20話:不思議なお客様*3
「おーい!トウゴー!大丈夫かー!?」
僕らが画廊を出て数歩歩いたところで、フェイがやってきた。
あ、そういえばフェイに状況報告のメモ、届けてもらってたんだった。
「うん。大丈夫」
フェイは僕らを確認して、ほっとしたようにため息を吐いた。
「……変な客、だっけ?何だったんだ?」
「さあ……よく分からないけれど、でも、悪い人じゃなかったよ」
「恐らく人ではなかっただろうがな……」
あ、やっぱり?うん。僕もちょっと、そう思った。人間離れした雰囲気があったっていうか、うーん……妖精とか、骨達とか、そういうものに雰囲気が近かった、と思う。なんとなく。
「まあ、妙な客だったが……トウゴの絵に見惚れるくらいだ。問題はないだろう」
ラオクレスはそう言って、それから、僕の方を見る。
「それよりも……」
僕もラオクレスの方を向くと、ラオクレスは僕の手をちょい、とつついた。
「それは、なんだ?」
「……さあ」
僕の手には、変なお客さんからもらったものがある。
夜空の欠片みたいな、よく分からない何か、だ。
「……んー?なんだこりゃ。石じゃーねえな。金属でもない。透明感があるようも見えるし、けど、この中で光ってんのは……なんだ?金箔とかでもねえし、魔石の粉とかか?」
フェイは僕の手からお客さんのお土産をとって、星明りに照らして透かして見たりしつつ、首を傾げる。
僕が貰ったそれは、星空の欠片みたいなものだった。
濃紺の中に星が煌めくような、手のひらに乗る大きさの、花びらみたいな形の、何か。
石でもないし金属でもない、なんだかよく分からない……ええと、本当によく分からない何かだ。僕らはそれを見て、首を傾げることになった。
「硝子、でもねえよな、これ」
「うん。多分……」
強いて言うなら、プラスチック、に近い、のかな。ガラスより軽くて、金属みたいに冷たくなくて、少し透き通って……。
ただ、それだけだとやっぱり何か説明できない。なんだろうなあ、これ……。
「……まあ、分からないなら『そういうもの』として持っておけばいいんじゃないか」
「うん。そうする」
とりあえず、これが何かはまるで分からないのだけれど、綺麗であることには変わりがないので……『何か綺麗なものをもらった』ぐらいの気持ちで居ることにするよ。
それから僕らは森に帰ることにした。フェイには申し訳ない事をした。何事もなかったのに夜中に妖精に起こされて手紙を読まされて、かけつけてみたら僕らがお土産を見て首を傾げていただけ、って……本当に申し訳ない。
それに加えて、更に、ラオクレスにも申し訳ない。
「ごめんね、夜中に引っ張り出してしまって」
僕らは画廊から森へ帰って、ラオクレスの家の前で解散することにした。ラオクレス、明日非番だっけ。もし仕事だったら、夜中に働かせてしまって本当に申し訳ない……。
「構わん。いつでも呼べ。俺の知らないところで危険な目に遭われるよりずっといい」
そういうところも含めて申し訳ない。うう……。
「……お前は忘れているようだが、俺はお前の奴隷なんだぞ。何を遠慮する必要がある」
「奴隷だったとしても、人だし、モデルだし、石膏像だし……」
「……つくづくお前の感覚は分からん」
ラオクレスは呆れたようにそう言って、僕の頭をわしわし撫でた。な、なんでいつも、撫でるんだろう……。
「今日はゆっくり休め。アンジェがまだ起きているようなら、報告してやったほうがいいかもしれんが」
「あ、それならもう、妖精に頼んである」
アンジェへは、妖精伝いに報告が行っているはずだ。妖精はアンジェと仲良しだから、アンジェが寝ていたら起こさないくらいの気遣いはしてくれるはずだ。
「……それとも、眠れないか?」
「あ、うん。ちょっと興奮してて……」
子供みたいでちょっと恥ずかしいんだけれど、多分、僕、今、少し興奮気味、なんだと思う。
深夜に出かけて、少しどきどきして、それから、すごく綺麗で不思議なお客さんに出会った。……これ、興奮せずにはいられないよ。
「まあ、そうだろうが……」
ラオクレスは少しだけ考えて、それから、ちょっと笑って言った。
「なら、絵でも描いて、眠くなったら寝ろ」
「うん。そうする」
ラオクレスは、おやすみ、と言って、彼の家に戻っていった。ありがとうラオクレス。
……そして僕は、改めて、手の中にある、夜空の欠片みたいな綺麗なものを眺める。
うん。綺麗だ。あの変なお客さんの瞳みたいな色合いだ。
「……さっきのお客さん、描こうかな」
そういえば、変なお客さん、描こうと思っていたのに描きそびれた。一生の不覚だ。……覚えている限りで、なんとか、描いてみようかな……。
気づいたら朝だった。ずっと絵を描いていたから、徹夜してしまったことになる。徹夜はちょっと久しぶりだ。
……夢だったのかな、というような気持ちだけれど、でも、僕の机の上に、夜空の欠片みたいなそれは確かに残ってた。
朝食を食べて外に出て、それから鳳凰で飛んで画廊に行ってみたのだけれど、そこにはやっぱり、昨日渡した絵が無くなっていて、壁がそこだけぽっかり空いていた。
つくづく、変なお客さんだったなあ、と思いつつ、でも、夢じゃなかったのが何となく嬉しくて、今日も元気に絵を描くことにした。
また、あのお客さん、来るといいな。言葉の通じない、人間じゃないかんじのお客さんっていうのも、いいものだ。
「……トウゴ君、最近、夜更かししてるのかしら?」
「え、あ、うん……」
それから、数日。
……なんとなく、夜更かしする日が続いている。そしてクロアさんに、ちょっと叱られている。
「どうしたの?一時期みたいに絵を描いて徹夜、ってことも少なくなってきたみたいだったけれど」
「ええと……変なお客さんが来るかな、と思って……最近は、夜に、画廊で、描いてる……」
そこで白状すると、クロアさんは僕を叱っていたことも忘れたみたいに、きょとん、とした。
「変なお客さん?……ああ、ラオクレスが言ってた人かしら」
あ、ラオクレスからもう聞いてたのか。……ラオクレスって、意外とクロアさんとよく喋るよな。クロアさんとはタイプが違うようにも見えるけれど、案外、2人とも考え方とか似てるし、気が合うのかもしれない。
僕がそんなことを考えていたら、クロアさんは……にま、と、ちょっと悪戯っぽい、それでいて最高に魅惑的な笑みをちょっと唇に乗せて、僕の目を覗き込んできた。
「なあに?トウゴ君、まさかその子に一目惚れしちゃったの?」
「え?」
「だって、そうじゃない?その子にもう一度会いたくて、夜中に画廊に行っているんでしょう?」
……一目惚れ。
だから、僕、夜中に……?
ええと……ええと……ちょっと、考えてみる。
考えて、考えて……そ、そうか。なんだか、納得できてしまった。
「うん。そうかもしれない……」
「……まあ」
僕が認めると、クロアさんはなんだか嬉しそうに目を輝かせながら、口元に手を添えて感嘆の声を上げた。
「ついに、トウゴ君も」
「だって、同じなんだ。その、クロアさんと初めて会った時とか、ラオクレスと初めて会った時とか、リアンを見つけた時とか、こういうかんじだった……」
「……あ、あら!?」
僕が自分自身に説明するためにそう口に出してみたら、突然、クロアさんが一転してちょっと残念そうな顔になったのだけれど、でも、僕は自分の中で自分の気持ちに答えが出たから、すっきりしてる。
「描きたい……」
いや、でも、もやもやしてる。描きたい。すごく描きたい。描きたいって気づいてしまった!なのにあのお客さん、あれ以来来てくれない!描きたいのに!
描きたい!すごく描きたい!
クロアさんは、『トウゴ君はトウゴ君だったわ……』というよく分からないことを言いつつ、ライラの方に『ちょっと聞いて!』と向かって行った。少ししたら、ライラの遠慮のない笑い声が聞こえてきた。ものすごく笑われている。なんでだ。
……でも、それにしても、描きたいなあ。あのお客さん、すごく、描きたい。
人間っぽくない雰囲気がすごく魅力的だった。星の綺麗な夜を溶かして固めて人の形にしたらあんなかんじかもしれない。うん。あの人、夜に見たからこそ、余計に魅力的だったのかもしれない。
ぼんやりした星明りと、その星明りがすごく似合う、変なお客さん。人気のない、木に囲まれた画廊の中、っていうのも、すごくよかったと思う。ああ、思い出したらまた描きたくなってきたけれど、記憶だけで描けるほどには覚えてないから余計に描きたい……!
描きたいなあ、描きたいなあ、と思いながら、僕は別の絵を描く。描きたいものが別にあっても絵の依頼はあるし、それは描かなきゃいけないし、それを描くのはそれはそれで楽しいから嬉しい。
……のだけれど、やっぱり、考えてしまう。
僕が今、描いているのは、依頼の絵だ。森の絵。
僕に依頼されてくる絵は美少女の絵か、森の絵か、妖精の絵か、騎士の絵か……っていうものが多いのだけれど、その中でもやっぱり、森の絵が多い。何故か。
だから今日も、森の絵を描いている。もうじき春が来るな、っていう森の朝の、木々が東から強く差し込む朝日に枝葉を金色に染めている様子。強い光は濃い影を生んで、金色の光の後ろ側には薄青い影がくっきりとしていて、コントラストの強い画面になる。
……こういうのを描くときは、なんとなく、水彩がいいな、と思う。
魔法画は自分の思った通りのものが描けるのだけれど、逆に言うと、自分が思った通りのものしか描けない。水彩のランダムな滲みとか、乾いた後の絵の具と紙の境界の色の濃さとか、そういうものはやっぱり、魔法画だと上手く再現できない。
今も、木の影の濃いグレーに青を滲ませて、じわり、と絵の具同士が混ざりあって滲んでいくのを眺めながら、楽しいなあ、と思う。
絵の具が乾くまでの間、ちょっと遠くを眺める。
空は快晴。朝陽が眩しくて、空は抜けるように青くて、雲はうっすら、高いところにかかっているだけ。
もうじき春が来るから、そうなるとまた、違う景色、違う空模様になるんだろうな、と思う。
だから、今しか見られない景色を、空を、僕はじっと眺めて……。
「……あれ?」
そして僕は、ちょっと、不思議に思った。
空の向こう側、端の方から、まるで水彩絵の具を滲ませていくみたいに、濃い灰色が広がっている。
……雲、じゃない、よな。あれ。




