2話:夜の国*1
どうしよう。どうしよう。気持ちは焦るのだけれど、具体的な解決策なんて何も思いつかない。
せめて抵抗できるようにしておこう、と、急いでナイフを1本出す。……ナイフなんて鉛筆を削る以外で使ったことないのに。
ナイフを後ろ手に持って、じっと、待つ。
……するとすぐに、相手が現れた。
牢屋の前、鉄格子の向こう側にぞろぞろと現れたのは……。
「……人間じゃない」
お揃いのフード付きのずるずるした服を着てそこに立っているのは、青白い炎でできた人や、素焼きの人形っぽいもの。それに、つるんとした白い磁器の仮面をつけた……透明人間?いや、仮面と手袋と服だけが浮いてる……?
……そういう、明らかに人間じゃない、生き物かもよく分からない何かが沢山、僕の前に居る。
ナイフを出した意味は無かったな、と思った。
牢屋の扉が開いてすぐ、ぞろぞろ牢屋の中に入りこんできた生き物達に、僕はあっという間に取り押さえられてしまった。ナイフもそこで没収。本当に意味が無かった。
……むしろ、よくなかったかもしれない。
僕がナイフを持っていたことに、相手は警戒を強めた、ように見える。取り上げたナイフを見ながら、皆で顔を見合わせて何か喋っている。
彼らが喋る言葉は僕には分からない。だから何を喋っているのかは分からないのだけれど、多分、良くないことを喋ってるんだろうな、ということは分かる。
僕は取り押さえられて石の床の上にうつぶせにされて、その間に僕の頭上とか横とかで何かが準備されていく。
……そして牢屋の中に運び込まれたらしい台の上に、僕は乗せられた。
乗せられたらまずい奴のような気がしたから抵抗したのだけれど、全くの無駄だった。僕は台の上に手足を縛って固定されてしまって、今度こそ動けなくなってしまう。
なんだろう。何をされるんだろう。……台の横では、何か、よく分からない道具が用意されている。瓶に入った灰色のインクみたいなものとか、僕の親指くらいの太さのうにょうにょ動く植物の蔓みたいな何かとか、濃い灰色の鳥の羽みたいなものとか、つやつやした素材でできた棒状の物体とか、あと……刃物。
ぎらり、と光る刃物を見て、流石に、これはもう無事では済まない奴だ、と分かる。
……脱出。脱出しなきゃいけない。なんとかして。
その為には僕は、最低限、絵の具が近くに無いといけない。それも、魔法画用の絵の具が無きゃいけない。だって僕は今、手を動かせないから。
それで絵を描いて実体化させられるものをなんとか実体化させて、それでなんとかこの場を逃れなきゃいけない。
どうしよう。昔、この世界に来たばかりの頃に出したものを思い出すなら……ロープを描いて出してここに居る生き物達を縛り上げるとか?いや、駄目だ。そんなに色々な色の絵の具は無い。ロープだけならまだしも、ここに居る生き物が縛られている様子まで描こうとしたら、それは無理ってものだ。
だったら純粋に、とんでもない重さの錘とかを出現させて、それで彼らを押し潰せるように頑張る?いや、あまり大きいものはきっと出せないと思う。
僕自身に封印具が付けられているかんじは無いのだけれど、力が出ないというか、上手く出せないような感覚はある。
推理するに、今、僕が閉じ込められていた牢屋の中で何かが始まろうとしていることから、『この牢屋』に何かの仕掛けがあるんじゃないかな。
だとすれば、とりあえず牢屋の外にさえ出られれば、なんとかなる、と思う。思いたい。牢屋の外にさえ出られれば、鳳凰と管狐の力を借りられるし、幾らでも魔法画の絵の具を出せて、何でも描ける。
……うん。
つまり……牢屋の外に出たい、のだけれど。でも……そこまでが、すごく、遠い。
対策してなかった訳じゃない。召喚獣だって身に着けているし、携帯絵画セットだって持ってた。けれど……魔力自体に何かされてしまう、っていうのは、対策できてなかった。……うう。
こうなると……いよいよ、僕、手も足も、出なくなってしまうみたいだ。
何か、魔法画の要領で動かせるもの、ないかな、と、必死に辺りを見る。
僕が固定されている台の隣に置いてある濃い灰色のインクみたいなものに目をつけて、それを操作して絵を描けないか挑戦してみるけれど……ちょっと動かせはしたのだけれど結構難しい。
それでも僕はなんとか、インクっぽい何かを操作しようと集中して……。
……その時だった。
「あ」
僕のシャツの胸の辺りが掴まれる。更に、シャツを掴む生き物のもう片方の手には……ナイフが握られていた。
それを見て、僕にゆっくりゆっくり近づいてくるナイフの刃をじっと見ていることしかできなくて、気持ちだけは焦るけれど体はまるで動かせなくて……そして、ぷつり、と。
「……え」
シャツに、ナイフの切っ先が刺さった。
そしてそのまま、ナイフはシャツを切り裂いていく。びり、と、布が裂ける音だけが牢屋に響いた。
……そうして僕の胸とお腹がすっかり露出してしまうと、今度はそこに、灰色のインクみたいなものが零される。
「ひゃ」
冷たいものがいきなり素肌に触れて、体が竦む。
……灰色のインクは、思っていたよりも粘度が高かった。ぬる、ってする。更に、それが鳥の羽みたいなやつで塗り広げられていく。な、何これ……?
謎の儀式が始まったのを見ながら、僕は何が何だか分からないし、何もできない。変な生き物達は僕には分からない言葉で何かを言っているのだけれど、それは僕には意味が分からないし、言葉以外のところからも情報がまるで読み取れない……。
そうして僕のお腹から胸にかけて謎の液体が塗り広げられると、ちょっとそこがぴりぴりし始める、というか、じわじわし始める……ええと、なんかちょっとむずむずする?な、なんだろう、これ。とろろ……?
いや、その割には体の奥の方が、ちょっと変なかんじだ。ええと、鳥に変な木の実を食べさせられた時、に似てる。つまり、僕の中で僕の魔力が変になってる、んだとおもうんだけれど……。
僕が困っていると、その横で生き物達は何か相談しはじめて……それから『やっぱりこっちも』みたいな結論に至ったのか、僕のズボンに手が伸びた。
「えっ」
最初はベルトを外そうとしていたのだけれど、この生き物達はベルトの構造がよく分からないらしい。結局、ベルトもナイフで切られた。
そして、ボタンとチャックの仕組みもよく分かっていないらしい生き物達は、『ベルトを切ったからいけるはず』みたいなかんじでズボンを下ろしにかかる。
「ちょ、ちょっと、やだ、やめて」
流石に下まで脱がされたくないから抵抗するけれど、もぞもぞしたところで手足が固定されている身だから、精々、ちょっと身を捩るぐらいしかできない。
「やめろってば……ねえ、お願いだから」
けれどなんとか、もぞもぞして嫌がる。どうかやめてくれますように、と思いながら通じないだろう言葉をかけて、もぞもぞして……。
……そうしてズボンがお尻の半分ぐらいまで下がったあたりで、しびれを切らした生き物達がまたナイフを持ち出してくる。
それで、ズボンの横からナイフが入って、布がびりびり切り裂かれていって……。
……ころん、と。
ポケットの中に入れていた物が、床に落ちた。
妖精のキャンディとちびた鉛筆、あと、この間の不思議なお客さんから貰った星空の欠片みたいなもの。あと、森の小石と、パンの白いところを千切って丸めたやつ。
それらが床に落ちて、たっぷり、一拍後。
ぴい、と、笛の音みたいな音が、響き渡った。
……笛の音みたいな音が、僕らを取り囲む生き物の内の1体の悲鳴だって気づくのに、そう時間は掛からなかった。
ぴいい、みたいな音を聞いた他の生き物達が床に落ちたものを見て、また、ぴーぴー、とか、ぎゅるぎゅる、とか、カラカラ、とか、そういうよく分からない声でどよめきが起こった。
「……あの」
さっきまで僕らを取り囲んでいたその生き物達は、まるで僕を怖がるみたいに、一気に僕から離れていった。牢屋の壁にぺたんと張り付くぐらいまで後ずさっていって、僕だけがぽっかりと空いた空間の中に取り残される形になる。
「え、あの、な、何……?」
それから、生き物達は何かを相談し始めた。僕からできるだけ離れたところに固まって、何かを必死に相談している。
え、ええと……これ、何……?
……彼らが相談している間、僕はずっと、ただ困っていることしかできなかった。そして、僕をちらちら見ながら、謎の生き物達はすごく焦っているようなかんじに相談を続けていて……。
「……えっ」
それから、恐る恐る、僕に近づいてきた生き物が、何か、布みたいなもので、僕のお腹と胸を拭き始めた。あ、とろろ、とってくれるの?
「あの、これ……本当に何?」
聞いてみても、僕の言葉も向こうに通じないらしい。相手はただ黙って、恐々、僕の体を拭くだけだ。
な、何だろう。とりあえず、何故か、まずい状況からは脱した、気がする、けれど……?
僕がぽかんとしている間にも僕はすっかり綺麗に拭き上げられて、それから、台の上から外してもらえた。
「あの、ありがとう……?」
お礼を言うべきところなのかも分からないし、そもそも言っても通じないのだろうけれど、とりあえず、手足の拘束を解いてくれた生き物にお礼を言う。
案の定、反応は無かった。ただ、僕を怖がるみたいにその生き物はすごすご逃げていく。
……そうして僕がすっかり体を動かせるようになった後、牢屋にはまた、鍵がかけられた。
あの……あ、あれ?出してもらえる訳じゃ、無かった……?
……とりあえず、僕は床に落ちているものを拾い集める。これが床に落ちたから、謎の生き物達は僕を怖がり始めた、んだと思うんだ。
落ちたものは、全部で5つ。妖精のキャンディ。ちびた鉛筆。小石。パンの白いところ。あと、星空の欠片みたいなやつ。
……この中であの生き物達が反応したとしたら、キャンディか、小石か、星空の欠片みたいなやつか、どれか、だと思うんだ。
妖精のキャンディは妖精が作ったものだから、妖精のことが苦手な奴だったりしたら、これが嫌なのかもしれない。
小石は森の小石だから、よく分からない力とかがあってもおかしくはない。
けれど……うーん、なんとなく、この間の不思議なお客さんから貰った星空の欠片みたいなやつ、のような、気がするんだけれど……。
携帯画材でソーイングセットは出せたから、それでズボンの補修を始める。パンツにもさっきの灰色のとろろが染み込んでるし、できれば着替えたいのだけれど、牢屋の外からは見張りらしい生き物達が心配そうに僕を見ているし、そんな中でパンツ脱ぎたくないし……。
……ズボンを縫ってとりあえず履けるようにしていたら、ばたばたと音がして、さっきの謎の生き物達が色々持って帰ってきた。うわ、なんだなんだ。
僕がびっくりしていたら、それらは牢屋の鉄格子の隙間からもぞもぞねじ込まれて、こっち側に落ちてくる。
ええと……ふわふわで滑らかな手触りの、濃いブルーグレーの毛布。柔らかい鳩色のクッション。煤色の、ええと、ローブ、っていうんだろうか。そういうずるずるした長い服。あと毛布。それからまた毛布。更に毛布。
「ええと……貸してくれるの?」
聞いてみたら、案の定、反応は無い。まあ、だろうなと思ったよ。
けれど、とりあえずありがたく、使わせてもらうことにする。
早速、毛布を床に敷かせてもらって、クッションと毛布で座るところを作って、座る。……ふわふわであったかい。石造りの牢屋は少し寒かったから、これは嬉しい。
それから、服。……女の子のワンピースみたいでちょっと抵抗があったけれど、半裸よりはいいと思って、着た。僕にはちょっとサイズが大きかったけれど、とりあえず、隠れるものは隠れるし、あと、ちょっと厚めの柔らかい布で作られているローブは、あったかい。
……隠れるものが隠れたから、安心して、パンツ描いて出して履き替えた。プールの時とかの着替えの要領で。
すっきりさっぱり。
……急に待遇がよくなって僕が困惑している間にも、色々なものが運び込まれてくる。
魔石ランプっぽいランプがいくつも運び込まれて牢屋の中は明るくなったし、毛布が更に追加された。あと、お茶とお茶菓子も出てきた。いや、食べ物はちょっと怖かったから食べなかったけれど……。
なんだろうなあ、なんだろうなあ、と思いつつ、僕は、牢屋の外でちらちらと牢屋の廊下の向こう側の方を気にする生き物達を眺めていた。ええと、何か、待ってるのかな……?
そうして、急にふかふかあったかい待遇になってから、2時間くらい。
……ぱたぱたと軽い足音が廊下の向こうから響いてくる。
なんだろうなあ、と思ってそれを待っていると……。
「あっ!」
牢屋の鉄格子の向こうに息を切らして走ってきたのは……夜空みたいな髪に星明りみたいな肌、そしてなにより、星空みたいな瞳をした……あの時のお客さんだ!