4話:僕らの異文化交流*3
それから、僕は寝る前にレネの部屋を訪ねた。
「レネー」
ドアをノックして声をかけてみると、レネのびっくりしたような声が中から聞こえて、そして、そっと、ドアが開く。
「……とうご?」
レネはそっと僕の顔を覗き込むと、首を傾げる。なんだろう、っていう顔だ。
「ええとね……」
早速、僕は、書いてきた文をレネに見せる。
『一緒にこっちの世界に遊びに来ませんか?』と。
レネは2つ返事で『行きます!是非、行ってみたいです!』と答えてくれた。よし!レネに昼の世界を案内しよう!きっと『ふりゃー』と言うに違いない!
僕がそう思って嬉しくなっていると……つい、と、レネが僕の袖を控えめに引っ張った。
「とうごー……」
どうしたのかな、と思いつつ、引っ張られてレネの部屋に入る。ちょっとの間だけ居候させてもらっていた部屋の中に入って、そのまま、寝室の方へ控えめに控えめに、引っ張っていかれる。
……そして、レネは僕の袖をつまんだまま、そっと、ベッドの中へ入って、そして、僕を見上げてきた。
「とうごー」
どうやら、レネは今日もちょっぴり寒いらしい。
鳳凰に『今日はレネの部屋に泊まります』と書いた手紙を運んでもらう。すると少しした後、鳳凰が『分かった!お休み!』と書かれた手紙を持って帰ってきたので、安心して僕もレネのベッドにお邪魔した。
「ふりゃー……」
「うん。ふりゃー」
レネはベッドの中、僕を見つめて蕩けるような笑顔を浮かべている。あったかいのが嬉しいらしい。
そのまましばらくふりゃふりゃ言い合っていたのだけれど、レネはやがて、すやすや眠ってしまった。疲れてたのかな。或いは、まだ体力が戻り切ってないのか。あの塔に閉じ込められていた間、きっと、レネはすごく弱っていたのだろうし……。
それにしても、レネはすごくいい顔で眠る。顔に『あったかーい』って書いてあるんじゃないかってぐらいだ。
……僕が入るだけでこれだけあったかがるのだから、レネはきっと、よく日に干した布団とかで包んだらものすごく喜ぶと思う。やってみたい。
翌朝、目が覚めると目の前に星空色の瞳があった。
「うわ」
「きゃう」
びっくりして声を上げたら、レネもびっくりして声を上げて、お互いにさっと離れる。……どうやら、レネが僕をじっと見つめていたらしい。びっくりした。
……びっくりしたけれど、とりあえず、挨拶。
『おはよう』と書いてスケッチブックを見せると、レネは慌てて、ベッドサイドに置いてあった翻訳機を頭に着けて、スケッチブックを読む。
そして、にこ、と笑うと、これまたベッドサイドに置いてあったスケッチブックに『おはよう!』と書いて見せてくれた。嬉しい。
お互いに挨拶ができるって、いいことだなあ……。
それから僕らは、とりあえず朝ご飯を食べに行った。
「よっ、トーゴ!昨夜は楽しかったか?」
「ええと……楽しかったっていうか、あったかかったよ。すぐ寝ちゃったけど……」
「そうかあ、やっぱりなあ……。お前、絶対そうだと思ったぜ!」
朝ご飯の席でフェイに背中をばしばしやられたのだけれど、ええと、まあ、お察しの通り僕はあったかいとすぐ寝る性質だよ。
「おはよう。トウゴ。レネの部屋に泊まったんでしょ?その、どうだった?うまくいった?」
「うん。許可、貰えたよ。上手くいった。あと、あったかくてレネが喜んでた」
ライラにも似たようなことを聞かれつつ、そう返事をする。
そうだ。レネからは許可、貰ったけれど、そのレネは今朝、竜王様に昼の国行きの許可を貰わなきゃいけないんだった。大丈夫だろうか……。
……僕らの横では、レネが竜王様に何かを話していた。きらきらした表情と必死な声を聞く限り、多分、今、昼の国観光の許可を貰ってるんだと思う。
竜王様はなんとも渋い顔をしている。……まあ、幽閉処分にされていたレネが塔から出てきてしまって、しかも僕らとすっかり仲良くなって、そして僕らの国にまで遊びに行こうとしているんだから、複雑な気持ちなんだと思うよ。
『竜王様。大丈夫です。僕ら、レネを攫ってしまうようなことはしません。』
なので僕も、援護射撃。竜王様にスケッチブックを見せると、竜王様はちょっと気まずげな顔で、スケッチブックにペンを走らせた。
『貴殿らを信用しないわけではないが、異世界のこととなると我々には勝手が分からないのだ。』
『だからこそ、来てほしいんです。勝手が分からないからってずっと行かなかったら、ずっと分からないままではありませんか?』
僕が反撃すると、竜王様はますます困った顔をしつつ……躊躇いがちに、また文字を書いて見せてくれた。
『そもそも、異世界へ渡る方法が無い。貴殿らもそうだろうが、異世界へ渡るには、術者に合った月の満ち欠けが必要であり、異世界へ渡る魔法を使えるのは私とレネと、他数名のドラゴンだけだ。』
……成程。そっか。そういえばそうだった。
夜の国だと、月の満ち欠けに応じてしか、昼の国へ行く魔法が使えないんだった。すっかり忘れていた。
まあ……どうして忘れていたのか、っていうところも含めて、その原因が僕らの後ろにずいずいやってきているから、折角だ。説明してしまおう。
『それなら大丈夫です。』
僕はそう書いて、竜王様に見せた。ついでに、僕の後ろで鳥が胸を張る。
『こちらには鳥が居るので!』
僕がスケッチブックを見せると、竜王様は訝し気に首を傾げて……そして鳥が、キョキョン、と鳴いた。
見せた方が早いね、ということになって、朝ご飯の後、僕らは全員でまとまって祭壇まで行くことになった。
祭壇までは竜王様が案内してくれた。まあ、僕らも一度は通った道なので大体は分かるけれど、やっぱり先導が居てくれた方が安心だ。
「ドラゴンって、綺麗ね……」
……そこで、鳥に乗ったライラが、ほう、とため息を吐いてそう言った。
今、レネと竜王様はそれぞれ、翼を生やしてそれで飛んでいる。竜王様の翼は濃い灰色で、すらりと長くて鋭角的な形をしている。一方、レネの翼は淡いブルーグレーのベールみたいな、襞をたっぷりとった繊細なつくりをしていて、なんというか、個性が出ている。それでいて、どっちもすごく綺麗だ。
「フェイ様もああいうこと、できるのかしら」
「さあ……フェイはドラゴンだったとしても、ドラゴンの血は大分薄くなってしまっていると思うし……」
ライラの言葉につられて、ちょっと想像してみる。もし、フェイにドラゴンの翼が生えて空を飛ぶことがあったら……。
……色は緋色。翼はのびやかな形をしていて、レネのほど華美で繊細なかんじはないんじゃないかな。その分、力強い羽をしているんだ。
風を切って空を飛ぶフェイを想像してみたら、なんというか、似合った。うーん、見てみたい。フェイに羽を描いてみたらフェイは空を飛ぶだろうか。やってみたい。いや、流石にやらないけど。
「ねえ、トウゴ。あんたさ、フェイ様の背中にこっそり羽描いちゃえば?」
うわっ、ライラがそれを言うとは思ってなかった!びっくりした!
「だ、駄目だよ。流石に……」
僕が何だか曖昧な返事をすると、ライラはけらけら笑い出す。それから「冗談よ!」と言ってきたのだけれど……もしかして、ライラ、こういうところは僕じゃなくて、クロアさんに似た……?
それから僕らは祭壇まで戻ってきた。祭壇の上には、ちょっと丸くなった月が出ている。レモンケーキみたいな月だ。
「ええと……じゃあ、始めます」
それから僕らは、きゅぽ、と、月の光の蜜の瓶を開けて、それを見た夜の国の人達を驚かせて……その間にも、どんどん、鳥に蜜を塗っていく。僕に合う形にすればいいんだから、半月の分だけ。……鳥は『もっと全面に塗らないの?』みたいな不服気な顔をして首を傾げていたけれど、これ、鳥を目立たせるためにやってるわけじゃないからね。
『こんなにたっぷり月の蜜を使えるなんて!トウゴはすごいです!』
レネが興奮気味にそう描いて見せてくれた。あ、やっぱり、蜜の形になっている月の光は夜の国でも貴重品なんだろうか。太陽の光は貴重なのだろうけれど、まさか、月の蜜の方も貴重品とは……。
『これは一体、何をしているところだ?』
『疑似的な月を作っています』
4分の1だけ光るようになって胸を張る鳥を見ながら、竜王様がものすごく混乱した顔をしていたので、説明する。これは月です。鳥だけど。
……そうして、レネが目を輝かせて、タルクさんは笑いながら、竜王様はなんだか頭の痛いような顔で僕らを眺める内に、準備が整った。竹は生やさなかった。流石に竹を生やすのは駄目だと思った。なので代わりに、蜜を撒く。
月の光の蜜が徐々に空気に溶けてふわふわとした光になって上っていく中、僕は祭壇の上でくるくる回りながら魔法の言葉を唱えて……。
「あーまじーにえ!」
レネが驚きの声らしいものを上げる中、祭壇の上には光の柱が出来上がっていた。どうだ!
『驚いた。まさか、月の力を借りずとも、このように異界への扉を開くとは!』
竜王様は僕らの魔法にものすごく興味を示されたみたいで、少し目を輝かせながら僕の手を握ってきた。……さてはこの竜王様、こういうのが好きだな?フェイは道具の類が好きだし、竜王様も似たようなかんじで、こういう魔法の変な使い方が好きなのかもしれない。きっとフェイと竜王様は仲良くなれるよ。きっと。
『このように、僕らの世界へ行くのに障壁は無いようなものなんです。』
僕がそう、改めて主張すると、竜王様は、ちら、とレネを見て、考えて……。
『いっぱいお土産を持って帰ってきます!』
レネがそう、わくわくした顔でスケッチブックに書くのを見て……深々と、ため息を吐いた。
『必ず、2日後の昼までには戻るように。』
やった!許可が出た!
「いってきまーす!」
「でぃーて、おーりえー!」
そうして僕らは、昼の世界へ戻る。
レネとタルクさんも一緒だ。2人にはたっぷりと、昼の世界を楽しんでもらいたい!お土産も沢山用意しよう!ああ、どんな反応をするだろう?何を見たら喜ぶだろうか。考えるだけでわくわくしてくる!
ちょっと呆れたような顔の竜王様に見送られながら、僕らは光の柱の中に入って、ふわふわと体が浮かぶような感覚を味わって……。
……そうして僕らは、森の祭壇の上に居た。つまり、僕らが最近作ったやつの上。
「あれっ、画廊じゃない」
てっきり、画廊に出るものだとばかり思っていたのだけれど。……祭壇が近くにあれば、そちらが優先される、っていうことなのかな。ということは、今の画廊の位置って、もしかすると、初代レッドガルドさんが夜の世界とやり取りなり行き来なりをするときに使っていた場所、だったのかもしれない……。
「無事に戻ってこられたようだな」
ラオクレスは僕らが全員揃っていることを確認して、そう言って満足げに頷いた。大丈夫だ。ちゃんと全員居る。レネとタルクさんも居る。
レネとタルクさんは、森の中の様子に興味津々なようだ。……そっか。レネは、こっちの世界に夜の間しか来たことがなかったのか。なら、朝の森はさぞかし新鮮だろう。
「……じゃ、改めまして」
そんなレネとタルクさんの前にフェイが進み出て、スケッチブックを見せる。
「ようこそ!昼の国へ!」
『ようこそ!昼の国へ!』と書かれたスケッチブックを見せながらフェイが満面の笑みを浮かべると、レネもつられたように、にこにこ笑った。
……そして。
「ふりゃー!」
ほらやっぱり!予想通り、「ふりゃー」と言った!
とりあえず、まずは僕の家へご招待することにした。……何せ、レネもタルクさんも、この世界にまだ目が慣れていないというか、ちょっと眩しくて辛いみたいだったので。
……それから、皆にレネとタルクさんを紹介したかったので。
「へえ。あなたがレネちゃん。お噂はかねがね」
クロアさんはレネを見てぱっと顔を輝かせると、にっこり笑って握手した。けれどレネはクロアさんを見て、びっくりしたような顔をしている。どうしたのかな、と思っていたら、レネはスケッチブックに『あんまり綺麗な人だからびっくりしました!』と書いて見せてくれた。そっか。まあ、気持ちは分かる。
クロアさんもレネのこの反応がなんだか気に入ったみたいで、ころころ笑っている。レネはちょっと恥ずかしそうにしているけれど、それもこちらとしては楽しい。
「私はクロア。よろしくね」
「くりゃー?」
「く、ろ、あ」
「く、りょ、あ……?」
……そしてレネには若干、クロアさんの名前の発音が難しかったらしくて、数回、練習していた。これにはクロアさんもにこにこだ。
「俺はリアン・セレス。こっちは妹のアンジェ・セレス。よろしく」
「よろしくね、レネちゃん……」
それからリアンとアンジェを見て、レネはにこにこと握手しつつ、「りあん、あんじぇ!」と名前を呼ぶ。こっちは発音しやすかったらしい。
「私はカーネリアよ!分かるかしら。かーねりあ、なのだけれど……」
「……かーねりゃ?」
「りゃ、じゃないの!りあ、なのよ!ねえインターリア、どうやって伝えたらいいのかしら……」
「……いんたりゃ?」
「私はいんたりゃでも構いませんが……」
「そう言われてみると、私もかーねりゃでいい気がするわ!」
……結局、カーネリアちゃんとインターリアさんについては、『かーねりゃあ』と『いんたりゃあ』に落ち着いていた。それっぽく聞こえるけれど何となく違う。うん、まあ、いいと思うよ。
「とうご、らいら、ふぇい、らおくえす、くろあ、りあん、あんじぇ、かーねりゃあ、いんたりゃあ、まーせん、らーじゅ、とりさん……」
それからしばらく、レネは頑張って皆の名前を憶えていた。発音しにくい名前ばかりらしくて、頑張っている。僕らは名前を呼ばれると嬉しいからにこにこ顔だ。
「さて。名前の練習もいいけれど、そろそろご飯にしましょうか。お腹、空くでしょ?」
……そんな中、クロアさんがにこにこしながらご飯を運んできてくれる。そういえばクロアさん、森に来てから段々料理が趣味になってきているらしくて、最近は割と、凝ったものを作ることが多い。彼女は楽しそうだし、僕らは美味しいし、とてもいい。
「はい、どうぞ。召し上がれ」
机の上に並べられていくのは……ほうれん草とベーコンのオムレツ。レタスのサラダ。タケノコのスープ。ハムとチーズを挟んだパン。果物。それに、妖精作のケーキだ。
妖精のケーキは春になって、また品揃えが変わった。花の砂糖漬けを飾ったクリームたっぷりのケーキとか、森の花と果物で作ったシロップをふるんと柔らかく固めたゼリーとか、お日様みたいなカスタードクリームたっぷりのタルトとか。今日、食卓に上がっているのは試作品らしくて、見たことがないやつ……あっ!これ光ってる!光るレモンタルトだ!これ絶対に月の光の蜜を使ったケーキだ!
「……きゃう」
レネはそれらを、目をきらきらさせて眺める。それを横目に僕も配膳を手伝って、全員分が行き渡った。
そうしたら、いただきます。……レネは僕が食べるのを見ながら、真似をするように、スープをスプーンで掬って飲んで……。
……何も言わなくても、分かった。
目がきらきらして、表情が明るくて……ついでに、発光している。
「ふりゃあ!」
確かにうちのタケノコは、光の魔力たっぷりのおいしいタケノコだった。
「……レネちゃんは、おいしいと光るの?」
アンジェに誤解されているけれど……ああ、でも、実際美味しかったらしい。スープを飲んではにこにこしているし、オムレツを食べてはまた、とろけるような笑顔……。
そうして僕らはしっかりデザートまで食べて、食事を終えた。
月のレモンタルトも美味しかったよ。春らしい爽やかなレモン味のクリームがたっぷりで、その上に月の光の蜜のゼリーが薄く流してあって、まるで鏡みたいだ。或いは、ホールの状態だと、満月にも見える。……これは是非、ホールで丸ごとお買い求めいただきたいやつだ。
「てりしーりゃ……」
レネは幸せそうな顔で、ほう、と息を吐き出した。お腹いっぱいになって幸せ、っていう顔だ。言葉の説明が無くても分かる。
昼の国のご飯がどうやらお気に召したらしくて、僕としても嬉しい。
「よーし!んじゃあ早速、午後は観光だな!王都……はやめとくか。うん。魔王で勇者であれこれ話がややこしくなりそうだし……」
食後は早速、観光の相談だ。こういうことに張り切る性質のフェイが、早速色々と考え始めているのだけれど……。
「あら。フェイ君は一度、家に戻った方がいいと思うわ」
……クロアさんに、そう言われてしまった。
「うち?なんでだ?」
「……ちょっと書庫をお借りしに、寄らせていただいたのだけれどね。お兄さんもお父様も、なんだか深刻そうな顔してらっしゃったから」
フェイは怪訝な顔で首を傾げて……僕と顔を見合わせて……同時に、気づく。
「そういや、親父と兄貴には初代の日記の解読、任せてたんだったな……」
うん。そうなんだ。
だから……ローゼスさんもお父さんも、自分達のご先祖様が人間じゃなかった、っていうことに、気づいているかもしれないんだ……。
……そういう訳で僕ら、観光の最初にレッドガルド家にお邪魔したのだけれど。
「フェイ。落ち着いて聞いてほしい。どうやら我らは人間じゃなかったらしいぞ」
「あー、ごめんな兄貴。もうそれ知ってるんだ」
うん。その……。
……驚きを共有できなくて、ごめんなさい。