7話:魔王との戦い*1
「緊張するなあ……」
「……魔力切れが心配か?」
「まあ、それもあるけれど……上手くやれるだろうか」
やればなんとかなる気もするのだけれど、どうにも上手くいかないような気もする。不思議なかんじだ。
森の門を作った時も同じような感覚だった。上手くいくような、でも、上手くいく決め手が無いような、そんな。
「……まずはやってみろ、としか言えんな。勿論、お前が魔力切れで死ぬようなことにはなるな、とだけは言わせてもらうが」
「うん。ありがとう」
ラオクレスは優しい。『とりあえずやってみろ』だって。まるで、僕が言われて嬉しい言葉を全部知ってるみたいだ。
「そーそー。駄目ならまたなんか考えようぜ。な?」
「手伝えることがあったら言ってよね。あ、そうだ。明日は魔王に着彩するわけだけれど、お手伝いは要る?必要なら私も何かやるけれど。荷物持ちとかさ」
あー……うーん、そうだなあ。
まず、魔王に色を塗るには、筆が届くところまで行かなきゃいけない。だから僕、その……ラオクレスに、手伝って貰おうと、思ってた。
ラオクレスのアリコーンに2人乗りさせてもらうと、その、安定感がすごいんだ。アリコーンは滞空するのがすごく上手いし、ラオクレスは僕を支えておいてくれるのがすごく上手い。問題点は、ラオクレスタイマーが搭載されているから、ある程度の時間が経つと強制的に地上に下ろされてしまうところ。
……ただ、まあ、うん。ライラにも、お手伝いをお願いしたい、な。うん。
「ええと、パレットとか絵の具のセットとか、筆を洗う桶とかを、持っていてほしいんだけれど……」
「ええ。分かったわ。それくらいお安い御用よ。ただ、鳥さんを借りるけれど」
鳥が『何か用?』みたいな顔をして首を傾げている。そうだよ。用だよ。仕事だよ。
「よろしくね、鳥さん。あなた、私を攫ってきたくらいなんだからさ、荷物持ちの手伝い、してくれるでしょ?ね?」
ライラが話しかけると、鳥は分かっているのかいないのか、キョキョン、と鳴いて、また首を傾げる。けれど、ライラが鳥を撫で始めると(撫でても撫でても羽毛があるばかりで、本体に触れているかんじはないのだけれど)、鳥は気持ちよさそうに目を細めて、尻尾をぴょこぴょこ振り始めた。ご機嫌だ。
……撫でられた分は働いてくれるって、期待しよう。
そうして、昼食が終わって……いよいよ、魔王の着彩に入ることになった。
「じゃあ、行ってくるね」
僕はラオクレスと一緒にアリコーンに2人乗り。後ろからラオクレスに支えてもらいながら、空で絵を描く予定。
「とうご、れーしゅ……」
レネはなんだか不安そうに僕を見ている。大丈夫だよ、という思いを込めて笑いかけると、こくん、と小さく頷いてくれた。まだ心配そうな顔だけれど……それはこれから魔王に色を塗ることで、笑顔になってもらいたい。
「じゃ、何かあったら俺が助けるからな!」
「必要なものがあったら私に言ってね。絵の具も洗い桶も準備できてるから」
そして、フェイとライラも一緒に空へ行く。
ライラは荷物持ちを頼んでいるから、大きな鞄に絵の具を詰めて、予備のパレットなんかも持ってくれている。あと、筆を洗う桶も。
そしてフェイは……火の精に掴まって、空で待機、だ。
……万一、色を塗られた魔王が暴れたりした時に、僕を守るため、らしい。
それは危険じゃないか、って反対したのだけれど、そうしたら『ならトウゴの方がよっぽど危険だろうが!』と言われてしまったので、申し訳ないけれど護衛をお願いすることにした。
「じゃあ……出発!」
僕は勇者の剣……もとい勇者の筆を片手に、魔王へ向かった。
空は、只々暗い。
いっそ地上の方が明るくて、けれど、その地上だって、弱弱しい明りを灯しているだけだから、結局のところ、只々、暗い。
「なんだか寂しいかんじがする」
「……そうだな」
ラオクレスの同意も得られた。ラオクレスは暗い空を見上げながら、少し物憂げな表情だ。ラオクレスのそんな表情と暗い空とを見ていると、早く着彩しなくては、と、思う。
僕らはどんどん、空を上っていく。高く高く、空の上、魔王に届くまで。そうしてひたすら、高度を上げていくと……。
……ふに。
「ん?」
筆の先が、ふに、と、よく分からない感触にぶつかった。
「どうした」
「いや、なんか、ここ、ある」
「……魔王か?」
うーん……?よく分からない、のだけれど……とりあえず、もう一度、空を筆の先でつついてみる。
ふに。ふに。
……うん。
「魔王ってふにふにしてるんだ……」
「……そうか」
僕らは魔王まで、辿り着いた。
そして辿り着いた魔王は、ふにふにしていた……。
「いい手触りだなあ、おい」
フェイは魔王の手触りが気に入ったらしくて、ふにふにふにふに、ずっと魔王をつついている。ちょっと餅に似ている手触り。
「こ、これ、いいの?魔王なんでしょ?こんなにつついて……あ、やわらかーい」
ライラも恐る恐るつついて、魔王の手触りが気に入ったらしい。ふに、ふに、と、フェイよりは遠慮がちに、それでも十分遠慮なく、魔王をつついている。
「……む」
「あの、ラオクレス。なんで魔王と僕を交互につつくの?」
そしてラオクレスは、ふに、と魔王をつついてから、僕の顔をつつく。そしてまた魔王をつついて……もしかして僕のつつき心地と魔王のつつき心地を比較しているのか?そんなもの比較してどうするんだよ。『手触りが魔王と似ている』とか言われたとしても僕は困るよ。
「こんなにいい手触りだと、消しちまうの、ちょっくら惜しい気もするなあ……うおっ!?」
そして僕らが魔王をつついて堪能していると……ぶるん、と。
大きく、空が波打つ。それに僕らは驚いて、慌てて急降下。そのまま空もとい魔王の出方を窺って……。
……うん。波打っただけ、だね……。
「……びっくりさせんなよなあ」
フェイが心底びっくりした顔で、そっと、魔王の近くまで戻る。魔王はぶるん、と波打っただけで、特にそれ以上、何をしてくる訳でもないらしかった。
「ほ、本当にこれ、大丈夫なの?この空全部、魔王なんでしょ?こんなデカい奴、下手に刺激したら私達、潰されかねないんじゃ……」
「だが、ひとまずこれ以上動く気配は無い。ならば今の内に処理してしまった方がいいだろうな」
多分、魔王は僕らがあまりにつつくものだから、くすぐったくてお腹を震わせたんだろうな、と思う。……逆に言うと、これだけつついていてもそれくらいしか感じないんじゃないかな。これだけ大きいと、僕らの存在なんて、見えているかどうかすら怪しい。
「よし。じゃあトウゴ!今の内だ!やっちまえ!」
「うん」
……また動いたら嫌だなあ、と思いながら、僕は……空色の絵の具をライラから受け取って、それを光の筆に含ませる。
絵の具を含んだ筆の穂先が、ほわり、と空色に光る。よし。
「じゃあ……いきます」
僕は、おっかなびっくり、そっと、筆で魔王に色を乗せて……。
……ぺた。
筆が、魔王に色を付けた。
ぺた、ぺた、と筆を動かしていく。魔王はふるん、と震えたものの、特に何をするでもなく、どうなるでもない。
「……色が付いてるなあ」
「うん……」
これでいいのかなあ、と疑問に思いつつ、ぺたぺた、と、色を塗っていく。すると、ちょっとずつ、魔王が空色になっていく。
ええと……ただ、あの、ものすごく、魔王って吸水性に優れている、というか、すごくマットな質感というか……うわ、空色の絵の具が筆から無くなってしまった!信じがたい!
「どうした」
「筆から絵の具が切れた」
「……光の筆は絵の具を消費しない筆だったのではないか?」
ラオクレスが不思議そうにしているけれど、僕だって不思議に思ってる。
これ、多分……魔王が、光を、食べてるんだ。光の絵の具は、魔王の餌になってしまう、んだと思う。
それからも努力はした。ものすごく吸水性の高い魔王相手に、光の筆を使ってなんとか着彩していった。
……けれど、無くならないはずの絵の具はすぐに乾いてかすれて伸びなくなってしまって、少し塗ったらすぐにまた筆を絵の具に浸さなくてはいけなくなってしまう。
調色なんてしている暇もなくて、ただただひたすら筆の先をパレットと魔王の間で往復させる。
うう……こんなに絵の具が伸びないのって、初めてかもしれない。テンペラ画はやったことがないけれど、ぼかしたりしにくいからハッチングで色の濃淡やグラデーションを付ける、と美術の教科書に書いてあったから、こういうかんじ、なんだろうか。
……とにかく、やりづらい。只々、そういう感想になる。それなのに魔王は広大な面積だから……気が遠くなる、というか。
更に、事態は思っていた以上に、悪かった。
「おい、トウゴ。塗ったところが薄くなっているが」
「えっ」
ラオクレスに言われて、慌ててそっちを見てみると……鮮やかな空色で塗った箇所が、ブルーグレーになっていた。
……どうやら、魔王は、自分に塗られた絵の具の色を、褪せさせてしまう、らしい。