、魔王が光を吸ってしまうまでの時間稼ぎができるはずで、その間に魔王を塗ってしまえればよし、ということで……。
よし!じゃあ早速、次の目止め材、探してみよう!とりあえず次は、膠液から!
色々試していったら、きっとうまくいくと思う!




