1話:描いた餅は餅になってしまうので
その日、僕は鉛筆デッサンをしていた。
油絵具が乾くまで、時間がかかる。特に冬場は、絵の具の乾きが遅い。だから油彩は時間が掛かるので、結局、合間合間で鉛筆デッサンや水彩なんかをやることになる。
絵を描く基本はデッサンだって聞いたことがある。だから、という訳ではないけれど、僕は鉛筆デッサンがそんなに嫌いじゃない。思う通りに描けないもどかしさや、表現がうまくいかない悔しさはあるけれど、枚数を重ねるごとにそれが段々減っていって、ただ単純に、描く楽しさになっていくのが楽しい。
……外は雨が降っていた。
冬の雨っていうのは、どうしてこうも寒いんだろう。でも、この寒さはそんなに嫌いじゃない。
なんとなく、少し寒いくらいが一番落ち着く。だから僕は、あまり暖房をつけない。
少し寒い部屋の中で、明かりはあんまり点けないで、かじかむ手を擦りながら、只々鉛筆を動かす。それがなんとなく、落ち着く。
……けれど、僕が冷えきった部屋に居るのを良しとしない人が、この家には居る。
「トーゴ。君、濡れたままじゃないだろうな。風邪を引くぜ」
「うん」
先生がタオルを片手にやってきた。多分、先生は玄関に僕の靴があるのに僕の傘が無いのを見て、僕が傘を差さずにここまで来たことを察したんだろう。うん。今日は傘を持っていなかったからしょうがない。
……そして先生の予想通り、僕は濡れたままだったということだ。
勿論、手は拭いた。そうじゃないと、デッサン中なのに紙が濡れて大変なことになるから。
ただ、髪はあんまり拭いていない。というか、拭いてもすぐには乾かないから、もう諦めている。
「……って、おいおい。この部屋の寒さは一体何だ?君、またエアコンつけてないのか」
「うん」
「つけてもいいぞ、と言っても君は暖房をつけないな。冷房はつけていたが……さては君、寒いのが好きか」
「うん」
僕が答えると、先生は楽しそうに笑った。
「それはいいが、髪は拭いた方がいい。本当に風邪を引くぞ。ほら、おいで」
先生は僕が近づいたところでタオルを僕の頭に被せて、わしわし、と拭く。あまり上手ではない。
「自分で拭けるよ」
「いや、もうちょっと。中々こういう機会は無いから経験しておきたい。……多分、大型犬とかを拭く時はこういう感覚なのだろうなあ」
そうかもしれないけれど、果たして、僕を拭く感覚とそれがどれぐらい似ているんだろうか。僕も知らないから何とも言えない。
けれど、とりあえず先生が満足するまでは、拭かれていることにした。
先生に拭かれて、僕はなんだか気が抜けてしまったので、休憩することにした。先生も休憩がてら来たらしいので、丁度いい。2人で休憩する。
先生が持ってきてくれたココアのカップを両手で抱えて、指先を温める。じわり、と指が溶けていくようなこの感覚が、僕は中々好きなんだ。
「ああ、雨、止みそうだ。弱まってきた」
先生はココアのカップ片手に窓の外を見てそう言った。
ちなみに先生はまだ当分はココアを飲まない。何故かというと、先生は猫舌だからだ。ついでに言うならば、僕も猫舌だ。だから2人して、折角のココアを熱い内に飲まない。でも、熱いココアが入ったカップはいいゆたんぽになるので、丁度いいとも思っている。
「どうやら君が帰るころには雨は上がっていそうだな。よかったよ。君は傘を貸されても困るだろうしなあ……」
「うん」
「ま、雨が上がるまではゆっくりしていけ」
「うん」
もう少しだけ雨が長く降っていることを期待しつつ、僕はカップに口を付ける。
……先生が先生のカップで断念していたんだから当然なのだけれど、まだちょっと、僕が飲むには熱すぎた。
だからまだもうしばらく、ココアのカップは僕の手のためのゆたんぽになる。
ココアのカップで温まりながら、僕は机の上を眺める。
机の上には、紙が何枚か。僕が絵を描いた紙もあるけれど、それ以上に、僕が『これから絵を描く』紙が多い。
授業のプリントが1枚余ったら貰ってきて絵を描く紙にしているし、白紙が手に入ったら喜んで持って帰って絵を描く紙にしている。だから両面刷りは僕の敵。
……けれど、机の上に並んでいる紙の中には、『片面刷りの癖に絵を描く紙にできない』やつがある。
「どうした、トーゴ……ああ、そういうことか」
きっと渋い顔をしていたんだろう僕を見て、それから机の上を覗き込んでいた先生は、プリントを取り上げて納得したように頷いた。
……先生が取り上げたのは、進路希望調査のプリントだ。
進路希望調査、と書かれたプリントを見て、先生は大体、僕の気持ちを察してくれたらしい。
「そうか。もうそんな季節か。文理選択は夏頃だったしな。どれどれ……ほう。法学部。成程な。中々上等な建前だ。いいぞ」
「うん」
先生は僕の『建前』を見て、苦笑した。
……これが僕の『建前』だと、言ってくれた。
こうして、僕の気持ちを見つけてくれる人がいる、というのは、嬉しいことだ。
多分僕は、こうやって先生に見つけてもらって、それでなんとか息をしている。
「ふむ……どうやらこれを書くのが辛いと見える。提出期限ギリギリだな」
「……うん」
僕は進路希望調査の類が、嫌いだ。嘘を吐くことになる。そしてその嘘が本心だって、また嘘を重ねなきゃいけない。
その度に、僕の中で僕の気持ちは埋まっていってしまうような気がする。
埋まっていく度に先生が見つけて掘り起こしてくれるけれど、それでも、多くの人達が、僕の心を埋めに来る。
それが、怖い。
「ふむ……僕は君より大分マシだが……僕も似たようなことはあるな」
先生はそう言って、カップを持ったまま、窓の近くの壁に寄り掛かる。
「僕も、紙の上で嘘を吐くことはままある。君も知っているとは思うが……」
うん。知っている。先生も先生で、吐きたくない嘘を吐いて、先生の気持ちを隠しておかなきゃいけないことがある。何なら僕よりもずっと辛いかもしれない。
「……例えば、毎年毎年、懲りもせずに贈られてくる素麺について『美味しくいただきました』なんて嘘を吐いているな。うん、実にままならんね」
ええと……うん。素麺は全部僕が美味しくいただいてる。
……そういう意味では『上空桐吾が』美味しくいただいているから、先生のそれはあながち嘘じゃないのかもしれないけれど。
「まあ、素麺はさておき、君はこの進路希望調査に何を書きたかったのか、自分でもよく分かっていないと見える」
……言葉に詰まる。
僕は自分の気持ちを振り返ってみるけれど、うまく形にできない。
絵を描くことは好きだ。けれど、それはうまく言葉にならない。
描きたい。ずっと描いていたい。けれど、それはそこ止まりで……その先にはきっと、何も無い。
何も無い。あっちゃいけない。そんな気がする。
何かあってほしい。でも、それは言ってはいけない気がする。
少なくとも僕は、『画家になりたい』とは、進路希望調査に書けない。きっと、僕が書きたいのはそれじゃなくて……。
……そんな僕を見て、先生は楽しそうに笑った。
「そうだな。君は絵を描くのが好きなようだ。僕から見ても、絵を描く君は実に楽しそうで中々いい」
「うん」
「だからできれば、君がやりたいことをできる生き方ができればいいと、そう思っている。無論、それが難しいことも、分かっているけれどね」
「……うん」
僕も分かっている。『難しい』理由は幾らでもある。そんなことは僕も知っている。だから余計に、僕は進路希望調査に何を書けばいいのか分からなくて、結局、『法学部』なんて書くことになっている。
僕に足りないものは何なんだろう。言葉なのか、度胸なのか。それすらよく分からない。
「けれどな、トーゴ。そもそも、そんな紙切れ一枚に自分の全てを託す必要はない」
けれど先生は、進路希望調査のプリントを机の上に置いた。
「ここに書いたものが君の全てということはないだろう」
「うん」
そこに書いてあるものは、僕の望むものじゃない。ここに書きたいものも、ここに書ききれないものも、きっと他に沢山ある。……まだ、よく見えていないし、形にならないけれど。形にしてはいけないような、そんな気も、するのだけれど。
「現実と折り合いをつけるにしても。未来がよく見えなくても。諦めなきゃいけないことがどこかにあるとしても。それでも、自分が何者なのかは、見失っちゃいけない」
先生は、特に僕を見るでもなく、言う。
「自分が何者なのか。それだけは、現実も何も全部放り出して、心の中に大事に隠し持っていても、いいんじゃないか」
「隠し持って……」
僕が少し反応したら、そこで先生はにやりと笑って僕を見た。
「そうだ。隠しておけ。君が大切に隠し持っている宝物を、それがちゃんと形になるより先に見つけ次第壊そうとする奴らには、それを隠しておくといい」
先生の言葉は、他の誰も言ってくれないものだ。
そしてきっと、僕が言われたいものだった。
「……うん」
「まあ……ままならんことばかりだな。ままならんことばかりだ。君はこの紙の上では嘘を吐かなきゃいけない。まだ言葉にならない思いも沢山あるだろうし、自分が何者になりたいのかも、言葉にならないんだろう」
「うん」
僕は嘘を吐きながら、本心を隠しておかなきゃいけない。出したら壊されてしまうものは、そっと隠しておかなきゃならない。
でもそれは、見ないふりをしろってことじゃなくて、しまい込んで忘れろってことでもない。
言葉にならないものだって、隠しておいていい。それで、僕の中でゆっくり温めて……鳥の卵みたいに、いつか孵る日を待っていい。
いつか。
「……まあ、いつか」
先生はいつの間にかココアを飲み干したカップを手の中で意味もなく揉みながら、僕を見て、へらりと笑った。
「いつか君が、君の本心を、言葉にできればいいな、と、思っているよ」
「……うん」
僕も、そう思ってる。
僕が、自分の本心を……ずっと隠して温めているものを、形にできる日が、くればいい。
「もし、君の気持ちが言葉になったら教えてくれ。僕は君がどういう言葉で自分を表現するのか、聞いてみたいから」
「……言葉にするの苦手だって知ってるくせに」
「ははは。そうだな。だが君も、僕が描く絵はド下手糞だと知っていて時々描かせるだろう。どっこいだ」
「うん」
どっこいだ。うん。どっこい。
僕も先生も、ままならないことだらけ、だ。
「そうだな。ということでいつか、聞かせてくれるかな?」
先生がにやりと笑うのを見て、僕は頷く。
「うん」
いつか。ちゃんと、言葉にできるように。
*********
第二章:言葉にできるように
+++++++++
フェイの家に連れていかれた僕は、そこでお父さんとお兄さんの熱烈な歓迎を受けた。
「トウゴ君!ようこそ!」
「弟から手紙で話は聞いているよ!本当にありがとう!」
玄関に入る前からこれだから、ちょっとびっくりした。いや、結構びっくりした。この人達、玄関先でずっと待っていたんだろうか……?
「さあさあ、立ち話も何だ、中へ入りたまえ!朝食はまだか?」
「おう!腹減った」
「そうか。トウゴ君は?」
「……ちょっとだけ」
「そうかそうか!沢山食べていきなさい!」
……そうして僕は、レッドガルド家にまたお邪魔することになった。
あの……僕、朝ごはん、そんなにたくさんは要らないです……。
結局、結構沢山食べた。自分でも驚いてる。勧められるまま、ちょっとだけ、あとちょっとだけ、って食べていたら、いつの間にかすごく沢山食べていた。
けれど、嫌なかんじはない。だってレッドガルド家のご飯はとても美味しいから。
あと、楽しい。フェイが何か言って、お兄さんに窘められて、お父さんに笑われる。或いは、お兄さんが出したアイデアにお父さんが反応して、フェイがもっといいことを思いつく。そんな会話を聞いているのは、それだけでもなんだか楽しかった。
……食卓が賑やかで楽しいって新鮮なかんじがする。
「よしよし、トウゴ。沢山食ってけよ!お前はもうちょっと沢山食った方がいいぜ、多分」
「うーん……うん」
多分、フェイは僕の体型を見てそう言ったんだと思う。確かに僕はBMIとか測ると『痩せ気味』に入る。時々『痩せすぎ』にもなる。うん、体型のことは、ちょっと気にしてる。ただ、食べたからって太れるわけでもないんだよな。食べても食べても太れない人も居るんだよ。いや、確かに僕はあまり食べない方だけれど。
「ふむ……トウゴ君。君は普段、あまり食事を摂れていないのかな?」
「いえ、食べてます」
「あ、親父。こいつの食べてるはアテにならねえぞ。果物1個食べて満足してる奴だから」
うん。早速フェイにばらされた。
「それは良くないな。食事は摂った方がいい」
早速、お父さんの顔を曇らせてしまった。そんな顔をされると申し訳ない気持ちになってしまうのだけれど、でも、僕が食事を摂らないのはしょうがない。高校生になってからはほとんど毎日昼食を抜いていたわけだし、でも、それは絵を描くためだったから……。
「あー、親父。こいつにそれ言っても駄目だぜ。こいつ、絵描いてると色々忘れちまうみたいなんだ。だからしょうがない」
……うん。
僕が絵を描くことも、それで色々忘れちゃうことも、『しょうがない』。
でも、それを僕以外の誰かが言ってくれるのは……嬉しい。
フェイはいい人だ。本当に。
「おやおや、そうだったか。なら……」
フェイのお父さんは少し考えるでもなく、ただ、僕を見て、事も無げに言った。
「トウゴ君。君さえよければ、この屋敷に住まないか?」
「え」
「どうだろうか。見たところ君はまだ若いようだ。誰かの庇護があった方がいいなら、我が家がそれを担当しよう。寝食の世話もできる。それで、君はのんびり絵を描いていてくれればいい」
住む。このお屋敷に。それで、絵を描いて過ごす……。
……それをいきなり提案されて、僕は、困った。
「あの……」
……僕は、周りを見回す。
同じ食卓に着いている、フェイと、お兄さんと、お父さん。それから召使いの人達も、僕を見てにこにこしている。嫌なかんじはしない。
しない、んだけれど……ここに僕が居ていいのか、というと、なんだか、違う気がする。
この素敵な一家は、僕の家族じゃない。
「……森に、その、馬が沢山居るから……」
だから僕は、そう言うことにした。
とてもありがたい申し出なのだけれど、どうにも、受け入れるのは……なんだろう、いけない気がした。嫌なんじゃなくて、ただ何となく、いけない気がした。
「そうか。そういえば君はユニコーンやペガサスに好かれているのだったか」
「そのあたりもフェイから聞いているよ。トウゴ君が密猟者を捕まえてくれたこともね」
あ、馬の話は伝わってるんだ。
「ペガサスに好かれる人間も珍しいが、ユニコーンに好かれる男子、となると相当に珍しい。うん、確かに、そんな君を森から引き離すのは彼らに申し訳ないか」
フェイのお父さんはそう言って、ははは、と笑った。よかった、申し出を断ることになったから気を悪くするんじゃないかと思ったけれど。どうやらこの一家はフェイに似て、全員さっぱりした人らしい。
「まあ仕方ない。ふむ……君が我が家に住んでくれたら、何やら楽しそうだと思ったのだがな。まあ、ちょくちょく遊びに来てくれたまえ」
……どうやら、本当に皆さん、フェイにそっくりらしい。
うん。そっか。楽しそうだと思ってくれたなら、それは光栄です。
「ところでよ、トウゴ。さっきの話、考えてくれたか?」
「え?」
それから、熱烈な歓迎と朝ごはんとここに住みませんかのお話とで忘れていたけれど、こっちもあったんだった。
「家のお抱え絵師にならねえか、っつう話!」
「あの、だから、森に馬が」
「いやいや。別にうちに住まなくてもいいぜ。けど、うちの専属になるのは別にいいんじゃねえか?」
ええと……僕がフェイのお兄さんやお父さんを見ると、彼らはにこにこしているばかりだ。どうやら、話は通っているらしい。
「な?どうだ?」
「どうって言われても……」
フェイに輝く目を向けられて、僕は、困った。
「お抱え絵師って、何……?」
ということで、説明してもらうことにした。
「お抱え絵師ってのは、うち専属で雇う絵師だな。絵師は家からの依頼、或いは家を通して他所から来た依頼で絵を描く。生活資金や活動資金はレッドガルド家から出す。あ、描いてもらった絵の代金はそれとは別に出すぜ。勿論」
「えっ」
何となく予想は付いていたけれど、大分とんでもない話だった。つまり、パトロン?になるって言われてるんだよね、これ。
こういう話ってプロにするべきであって、僕みたいな、アマチュアとも言えないような素人に言うものじゃないと思うんだけれど……。
ちょっと突拍子も無くて、現実味が無い。
「お前にとっていい点は、まあ、金が安定して手に入るってことだな。それから、お前への仕事はうちを通すことになるから、変なところからの仕事はそこで俺達が見つけられる」
「う、うん」
「一方、お前にとって悪い点は……自由ではなくなる。うちからの依頼の絵も描いてもらうから、全部の時間をお前の描きたい物だけには費やせなくなっちまうだろうな」
それはあんまり気にならない気がする。何を描くかはさておき、絵を描いていられれば楽しいから。
「それからもし、うち以外の家のお抱えになりたいなら、その時にはちょいと足枷になるだろうな。だから……例えば、王城のお抱え絵師になりたい、とかいうんなら、レッドガルド家とは契約してない方がいいだろうし。王城でなくても、もっと大きくていい家はいくらでもあるしな」
うーん、王城、と言われてもピンとこないし、他の貴族の家、なんて言われても、そんなの心当たりは1つもないから別にいいんだけれど……。
……とんでもないことになったぞ。困った。
「お前の能力はちょっと珍しすぎる。だから、お前を利用しようとする悪い奴なんて、きっと、いくらでも出てくる!んでもって、トウゴは絶対に自分じゃそこら辺の判断つかねえぞ?多分。な?どうだ?そこらへんもうちで面倒見られるぜ?」
うん。多分僕は、悪い人とそうじゃない人の区別はあんまりつかない自信がある。その通りです。申し訳ない。
……そうか。この世界で生きていくなら、ある程度、人との交流も出てくるんだ。
そして当然、世の中はレッドガルド家の皆さんみたいに良い人ばっかりじゃなくて……密猟者の人達みたいなのも居るし、闇市の人達みたいなのも居るんだ。
でも僕、そのあたりの判別は確かにつかないだろう。多分、僕は騙されやすいタイプだ。
そう考えると、確かに、レッドガルド家に面倒を見てもらえると、とてもありがたいんだけれど……。
……うーん。
これ、いいんだろうか?
実力は多分、足りない。自分の腕は分かってる。美術の予備校に通ってるわけでもないし、僕はただ、ひたすら描いているだけだ。少なくとも、プロとしてやっていける腕はない、と、思う。自信が無い。
それに、レッドガルド家にお世話になるのがちょっと申し訳ない。僕に恩を感じてくれているんだろうけれど、それでも、ちょっとあまりにも、僕の気持ちの整理がつかない。
……そして、自分の中で、何かが邪魔している。もやもやして、胸につかえて、引っかかっている。それが、僕の気持ちを邪魔してる、んだと思う。
それから僕はきっと……自分の気持ちを、まだ、言葉にできない。
……でもいいんだ。
僕の気持ちがどうでも、今は関係ない。
形にならないそれを考慮したとしても十分な、『断る理由』があるから。
「トウゴが描いた俺の絵、ほら、俺の怪我治すのに使っちまっただろ?だから、もう一枚俺の肖像画、描いてくれよ!」
そう言って、フェイは笑っているのだけれど……。
「……あの」
僕は、今、ずっと置き去りにしていた問題に、直面している。
「僕、描いた絵が『絵として残る』保証が、無いんだけれど……」
そう。『実体化させるつもりはなかったけれど、描いた絵がうっかり実体化する』という可能性は、十分にある。
餅にしようと思わなくても、餅を描いたら餅になる。
つまり……ある意味で僕は、『絵』を描くということが、できない、のかもしれないのだ。
……僕の気持ちの前に、それじゃあ、絵描きの仕事はできない、だろう。うん。