18話:緋色の竜*5
目が覚めたら、ベッドの上だった。けれど、僕のベッドじゃない。……どこだろう、ここ。
天井を見ると、柔らかい白の天井が見えた。
ちょっと横を向いて目に入った壁は、柔らかい白と少しくすんだ赤、それから落ち着いた金色でできた幅違いの縦縞。
うん。見たことが無いお洒落な壁紙だ。本当にどこだろう。
起き上がろうとしたら体に力が入らなくて起き上がれなかった。ちょっとは頑張ったけれど、びっくりするほど体が重い。
重い体が沈む先は、ふかふかのベッド。……すごくふかふかだ。体が沈んでいるかんじがすごい。僕にかかっている布団もそうだ。すごくふかふか。ブランケット1枚で大体寝ている僕としては、ちょっとこれは……なんというか、却って落ち着かない。
動けないなりにもぞもぞやっていたら、突然ガチャリ、と音がする。
「……ん?トウゴ、もしかして起きたか!?」
そこに居たのは……レッドガルドさんだった。
「体は大丈夫か?痛むところは?動けるか?あ、俺のこと分かるか?ここがどこかは?」
レッドガルドさんは僕にすぐ近づいてきて、一度に沢山聞いてきた。うん、一気にそんなには答えられない。
……それに、僕のことより、気になることがある。
「その傷……」
レッドガルドさんは、顔の半分……左目のあたりに、包帯を巻いている。それに、片方の手も包帯でぐるぐる巻きになって三角巾で吊ってあるし……。
「ん?ああ、まあ、大したこたねえよ。で、お前は?」
「うん……体が重いけれど、元気だと思う。ここはどこ?」
「俺んちの客間。運ばせてもらったぜ」
……そっか。ここ、レッドガルドさんのお家、なのか。確かになんとなく、部屋の中の空気というか、そこに漂う匂いというかが、そういうかんじがしないでもない。
「あの後、どうなったの?その怪我は?それから、竜は?」
「まあまあ落ち着けって。……とりあえずこれ飲め」
僕はレッドガルドさんに支えられて、上体を起こした。座っているのも少し難しかったけれどそこは頑張った。そして、背中の後ろにふかふかのクッションを入れてもらって、寄りかかれるようにしてもらえたので、クッションに半分埋もれるみたいにして座ることになった。
そこで僕は飲み物が入ったカップを渡されて、それを両手で持ちながら中身を飲む。中身は果物のジュースだった。甘くておいしい。元気になる味だ。
「美味いか?」
「うん」
「そっか。ならいいや。いや、お前さ、あんまり顔に出ねえから……」
……そうだろうか。自分では割と、出ちゃうタイプだと思っているのだけれど。
「とりあえず、あの後、っていうのは多分、レッドドラゴンが出てきてからのことだよな?」
「うん」
レッドドラゴン、っていうのは、僕が血で描いた、あの緋色の竜のことだろう。やっぱりあれ、夢じゃなかったよね?
「あれ、やっぱりお前が出したのか?突然現れたからな、俺も闇市の連中も、全員びっくりだぜ」
「うん。描いた」
僕もあれは、びっくりした。本当に出てくるとは思って……いや、思ってたのかな。そうかもしれない。よく分からないけれど。
「……あのレッドドラゴンが、全部ひっくり返していった」
レッドガルドさんはそう言って、ベッドの横に椅子を出してきて座った。
「あんまり細かいこと言うのもアレだから結論だけ言うとな、とりあえず何とかなったぜ。この通り俺はお前を連れて脱出できたし、闇市の連中はぶちのめせた。何なら、レッドガルド領に蔓延る悪を一網打尽にできたっつってもいいぐらいだ。俺も……まあ、ちょいと痛い目は見たけどな。この通り生きてる」
レッドガルドさんはそう言って笑うけれど、彼の様子は見ていてとてもじゃないけれど笑えない。
「あの……それ、目は」
「うん。片方だけな」
「手は」
「指が数本。あと骨な。まあ、死ななかっただけ安い。それにお前は無事だったからそれでいい」
……見ているだけで痛くなってくる。僕が無事だからって、そんな笑顔、浮かべないでほしい。僕はそんな顔する気になれない。
「おいおい、トウゴ。そんな顔するな。俺にとっちゃ、俺のせいで俺じゃない奴が無事じゃない方がよっぽど問題なんだよ」
「……僕だってそうだよ」
抗議の意を込めてそう言うと、レッドガルドさんはなんだか嬉しそうにへらへら笑う。
……そして。
「あとは……まあ、片目と傷と指と骨ぐらいの価値はあったぜ。見てな」
レッドガルドさんは僕のベッドに乗り上げると、僕の先にある窓を開ける。そして、窓の外に向かって、ヒュイ、と、口笛を吹くと……窓の外で羽音が聞こえる。
バサバサ、と、大きなシーツをはためかせるような音が響いたと思ったら……窓の外に、緋色の竜が覗いた。
「見てくれ、トウゴ!……俺の召喚獣の、レッドドラゴンだ!」
「召喚獣に、なったの?」
「おう!びっくりだろ!?びっくりだろ!?俺もびっくりしたぜ、本当に!」
……うん。びっくりした。
僕が描いた竜が絵から出てきて、それで、レッドガルドさんを助けて、更に、彼の召喚獣、になったらしい。
つまり、レッドガルドさんの夢が、叶ったんだ。
「それは……よかったね。おめでとう。夢、だったんだよね」
「おう!叶った!まさか叶うとは思ってなかったもんが叶っちまった!全く、夢みたいだぜ、本当に!……な!」
レッドガルドさんが窓から手を伸ばすと、緋色の竜が首を伸ばして、伸ばされた手に頬ずりし始めた。大きな竜だから結構怖い見た目なのだけれど、目を細めて擦り寄ってくる様子は何だか、ちょっとかわいい。
……ん?あれ?
ええと……なんだか、変だ。
緋色の竜は、窓から首を突っ込んできて、大人しく撫でられている、けれど……こいつ、こんな大きさだったっけ?
「もしかしてその竜、小さくなった……?」
「え?そうか?」
うん。絶対に縮んだ。だってこいつ、天井突き破ったわけだし。こんな、自動車くらいの大きさじゃなくて、数階建ての建物ぐらいはあったと思うんだけれど……。これだと、泉に水浴びに来る巨大な鳥の方がちょっと大きいぐらいだと思うんだけれど……。
「うーん……もし縮んだっつうんなら、あれかな。魔力不足。ほら、俺が契約主だとさ、どうしても魔力は足りねえだろうし」
あ、そういうのあるんだ。
……レッドガルドさんはちょっと申し訳なさそうな顔してるけれど、でも、僕はこの竜、これくらいのサイズの方がかわいくていいと思うよ。
「早く、媒介にできるような良い魔石、見つけてやらねえとなあ……」
レッドガルドさんはそう言いながら、竜の首を撫でてやっていた。すると竜は、きゅー、と鳴いて、また嬉しそうにするのだった。
「だから、こっちは大丈夫だ。後はお前だけ目が覚めれば、それで全部よかったんだ」
レッドガルドさんはそう言って、僕の肩をぽんぽん叩いた。前に背中を叩いた時みたいに痛くない。気遣ってくれているらしい。
「僕、どれぐらい寝てた?」
「10日だ」
……ああ。うん。そうか。道理で体が変だと思った。10日も寝たままだったら、こうもなるよね。うん。
「……起きてくれてよかったぜ。本当に」
多分、たくさん心配をかけてしまった。それは本当に申し訳ないし、10日の間に後片付けを全部任せてしまったのも申し訳ない。
「ま、そういうことでお前が心配することは何もねえよ。お前もまた森に帰るにしろ、体調が戻るまではここでゆっくりしていってくれ。お前は俺の命の恩人だからな」
けれど、沢山申し訳ない僕にレッドガルドさんはそう言って笑う。更に、僕の頭を軽く叩くみたいに撫でた。
……命の恩人だというのならば、きっと彼も僕の命の恩人なのだ。
ずっと僕を庇ってくれていた。僕が居なければ、彼1人ならば、もっとうまくやれていたのかもしれない。それでも彼は、僕に恨み言一つ言わない。
それは……あんまりじゃあ、ないか。あんまりにも、申し訳なさすぎる。
そんな時だった。部屋のドアが、ノックされる。
「開いてるぜー」
そして、僕より先にレッドガルドさんが返事をすると、ドアが開いて……人が2人、入ってきた。
「ああ……君がトウゴ君だね。よかった、目が覚めたんだね」
1人目は、レッドガルドさんより少し年上に見える、若い男性だ。
レッドガルドさんよりも金色に近い髪で、薔薇色の瞳をしている。彼よりも物腰が柔らかで、ああ、大人の人だな、というかんじがした。
「突然で驚かせたかな?すまないな」
そして2人目は、壮年の男性。茶色に近い髪に、暗い赤の目。頑健そうな体つきといい、どっしりとした雰囲気といい、頼り甲斐のあるかんじがする。
この人達は、レッドガルドさんのお兄さんとお父さん、なんだろう。
「ヴァン・ミリオ・レッドガルドだ。レッドガルド領の領主であり、今回、君に助けられたフェイ・ブラード・レッドガルドの父でもある」
「あ、どうも、あの、上空桐吾、です」
僕は2人の大人を前にして、気を付け、の姿勢をしたかったのだけれど、生憎体は動かない。なのでベッドに座ってクッションに埋もれたまま、なんとか頭だけ少し下げることにした。……これ、失礼じゃないだろうか。心配だ。
「私はローゼス・ルフス・レッドガルド。フェイの兄にあたる。今回は弟が迷惑をかけたね。君まで巻き込んでしまったようで……」
そして、レッドガルドさんのお兄さんはそう言って僕に申し訳なさそうな顔をするのだ。
「いいえ、僕が迷惑をかけたんです」
慌てて、僕はちゃんと訂正した。そこを間違えてもらっては困る。
「レッドガルドさんが、僕を助けてくれたんです。だから……」
「そうかもしれないな。確かに、弟は君を助けたんだろう。こいつはそういう奴だから」
けれど、訂正の途中でお兄さんはそう言って……それから、レッドガルドさんによく似た笑い方で、笑ってみせてくれた。
「だが、弟が生きて帰ってきたのは君のおかげだと聞いている。君は弟に助けられたし、そして、弟は確かに、君に助けられたんだ。本当にありがとう」
「君の体調が戻るまで……いや、何ならその後も、是非ゆっくりしていってくれ。本当にありがとう。君の勇気に感謝する」
更に、お父さんの方もそう言って、布団の上の僕の手をぎゅ、と握って、やっぱり笑ってくれるのだ。
……不思議だった。どうして彼らは、笑ってくれるんだろうか。
「……あの、怒らないんですか」
「え?」
「僕が居なければ、レッドガルドさんは、こんな怪我、しなくて済んだかもしれないのに」
どうにも胸の奥で色々とつっかえて、言葉がうまく出てこない。けれど、僕は……怒られる、ような気がしたし、嫌われる、ような気もしていた、んだと思う。或いは、怒ってほしかったのかもしれない。
誰かが怪我をしたら、その時一緒に居た人が、責められる。怪我した本人が気にしていてもいなくても、そういうものだ。
それが当然だと、思って、いたのだけれど……。
「うーむ……怒ると言ってもな。君が居なかったらフェイは多分、死んでいただろう」
そう言って、レッドガルドさんのお父さんは困った顔をする。
「君が居たからこの程度で済んだんだ。命があるに越したことはない。傷の1つや2つは名誉の負傷だと割り切ることもできる。伝手でいい薬が手に入りそうなんだ。もしかすると、目は難しくても、指は戻せるかもしれない」
「本当ですか」
薬。そうか、そういうのがあるのか。この世界は確かに異世界だから、そういうのがあってもいいとは思うけれど……。
少しだけ、希望が持てる。多分彼らも、希望を持っているんだな。
「だが、命が失われては、そうもいかないのだ。……だから、君のせい、ではない。君のおかげ、なのだ。それの、どこをどう怒ればいいのか……感謝こそすれ、怒る、だなんて」
……でも、こう言われてしまうと、困る。
なんだか……変なかんじがする。僕が思っていたのと全然違う言葉が出てきて、なんというか……うん、僕は多分、戸惑っている。
「君も無事でよかった。目を覚ましてくれてありがとう」
更に、そんなことまで言われると……なんだか、どうしていいのか分からない。
……こんなに良くしてもらって、温かい言葉をかけてもらって、誰も僕を責めない。それが酷く落ち着かない。
僕はどうしたらいいんだろう?
それからレッドガルドさんのお父さんとお兄さんは、しっかり僕と握手して、そっと部屋を出ていった。僕は病み上がりなのだから、あんまり緊張させたらかわいそうだ、と判断してくれてのことらしい。そこまで気を遣ってくれるのか、この人達。
「……ま、そういうことだ。俺からももっかい言っとくけどよ。本当にありがとうな。お前のおかげで助かった」
そして、部屋に残ったレッドガルドさんもそう言って、それから彼も部屋を出ていこうとする。
「じゃ、とりあえず寝てろ。飯は部屋に運んでもらっとくからな」
「あの、僕」
「ん?」
部屋から出ていこうとするレッドガルドさんの服の裾を捕まえて、僕は、頼んだ。
「……僕の体がちゃんと動くようになったら……その、あなたの絵を、描かせてもらっても、いいだろうか」
「……絵?」
「うん。絵。肖像画」
突拍子もないお願いだ。それは分かってる。でも、どうしても、描きたい。
望んでもいいなら、僕は、僕にできることをしたい。
……そしてどうやら、レッドガルドさんは僕の突拍子もないお願いを、気にしないでくれたらしい。
「俺の?んー、まあ、別にいいけどよ」
レッドガルドさんはきょとん、とした顔をして……それから、ちょっと照れたみたいな、それでいてちょっと痛ましい笑顔を浮かべた。
「どうせ描いてもらうんだったら、怪我する前にやってもらっときゃよかったぜ」
……気にするな、と言ってくれたけれど。レッドドラゴン、と言うらしいあの緋色の竜が懐いたからそれでいい、とも言ってくれたけれど。けれど、彼が、彼の怪我について、何も思わないはずはないんだ。絶対に、辛いはずなんだ。……でも、彼はやっぱり、そんなことは何も言わない。
「ま、いいや。描くんならとびきりカッコよく頼むぜ!3割増しくらいで!」
「……うん」
成功するかは分からなかったから、変に期待を持たせるようなことは言わなかった。
けれど……馬の角や羽が治ったんだから、この人の目や指も、戻せると、思う。
……戻したい、と、思う。