3話:夜の国*2
それから僕は、牢屋から出された。
どうやら不思議なお客さんが僕を出すように頼んでくれたらしい。そういう様子が見て取れた。
僕が牢屋から出ると、不思議なお客さんは僕の手を遠慮がちに握って、何か言っていた。ほっとしたような顔をしていたから、そういう内容の言葉だったのかもしれない。
「あの、出してくれてありがとう」
僕も、通じないと分かっていても、お礼は言う。気持ちは伝わるといいなあ、と思うのだけれど……どうやら、それどころじゃなさそうだ。
不思議なお客さんは多分、ちょっと偉い人、なのだと思う。なんだろうな、偉い人の子供、とか、そういうかんじなのかな。
周りの変な生き物達はお客さんにちょっと困った様子を見せていて、お客さんは何かを頼み込んでいるみたいに見える。それで、変な生き物達と一緒になって悩んでいる……?
これ、どういう状況なんだろう。多分、僕がお客さんの知り合いだって分かって、それで、この変な生き物達のさっきの怯え方だったんだろうな、とは思う。『うっかり偉い人の知り合いに手を掛けてしまうところだった!』みたいな。
けれど、そのお客さん本人が来ても色々と話している様子を見ると……ええと、仮説、なのだけれど、多分、僕を攫った人、或いは僕を攫うように命令した人とお客さんは、別なんじゃないかな、と思う。
誰かの意向で、僕は連れてこられた。けれどそれはお客さんの意向じゃなかった。そういう風に見るなら、今の目の前の光景にもなんとなく納得がいく。
お客さんは牢屋の前の廊下の隅っこに押しやられた道具類を見て、また何か抗議の声を上げている。……結局、この道具類って、どういう道具だったのかな。いや、分からなくてよかった、っていうことなのかもしれないけれど……。
……結局。
色々と、よく分からないので、僕としては、その、すごく、やりづらい……。
そうして僕が待っている間に、話はついたらしい。
僕はお客さんにまた、何か声を掛けられた。お客さんは僕に対してすごく親切だ。安心させようとしてくれているのが分かる。
お客さんは僕に話しかけた後、近くに居た謎の生き物に何か頼んだ。すると僕は、ローブみたいな服の上から薄手の毛布で包まれて……謎の生き物に、ひょい、と持ち上げられて、そのまま運ばれる。
……あの、自分で歩けるけれど。
けれど、ちょっと嬉しそうに前を歩くお客さんの手前、下ろしてもらおうとするのも躊躇われるので、僕はそのまま、運ばれることになった。
うーん……な、なんだろうなあ、これ……。
牢屋は地下にあったらしい。僕らは石造りの階段を上がっていって、それから、モノクロームの世界に出た。
……建物を構成する石材は灰色。敷かれた絨毯はダークグレー。ライトグレーの刺繍が入った鼠色のタペストリーが飾られていたり、鉄色のシャンデリアが飾られていたり。
全体的に、灰色だ。さっき、僕の牢屋に色々差し入れしてもらった時にも思ったけれど、ここの物って、全体的に彩度が低いっていうか……。
ただ、そんな中にも鮮やかな色のものはある。
中庭、らしい場所に面した回廊を進んでいく間、庭の様子が見えた。そこにあったのは、たくさんの植物の緑色。それに、控えめな薄青の花が咲いていて、ああ、色がある!とちょっと嬉しくなった。……ということは、建物の中のモノクロームなかんじって、意図して作られたもの、なのかな。そういうデザイン。別にここがモノクロームの世界、っていうわけじゃなく……。
回廊を抜けて、階段を上がる。更に階段を上がる。
……これ、僕は運ばれてるからそうでもないけれど、上ってる人は大変だよなあ。特に、僕を運んでくれている謎の生き物……。
「あの、重くないですか?」
聞いても通じないんだぞ、っていうことをうっかり忘れて、僕は僕を運ぶ謎の生き物に声をかけてしまう。
僕を運ぶ謎の生き物は、薄いグレーの地に深い青で星みたいな模様が入っている磁器でできた仮面……というか、お面、というか、お盆、というか……模様以外何もなく、ただつるんとした、そういうものをつけた、透明人間だ。
手には手袋があるし、顔の位置には仮面があるし、ローブを着ているから見えているけれど、袖の中に覗く腕はまるっきり透明だ。何も見えない。だから、ローブの中に手袋や仮面が浮いてるように見える。
「運んでくれてありがとう」
通じないよなあ、とは思いつつも、一応、お礼を言っておく。意識して笑顔を作ってみる。……すると、星模様の仮面の透明人間はちょっと首を傾げて……それから、また僕をもくもくと運び始めた。
うーん……異文化コミュニケーションって、難しい。
階段を上がりに上がった後、僕らはガラス張りの渡り廊下に出た。
「……わあ」
思わず、声が漏れる。だって、すごく綺麗だったんだ。
黒い鉄の装飾的な枠組みに、ガラスが煌めく。そのガラスの向こうに見えるのは……星空だ。
吸い込まれるような星空だ。きらきら光って、空の濃紺にも微妙な濃淡があって。それでいて、すごく広い!
星明かりに鉄のフレームとガラスが煌めく。僕らの影が、薄いグレーの大理石の床にはっきりと落ちて、この渡り廊下の明るさを証明してる。
ガラス越しの星空に見惚れていたら、星空みたいなお客さんが僕を振り返って、そして僕の様子を見て、ちょっと笑顔になった。な、なんかちょっと恥ずかしいような気もする。でも、綺麗なものを見て綺麗だと思っている、っていうことは、別に、悪いことじゃないし……。
何とも綺麗なガラスの渡り廊下を抜けた先で、また階段を上がって、その先で、控えめに銀で装飾された黒檀のドアを開けて……僕は室内に入る。
金や銀で飾られた、薄いグレーの大理石の床と柱。ブルーグレーの薄絹と濃紺のビロードのカーテン。調度品は大体が淡いグレーの大理石に金銀の象嵌がされたものか、鉄や金銀で作られた繊細なものだ。
「……魔法の国みたいだ」
いや、魔法の国なんだけどさ。でも、そういう感想を抱いてしまう。
壁掛け鏡の中には時々光の粉が煌めいて、吊り下げられたランプの中では星の欠片みたいな結晶が光っている。透き通った紺色のガラスでできた花瓶に生けられた花は、僕が見たことのない薄黄色に光る花だ。……そして、窓の外には透き通ってどこまでも続く星空。
魔法の国、っていうか、夜の国、っていうかんじだ。
不思議なお客さんもそうだけれど、全体的に夜の空、星空を想起させる色合いとデザインだ。
……うん。そう。この部屋、多分、不思議なお客さんの部屋、なんじゃないかな、と思う。
統一感があって、品が良くて、ほんのり冷たいかんじがしながらも綺麗に整っていて……何より、星空の部屋だ。夜の国の部屋。だから多分、そうだと思う。
部屋の中の様子に見惚れている間にも、僕はどんどん運ばれて、室内を移動していく。
テーブルと椅子とちょっと豪華なシャンデリアなんかがある場所を抜けて、書き物机や本棚がある場所も抜けて……その先。カーテンっていうか緞帳っていうか、多分、僕の世界で言うところの『御簾』とか『ついたて』とか『パーテーション』とかそういう類の用途でそこに垂れ下がっているんだろう布の向こう側へ運ばれて……。
そして僕はようやく、下ろしてもらった。
ベッドの上に。
到着したベッドは、これもまた星空みたいなベッドだ。天蓋は金銀の刺繍がされた紺の薄絹。シーツも枕も濃紺で、毛布は花と星の織り模様がたっぷり入った、上等なやつ。……うーん、豪華なベッドだ。
いや、ちょっとまって。なんで僕、ベッドに下ろされたんだ?
椅子とかソファとか、あったよね。そこじゃなくて、ベッドなのは……ええと……そういえばさっきから僕、毛布で包まれて運ばれたり、牢屋の中でも毛布ばっかり大量に与えられたりしていたのだけれど、なんでだろう……?
……僕をベッドの上に乗せた星模様の仮面の透明人間は、それから少しベッドから離れた位置でお客さんと話している。両者共、真剣な表情だ。いや、透明人間の方の表情はまるで分からないんだけれどさ。
それから、星模様の仮面の透明人間は不思議なお客さんに恭しくお辞儀して、それから僕の方をちら、と見て、ちょっと僕に手を振って、それから部屋を出ていった。……案外、フレンドリーな生き物なのかもしれない。
後には僕とお客さんだけが取り残される。
「……あ、あの」
どうしたものか、ちょっと困っていたら、お客さんはベッドの上をちょっと眺めて、それから、ベッドの中から抱き枕っぽいものをもぞもぞ取り出した。
ちょっと可愛い抱き枕だ。抱き枕を大きな布でくるくる巻いて、両端をリボンで縛ってキャンディみたいな形にしたやつ。
それを引きずり出したお客さんは、片方だけリボンを解いて、抱き枕からカバーを外した。そしてカバーを外した抱き枕本体を持って向こうの方へ行くと、そこでクローゼットの中に抱き枕をしまう。
それからまた、ぱたぱたとベッドに駆け寄ってきて、ベッドの上に乗って、僕の横に座ると、僕をじっと見つめてくる。な、なんだろう……。ちょっともじもじしているようにも見えるので、何が何だか分からない僕も緊張してしまうのだけれど……。
……そしてお客さんは、ちょっと身を乗り出して、僕の額に口付けた。
ただ、ふにっ、と、柔らかいものが触って、離れた。それだけだ。ただ、それと同時にちょっと、何か魔法っぽい何かが僕を包んだのも、分かった。……けれど、それ以上に、びっくり、した。
「へ、あ、あの」
びっくりした。びっくりして頭が真っ白だ。でも多分、顔が赤くなってる。それは分かる。
……お客さんはそろり、と体勢を戻すと、僕よりも真っ赤な顔でちょっと俯きがちに、何かを言った。いや、何を言っているのかは分からないんだけれど……た、多分、言い訳?そういうかんじがする、気がする。
それからお客さんは、僕をぐいぐいと押して、ベッドに寝かせてきた。そして、そこに毛布。
更に毛布、すかさず毛布。そして毛布。
……そうして僕は、すっかりベッドの中で、毛布に埋もれて眠る体勢になってしまった。
「あ、あの……?うわ」
更に、お客さん自身もベッドの中にもぞもぞ入ってくる。えっ、えっ、あの、これ、ええと……?
そうしてお客さんが僕の隣でベッドにすっぽり収まると、今度は、僕の頭を押して、毛布に完全に埋もれさせようとしてくる。
ここは大人しく、毛布の中に埋もれることにした。頭の先まですっぽり毛布の中だ。……あ、ちょっと百合の花みたいな甘くていい香りがする。あ、駄目だ。これ、落ち着かない……。
……そうして僕がなんとなくどきどきしながら毛布の中に埋もれて待っていたら、遠慮がちに、本当に遠慮がちに……そろり、と、お客さんの手足が伸びてきて、きゅ、と僕に抱きついてきた。
うわわわわわわわ!何!?これ何!?状況説明が欲しい!なのに言葉が通じない!ど、どうしよう!
僕がものすごく慌てていると、お客さんはまた何か言いつつ、僕の頭に何かを被せてくる。
……あ。
これ、抱き枕のカバーだ。
なんとなく、事情が分かったような、分からないような、そんな気持ちになりながら、僕はじっと、抱き枕としてベッドの中に埋もれて待って……。
……そして案の定、というか、やっぱり、というか。
こんこん、と、ドアがノックされた。
誰だろう。さっきの変な生き物だろうか。いや、違うよな。
……そう思いつつ、お客さんが僕の頭をちょっと、くい、ってベッドの中へ押すのを感じたので、僕はすっぽり毛布の中に埋もれたまま、じっとしていることにした。多分、隠れてろ、っていう意味だよね。これ。抱き枕に擬態させられているわけだし。
僕がじっとしていると、お客さんは返事をして、それから、ドアが開く音がする。
……それから足音が近づいてきて……ふわ、と、ベッド周りの緞帳を捲る気配がした。
毛布の外で何が起きているのかは分からない。けれど、お客さんと、知らない低い声が何かやりとりをしているらしいのは分かった。
お客さんはのそのそと毛布から抜け出て半身を起こした状態で、相手と喋っているらしい。
何を喋っているのかは分からないけれど、お客さんは眠そうな声でちょっと困ったように喋っているし、対する相手の声も、ちょっと困ったような具合に聞こえる。
……そうしてしばらく話していたのだけれど、その内、会話は終了したらしい。やがて、また緞帳を捲って戻っていく誰かの足音が聞こえて、それから、ドアが開いて閉まる音がして……。
そこで、お客さんはため息を吐いて、ぱふん、とベッドに倒れた。
もう出てもいいかな、と思ってもぞもぞ顔を出すと、お客さんは僕の顔を見て、ちょっと笑った。
……よく分からないけれど、上手くいったらしい。
恐らくは、だけれど、さっき話していた相手から僕を隠しておかなきゃいけなかったんだと思う。それを上手くやり過ごした、っていうことだろうから、これは僕にとって、非常に喜ばしいこと……なんだと思う。少なくとも、このお客さんを信じるならば。
……そして僕としては、他に頼れるものも無い以上、お客さんを信じて助けてもらうしかないんだ。それに、この人、きっと悪い人ではないし……。うん。大丈夫、だと思う。
お客さんは一度ベッドに倒れた後で、もそもそと起き上がって、ちょこん、とベッドの上に座った。なので僕も倣ってもそもそ起き上がって、正座。
お客さんはちょっと困ったような顔をしながらちらちらと僕を見て……多分、何か伝えたいことがあるのだけれど、どうやって伝えればいいのか迷ってるんだと思う。
けれどお客さんは悩んだ後、ちょっとベッドから離れてぱたぱた駆けていって、そしてまたぱたぱた戻ってくると、何か……月の満ち欠けの絵が描いてある本を持ってきた。なんとなく雰囲気としては、ここでの小さい子向けの本、みたいに見える。
古めかしいそれの月の満ち欠けのページを開いて、お客さんは、その中の1つ……十六夜、っていうのかな。そういう形の月を指さして、それから、窓の外を指さす。
……うん。窓の外も、十六夜の月。
僕が窓と本の月の一致を確認すると、お客さんは今度は、下弦の方に細くなった月を示した。
つまり……満月を通り越して、月がどんどん細くなっていった先の月、っていうことになる。有明月、っていうんだっけ。
お客さんはそういう細い月を示した後で……ベッドの頭の方の壁を指差す。そこには絵が飾ってあった。……僕が描いたやつだ。
「これ、飾ってくれてるんだ」
僕が絵を指さしながらちょっと話しかけてみたら、お客さんは嬉しそうににこにこしながら頷いてくれた。そして、絵を見てまたにこにこする。……よっぽど気に入ってくれたのかな。
……あ、そういえば、お客さんが画廊に来てくれたのって、三日月の日だったなあ、と思い出す。ええと……。
「もしかして、月が細い日にしか、そこに行けない?」
伝わらない言葉で、でも、自分自身の確認のためにそう、言ってみる。お客さんは『伝わってるかな』みたいな、不安そうな顔をしながら、もう一度、月のページを指さし始める。
十六夜の月、窓の外、ベッド。その次の月。ベッド。さらに次。ベッド。
……そして、有明月になったら、絵を指さして、僕の手を握って、絵の方へ引っ張っていくジェスチャーをしてくれた。うん。分かった分かった!
よく分からないけれど多分……このお客さんは、月が細くならないと、画廊に行けないんだ。だから、次に月が細る日に僕を帰してくれる、っていうこと、だと思う。
『伝わったかな?』というように心配そうな顔をするお客さんの手を握って、僕は頷く。顔は綻びっぱなしだ。よかった、僕、帰れそうだ!
僕を見たお客さんは、ほっとしたような顔をして、それからにこにこして、握った僕の手を軽く振った。うん。握手握手!
相手の言葉が伝わったのが嬉しくて、ちょっと、次を目指してしまう。
僕は改めて座り直して、自分自身を指さしながら、言ってみる。
「僕の名前は、上空桐吾です。トウゴ」
……案の定、お客さんは首を傾げている。なので、自分自身を指さしてもう一回。
「トウゴ。ト、ウ、ゴ」
お客さんを見て、ゆっくり、1音ずつ。……すると。
「……と、う、ご?」
呼ばれた!
お客さんはちょっと舌ったらずなかんじに、僕の名前を復唱してくれた。僕はちょっと嬉しくて、笑顔で頷く。……すると、お客さんの方も、これが僕の名前だ、って分かったらしい。
「とうご」
「うん。トウゴ」
「とうご!」
お客さんは嬉しそうに、とうご、とうご、と僕の名前を呼んだ後……わくわくした顔で、お客さん自身を指さして、言った。
「れね」
「……れね?」
れね、れね、と何度か言ってみると、お客さんは、ぱっと表情を明るくして、何度もうなずいた。
「ええと……れね」
僕が呼ぶと、嬉しそうに頷いて返してくれる。……そっか。このお客さん、れね……ええと、レネ、って、いうのか。
「あの、助けてくれてありがとう。これからよろしくね。レネ」
僕がレネの手を握って言うと、レネは笑顔で頷きながら僕の手を握り返して、何か言って、とうご、と僕の名前を呼んでくれた。
……案外、言葉が分からなくても通じるものってあるんだなあ。
とりあえず、その日はそのまま寝ることになった。
ええと……ちょっと落ち着かないのだけれど、レネのベッドで、一緒に寝ることになった。
最初はレネがベッドを譲ってくれようとしたのだけれど、家主さんにそんなことさせられないから、僕がベッドから出ようとして……お互いにお互いをベッドに戻そうとしている間に、2人ともベッドに入っていた。なので2人でそのまま諦めて一緒に寝ることにした。うーん、僕ら、気が合う気がする……。
ベッドはとても大きかったから、たくさん乗っているクッションや何かをちょっと退かせば、簡単に2人分のスペースはできてしまった。
後は、僕はできるだけ隅っこにお邪魔することにして、それで……。
いつの間にか僕、寝てしまっていたらしい。それで起きたら、ブルーグレーと紺色のベッドの上だった。隣にはレネの顔があった。うわ、夢じゃなかった……。
レネはすごく綺麗な生き物だ。人間じゃないみたいだけれど、それはともかく、綺麗なことに変わりはない。
それで、綺麗な生き物と同じベッドで寝るのって、結構緊張するというか、落ち着かないのだけれど……これ、当面はしょうがないか……。
……けれど、落ち着くこともある。
「わ」
僕のお腹のあたりがもそもそし始めた、と思ったら……鳳凰と管狐が出てきた!
どうやら、出てこられたらしい!よかった!