17話:緋色の竜*4
「よし、大丈夫だな」
レッドガルドさんはさっさと自分の手首の縄を切ると、続いて僕の手足の縄を切ってくれた。それから、彼自身の足の縄も解く。
「ったく、やってくれやがるよなあ、こんなとこに閉じ込めやがってよ」
「これ、どうやって脱出しよう」
僕とレッドガルドさんは2人で牢屋の様子を調べてみた。
けれど、分かったことと言えば、床も壁も天井も、灰色の石でできているというくらいのことだけ。そして鉄格子は……赤錆が浮いているけれど、それだけだ。当然だけれど、素手で曲げたり折ったりできそうな代物じゃない。
……はずなんだけれど、レッドガルドさんは鉄格子に足をかけて、へし曲げにかかった。
「ふんっ……あ、駄目だこれ」
だろうな、とは思ったけれど言わなかった。彼が本当に全力を出して本気で鉄格子を曲げようとしていたのは筋肉の動きで分かったし、それを馬鹿にするようなことはしたくない。
「うーん……錠前は壊せそうにねえな。ナイフでこじ開けられそうな形でもねえし……」
鉄格子の扉には、南京錠みたいな錠前が付いている。鉄格子よりは壊しやすいかもしれないけれど、それでも……うーん、金属だし。難しいだろうな、と思う。
「これの鍵さえありゃ、脱出できそうだけどな。……トウゴ、お前、出せねえか?」
「鍵の形が分からないんだから無理だよ。大体、画材が無い」
そして僕の方はというと、これも役に立てないのだった。
鍵、というくらいなんだから、形状がちゃんとしていないと、実体化したとしても鍵が合わなくて使えないだろう。そして何より、この場には画材が無い。埃のたまった床に指で鉛筆を描いてみたけれど、駄目だった。
「あー……そうか、そういうの、要るよなあ……。くそ、悪ぃ。俺も筆記用具とか、何も持ち歩いてねえや」
「うん」
なんとなくだけれど、彼はそういうタイプに見える。なんとなくだけれど。
「えーと、お前、ああいう絵を描くのに何が必要なんだ?やっぱり魔石の粉とかで描いてるのか?」
「え?」
そして、唐突にそんなことを言われて、戸惑う。何だろう、魔石の粉って。
「ほら、大抵の魔法使いは魔石を通して魔法を発動させるじゃねえか。俺も石使ってるし」
あ、そういえば、レッドガルドさんの『召喚獣』は、赤い石から出てくる、んだったっけ。そうか。あれが魔石か。
……まあ、多分、あれは使ってない、よね?今のところ、僕が画材にしているものって、元の世界から持ってきた鉛筆と、この世界に来てから手に入れた土とか果汁とか草の汁とか……あとは、絵の具の絵を実体化させて出した絵の具、だし。
「ううん、普通の絵の具……だと、思うけれど……。木の実の汁とかでも、できるし」
「木の実の汁?それ、特殊な奴か?」
「分からない。あ、あと、葉っぱで枝豆作ったりもした」
「葉っぱぁ?」
うーん……もしかしたら、あの森にあるものが何から何まで変なもの、っていう可能性もあるし、分からない。
「そ、そうかぁ……俺はてっきり、なんか特殊なモン使ってるんだと思ってたんだよな。ユニコーンの角とかペガサスの羽とか、そういう魔力が多い生き物の素材を使うとか、後は魔石を砕いて絵の具にしてるとか、そういうんだと思ってたんだけど」
「多分、そういうの関係ないんじゃないかな」
「そうなると……お前の魔法って、一体、なんなんだ?」
なんなんだろうね。うん、僕も知りたい……。
ということで、今のところ僕らの脱出は、手足の拘束を切ったところまでで止まっている。まあ、しょうがないよね。普通、人間は石造りと鉄格子の牢屋に入れられたら、そこから動けないよ。というか、動けるんだったら牢屋の意味が無い。うん。
「うーん……となると、後は俺が使う魔法だけか?あ、お前、絵の奴以外に魔法、使える?」
「分からない。やったことないから」
「えええ……?」
そしてここでも僕は役に立たない。うん、ごめんなさい。でも魔法ってそもそも何なのかが未だによく分かってないんだよ。
こういうことになるなら、もっとちゃんと調べておくべきだったな。後悔してる。
「あんな変な魔法使っておいて、他のはやったこと無いのかよ。初級の魔法も?魔力の検査はやったことあるか?」
「……知らない」
森の中ではそんなもの、出てきたことなかったよ。鳥も馬もそんなこと言わないし。知らないものはしょうがない。
「そ、そうかぁ、うーん、やっぱりお前って変なやつだなあ……」
「うん」
自他共に認める変なやつです。でも、僕より変なやつは沢山いるし、何なら僕の周りも大概だと思うよ。あなたとか。
「……まあ、いいや。しょうがねえ。んじゃあ俺の力でどうにかするが、お前もお前で頑張れよ。自慢じゃねえが、俺は強くねえからな」
そう言うと、レッドガルドさんは……手から、拳くらいの大きさの火の玉を出した。
……魔法、というものを、僕はこの世界に来て初めて見た、のかもしれない。
いや、今までも絵が実体化したし、馬が空を飛んだし、水でできた蛇が襲い掛かってきたりもしていたけれど、それでも、こういうのは、やっぱり何かが違う。
レッドガルドさんの手の上で燃える炎は、すごく、綺麗だった。
炎って、凄く綺麗だ。赤にオレンジ、黄色になることもある。揺らめいて、形が一定じゃない。時々、炎の欠片みたいなものがふわりと上へ流れていって、途中で消えていく。見ていて飽きない。
そして何より、その光がいい。こういう暗いところで火が燃えるとオレンジ色の光が部屋中に広がって、炎の揺らめきに合わせて影が揺れる。あったかくて、ゆらゆらして、落ち着くような、元気が出るような、そんなかんじだ。それがすごくいい。
「……お前、そんなに見るなよ。恥ずかしいだろ」
「え、あ、ごめんなさい」
あんまり見ていたからか、レッドガルドさんに少し気まずい顔をされた。でも、うん、もう少し見ていたい。これを描くのは難しそうだけれど……うん。いつか、ちゃんとこれ描きたい。
レッドガルドさんが出した火の玉は、ふわ、と浮き上がると、そっと扉の前に出ていって……そこで、錠前を熱し始めた。
「……何してるの?」
「熔かそうとしてる。いや、俺がもうちょい強けりゃ、石壁ぶち破って出られたんだろうけどさあ……現実的に考えて、無理だろ」
うん。この火の玉をぶつけても、石の壁を壊すのは多分、無理だ。
「だから一番可能性が高そうなところを攻めてみようと思ってな」
成程、理に適ってる。
……けれど、鉄が熔ける温度って、1000度以上じゃなかったっけ。この火で足りるんだろうか?
「後は……ま、こっちは獲らぬユニコーンの角算用、だけどな。ちょっと考えてることはあるぜ」
でも、レッドガルドさんは考えていることがあるらしい。うん、なら、僕は僕でできることをしよう。
とは言っても、画材が無い僕にはこの場を打開するすばらしい作戦なんて立てようが無いので、地道に床と壁を調べることにした。……どこかに抜け道とか、緩くなってる部分とか、無いかな、って思って。
床の土埃を丁寧に払って、石材と石材の隙間を1つ1つ見ていく。けれど、石材の角が欠けているのを見つけたくらいで、後は何も見つからなかった。まあ、抜け道がある牢屋になんて、人を閉じ込めておかないよね……。
もし、床や壁の石が外せたり、抜き出したりできるようなら助かったんだけれどな。いや、ここの石材、1つ1つが大きすぎて、僕の力じゃ動かせないかもしれないけれど。
それでも何とか、何か無いかな、と思いながら床と壁を見ていた。レッドガルドさんはずっと、牢屋の錠前に火の玉を添え続けていた。
……そんな時だった。
ギギギ、と、木の扉が軋むような音が、聞こえてくる。……そして。
「……ん?なんだ?光がある」
「おい、まさかあいつら、起きたんじゃねえだろうな……」
人の話し声が、聞こえた。
それに続いて、足音が聞こえてくる。
……どうしよう。誰か、来る。
どうしようか、と、思った。縛られているふりをするべき?それとも開き直っていくべきだろうか?
僕が迷っている間に、レッドガルドさんは多分、同じように迷った。そして……彼の方が、行動が早かった。
彼は鍵を燃やしていた火の玉を引っ込めると、それを牢屋の床の上、落ちていたロープへ飛ばして焼き焦がした。要は、僕らの手足を縛っていたロープは、ナイフで切られたんじゃなくて、一部を燃やして落としたような形状になったってことだ。
「隠しとけ」
更に、レッドガルドさんはそう囁いて、僕のシャツの裾を勝手に引っ張り出してから、僕の背中側、ズボンのベルトと背中の間にナイフを突っ込んで隠す。一瞬、背筋がひやっとしたけれど、そうも言っていられない。
「おい、お前ら、何してる!」
……牢屋の前には、2人の人がやってきていた。
その途端、レッドガルドさんが動いた。
ゆっくりと鉄格子へ近づいていって、それから両手を広げてひらひらさせて見せる。
「面倒な……縄抜けしやがったか」
「おう。悪ぃな。折角縛ってくれてたみたいだが、ロープならこの通り燃やさせてもらったぜ。縛っときたかったなら、まともな手枷くらい用意しておけよ。それとも何?お前ら、よっぽど金がねえとか?」
挑発気味な言葉を投げかけながら、レッドガルドさんは鉄格子の向こうの人達を睨みつける。
「で?何の用だ?やっと俺達をここから出す気になったか?」
「ああ、そうだよ。テメエには聞かなきゃならねえことがあるからな。殺す前に情報を吐いてもらうことになった。上で準備はもうできてる」
……鉄格子の向こうの人の1人が、その手に持っていた何かを動かして見せる。
それは……ペンチ、みたいな。そういう道具だった。
……その道具、何に使うんだよ。一体何をするつもりなんだよ。上で準備はできてる、って。殺す前に情報を吐いてもらう、って。……考えれば考える程、厭な想像ばかりできてしまう。
もしかして、僕は考えが甘かっただろうか。ここから脱出できなかった時にどうなるかなんて、考えていなかった。
「へえ、そうかよ。ま、出す気になったってんならありがてえな。ついでに五体満足で帰してもらえると非常にありがてえんだがなぁ?」
「ビビってんのかよ。情けねえな。流石、無能のお貴族様は言うことが違え」
鉄格子の向こう側で笑い声が響く。レッドガルドさんも、それに応えるようににっこりと(いつものにやり、じゃなくて)笑って……そして、鉄格子の鍵が開けられるのを大人しく待った。
そして。牢屋の外の人の内1人が、屈んで、鍵を片手に、もう片方の手で錠前に触れて……。
じゅ、と。
「熱っ!?」
一瞬遅れて、悲鳴。……そうか。ずっと熱せられていた錠前に不用意に触ったから、火傷したんだ。
火傷した人の手から、チャリン、と、鍵が床に落ちる。それと同時に、残り2人が殺気立った。
「てめえ、何をっ……うわっ!?」
でも、すぐに続いて火の玉が2つ、それぞれの人達へ飛んだ。……牢屋の人達2人の、顔面に向けて。
流石に顔面に火をぶつけられて、只では済まない。2人とも、目元を押さえて叫び声を上げる。
「……の野郎っ!」
そして、最初に錠前で火傷した人が、鉄格子越しに殴りかかってきた。
……でも、レッドガルドさんへその腕が届くよりも先。レッドガルドさんは長い脚を器用に鉄格子の間から突き出して、その人の鳩尾を突くように蹴った。
「よっしゃ!鍵だ!」
牢屋の外で3人の人が蹲っている前で、レッドガルドさんは鉄格子の隙間から手を伸ばして鍵を拾った。
「待ってろよ、トウゴ。すぐに開けるからな!」
「え、あ、火傷」
「そいつは問題ねえさ」
レッドガルドさんはそう言ってにやりと笑うと……何事もなく、錠前に触って、鍵を差し込み、鍵を外した。
……牢屋の扉が、開く。
「ま、無能無能と言われるけどよ。火には多少、強いんだ。……ってことで、行くぞトウゴ!脱出だ!」
レッドガルドさんが僕を振り返って、にやりと笑った。
……その時だった。
透明な何かが、飛んできた、んだと思う。
その透明な何かは……牢屋を出たばかりのレッドガルドさんの脇腹を斬り裂いていった。
ぱっ、と、血飛沫が飛ぶ。それを見て僕が思い出したのは、天馬が羽を切り落とされる時の様子だ。あの時も、真っ赤だった。血が零れて、飛び散って、真っ赤だった。
「っのやろ……!」
レッドガルドさんはお返しだ、とばかりに火の玉を飛ばしたけれど、直後、今度は透明な大蛇が襲ってきて、レッドガルドさんに噛み付く。
「レッドガルドさん!」
咄嗟に出た声に、返事はない。大蛇に噛み付かれて、レッドガルドさんはただぐったりとしたまま、天井近くまで持ち上げられた。
「全く、随分と暴れてくれたようだ。余程痛めつけられたいらしい」
そこへ、足音と人の声がやってくる。……水の大蛇といい、この人の声といい、現れた人のフードを目深に被った様子といい、覚えがある。最初に僕を捕まえたのも、この人とこの蛇だった。
「て、め……」
レッドガルドさんは、自分の足元にまでやってきたその人を睨む。けれど、フードの人はそれをせせら笑うだけだった。
「安心しろ。まだ殺しはしない。……その内お前から殺してくれと頼むようになるだろうがな」
フードの人はそう言って……ちらりと、僕を見た。
まだ牢屋の扉の所に居た僕を見て、その人はまた笑う。
「そんな顔をしなくていい。お前も殺しはしない。どうやらお前は使えそうだからな。可愛がってやるとも。……勿論、お前が大人しくしているなら、の話だが」
いっそ優しい声でそう言って……それから、一気に低く冷たく変えた声で、こう続けた。
「痛い思いをしたくなければ、そこで大人しくしていろ」
また、牢屋には錠が掛けられた。
足音と、大蛇が這いずる音が遠ざかっていく。そして最後に、ギギ、と木の扉が軋む音がして、それから、バタン、と扉が閉まる音がして、それきり。
……静かになった。
現実味が無い。何が起きたのか、分からない。
けれどこれは現実だ。床に零れたレッドガルドさんの血が、ここで起きたことを証明している。
彼は大怪我をした。そしてそのまま連れていかれた。絶対に悪い事が起きている。絶対にあっちゃいけないことが、多分、起きている。
……僕はどうすればいい?
どうにかしたいのにどうにかする方法が何も思いつかない。僕の視界に映るものは血の赤なのに、頭の中は只々真っ白だ。
何もかもが怖い。今レッドガルドさんに起きているかもしれない何かが怖い。怖いのに考えるのをやめられない。
分からない。僕はどうすればいい?どうしたらこのどうしようもない最悪な事態を全部ひっくり返せる?全部なかったことにしたい。なかったことにしたいのに、それを作るには、何もかもが足りない。
『痛い思いをしたくなければ、そこで大人しくしていろ』。言われた言葉が、低く冷たい声が、耳の奥で木霊している。
怖い。『痛い思い』は怖い。絶対に嫌だ。けれど。けれど!
……けれど。
全部都合よくひっくり返したいから。
どうにもならないことをどうにかしたいから。
一欠片でも可能性があるから。
夢見ることは自由だから。
この世界では、きっと、それが許されるから。
「僕は、死んでも、描くのを、やめない」
僕は、そういういきものだから。
キャンバスはこの床。絵筆は僕の指。絵の具は……血でいい。
零れたレッドガルドさんの血を指にとって、描き始める。
何を描くかは、もう決まっている。
竜だ。
竜を描こう。血の色の竜。
血の色で、炎の色で……レッドガルドさんの色の。緋色の。そういう竜を描く。
グレーの石の床の上に、血で濡れた指を滑らせる。血が延びていって線になる。掠れた部分で明暗がつく。それが集まって、大きな竜の姿を作っていく。
参考にするのは、さっき見せてもらったレッドガルドさんの家の紋章。そこにあった竜の姿。
それから僕の想像の中にある『ドラゴン』の姿と、それからあと、馬。
4本足の生き物の関節。体躯。皮の下にある筋肉と骨のかんじ。僕の中にある全ての知識と全ての想像のありったけを使って、赤い竜を描いていく。
竜なんだから翼がある。鱗があって、牙が鋭い。角があって、尻尾が長くて、それから、紋章にあったみたいに、吹いた炎を抱いている。
がっしりとした骨格。それでいてしなやかな体形。……ああ、そうだ。きっと空を飛んだらすごく綺麗だ。青空に赤が映えて綺麗だろう。夕焼け空にはぴったりかもしれない。雨の夜を飛ぶ時はきっと、炎を吐き出して空を明るくしてくれる。
そんなイメージをどんどん頭の中で組み立てながら、それを床の上に反映させていく。
「あ……」
けれど、途中で血が足りなくなった。床に落ちていた分はもうほとんど全部使いきった。
でも問題ない。絵の具が足りない?だったら出せばいい!赤い絵の具は、僕のこの体の中にだって流れているんだから!
レッドガルドさんが預けてくれたナイフを使わせてもらう。左腕の内側に思い切ってナイフの刃を滑らせれば、熱いような痛みの後に、赤い絵の具が溢れ出てくる。
僕は早速それを使って、絵の続きを描き始めた。
痛みは僕を邪魔しなかった。痛みよりももっとずっと大きなものが、僕を突き動かしていたから。
それは多分、焦りだったし、恐怖だった。
でもそれ以上に、理想だったし、可能性だったし、希望だったし……まだ名前の無い衝動だった。
描かなきゃいけない。描かないときっと怖いことになる。
描かなきゃいけない。この状況をひっくり返せるかもしれないんだから。
描かなきゃいけない。僕は、そのために生きている。
「……楽しい!」
楽しい。絵を描くのは楽しい。
気づけば僕は笑っていた。
笑いながら、赤い絵の具を作り足して、それを指で床に擦り付けて。
竜が完成していく。僕の頭の中にしかいない竜が、この世界にやってくる。
最後。
僕は、レッドガルドさんの血の最後の一滴を掬い取って、竜の瞳孔を描き切った。
描き切った途端、一気に体から力が抜けて、僕は床の上に倒れた。
ずっと集中していたからか、心臓がおかしい。呼吸もおかしい。目の前がちかちかする。
指先が冷え切って、震える。寒い。……なのに汗が流れる。
僕は折角描いたばかりの絵に汗が落ちないように、手でそれを受け止めようとして……気づいた。
床に、絵が無い。
一瞬で、視界が明るくなった。
凄まじい音。そして、降り注ぐ石の破片。それらを照らす光は、炎の色。
倒れた僕の頭上で、咆哮が響く。吐かれた炎が、辺りを照らす。
……見上げた僕を見下ろす瞳は、どこまでも赤く温かい血の色だ。
突き破られた天井。見上げた空は漆黒。
そして漆黒の空の下、翼を広げ、空に吼え、月より明るい炎を吐く……緋色の竜が、ここに居た。
竜は、じっと僕を見ていた。僕は体を動かせなかったから、目だけ動かして、竜を見上げる。
……竜は、ぐっと身を屈めて、僕に顔を近づけた。その顔を覆う鱗の一枚一枚も、大きな口も、その隙間から見える牙も、何より、僕に向けられる鋭い眼光が。全部、すごく綺麗だ。
「……ようこそ」
僕の声を聞いた竜は、少し不思議そうに僕を見つめた後……真っ赤な舌を出して、ぺろ、と、僕の頬を舐めた。くすぐったい。
竜の向こう側から人の騒ぎ声が遠く聞こえてくる。急に大きな竜が現れたんだから、さぞかし驚いていることだろう。そう考えると、少し楽しい。
「ねえ、向こうの、声の方。助けてほしい人が、居るんだ。君みたいな色の……」
間近にある竜の瞳を見つめながらそう口に出してみたら、竜はまるで『分かっている』とでも言うかのように瞬きして……次の瞬間、飛び立った。
竜が飛び立った直後すごい風が巻き起こって、僕は目を閉じた。
それから風が収まって、もう一度目を開いた時……竜は、少し離れたところの上空で、水の大蛇に向かって炎を吐いていた。
……これならきっと、大丈夫だろう。
そう思うと途端に、安心して……どんどん体から力が抜けていく。でも、心地いい脱力感だった。やりきって、達成感でいっぱいで、それから、楽しい。
「……楽しい、なあ」
やっぱり、絵を描くのは楽しい。
僕はそう思いながら目を閉じた。