19話:月の光を集めて*10
それから僕らは、夜の国へ行くための準備を進めた。
まず、マーセンさんをはじめとした森の騎士団のメンバー数名には、銀の板を作ってもらうことになった。
銀の塊や道具の類は僕が出して、それから皆に銀を延ばして板にしてもらう。
……月の綺麗な夜に、ということだったから、念のため、少し待ってからにした。だって、僕が帰ってきた日が有明月の日で、それから僕が寝て起きて、ってやる間に新月になって……今、月はちょっとずつ大きくなっていくところだ。月の光が欲しいなら、できるだけ月が大きい時がいいかな、っていう話になって、それで。とりあえず半月まで待った。
「トウゴ君。板は円形にすればいいんだったな?」
「あ、はい。ええと、大きさはこれくらいで……」
「成程。ならもう切ってしまうか。よし。確か、フェイ殿が持ってきてくださった本にそこらへんがあったが……」
マーセンさん達は仕事が速い。モデルと騎士だけじゃなくて金属の加工までできてしまうとは!
……こういう金属の加工も、彫刻の内に入るよね。うん。つまり、森の石膏像達は、ある種の芸術家……!
「トウゴおにいちゃん!お月さまの光、あつまったよ!」
それからアンジェがとことこやってきて、僕に瓶を差し出してくれた。
ガラスの丸い瓶にたっぷり入っているのは、白銀の蜜。ほんわり輝いていて、まさに『お月様』っていうかんじだ。
アンジェの周りには妖精が飛び交っていて、彼らは『私が集めました』みたいな誇らしげな顔で蜜の瓶を見ている。生産者の顔として載せたいぐらいだ。
「……あのね、ちょっとだけおあじみしちゃった」
「うん。いいよ。これだけあれば十分足りるから」
アンジェは月の光の蜜の味が気に入ったらしい。お味見しちゃったそうだ。まあ、今回の月の光問題の解決をしてくれたのはアンジェと妖精の皆さんなので、それくらいの報酬はあってもいいと思うよ。うん。
……後で僕もお味見しようかな。いや、余ったら。余ったらだけど。
「おーい、トウゴー!次の段の石、作っといてくれ!」
そして僕とフェイ、それからラオクレスは、祭壇を作っている。
祭壇の材料は僕が出す。白と黒の大理石。あと、銀線と、宝石がいくらか。
……祭壇のつくりはそんなに難しくない、らしい。フェイ曰く、だけれど。
ただ、魔法を道具に組み込む知識が無いと難しい、ということだったので、僕がそのまま描いて出すわけにもいかなくて、こうして、原料になる大理石のブロックを出してはそこにフェイが模様を刻んだり銀線を組み込んだり宝石を嵌め込んだりして魔法を組み込んで、組み込み終わったブロックをラオクレスが運んで積み上げて祭壇にしてくれている。分業って大事だ。
「……器用なものだな」
ラオクレスはまた1つ大理石の石材ブロックを積み上げ終わって、フェイの手元を覗き込む。フェイは針みたいな道具で大理石に模様だか文字だかよく分からないものを刻み込んでいるところだ。
「へへ。まあな。俺からしてみりゃ、こんな重い石材ヒョイヒョイ持ち上げるラオクレスの方も相当すげえけど」
僕からしてみると、どっちもすごい。フェイはフェイで、翻訳機を直してしまったこともそうだし、今、こうやって魔法を組み込んでいるところもすごい。
ラオクレスも、大理石の塊をひょいひょい持ち上げてはくみ上げて祭壇にしていくので、なんというか、その、ちょっと錯覚しそうになる。大理石って案外軽いんじゃないのかな、って。
……勿論、そんなことはないので、試してみた僕は大理石に抱き着くだけに終わった。ラオクレスに『何をしているんだ』みたいな顔をされた。ついでに、『そういえば夜の国から帰ってきた時、俺にも抱き着いていたが……』みたいな顔もされた。……ちょっと恥ずかしい。
「これでいよいよ、夜の国に行けるかもしれねえんだもんなあ」
やがて、魔法を組み込み終わったフェイがそう、呟く。僕とラオクレスは、祭壇の組み立てに入っているところだ。ラオクレスが積まなくていい部分……魔法が関係ない部分については、僕が描いてその場に出してしまっても問題ないので、そうしている。
「気になるなあ、やっぱ。トウゴが夢中になって描いてた風景だろ?見てみてえ」
フェイは楽し気にそう言って、空を見上げる。星空を見ていると、夜の国が思い出された。夜の国の方が、ずっと『夜!』っていうかんじがするというか、星と月以外の明かりがほとんど外に無いから、その分、夜空が綺麗だったというか。……いや、今思うと、あの空って魔王だった?僕、魔王のお腹か何かを見上げて『綺麗だなあ』ってやってた……?
「そうだな。俺も興味がある。レネ、という御仁についても、一度会ってみたい。……俺の予想では、概ねトウゴと同じようなものだろうと思うのだが」
「僕?ええと、そんなに似てないと思うよ」
レネは……ええと、別に、似てない、と思う。
レネは星明りみたいに白く透き通った肌に紺色のさらさらした髪で、目も星空みたいで……なんというか、工芸品っていうか、美術品っていうか、そういうかんじの美しさを持っている。触ったら壊れそうで、でも、触ってみると案外あったかい。そんなかんじ。僕とは全然、似ていない、と思う。うん。気は合ったけれどさ。
「……あ、ラオクレスは多分、タルクさんと気が合うよ。多分、似てる」
「タルク、か。そちらはどういった」
「布、だと思う。或いは透明人間……いや、透明な、何か……?」
「……それが似ているのか。俺と」
うん。なんとなく似てる。姿じゃなくて、性格、というか、立場、というか……。
……あ、もしかしてラオクレスが言ってたレネと僕が似てるんじゃないか、って、そういう……?
ラオクレスとタルクさんが似ているっていうことになると、やっぱり僕とレネも似ている、っていうことになるんだろうか?でも、僕はレネみたいに綺麗じゃないし、強くもないし、羽も生えてないし。似ているところって、『ふりゃー』なものが好きなくらいだったと思うけれど……。
「ま、それは実際に会ってから確かめてみようぜ。楽しみだよなあ、夜の国!」
「うん。すごく楽しみだ」
夜の国からしたら、楽しむどころじゃない、っていうのは分かる。けれど……うん。やっぱり、楽しみなんだ。
彼らを助ける方法があるかもしれない、っていうのも楽しみだし、美しい風景を見られることも楽しみだ。けれどやっぱり一番は……レネ達に会えるのが、楽しみだ!
そうして、どんどん祭壇が出来上がっていく。
……2日に分けて作るつもりだったのだけれど、案外、できてしまった。大理石をひょいひょい運ぶラオクレスの存在が大きい。あ、あとは、石材をカットされた状態で出せたりするのって、やっぱり、便利だ。
「後は、この板に月の光を塗り込むのだったな。トウゴ君。任されてもらえるか?」
「はい。やってみる」
そして、いよいよ、月の光の蜜の出番だ。
僕は、銀の円い板の上で瓶を傾けて、とろり、と月の光の蜜を零す。月の光の蜜は白銀に光りながらとろとろ流れて、銀の板の上に落ちて、円く円く広がっていった。
夜空を映す銀の板の上に、透き通った白銀の蜜が広がっていく。光が何重にも反射して煌めいて、星空が宙にできたような、そんな錯覚をしてしまいそうだ。
……そうして蜜がある程度落ちたら、ここからは手作業。手の平で、蜜を板全体に広げていく。
蜜に触れたら少しだけ、ひやりとした。けれど、そのひんやりが馴染んでくると、少し温かい、というか。うーん、変なかんじだ。けれど、不快じゃない。
「……わ、すごい」
そうやって月の光の蜜を銀の板に広げていくと、次第に、蜜が板に染み込んでいく。蜜がするりと溶けて消えて、銀の板自体が発光するようになってきた。すごい!なんだろうこれは!
「成程なあ。銀と月は相性がいい、ってのは知られてるけど、実際に月の光を塗り込むとこうなんのかあ……」
「そうねえ。月の光で清めた聖銀のナイフ、なんてものもあるけれど……実際に月の光が染み込んだ銀、なんて、中々見られない代物よね」
「すごくきれい……!」
「すごいわ!板が光ってるわ!お月様みたいだわ!」
ぽわぽわと光を発するようになった銀の板を眺めて、皆が口々に色々と言う。僕も概ね、同じような感想。これ、すごく綺麗だ。
最初、銀の板は綺麗に鏡の役目を果たしていて、それが夜空を映していて、綺麗だった。それが今は、鏡自体が光を放っていて、そこに映る夜空は光で滲んで、まるで月にある陰影みたいにも見える。
うん。今、銀の板は、月になった。丸い月。或いは、月を描いた1つの絵画のようにも見える。
……すごく綺麗。中々見られない光景だ。これを見られただけでも、祭壇を作った価値はあった!
「もう少し塗り込んでおいた方がいいかな」
「まあ……やっといてもいいんじゃねえの?蜜はたっぷりあるし。ほれほれ」
「うわ、ちょ、フェイ!僕にかかってる!僕にかかってるよ!」
「あ、悪ぃ!うわ、ごめんな、べっとべとだな……」
フェイが後ろから蜜を注ぎ足してくれたんだけれど、手元が狂ったらしくて僕が蜜まみれになってしまった!あっ、なんか甘いのが口に入った!美味しい!
「……この状態で馬の中に入ってったら、全身舐められそうだなあ」
フェイがなんとも気の抜けたことを言う。人に掛けておいて他人事のように……。うん。
「……フェイにも塗り込んでやる」
ということで、銀の鏡に月光がこれ以上染み込まなくなったのを見て、僕は手に残った月光の蜜をフェイに塗り付けてやった。
「う、うわ、悪かったって!おいおいおいあーあーあーあー!うわっすげえ!俺、光ってる!あ、甘い!美味い!ん?これ、そんなにべたべたしねえな?」
フェイが顔面蜜まみれになったところで満足した。あと、ここで後頭部から蜜を掛けられた僕も、発見。この蜜、髪や服についてもそんなにべたつかない。濡らした布でさっと拭けばすぐに落ちるくらいだ。それから、放っておいたら空気に溶けて消えていってしまうみたいで……そもそも拭く必要もないかもしれない。
そうか、月光の蜜って、こういう性質なのか。面白いなあ。
「これおもしれえなあ。そうか、光が蜜になってるんだから、そりゃ、蜂蜜とかとは違うよなあ……」
フェイも未知の物質に対して興味を持ったらしい。……蜜まみれにされたお返しに蜜まみれにしてやって、それでお相子、ってことにしようとしたんだけれど、喜ばれてしまっては僕としては負けた気分だ……。
その後、月の光の蜜が指に残ったのをちょっと舐めたり、馬に僕とフェイが舐められたり、そうこうしていたら龍がやってきて僕らに水をざばりと掛けて丸洗いした後、すぐに乾かしてまた去っていったり、今度は鳥がいつの間にか蜜まみれになっていて、光る巨大な球体になっていたり……まあ、色々あったけれど、とりあえず無事に銀の板に月の光が塗り込まれた。
そうしてぴかぴか光る満月みたいになった銀の板が、祭壇に嵌め込まれるのを見届ける。
板は、ぴたり、と大理石の中に収まった。そして、フェイが刻んだ模様やそこに嵌め込まれた銀線を伝って、光が祭壇全体に広がっていく。
「……おおー」
そうして祭壇が完成した。祭壇は全体がほんのり輝くようで、一層神秘的に見える。
いよいよ、祭壇が完成した。後は……。
「よし。じゃあ最後は、月の光を集めるところだな!」
……うん。
「本当にそれ、やるの……?」
「ん?そりゃー、蜜まみれよりはいいだろ」
「よ、よくないよ!バイオテロだよ!?」
「なんだ、そのばいおてろというのは」
「いいからさっさとやっちゃいなさいよ。ほらほら」
うう……ごめんなさい!これから僕、ここに竹を植えます!ごめんなさい!ごめんなさい!
「や、やってしまった……もう後戻りはできない……」
「……大げさねえ。最悪の場合、竹が無い景色を描けば戻せるんでしょ?」
「それはそうなんだけれど……あああ……」
竹がさらさら揺れている。月の光と竹って相性がいいね。すごく綺麗だ。でも竹だ。一応、最初に竹を描いた時と同様に石で巨大な植木鉢みたいなものを造って、そこの中に竹を植えるようにはしたけれど……だ、大丈夫だろうか!
「これからも馬達にはタケノコ警備隊をお願いすることになるね……」
馬達は僕らが夜に何かやっているのを見て『なんだなんだ』というかのように文字通り野次馬していたのだけれど、僕がそう言った途端、ちょっと嬉しそうに竹の周りを歩き始めた。いや、流石にまだ、タケノコは生えてこないと思うよ。というか、君達、タケノコ、そんなに好き?気に入ってるの?こちらとしては助かるけれどさ。
「まあ、見ろ。竹に月の光が集まってきている」
僕が戦々恐々とする間にも、竹はほわほわとした光を集めては辺りに零し始めた。それを見て妖精達がはしゃぐ。光を浴びて、楽しそうに笑っているのが分かる。どうやら妖精達は月の光を浴びるのが好きらしい。なんとなく可愛らしい光景だ。
「ええと……じゃあ、後は待つだけ、かな」
「自分に合った月の形になるまでは待つ、ってことだよな?別に、トウゴに合わなくっても他の奴に合えば使えるとか、ねえの?」
「魔力を大量に消費することは間違いないでしょうから、できるのはトウゴ君ぐらいだと思うわよ。未知の魔法なんだから、そこは慎重を期していいと思うわ」
うーん……うん。少なくとも、この中で一番魔力が多いのは僕らしいから、僕がやるのがいいと思う。
気は急くけれど、ここは辛抱強くいこう。
毎晩、月が満ち欠けするごとに試していけば、きっと……。
……と、思ったのだけれど。
「……あれっ、今日って満月じゃないよね」
「そうね。半月だけれど……」
何故か、祭壇の上、銀の板で作られた円は……全面が光り輝いている。
おかしいな。夜の国でレネが操作するのを見た時には、空の月と連動していたのだけれど。
だからこそ、レネに合う形の月……三日月とか有明の月みたいな細い形になるまで、僕はレネの部屋で居候させてもらっていたんだ。
でも、何度見ても、空の月は半月で、祭壇の月は満月だ。
……何か、間違えてしまっただろうか。
急に心配になってきて、祭壇の不具合を確認するけれど、そもそも僕が見て分かるようなことなんて何もない。けれど、フェイが組み込んでくれた魔法が間違っていたとは思いにくいし、となると、竹がまずかった?或いは、月の光を蜜にして塗り込むのはやっぱり駄目だった?
ぐるぐると、頭の中をいろんな考えが回り始める。祭壇の上の月は、相変わらずの満月で、そして、空には半月が出ていて、その前を鳥が飛んで……。
……うん。
「まさか……」
あの、まさか、とは、思うんだけどさ。
鳥が、何を考えているんだか、空をぱたぱた飛んでいるんだけれどさ。
その鳥って、今……月の光の蜜まみれで。
そして、鳥って……丸いんだよ。
「鳥が月だと認識されてる……!?」
「嘘だろ……!?」
……そう。夜空には、蜜まみれの鳥が、光り輝いていた。
さながら、満月のように。