8話:夜の国*7
僕はタルクさんの服の中で、じっと息をひそめて、外の様子を窺う。
……僕をこの国に連れてきた灰色ドラゴンは、いわば、僕の内臓をうにょうにょの餌にしようとした人、だと思う。
レネが明らかに僕を隠してることからも、灰色ドラゴンは僕にとってあんまりいい相手じゃないんだろうな。
レネもタルクさんも僕によくしてくれるけれど、この国の人全員が僕に対してそうっていう訳じゃないっていうことくらいは分かるよ。多分、レネ達が特殊なんだろうな、ということも、分かる。
……けれど、今、僕らの目の前で、灰色ドラゴンの人は嬉しそうに青空の木を見上げている。
そこに実った小さな太陽も、お気に召したみたいだ。嬉しそうに木に近づいて、小さな太陽の大きさを指で測りながら、ちょっとだけ残念そうな顔をして……けれど横からレネに『ふりゃーれ?』と言われて、『ふりゃー』と返しつつ、気を取り直したみたいに頷いた。
何だろうな。期待していたよりも実った太陽が小さかった、ってことかな。でも、あったかいからまあいいか、みたいな?うーん……。
その後は、レネと一緒に空を指さしたりしながら何か話し始めたのだけれど……動きが無くて会話だけだと、僕には『ふりゃー』以外何も分からないので、この間にちょっと、この木とこの国について考えてみようと思う。
まず、僕がこの国に攫われてきた理由は……ほぼ間違いなく、あのうにょうにょの餌にするため、だったんだろうと思う。……レネに助けてもらえて、本当に良かった。うう……。
……それで、僕を餌にすると、どうやらあのうにょうにょは花を咲かせて、暖かい金色の蜜を出す、らしい。
うにょうにょの餌は多分、僕じゃなきゃ駄目だったんだと思う。いくら他の内臓を与えても駄目だったみたいだから……森の精霊の魔力が必要だったのか、はたまた、僕らの昼の国の生き物の血とかが欲しかったっていうことなのか……。
詳細は分からないけれど、とりあえず、うにょうにょは僕を餌にする必要があった、んだろうと思う。そこはまず間違いなく確実だ。この目で見たし。
そして、うにょうにょが出した蜜を青空の木に与えると、木は小さな太陽を実らせて……木の上空で、朝の空が少し、広がっていく、と。これもこの目で見たから分かる。
……さて。ここまで整理すると、大体、分かってくる。
夜の国の人達はこの夜の国に、青空が欲しいんだと思う。
レネや灰色ドラゴンの人がどういう立場の人なのかも、気になる。
僕が森の町の出口で捕まってしまった時は、魔王の復活と魔物の襲撃の直後で、だから、あの灰色ドラゴンの人が、魔王……?いや、復活したての魔王が直接僕を攫いに来るとも思いにくいし、となると、灰色ドラゴンの人は魔王の部下、なのかな。
……そしてレネは、多分、灰色ドラゴンの人の血縁、じゃないかな、とは思う。
ちょっと似てる。灰色ドラゴンの人も整った容姿をしているから。親子というには齢が近いような気がするし、兄弟というには遠すぎるような気がするのだけれど、でも、ドラゴンだと人間とは齢の取り方が違うかもしれないし、分からない。
それにしても、灰色ドラゴンは見事に濃い灰色なのだけれど、レネはきらきらの星空色だ。そこはあんまり似てないな。やっぱりレネが特別なんだろうか?
あの灰色ドラゴンの人が魔王、もしくは魔王の部下とかそういう人だったとして……だとしたら、魔王の目的は、夜の国の空を青空にすること、なんだろうか?
いや、必ずしも魔王の意思、とも限らないのか。うーん……この辺りは全然分からないな。帰ったらフェイやラージュ姫に聞いてみよう。魔王の目的が分かれば、レネや灰色ドラゴンの人がどういう立場の人なのかも分かるかもしれない……。
やがて、灰色ドラゴンの人とレネの話が終わった。
灰色ドラゴンの人は、ちらり、とタルクさんの方を見て……けれどその中に隠れた僕には気づかずに、レネと最後にもう少し話して、そして、ドラゴンになって飛んで青空の木に実った小さな太陽をじっと見つめて……元来た方へ飛んで行ってしまった。
……そうしてドラゴンの姿がすっかり見えなくなってしまってから、タルクさんがそっと、僕を外に出してくれる。
レネはほっとしたようにへたりこんで、それから、僕の手を握って、何か言った。多分、よかった、とか、安心した、とか、急にびっくりしたよね、とか、そういう内容だと思う。
びっくりしたし、見つかってしまうんじゃないかと思ってどきどきしたけれど、でも、ここに来てよかった。
綺麗な光景をたくさん見られたし、この国のことも少し分かったし。……謎も増えたけれど、でも、分かったことも増えた。
それから、灰色ドラゴンの人を間近で見られたのもよかったかな、と思う。僕を攫った人の姿をちゃんと見ることができたっていうのは、多分、きっと、役に立つと思う。
「とうご」
……考えていたら、レネがちょっと、僕の袖を引っ張った。
何かな、と思ってレネについていくと、レネは青空の木の根本に、すとん、と腰を下ろして、その隣をぽふぽふ叩く。僕は指示された通り、レネの隣に腰を下ろした。
木の根元はふわふわした土とふわふわした苔に覆われていて、なんだか天然のクッションみたいだ。それでいて湿っぽさはあんまり無くて、地面の下からほこほこ温かいようなかんじがして、とても座り心地がよかった。
「きれい」
「うん。綺麗」
そこで並んで座って、しばらく2人で木や空を眺めて……。
「……ふりゃー」
レネがちょっとくったりしたなあ、と思うと、木に凭れてそのまますやすや眠り始めてしまった。……疲れてたのかな。
今日は僕も色々あったけれど、きっと、レネも色々あった日だったんだと思う。血塗れの半ドラゴンになって帰ってきたし、その後うにょうにょの世話をしなきゃいけなかったし、更にここまで水玉旅行してきて、そして灰色ドラゴンの人から僕を隠して。
……体力も気力も使っちゃったんだろうなあ、と思う。レネはすやすや、寝心地良さそうに眠っていて、もう少しお昼寝させてあげたいかんじだ。
一応、タルクさんに顔を向けながらレネを指さして首を傾げてみせて、『これどうしましょう?』とお伺いを立ててみたのだけれど、タルクさんはレネを近くで眺めて、それからちょっと首を捻って考えて……どこから取り出したのか、薄手のブランケットをレネにかけた。お昼寝推奨、ってことかな。
……と思っていたら、タルクさんは僕にまで、ブランケットをかけてきた。1枚の大判ブランケットを僕とレネで半分ずつ被っているような状態だ。
あれ、と思っていたら、タルクさんはちょっとだけ離れた場所に腰を下ろして、見張り番、とでもいうように島の外を眺め始めた。
ええと……これは、僕もお昼寝推奨?
どうしようかな、と困っていたら、不意に、こてん、とレネの頭が僕の肩に乗る。
ちょっとびっくりしたけれど、レネは変わらず、僕に凭れたまますやすや眠っている。……うーん。
……よし。僕も寝よう。おやすみなさい……。
とうご、と遠慮がちな小さい声に呼ばれて起きた。
見ると、レネが僕を覗き込みながら、もじもじしていた。どうやら僕を枕にして昼寝してしまったのをちょっと申し訳なく思っているらしい。別にいいよ。湯たんぽにでも枕にでもしてくれて。
僕も起きると、タルクさんがブランケットをさっとしまって、それから僕らは帰ることになる。
帰りは行きと同じ、水玉旅行だ。島の端にあった石板にレネが手の鱗を翳すと、噴水で見た時みたいに、湖の中から水玉が飛び出してくる。僕らはまた水玉の中に入って、そしてそのまま、夜の国のお城へ戻っていく。
……帰りは行きよりも少し、明るかった。夜の国が少し、夜明けの国になったからだと思う。
そんな光景を見ながら空を見上げたら、青空の木があった方だけがほんのり白んでいて……そして夜空の部分には、細くなった月が見えた。
……そろそろ、僕が帰る日がやってきた。
そのまま僕らは夜の国のお城に戻って、レネの部屋に戻って……お風呂に入って着替えて、寝た。
昼寝してしまったから眠れるか心配だったけれど、僕も久しぶりの外出で疲れたのかもしれない。よく眠れた。
よく寝て起きたら、レネがいつにもまして僕にくっついて寝ていた。寒いのかなあ。
確かに、ここは冷える。石造りの建物だから、床から寒さが滲みだしてくるような、そんな冷え方だ。夜の国は太陽の光が差さなくて、だから、すごく寒い。
いくら、今はベッドの中に居るからと言っても、青空の木の下、実った太陽の光を浴びて温まっていた時とは違う。少しでも手足がベッドの外にはみ出たら寒いし、特に今は、ベッドに2人で寝ている状態だから、余計にはみ出しやすいし……。
……この国の人達は、太陽の光が欲しいんだろうな、と、思う。だから青空の木に小さな太陽を実らせて、ちょっとでもこの国を明るく暖かくしようとしてるんだろうな、とも。
そう考えていたら、なんだかちょっとやるせなくなって、それから、ちょっと積極的にゆたんぽになりたくなってきた。
レネが『ふりゃあ……』と寝言を言う。うん。目いっぱいふりゃーになってほしい。助けてもらった恩返し、っていう訳じゃないけどさ。
それからレネは起きて支度をして……部屋を出ていく前に、僕に本を見せてくれた。
ここに来た最初の日に見せてくれた、月がたくさん載っている本だ。
レネはその中で、有明月の絵を指して、それから、窓の外を指した。
「今日なんだね」
僕が尋ねると、レネはちょっと寂し気に俯いて、それから、きゅ、と僕の手を握って、何か言った。その後、僕を安心させるように笑顔を向けてくれて、それから、ベッドの奥の壁に飾られた僕の絵を示す。
……遂に、僕は帰れる。
なんだか実感が湧かなくて変なかんじだ。けれど……帰らなきゃいけない。皆、心配してるだろうし。ああ、手紙、ちゃんと届いてればいいけれど……。
「……とうご」
レネは僕を見て、ちょっと、何かを言いかけた。
けれど、その先は出てこない。出てきても通じない言葉だって諦めてしまったのか、それ以上に何か、言いにくかったのか。
「レネ?」
名前を呼んで、レネの顔を覗き込む。するとレネは『なんでもない』と言うように首を横に振って、それから、ぱたぱたと部屋を出ていった。
……うん。
言葉は通じないけれど、なんとなく、分かるよ。僕もそうだから。
……ちょっと、寂しいんだ。
レネが戻ってくるまでの間、僕は、描いた。ひたすら描いた。
助けてもらって、匿ってもらって、帰してもらえる。だからそのお礼はちゃんと、していきたい。
それに……お礼じゃなくても。不思議な出会いを経てできた不思議な友達に、お別れのプレゼントくらい、ちゃんと残していきたい。
途中でタルクさんが食事を持ってきてくれた。僕が描いているものをひょい、と覗き込んで、それから、わくわくした様子でそれを眺めてくれた。この反応が貰えるなら、レネにも気に入ってもらえるだろうか。
ちょっと自信を貰いながら食事を摂って、それから荷造りを始めた。
とは言っても、服を描いて出して着替えることと、薄くて小さい鞄を出して、そこにスケッチブックをしまうことくらいだ。レネの鱗はシャツの胸のポケット。ボタン付きのポケットにしたから、絶対に落とさない。
絵の具は水彩用を靴の中に隠し直して、魔法画用の絵の具と、今描いている途中の絵はまだ使っているから、そのまま。
……よし。これでギリギリまで描いていられる準備ができたから、最後の仕上げに入る。
絵の具選びはちょっと迷ったけれど……青空色の絵の具を使うことにした。
巨大コマツグミの卵の殻の色じゃなくて、青空をそのまま絵の具にしたやつ。リアンとアンジェの瞳の色が欲しくて作ったやつだ。あれを使って宝石を出して、粉にして、それを瓶の中に入れて……準備完了。
青空そのものの色の絵の具を、そっと動かして……。
……その時だった。
バタン、とドアが開く。そして……。
「とうご!」
レネが、走って戻ってきた。
血相を変えて。
「れ、レネ?」
様子が変だ、と思ったけれど、その理由を確認するより先にタルクさんも部屋に入ってきて、ドアの鍵を閉める。……その一秒後に、バン、とドアが叩かれる音がした。
……そして、声がする。怒ったような、低い声。
あの灰色ドラゴンの人の声だ!
レネは窓へ駆け寄ると、勢いよく窓を開いた。
「とうご!」
そして僕を急かすように呼ぶ。僕は慌てて鞄を背負って、空色の魔石絵の具をポケットに突っ込んで、仕上げだけが残った絵を抱えて、窓辺へ駆け寄る。
……すると。
「うわ」
ぎゅっ、とレネが僕を抱きしめて……そのまま、飛び立った。