21話:通じるものがあるから*1
青空の木を見るのは、2回目だ。
……けれど、初めて見た時と、全然、感想が違う、というか……。
「……すごく綺麗だ」
天まで届くような木の大きさに圧倒される。
空を覆い尽くすように伸びる枝葉の広さに感激する。
そして何より……透き通った青空の色に。その明るさに。光というものに……救われる。
真っ暗な中をただ何もなく飛び続けた小一時間。……たった、小一時間だ。なのに、僕らはそのたった小一時間の間に、暗闇に慣れて、飽きて、不安に思っていたらしい。
こうして青空の木の下に立って、鮮やかな青空の色と眩しいくらいの光を見て、すごく、ほっとした。知っている場所に着いた、っていう安心よりも、光があることの安心の方が大きい気がする。
凍えてかじかんだ指先も、先の見えない閉塞感も、冷たい夜風に吹かれて感じていた理由のない寂しさも、全部、全部、とろけていくような、そんなかんじ。
「……生き物って、光がないと、生きていけないんだ」
なんとなく、そう思う。この世界でも生きている人達に失礼かもしれないけれど……僕は、この世界では生きていけない。夜だけじゃなくて昼もある世界でないと、生きていけない。
暗くて冷たい世界は、あんまりにも寂しい。……こうして、温かな光の灯る青空の木の下に一度でも立ってしまえば、余計にそう思ってしまう。温かさに触れてしまうと、もう一度、夜の中に戻っていくのが、ちょっと辛い。
「……寂しい世界ね」
「……うん」
僕らはそのまま、しばらくそこで休憩することにした。
あんまり光に慣れちゃいけないとも思うのだけれど、でも、どうにも、ここを離れがたくて。
……レネも、そうだったのかな。それともレネは、こんな感覚にも慣れてしまっているのだろうか。
……何年もこの世界に居るって、どういう気持ちなんだろう。
「ええと、ここに……あった」
それから僕らは、いい加減出発することにした。あんまり長居はできない。早く、レネに会いに行かなきゃ。時間が無いのは確かだから。
「お?なんだこれ」
「レネがこれに触ったら、水玉が出てきた」
「水玉とは……」
島の端っこに、小さな石碑みたいなものがある。僕はそれに触れてみるのだけれど、レネがやった時みたいにはならない。水玉は出てきてくれなかった。あれ、おかしいな。
「んー……?なんか魔法が別途必要とかか?なあ、トウゴ。鍵になるようなモン、心当たり、ねえ?」
フェイは石碑をぺたぺた触りながらそう聞いてくる。ええと、鍵、鍵……あ。
「ええと……あ、もしかして、こういうこと?」
でも、それからレネの鱗を取り出して、石碑に翳してみると……。
「おっ!きたきたきた!」
「本当に水玉だったとは……」
島の外、湖から水がふわりと昇ってきて、宙でふんわり丸くなって……そうして、僕らが入れる大きさの水玉が出来上がった!
「やった。よし、じゃあ入ろう。適当に突進したら入れるよ」
「こ、これに入るの?大丈夫なの?ねえ」
「やったー俺一番乗り!」
「僕二番乗り!」
「はしゃぐな」
……ということで、僕らは水玉に収まって……僕らが全員水玉の中に入ると、水玉はゆっくり、ふわふわと動き出す。
そのまま宙へ浮かんで、湖の中へ沈んで……。
「え、あ、きゃああああ!沈んでる!沈んでるっ!」
「大丈夫だから落ち着いて、ライラ」
ライラがパニックを起こしていたけれど、水玉がすっかり水の底に沈んでしまう頃には落ち着きを取り戻していた。
……落ち着いたら、水底の様子や、見上げる水面の様子が目に入るようになる。
「……わ」
「おお」
ライラもフェイも、ラオクレスも、ついでに鳥も。
皆、水玉旅行の風景に、一気に目を奪われた。
透き通った水は揺らめきながら月の光を通したり反射したりして、ゆらゆらと絶え間なく光の網目みたいな模様を作っている。そうやって水面に編まれた月の光は、これまた揺らめきながら水底まで落ちてきて、水底の、真白い砂の上できらきら煌めいた。
透き通った水と白い砂のせいか、それとも月の光を遮る木や建物が無いからか……ここは、地上よりもよっぽど明るいように感じる。
「綺麗だなあ」
「……本当に綺麗ね。すごい」
ライラは水面を見上げて、そこでゆらゆら揺らめく光にすっかり心を奪われているようだった。分かる。あれはすごく綺麗だ。描きたくなるよね。
「へえ……あ、変なもん落ちてる。なんだ?あれ。水草か?変わってんなあ。……ん?ありゃなんだ?貝殻の中に入ってる……ゼリー?ん?あれ、生き物か?」
フェイはというと、水底の植物や生き物に夢中だ。夜の国の生き物は、なんか、こう……ちょっと変わってる、というか。うん。いや、少ない光に適応できるように進化してきた生き物なのかもしれないけれど。
けれど……妙にぽやぽやした綿毛みたいな水草が光りながら揺れていたり、巻貝の中にヤドカリよろしくスライムだかなめくじだかよく分からない生き物が入ってむにむに動いていたりするのを見ると、こう……変なの、って言いたくなる。うん。
「……成程な。お前が描きたがる理由が分かる」
ラオクレスはそう言って、僕の手元を見た。当然、もう僕の手元にはスケッチブックがある。うん。当然だ。当然。
僕らの水玉が動くのに合わせて、ぷくぷくと小さな泡が水面へと上がっていく。それもまた光を反射して、白く輝く。
……綺麗だなあ。
そういえば、ここでレネが『きれい』って言葉を覚えたんだっけ。びっくりしたな。レネが急に『きれい!』って言い始めたから。僕が『ふりゃー』って言い始めた時も、レネ、驚いてたのかな。
……レネ、元気かなあ。
そうして水玉旅行は終盤に入る。
水玉は湖の中から水路に入って、水路を徐々に進んでいった。
「……いよいよか」
「うん。水玉から出たらすぐ、左手の方に向かおう。そこで階段を上がって、階段を上がって、渡り廊下を抜けて、階段上がって、廊下を進んだらレネの部屋」
頭の中で城の地図を思い出す。
僕、滞在中はほとんどずっとレネの部屋に居たから、城の中の様子がそう分かる訳じゃない。けれど、まあ、中庭の噴水のところからレネの部屋までは、分かる、と思う。
「ええー……言われても分かんないわよ。トウゴ、あんた先頭ね」
「いや、俺が先頭を行く」
「え?ラオクレス、道分かる?」
「……分からんが。俺よりお前が先に行ったら、護衛の意味が無いだろう」
そう?……まあ、別にいいのだけれど。
うん、そっか。よくよく考えたら、僕ら、不法侵入者だ。うん。護衛が必要な事態に発展してしまうかもしれない……。
いよいよ、水玉が地上に出た。
通路を抜けて、噴水の下に出て一気に明るくなって……そして、噴水の外、中庭に、水玉が到着。
ふわっ、と地上に水玉がついた途端、水玉は弾けて無くなってしまう。僕らはそれを見届けて……早速、そっと、移動し始める。
先頭はラオクレス。そのすぐ後ろを僕。それからライラが慎重に付いてきて、フェイがいつでも召喚獣を出せるようにしつつその後ろ。
……そして、最後尾が、鳥。
光り輝く、鳥。
……うん。
これ、隠れて行動する意味、無いな……。
それでも運が良かったのか、光り輝く巨大な鳥御一行様になっている僕らは、無事、城の中へ入り込めた。
そして、僕の記憶にある通り、階段を上って、上って、渡り廊下へと差し掛かる。
「……ここも綺麗ね」
「うん。ここ、すごく綺麗なんだ。でも、前回は描く時間がなくて」
渡り廊下の美しさは、この城随一だと思う。
ガラス張りの天井と壁からは惜しみなく月の光が降り注いで、銀が象嵌された大理石の床を明るく照らしている。僕らの影がはっきりと床に落ちるくらいに明るい。
……透き通ったものと月の光の組み合わせは、なんとなく、さっきまでの水玉旅行に似ているものがあるかもしれない。
そして、ここからは中庭の様子が見て分かる。中庭には沢山の花が咲いていて、それらの花はほわほわ明るく光っているんだ。
本を読んだ今なら、あれらが、光を増やすために品種改良された植物だっていうことも、あれを育てることでなんとか、夜の国の人達が生きているっていうことも、分かる。
「今も描いている時間は無いぞ」
「わ、分かってるよ」
渡り廊下の景色を眺めてちょっと考えていたら、ラオクレスにそう急かされる。べ、別に描こうと思って見てた訳じゃないよ。
そうして僕らは、レネの部屋の前に辿り着いた。大丈夫。このドアの色も形も、記憶通りだ。この先に、レネが。
……僕は皆に見守られながら、なんだか緊張しながら、ドアを、そっと、ノックして……。
「……あれ」
けれど、返事はない。
……うん。
よくよく考えたら、別に、レネが四六時中この部屋にいるっていう保証はなかった!
「どうしようかな……」
「他に、レネの居場所に心当たりは無いのか」
「無い」
何といっても僕、本当にずっと、レネの部屋に居たから。レネがどこに行っていたのかも知らないし、レネが何をやっていたのかも知らないし……。
「まあ……多分、この部屋に帰ってくる、とは思うから、待つのは1つの手かな、とは思うんだけど……」
「……それ、レネが帰ってくるよりも私達が見つかるのが先にならない?」
だよなあ。なる気がする。特に、鳥が光ってるし。いや、キョキョン、じゃないんだよ。ものすごく目立つよ、君。自慢げにしないで。褒めてない褒めてない。
……そうして僕らが、どうしようかなあ、とやっていた時だった。
「ひゃ」
ふと、急に、僕の足首が掴まれた。
何だ、と思ってすぐに足元を見ると……そこには何もない。
……けれど、なんとなく、思い当たるものがあったので、部屋の扉の隙間に向かって、呼んでみる。
「……タルク?」
すると、「とうご」と、低い声がそっと、僕の名前を呼んで……扉の下の隙間から、するん、と、布の端っこが出てきた。
……やった!知り合いに会えた!
僕は喜んだ。よく分からない世界で、数少ない知り合いに会えたんだから、当然、喜ぶ。
……けれど、タルクさんは、様子がおかしかった。
まず、布が引きちぎられたみたいになっている。今、ここに居るのは布の切れ端、みたいだ。
タルクさんの切れ端に向けて手を差し出すと、タルクさんの切れ端は、よろよろ、と、弱った様子で寄ってきて、僕の手の上にちょこんと乗った。ああ、こんなに小さくなって……!
どうやったらタルクさんを回復させられるだろうか。……ちょっとそう考えていたら、タルクさんは、よろよろ、と、僕の手の上で動いて……鳥に向かった。
……うん。
「どうぞ」
僕がタルクさんを鳥に差し出すと、タルクさんはそっと鳥にくっついて……多分、鳥の表面についていた月の光の蜜を、体に絡めた。
すると、ぽわり、とタルクさんが光って……タルクさんはさっきよりも随分元気に動くようになった。布の切れ端がひょこひょこ動く。軽快に動く。よかった、元気になったらしい!
「トウゴ。そちらは」
「タルクさん。レネのおつきの人……だと思う」
「人……っつうか、布?」
皆はタルクさんの正体について気になっているらしいけれど、それは僕も知らないので聞かれても困る。それに、今はそれどころじゃない。
「タルク。レネは?レネはどこ?」
タルクさんは僕の言葉が分からないのだけれど、でも、『タルク』『レネ』は分かったらしい。タルクさんは僕らをちょっと見回すようにしてから、ちょっと考えるような素振りを見せて……そして。
「こっち?」
タルクさんは僕の手の上で、僕の指をくいくいと引っ張るようにし始めた。
……どうやら、レネのところまで案内してくれるらしい。
僕らはどんどん階段を上がっていく。廊下を渡って、時々、向かい側から来る人の気配を察知した鳥に引っ張られて適当な部屋に隠れてやり過ごして、また進んで、階段を上って、階段を上って、進んで、階段……。
随分高いところまで行くんだなあ、と思いながら階段を上がっていたら……ヒュウ、と、風が僕らを撫でていく。
屋上に出たんだ。
……星空の下、僕らはまだ進む。ただ……。
「おい。見張りが居るが……」
ラオクレスが言うまでもなく、見張りが居る。長いずるずるしたローブみたいなコートみたいなものを着て、その下に鎧を身に着けた……兵士、のような。
まずい。見つかる。だってこっちにはものすごく目立つ鳥がいる!こんな、大きくて丸くて光り輝いている鳥が自慢げに胸を張って歩いていたら、それはそれはもう、目立つ!
「ど、どうしよう」
僕がタルクさんに話しかけると、僕の手の中でタルクさんは小さく舌打ちして(舌、どこにあるんだろうか……)、それから何かをもそもそ唱えた。
……途端、ずるり、と兵士の影が伸びて、兵士の首を絞めた。
兵士は何か声にならない声を上げていたけれど……やがて、気絶してしまったらしくて、その場に崩れ落ちる。
それと同時に、タルクさんは僕の手の中でしんなりした。お疲れ様です。ありがとう。
タルクさんをまた鳥の体の上に乗せて光を補給してもらいつつ、僕らはタルクさんの案内で先へ進む。
向かう先は、屋上から更に聳える……小さな塔だ。
途中で何人か、兵士の人を気絶させることになった。申し訳ないけれど。
そうして僕らは兵士の人達の倒れた中を駆け抜けていって……遂に、小さな塔の入り口まで到達する。
けれど。
「あ、あれ、開かない」
がちゃがちゃ、とやってみるけれど、ドアは開かない。鍵がかかっているらしい。
壊せるだろうか、という気持ちでラオクレスの方を見てみたのだけれど、黙って首を横に振られてしまった。それはそうだよね。こんな、鋼鉄でできた扉、流石のラオクレスでも壊せないよね。
なら、鍵開けができるかな、と思ったのだけれど……このドア、なんと、鍵穴が無い!これじゃあ、もしこの場にクロアさんが居たとしても、このドアを開けることはできなかっただろう。
「どうしよう……あの、タルク。これ、開くの?」
一応、タルクさんにも聞いてみたのだけれど、タルクさんとしても、このドアの開け方は分からないらしい。……自分で開けられないから、僕らの助けが必要だ、っていうこと、なのかな。
……僕は、ドアを指さしながら、「レネ?」と、タルクさんに聞いてみた。するとタルクさんは布の切れ端の姿で、何度も頷いて見せてくれる。やっぱり、この中にレネが居るらしい。
そっか。じゃあ、ええと、この塔、窓は……うん。無いな。
「ねえ、これ、壊せるだろうか」
「壊せないことはないだろうが……下手に壊すと崩れる。それに、この材質も見たことがない。いやに冷たいな。何だ、これは」
ラオクレスに聞いてみたけれど、どうやらこの塔、壊すのも難しいみたいだ。
木材なんだか石材なんだかよく分からない、妙に艶の無い素材でできているけれど……触れるとひんやりして、ちょっと嫌なかんじがする。未知の素材だ。
「どうする?燃やしちまうって訳にもいかねえし……」
そりゃそうだ。レネまで燃えてしまう。それは駄目だ。
だから……。
……うん。しょうがない。
「もう、窓、描いちゃうね」
「あんたってこういうことできるから便利よねえ……」
内部に影響が無いように、窓の内側が見えないような構図で、僕は、塔の絵を描き始めた。
……そうして窓が出来上がった。ええと、塔の内部がどうなっているか分からないから、高めの位置に。
窓ができて、タルクさんが僕の手の中で小躍りしている。喜んでもらえて何より。
……すると塔の中から小さな悲鳴が聞こえる。多分、急に窓ができて、びっくりしたんだろう。
そして……できたての窓から、僕は中を覗き込む。
「レネーっ!」
見覚えのある顔を見つけて嬉しくなって声をかける。するとレネは、窓を見上げて、僕を見つけて……ぱっ、と表情を明るくした。
「とうごー!」
僕はレネに手を振る。レネも大きく手を振り返してくれた。
やった!会えた!よかった!