7話:夜の国*6
気になる。このうにょうにょの蜜をどうするのか気になるし、僕の血がなんで役に立ったのかも気になるし、夜の国のことも気になるし、レネのことも気になる。色々と、こう、気になる。
……知っておいた方がいいよな、と、思う。
「僕も行く」
だから僕は、レネの手をとった。
僕らは部屋を出た。僕にとっては数日ぶりの部屋の外だ!
……前に運ばれてきた時はそれどころじゃなかったからあんまり意識しなかったけれど、結構、冷える。成程、皆が僕に毛布を掛けてくれるわけだ。
タルクさんが先導する中、僕らはその後ろをついて歩いていく。
階段を下りて、渡り廊下を進んで……階段を下りて……そして、中庭に出る。
周りを灰色の壁に囲まれた中庭は、花がいっぱいだ。描きたい。
薄青に光る花が多くて、その中にはレネの部屋に飾ってあるのを見たことがある花が、いくつかある。薄黄色の光る奴とか、薄緑に光る奴とか。……この世界の花って、大体光るの?あ、もしかしてよく食事に出てくるジュースって、この花由来だったりするんだろうか?
「とうごー」
レネは僕を呼びながら、ちょっと先で僕を手招きする。慌てて近づくと、レネは……中庭の一角にある噴水の所で待っていた。
噴水は、白い縞の走った黒大理石でできている。すごく大きい。噴水の中で水泳ができそうなくらい。噴き上がった水が月光にきらきら煌めいて、すごく綺麗だ。描きたい。
僕が噴水に見惚れていると、レネは……噴水の水の中に、手を突っ込んだ。
すると、噴水の水の底で、ぼんやり、光が灯って、消えた。
それを確認したレネは、更に中庭の奥の方へ進んでいく。……なんだろう。
後をついていくと、レネは中庭の一角、大きな木のあるところで、その木の根元にある石碑みたいなものを触っていた。するとまた、石碑にぼんやりと光が灯って、消える。
次は花畑の真ん中の石像。その次は蔓性の花が絡むアーチの根元。その次は隅っこのタイル。それらは全部、レネが触るとぼんやり光が灯って消える。
……そして最後にレネは、噴水の前に戻ってきて、また、水の中に手を突っ込んだ。
「……水玉だ」
そして噴水の中から、大きな水玉が飛び出してきた。
僕がびっくりしていると、レネは躊躇なく水玉に突進していって、ぷるん、と水玉の中に入り込む。水の中には空気があるみたいだ。
タルクさんも水玉の中に入り込んで、2人で僕を手招きする。なので僕も意を決して水玉に突進していって……ぷるん。
膜を通り抜けた、というか、ゼリーの中に潜り込んだ、というか、そういう感覚があって、僕は水玉の中に入り込んでいた。
大丈夫だ。ちゃんと呼吸ができる。どうやら水玉は、水がカプセル状に形成されているものらしい。なんだろうなあ、これ。
……水玉の内側から眺める星空は水に歪んで、これはこれで綺麗だ。水の底から見た風景っていうのはこういうかんじか。これも描きたい。ここに来てから描きたいものがいっぱいだ!
僕らが水玉の中に入って少しすると、水玉が動き出した。
「うわ」
ちょっとびっくりしていると、レネがくすくす笑う。これ、この国では普通のことなのかな……。いや、でも厳重に隠されていたようにも見えるし、レネの秘密の乗り物なんじゃないのかな、これ。
水玉は動き出すと、ふわり、と浮いて、それから、ちゃぽん、と噴水の水の中に入り込んだ。そのまま沈んでいって……どんどん水面が遠くなっていく。
どうやら、噴水の水の奥に通路があるらしい。水玉は水の中、その通路を進んでふわふわ動いていく。
水の底は、暗い。けれど、水路の両脇には光る石が嵌め込んであって、真っ暗、っていうわけじゃなかった。
そのまま水玉は噴水の奥の通路を進んでいって……どこか、多分、外に出た。
「綺麗……」
思わず、ため息が漏れてしまうくらい綺麗な景色だった。
そこは、星明りと月明かりが差し込むどこかの湖か何かの水底で、辺りにはふんわり光る水草がたっぷり生えている。
光る宝石みたいなものがちらほら水底に落ちていたり、ガラス細工みたいな魚が悠々と泳いでいたり、水中の花がふわふわと空気の泡を吐き出していたり……御伽噺の魔法の国みたいだ!
水の上から降り注ぐ夜空の光は、はっきりと透き通った水を通り抜けて、ゆらゆら揺らめきながら僕らの頭上から降り注ぐ。
暗くて透き通って輝いて、すごく綺麗だ。これを見られたっていうだけでも、レネについてきたのは正解だった!
一方、レネは大事に大事に、蜜入りの水差しを抱きかかえながら、のんびりと水玉旅行を楽しんでいる。タルクさんは気を抜いていないようだったけれど(こういう時の雰囲気はちょっと、ラオクレスに似てるかもしれない)、それでも楽しそうにしていた。
「すごいね、綺麗だね」
レネに話しかけると、レネはちょっと首を傾げながら……ふと思いついたみたいに、言った。
「きれい!」
……わあ。
嬉しい。
そっか。自分の言葉を知らない相手が自分の言葉を使ってくれるのって、こんなに……こんなに嬉しいのか!
「うん。綺麗!」
「きれーい!」
『ふりゃー』の時にレネはすごく喜んでくれたけれど、今、僕はその気持ちが分かった。
2人で『きれい、きれい』とはしゃぎながら、僕らはしばらく、綺麗な景色を楽しんだ。
……あ、タルクさんもぽそっ、と、「きれーい?……きーれい?きれー……?」と呟いている。うん。きれい!よし!3人になった!
3人で『きれい!』とはしゃいでいたら、その内、水玉はふわふわ上昇を始めた。ついでに、段々、明るくなってくる。
おや、と思って上を見上げると……そこには夜明けの空があった。
夜の国に、夜明けがある。
見慣れたはずの夜明けの空が随分と珍しく見えて、自分でもびっくりする。
そうしていると、ぐんぐん水玉は浮上していって……そして、ふわっ、と宙に浮いて、着陸。そこで水玉ははじけて、消えた。
……そこは、島だった。大きな大きな湖に浮かぶ、島。
島の上空だけ、ぽっかりと青空が広がっていた。
そしてその島の中央には……空まで届くような、大きな大きな木がある。
レネはぱたぱたと駆けていく。僕とタルクさんも後を追うと、レネはやがて、島の真ん中の大きな木の根元に辿り着いた。
……不思議な木だ。
この木に近づいて初めて、僕は、この不思議な空模様の理由が分かった。
この木の上空だけぽっかりと朝の空が広がっているのは、この木自体が、輝いているから、なんだと思う。
木の葉はさわさわ揺れながら、ほんのり光っていた。まるで古い電球みたいな、朝の太陽の光みたいな、ほんのり黄色がかった懐かしくて暖かい色の光を灯している。
まるでこの木自体が青空みたいだ!
……夜の国に生えている青空の木は、なんとも幻想的な眺めだった。
レネは青空の木の根元で、そっと膝をついて、水差しを傾ける。
とろとろと零れる金色の蜜はさながら強く差し込む陽光のようで、ちょっと眩しくて、暑いくらいに暖かい。
蜜は木の根元へ注がれて、そこでみるみる染み込んでいく。蜜が染み込んだところがほんわり光っていて、これもまたなんとも幻想的というか……。
「とうご」
そしてレネは立ち上がって、頭上を指し示し、同時に上を向く。
僕もレネに倣って上を見上げてみると……。
「……わあ」
空色の葉の間に、小さな太陽が実っている!
燦然と光り輝くリンゴの実、と言うべきなのかな。いや、でも、リンゴよりもずっと球形だし、実っている、とは言っても、軸とかが見当たらないし、光ってるというか、光そのものを固めて作ったみたいな形をしているし……。なんだろう。でも、とりあえずすごい!
「きれい!」
僕が太陽の実に見惚れていると、それを指さしてレネが嬉しそうに笑う。
「うん。すごく綺麗だ。あと……ふりゃー!」
「ふりゃふりゃ!」
うん。ふりゃー。あったかい。すごく。
……夜の国の、それも室内にずっといた僕には、すごく居心地が良くて……そしてレネやタルクさんにとっても、居心地が良いみたいで、明るくてあったかい中、僕らはしばらく燦々と降り注ぐ太陽の光を浴びて、青空を見上げてのんびり過ごす。
やがて、レネが歓声を上げて、上空を指さした。
「あ、広がってる」
それを見に行くと、夜の範囲が狭くなっていた。すごい。ちょっと昼間が広がってる!青空が見えるっていいなあ……。
そんな時。
ばさり、ばさり、と、大きな生き物の羽音が遠くから聞こえてくる。
木の陰からそっと、そちらを見てみると……。
遠くの空から、大きな、濃い灰色のドラゴンがこちらに向かって飛んできていた。
レネはそれを見て、小さく悲鳴を上げた。そしてほんの1秒だけ悩んで、すぐ、僕を引き寄せた。
そして躊躇なく僕の額に口付けると、僕をタルクさんに預ける。タルクさんは了解、とばかりに僕の手を取って、さっ、と彼の懐に僕をしまい込むと……ん?あれ?あ、僕、しまわれている?
……タルクさんは透明人間だ。ローブのずるずるした中にあるはずの体は見えなくて、薄いグレーに深い青の星模様の仮面と、手袋しか見えていない。
そして僕は今、多分、タルクさんのローブの中に、お邪魔している。
……もしかしてタルクさん、透明人間どころじゃなくて、実体が本当に無いタイプの方でしたか……?
それから少ししたら、羽音はどんどん近づいてきて……遂に、濃い灰色のドラゴンが島に降り立った。
レネはそれを出迎えにぱたぱた走っていく。僕はタルクさんの中にしまわれたまま、一緒にゆっくり、後を追った。
……すると、そこで濃い灰色のドラゴンは、姿を変えた。
みるみる縮んで、人間の大人ぐらいの大きさになって……人になった。いや、人とドラゴンの間?
今のレネみたいなかんじだ。角があって、手が大きくて爪が鋭くて、羽があって尻尾がある、人間。そういう具合。
……濃い灰色のドラゴンの人は、レネに何か話しかけた。レネはちょっと過剰にはしゃいだような具合で、木の方を指さす。灰色ドラゴンさんはレネに示された方を見て、多分、感嘆の声を上げた。ちょっと嬉しそうだ。
そして2人は何か話し始める。
……あ。
灰色ドラゴンさんの方の声、聞き覚えがある。
僕が夜の国に来て最初の日、レネのベッドの中で抱き枕に擬態した状態で聞いた声だ。
多分、僕はこの人から隠れなきゃいけない、んだと思う。
それに……あの灰色のドラゴンの色合いには、見覚えがある。
多分、僕をこの国へ攫ってきたのは、あの人だ。