6話:夜の国*5
レネが血塗れだ。ついでにドラゴンだ。
それでいて、レネ自身は落ち込んでいるみたいというか、苛立っているみたいというか……ちょっと荒っぽく心がささくれ立っている様子で、それでいて、今にも泣きそうな顔で、口をへの字にしていた。
「れ、レネ!どうしたの!?」
急に変わってしまったレネを見て、僕はものすごく驚いた。
レネはびくり、として、申し訳なさそうな、恥ずかしそうな、どうしようもないような表情で顔を背けて、『見ないで、見ないで』とでも言うかのように、背中の羽を器用に前に動かして、顔を隠してしまった。
「……ええと、お土産?」
僕は、レネの顔は見ないようにしながら、その手の中に抱えられたものを見て……。
「……あ」
見覚えがあった。
これ……このうにょうにょ……僕が牢屋で台に縛られていた時、隣に置いてあった奴だ!
これ、なんだろうか。
どういう状況なんだろうか。
僕、もしかしてまた縛られて、お腹から胸にかけてとろろを塗られたりする……?
ちょっと緊張していると、レネの後ろから来ていたタルクさんが、さっ、と部屋の鍵を閉めた。
それから、タルクさんは……手に持っていたものを、とりあえず、というように、床に置く。
「……うわ」
それは……素焼きの器に盛られた、内臓、だった。あと、血。
多分、あの、心臓、とか、そういう……。
僕、そういうのに詳しくないから、それが人間のものかそうじゃないのかは分からないのだけれど、でも、違う、気もする。いや、そう思いたいだけかもしれないけれど。
目の前に現れた内臓にショックを受けている間にも、タルクさんが手慣れた様子で支度をしていく。
何かレネに声をかけると、レネは頷いて、手に持っていたうにょうにょをテーブルの上に置いた。うにょうにょはテーブルの上でうにょうにょしている。な、なんなんだろう、こいつ……。
それからタルクさんはお湯で濡らしたタオルでレネを汚している血を拭い取って綺麗にして、汚れてしまった服を取り換えて……レネは段々、綺麗になる。
けれど、ドラゴンっぽい手や尻尾、角や羽なんかが消えるわけでもなくて、レネはただ、泣きそうな顔で真っ赤になって、身を縮めながら僕から顔を背けているだけだ。
それからレネはすっかり汚れを落として綺麗になって、ちょこん、と椅子に座った。
まだもじもじびくびくしながら、気まずげに僕の方を見ている。……何だろう。この格好になって、僕が怖い?いや、違うのかな。僕がびっくりすると思ったのかな。
……この格好、多分、レネにとっては、突然の変身ではないんだろうな、と思う。だって、レネは羽で顔を隠したり尻尾でものをとったり、色々と器用に体を使ってる。今も、鋭い爪のある大きな手で、ちょこん、とティーカップを持っている。多分、突然の変身だったら、こういう風に動かしたり、力加減したりできないんじゃないかな。
だから、多分、これはレネにとって、割と普通のことで……レネは、変身してしまったことについて怖がってる訳じゃなくて……。
……なので、僕、遠慮しない。
「触っても、いい?」
そっと手を伸ばしながらそう聞いてみると、レネは特に抵抗しなかったので、そのままゆっくり、手を伸ばさせてもらう。
それから、そっと、レネの手に触る。
……レネの手は鱗で覆われていた。ベッドの中で僕にすりすり近づいてくる、白くて柔らかい手とは全然違う。
けれど、綺麗だ。
鱗の1枚1枚がほんのり透き通った濃紺。そこに星がちりばめられたようで、鱗の1枚1枚が星空の欠片みたいなんだ。
……そうか!僕が貰った星空の欠片って、レネの鱗だったんだ!
気づいて、嬉しくなって、ずっとポケットに入れている星空の欠片を取り出して、レネの手と比べてみる。うわあ、本当に一緒だ。綺麗だなあ。
「綺麗だなあ……」
口に出してしまいつつ、次に角を見せてもらう。
金でも銀でもない、角度によってちょっと色合いが違うような、不思議な質感の角だ。金属っぽいけれど多分、金属じゃない。森の馬の角とも違うし、なんだか不思議なかんじだ。これもすごく綺麗。
それから羽。
羽は蝙蝠の羽に近い形をしている。フェイのレッドドラゴンもこういう形の羽だ。
ただ、レネの羽は、もっとひだが多い。窓辺で揺れる薄絹のカーテンみたいな、細かいプリーツのシフォン生地みたいな、そういう羽をしている。広げてもプリーツが残るんじゃないかな。これで顔を隠そうとするレネは、ベールをかぶってるみたいですごく綺麗だ。
尻尾は……星空の欠片みたいな鱗に覆われていて、馬のたてがみみたいに、背筋から繋がる上部のラインに羽と同じような繊細な被膜のプリーツがある。綺麗だなあ……。
尻尾は最初、固まったように動かなかったけれど、僕が眺めたり触らせてもらったりしている間に、ちょっとふるんふるんと揺れるようになってきた。猫とか犬とかもこうやって尻尾振るよね。あと、馬も振る。よく振ってる。
綺麗だなあ、綺麗だなあ、と、ただただそればっかり思いながら、しばらく、レネを見ていた。
するとレネは、恐る恐る、僕を上目遣いに見上げて、ちょっと首を傾げた。
「レネ!君、すごく綺麗だ!すごい!綺麗!描いてもいい!?」
僕はもう、レネを見て、描きたくて描きたくて……画材を持ってきたら、レネはきょとん、として、それから、安心したように笑いだした。
……とりあえず、レネは元気になったらしい。さっきまでの、心がささくれ立ったようなかんじのするレネじゃなくて、ベッドでぬくぬくしている時のレネの顔になってる。
よかった!
では早速、と僕が絵を描き始めようとしたら、タルクさんがレネに話しかけ始めた。内臓入りの器を持って。うわ、すみません。2人ともお仕事中なのかな。いや、内臓を扱う仕事って何だろう……。
レネはタルクさんに真剣な表情で何かを言っていて……それから、ちょっと申し訳なさそうに、僕に『ちょっと待ってね』というような仕草をした。なので待つ。描かせてもらえるならずっと待ちます。
レネは、テーブルの上に置いたさっきのうにょうにょを、意を決したように見つめる。
そして……タルクさんが持ってきた器から、内臓を1つ、手で掴んで……うにょうにょに、差し出した。
「うわっ」
うにょうにょの絡まった蔓みたいなところが、ガバリ、と開いた。びっくりした。
そしてそこからにゅるりと飛び出した粘っこい蔓が、レネの手から、内臓を絡めとると……うにょうにょの中に、それを引き込んで、それから、全体がもにょもにょ動き出す。
……う、うわ、ええと、その蔓、もしかして、食虫植物……いや、食肉植物だったの……?
僕が唖然としながら見ている間にも、レネは何かを唱えたり、うにょうにょの様子を見たりしながら、器の中に入っている内臓を1つずつ、うにょうにょに与えていった。
僕はそれを見ながらぼんやりと、『もしかして僕の内臓がああなる予定だったんだろうか』という恐ろしい想像に至ってしまって、こう……ぞっとする。
レネは難しい顔をしながら、途中でタルクさんに何かを言った。するとタルクさんは頷いて早足で部屋を出ていく。
レネはその間にもうにょうにょに内臓を与えていて……そうしていると、うにょうにょは、次第にちょっとずつ、成長している、ように見える。
なんだろうなあ、これ……。
そうしている内に、器の中が空っぽになった。けれどどうやらそれだと足りないらしくて、レネは難しい顔でうにょうにょを眺めている。
するとタルクさんが戻ってきた。また、手には内臓が盛られた器を持っている。それ、どこから持ってくるの……?
レネは器を受け取って、また、内臓をうにょうにょに与え始めた。
ええと……これ、餌やり中?そういうことなのか?
2個目の器の中にあった内臓はどんどん少なくなっていって、そして、レネは最後の一個をうにょうにょに与えた。
うにょうにょは初めと変わらない食欲でそれを呑み込む。
……レネはうにょうにょを難しい顔で眺めて、それからもう一回、タルクさんに何かを言った。
けれどタルクさんは、首を横に振って何か言う。レネはそれを聞いてまた難しい顔をすると、器に残った血をうにょうにょに注いだ。
うにょうにょは血を飲み干して、そしてまた、元気にうにょうにょしている。……ええと、つまり、変化らしい変化が見られない。
レネは困り始めた。どうしよう、とタルクさんに相談しているように見える。
タルクさんはちらり、と僕を見た。……けれどすぐ、レネが怒ったように声を上げて首を横に振る。
けれどタルクさんも首を横に振って何か言っていて……。
……ええと。
「あの、内臓っぽいの、出そうか?」
なので僕、申し出てみた。
少なくとも、自分の内臓を提出するよりは、いいかな、って……。
それから内臓の絵を描いた。グロテスクでちょっと嫌だなあ、と思ったのだけれど、まあ、描いている内に慣れた。
結構、質感を出すのが難しいな、これ。肉のかんじと粘つくかんじ、膜とか筋とかそういうものの色合い……。うーん、勉強になる。あ、ちょっと楽しくなってきた。
そんなことを考えながら心臓を描いて、出した。
……レネは驚いて声を上げた。タルクさんも驚いたジェスチャーをしてくれた。分かりやすくて助かります。
出てきた心臓を、つん、と爪の先でつついて、レネは目を丸くしている。僕はレネに、さっきのうにょうにょにこれをあげてくれるようにジェスチャーで示す。するとレネはできたての心臓をそっと掴んで、そっと、うにょうにょの方に持っていって……うにょうにょに与えた。
うにょうにょはそれを取り込んで、もにょもにょ動いて食べ始める。……それでまた、蔓みたいなものを伸ばし始めた。あ、まだ食べる?
「おかわりあるよ」
それから僕はまた心臓を描いては出し、描いては出して、レネはそれを運んではうにょうにょに与えて、タルクさんはちょっとぽかんとしながらそれを見ていた。
なんとなく、わんこそばっぽい。うん。わんこ心臓。
……そうして、僕らはちょっと楽しくなりながらわんこ心臓を続けた。こういうのって、一周回ってちょっと楽しくなってくるよね……。
けれど、おかわり14回目ぐらいで、タルクさんが僕らを止め始めた。なのでわんこ心臓ラインはストップ。うにょうにょは『もっと食わせろ』みたいな具合に蔓をうにょうにょさせているけれど、ちょっと待っていてほしい。
タルクさんはレネに何かを言っていて、レネはそれを困った顔で聞いている。
何か、諭されている、のかな。僕はちょっと不安に思いながら2人の様子を見ていた。
レネはちょっと僕を見て、俯いて、タルクさんに何か言われて、俯きながら頷いて……。
「とうご」
僕を呼んで、それで、その手にナイフを取った。
どきり、としたけれど、レネはそこから動かなかった。多分、僕に近づいたら僕を怖がらせる、って思ったんだと思う。
レネは困った顔で、僕に説明するように……ナイフを胸の高さまで掲げて、それから、ナイフの切っ先で、レネの指先をつついた。
鱗の内側の、ぷにぷにした皮の部分を突き破ったナイフの刃は、レネの指先から血を滲ませる。レネは指先に滲んだ血を、手近な紙にそっと擦り付けた。そしてその紙を僕に見せてくれる。『こんなかんじ』とでも言うように。
その後で、ナイフの刃をよく洗って拭って……それを、申し訳なさそうに、おずおずと、僕に差し出してくる。
ええと……これは。
推測するに、多分、これ、レネと同じようにやって、僕の血をちょっと分けてください、っていうことなんだろうな、と思う。
更に推測が重なるけれど……本当だったら、僕は、血じゃなくて、内臓を出すことになっていたんじゃないかな。多分、レネはそれを阻止して、うにょうにょには代わりに別の内臓を与えて、それでなんとかしようとしたけれど、やっぱり駄目だったから、僕の血がちょっとほしい、っていう、そういう……。
……いいのかなあ、と、ちょっと迷いはする。けれど、これをやらないとレネはすごく困るのだろうし、元々は僕の内臓があの牢屋で取り出されて、うにょうにょのご飯にされていたのだろうから、それを思えば、血で済ませてもらえるのはすごくありがたいし……。
「うん、分かった」
僕はナイフを受け取って、指の先を刺した。腕の内側を切るよりは痛くない。大丈夫。それで滲んだ血を紙の上に擦り付けて……完了。
「どうぞ」
血が付いた紙を渡すと、レネは僕の手を握って、傷の具合を診始めた。いや、大丈夫だよ。大きな傷じゃないし、絵の具を作る時にはもっと切るし……。
レネはタルクさんに何か言われて、こくり、と頷くと、僕の血が付いた紙をうにょうにょのところに持っていって、うにょうにょに与えた。するとうにょうにょはそれを食べて……。
「あ、光った」
途端、うにょうにょが、光った。
光り輝きながら、うにょうにょは蔓を伸ばしていく。本体というか、蔓の絡まった部分がもぞもぞ動いて、伸びていく。
伸びて、伸びて、伸びて……そして、光が収まった。
何だったんだろう、と思いながらうにょうにょを見ると……。
「あ」
そこにあったのは、花、だった。
……うにょうにょから、花が咲いた!
レネは、うにょうにょの花を見て顔を輝かせて、それから、安心したように、ずるずるとその場に座り込んだ。
タルクさんも喜びを全身で表現している。ガッツポーズ、みたいな。『よし!』みたいなかんじだ。
よく分からないけれど、うにょうにょに栄養が足りていい具合になって、花が咲いた、のかな……?
僕が眺める中、レネとタルクさんは喜びあっていたのだけれど、ふと、レネは慌ててタルクさんに何かを言う。するとタルクさんは素焼きの水差しをレネに渡す。レネはそれを持って、うにょうにょの花に近づいて……。
……そして、花の下に水差しを構えながら、そっと、花をつついた。
すると花はふるん、と震えて、途端、とろり、と蜜を零し始める。
……この蜜、一体どこから出てくるの?と思うぐらいには大量の蜜があふれ出してきた。多分、500mlとか、それぐらい出てたんじゃないかな……。
そうして花が蜜を吐き出し終えると、レネは今度こそほっとしたように素焼きの水差しを抱えて……『ふりゃ』と嬉しそうに呟いた。
ふりゃーなの?と思って僕もそっと手を伸ばしてみると、レネは僕にも水差しを触らせてくれた。
……水差しは、ほこほこと温かい。ゆたんぽだ。これ、ゆたんぽだ!
どうやらあの蜜が温かい、らしい。水差しの中を覗いてみると、まるで太陽の光みたいに金色にきらきら輝く蜜がなみなみと湛えられていて、成程、なんとなく、陽だまりの温かさ、というか……。
そうして僕らが水差しを触ってふりゃふりゃ言っていたら、タルクさんはレネをつついて、『早速!』みたいなかんじに促す。そしてそのままいそいそと部屋を出ていこうとするのだけれど……レネはそれをちょっと止めた。
それからレネは、くるん、と僕の方を振り向いて……ドアの外を指さして、首を傾げた。それから、僕に手を差し出す。
……ええと、『一緒に来る?』っていう、こと、かな?