19話:不思議なお客様*2
夜にアンジェを連れ出すのは良くないと思ったので、僕と妖精達で画廊に向かおうかな、と思ったのだけれど、何かあった時に1人で対処できるかどうかもちょっと不安だったので……。
「あの、ごめん。夜分遅くに……」
「……構わんが、どうした」
……大変申し訳なかったのだけれどラオクレスを起こさせてもらった。
もうラオクレスは寝ていたか寝ようとしていたところらしかったのだけれど、僕がドアをノックして、彼の家の寝室の窓のあたりをうろうろして、とやっていたら、出てきてくれた。申し訳ない……。
「アンジェが妖精から『画廊に変なお客様が来てる』って言われたらしくて、ちょっと見に行こうかと……」
「成程な。分かった。3分待て」
ラオクレスは2つ返事で家の中に引っ込むと、多分、3分経たない内に装備を整えて出てきてくれた。早い……。
「移動はどうする」
「ええと、アリコーンに2人乗りさせてもらってもいいかな。両手が空く方が、道中何かあった時に安全だから」
「その方がいいだろうな。よし」
ラオクレスが盾の宝石をちょいちょい、とつつくと、中からアリコーンがするり、と出てくる。
稲妻を紡いで糸にしたみたいな鬣と尻尾がぼんやり光って、すごく幻想的だ。いつ見ても綺麗だなあ。
アリコーンのお腹の横あたりを撫でてみると、アリコーンは尻尾をちょっと振って嬉しそうにする。森の馬達もそうだけれど、こいつも撫でられるのが好きみたいだ。……僕が撫でるよりはアンジェやカーネリアちゃん、ライラやクロアさんやラージュ姫、あとはインターリアさん、っていう女性陣が撫でる方が、なんとなく受けがいいのだけれど……。
「よし。乗れるか」
「うん」
ラオクレスがぽんぽん、とアリコーンの首筋を軽く叩くみたいに撫でつつ、ひらり、と背中に乗る。僕はラオクレスにちょっと引っ張ってもらうような形で、でもほぼ自力でアリコーンの上に乗った。馬に乗るのも大分、慣れてきた。アリコーンは体高が他の馬よりも高めだから、ちょっと乗るのはまだ、苦労するけれど。
アリコーンはふわり、と空に舞い上がって飛び始める。そのまま森の上空へ抜けて、レッドガルド家の方を目指して空を駆けていく。
「画廊、というと……レッドガルド家の近くだな。フェイにも声を掛けるか?」
「んー……何か問題がありそうなら、くらいかな。忙しそうだし、寝てたら起こすの、申し訳ないし……。いや、でも、妖精にちょっと、伝言だけお願いしようかな」
アリコーンの上で僕は早速、両手が空いている恩恵に与ることにした。
薄手の紙にメモ書き程度の手紙を書きつけて、僕の服のポケットに潜り込んでいた妖精達にそれを渡す。フェイに渡してね、と説明すれば、妖精達は『やった、仕事だ!』みたいな、ちょっと興奮気味な様子でそれを受け取ってくれた。助かる。
「……それにしても、『変なお客様』か。妖精が言うところの『変』とは、一体何だろうな」
「さあ……」
とりあえず、妖精が『変』って言うぐらいだから、凄く変なんだろうなあ、とは思う。相当にぶっ飛んだことしてるのかな。ちょっと楽しみでもある。
「何にせよ、警戒は怠るなよ」
「うん」
ラオクレスの少し緊張気味の声を背中ごしに聞きながら、僕はちょっと空を見上げて……綺麗な三日月だなあ、と思った。空に刺さりそうな鋭い三日月だ。ちょっとラオクレスっぽい……いや、ラオクレスだったらもっと重厚感のあるかんじかな。三日月はどちらかというとクロアさん……?うーん……。
「……こういう夜の画廊に連れていくなら、クロアさんの方が良かったかな……」
「……確かに忍び込んだり相手を探ったりするにはクロアの方が向いているだろうな。だが、俺も護衛ぐらいにはなれる」
「あ、いや、そうじゃなくて」
ラオクレスが頼りないと思った事は一度もないよ。本当に。
「変なお客様が、その、本当にただ『変』なだけなら、別にどうこうしなくていいし、それなら折角外に出てきちゃったんだし、ちょっと絵を描いて帰ってこようかな、と思ったんだけれど……」
僕が説明すると、ラオクレスは一拍後、呆れたようにため息を吐き出した。うん。ごめん。
「ラオクレスはなんとなく、満月の日に描きたいかんじだ」
「……そうか」
「うん」
アリコーンが、ふるる、と鳴く。あ、アリコーンには確かに三日月が似合う。うん。じゃあアリコーンを描かせてもらおうかな。画廊の前のトレントの住処が、丁度いいかんじだから、あの辺りで……。あ、考えてたらまた描きたくなってきた……。
「……変なお客さん、平和な人だといいな」
その為にも、お客さんには、平和な人で居てもらいたい。どうか。切に。
「そもそも、人とは限らんが……」
……あ、そっか。そういうこともあり得るのか。うーん……。
え、ええと、じゃあ、人じゃなくてもいいから、平和なかんじにお願いします。
僕らが画廊に到着した時、画廊の周りで妖精達がわさわさ動き回っていた。
「どうしたんだろう」
妖精達は僕らの到着に気付くと、すぐにわらわら寄ってきて、口々に何かを伝えてくれる。けれど、僕にもラオクレスにも、残念ながら妖精の言葉は分からない。……やっぱりアンジェを連れてくるべきだったかな。うーん……。
「まあ……緊迫感がある様子では、ないな」
「うん」
ただ、妖精達は緊張しているわけではないみたいで、画廊自体も特に変わった様子は無くて、だから……『平和な相手』の可能性が上昇している、というか。ちょっと安心できるかな、と思える。
妖精達がひそひそ話していたり、ちらちらと画廊の方を見ていたりしつつ、けれど画廊の中には入ろうとしない、という様子を見て……僕らも覚悟を決めた。
「入るか」
「うん。慎重に」
何があるか分からないから、慎重に……それでいて、もし、珍しいものを見つけたらすぐ描けるように、そっちも慎重に……。
トレント達に軽く挨拶しながら画廊のドアを開ける。重い造りの割に軽く開くドアは、大した音もさせずに僕らを中に入れてくれた。
ラオクレスが一歩分先を歩く中、僕は画廊の廊下を進んでいって……。
そして、展示室に、入った時。
そこには、ぽつん、と1人、人が立っていた。
その人を見て僕は最初に、星空みたいな人だなあ、と思った。
真っ黒に少し青を足したような濃紺の髪に、月の光みたいな白い肌。着ているものはほとんどが黒くて、ところどころ、金だか銀だかよく分からない金属と、きらきら光る不思議な宝石でできたアクセサリーを着けていた。
そして、星を散らした空みたいな目が、じっと、僕の絵を見ていた。
……夜みたいな雰囲気の人で、男性か女性かもよく分からない。身長は多分、僕と同じか僕より少し低いくらい。
じっと絵を見ている以外、何もしていない。人気のない画廊でこれだから、ちょっと不思議というか、変というか……。
成程。これは『変なお客様』だ。
「あの、こんばんは」
僕らが近づいても振り向く気配も無かったから、ちょっと、声を掛けてみることにした。
武器の類は持っていないように見えたし、あんまりにも絵をじっと見ているものだから、その、作者としては、ちょっと、気になった。
……僕が声を掛けると、その人は初めて、絵から目を離す。
声を掛けられて初めて僕らの存在に気付いた、みたいなかんじで、ちょっと慌てた様子で僕らを見て……ラオクレスを見て、ちょっと、警戒したみたいだった。うん。確かにラオクレスは威嚇力たっぷりだけれどさ。
ラオクレスも自分が警戒されていることには気づいたらしくて、ちょっと気まずげに居住まいを正して、『ちょっと楽そうな姿勢』をとる。こうしていると隙があるように見えて、本能的に警戒されにくい、んだって教えてくれた。ちなみにラオクレスはそれをマーセンさんから教わったらしいよ。
「ええと……その絵、気に入ってくれた、んですか?」
ラオクレスがちょっと警戒されにくいモードに変形したところで、僕はその人にもう一度、声を掛けてみる。
僕の気持ちは、警戒よりも興味の方が強い。だって、僕の絵、じっと見ていてくれた人だから。
……ただ、僕が話しかけてみても、その人はちょっと戸惑った様子だった。なんというか、言葉が分かっていないみたい、というか。
あれ、もしかしてこれ、本当に、言葉が分かってないのかもしれない。
「あの、言葉、分かりますか?」
僕が聞いてみると、やっぱり、戸惑ったような反応しか返ってこない。そうか。やっぱり言葉が分かっていないみたいだ。外国の人かな。
……その人は、僕らがちょっと話しかけている間に、ちらちらと出口の方を見て……そして、早足に出口に向かって行ってしまう。
「あ、待って!」
だから僕は、思わずその人の手を捕まえた。
なんだか、ひんやりした感触だった。体温らしいものがあまり感じられない、というか。
……けれど、それに僕がびっくりするよりも、捕まえられた人の方がよっぽどびっくりしていたと思う。
「あ、あの……」
びっくりされながら、僕も僕で、僕にびっくりしてる。なんでこの人を捕まえたのかな、僕。
……言葉も通じないんだから、捕まえたところで、何かできるわけでもないんだけれど。
僕がしどろもどろしている間にも、その人は逃げていってしまいそうだ。だから、僕は……。
「ラオクレス!その絵、外して!」
ラオクレスに声を掛けると、ラオクレスはちょっと不思議がった後、納得がいったように、壁から絵を外してくれた。
……その絵は、小さな絵だ。ハードカバーの本を開いたくらいの大きさのキャンバスに描いたやつ。
魔法画じゃなくて水彩で描いたやつだ。よく晴れた日の、昼間の森の絵。太陽の光が木の葉の間を抜けて散らばって、木漏れ日が眩しいぐらいだった日の、風景画。
その絵を、ラオクレスは僕のところまでもってきてくれた。なので僕はそれを受け取って……捕まえた人の、捕まえていない方の手に、ちょん、と押し付ける。
「あの、これ、あげる」
最初、その人は、きょとん、としていた。
僕を見て、絵を見て、やっぱり絵が気になるみたいで、じっと絵を見て……。
「気に入ってくれたのか、よく分からないけれど。でも、なんとなくそんな気がするし、そういう人に貰ってほしいから」
僕はその人の手を離して、両手で、絵を差し出す。
「受け取ってくれるかな」
……言葉は通じていないはずなのだけれど、その人は、『これでいいのかな』みたいな顔をしつつ、そっと、絵を受け取ってくれた。
それが嬉しくて、僕は思わず笑顔になってしまう。星空みたいな人が真昼の森の絵を抱いている様子って、ちょっと素敵だ。
……すると、その人はじっと、絵を見て……それから、にこ、と、笑った。
あ、この人も笑うんだな、と、僕がちょっと不思議に思っていたら、その人はごそごそと服のポケットだか何だかよく分からない部分に手を突っ込んで……そこから、星空の欠片みたいなものを取り出して、僕の手の上に乗せた。
「え?くれるの?」
相手は何か、言った。僕には分からない言葉で。
……ラオクレスを振り返ってみるけれど、当然のようにラオクレスにも分からない言葉だったらしい。駄目だ、なんだろう、何を言われたんだろう……。
でも、その人ははにかむみたいな笑みを浮かべて、僕の手をきゅ、と握る。
何かを言って、それから……小走りに、画廊を出て行った。
……あとに残された僕らは、ちょっとぽかんとしながら、その人が出て行く後姿を見送った。
確かに、変なお客様、だった。
「……何だったんだろう、あの人」
「さあな……」
「でも、悪い人じゃなさそうだった。絵、喜んでくれたように見えたけれど」
「そうだな。俺にもそう見えた」
ラオクレスは長く息を吐いて、緊張を解いた。
隙があるように見せる姿勢って、本当に隙がある訳じゃないから、すごく疲れるらしい。ありがとう。
「この間、ラオクレス、言ってくれたよね。美しさは種族の壁も超えられる、って。……あの人も、そう思ってくれたんだったら、嬉しい」
絵を渡した時のあの人の顔、笑顔だった。
言葉が通じなくても、表情は同じように変わるものだって仮定すると、あの人、喜んでくれてた、んじゃないかな、と、思う。それで、僕の絵を見て、気に入ってくれて……何か、感じてくれたんじゃないかな、とも。
そうだったら、嬉しい。言葉が通じなくても、もっと僕にとって身近なツールで何か通じ合えたのかもしれない、って思うと、すごく、嬉しい。
……うん。変なお客さんだったけれど、嬉しいお客さん、だった。