9話:家族の夢*2
リアンはカーネリアちゃんからのお願いに、びっくりしていた。『なんで自分が?』みたいな顔もしていたけれど、でも、結局、カーネリアちゃんのお願いには2つ返事で了承していた。『俺でよければ』って。
……そういう訳で、今日、2人はカーネリアちゃんのお父さんとお兄さんに会う。
「緊張してきたわ!」
「無理も無いよ」
「で、でも、準備は万端なのよ!ほら!言いたいこととか聞きたいこととか、色々メモしてきたの!リアンにも手伝ってもらったわ!」
カーネリアちゃんはくるくる巻かれた紙を抱きつつ、気合十分、といった様子だ。
……え、その紙、全部読むの……?というか、その紙に書いてあるの全部、言いたいこと……?
「準備はいいか?」
「私は大丈夫よ!リアンは?」
「俺は付き添いだけだし、大丈夫だけど……」
ラオクレスが確認すると、むしろ付き添いのリアンの方がおろおろするくらい、カーネリアちゃんは気合十分だった。勢い余って飛んでいきそうな雰囲気だ……。
「一応、俺もトウゴも立ち会う。何かあったら助けに入るから、遠慮なく呼べ」
「ええ!ありがとう、ラオクレス!流石私達のせっこう像だわ!頼もしいわね!」
「……そうか」
ラオクレスはちょっと複雑そうな顔で、ちら、と僕を見た。ぼ、僕だって、まさかカーネリアちゃんがラオクレスを『私達の石膏像!』って言うとは思ってなかったよ!
「準備はいいな?入るぞ。……おい。面会だ」
……そして、ラオクレスに連れられて僕らが階段を降りていき、地下へと進んでいくと……。
「……カーネリア!カーネリアじゃないか!」
牢の中に入れられたジオレンさんが、満面の笑みでカーネリアちゃんを出迎えてくれた。
カーネリアちゃんはそれを見て、ぎゅ、と手を強く握りしめる。強張る表情が、彼女の緊張を伝えてくれる。
……けれど、硬く握りしめられた手は、そっとリアンにつつかれて、ちょっと柔らかくなって、それから、きゅ、と握られる。
手を握られたカーネリアちゃんは、ちょっと落ち着きを取り戻したらしい。それから、彼女の勇気もまた、取り戻したみたいだ。
カーネリアちゃんはリアンと顔を見合わせて、力強く頷くと……。
「ざまーみろ、だわーっ!」
大きな声で、そう言った、のだった。
……ジオレンさんも、ジオレンさんの息子さんの方も、ぽかん、としていた。
小さな娘、或いは妹がふるふる肩を震わせながら『ざまーみろだわ!』。確かに、衝撃かもしれない……。
けれど衝撃はこれで終わらない。カーネリアちゃんは、騎士が剣を抜くかのように、巻紙をシャッ、と広げる。そして。
「お父様!お兄様!あなた達は前からそうだったけれど、あんまりにも後先考えてないんじゃあないかしら!トウゴを攫った時もそうだったわね!どうして自分達のやることなすことが全部上手くいくって勘違いしちゃうのかしら!あんまりにもコッケイだわ!」
カーネリアちゃんの言葉は、続く。
「大体、人に迷惑かけちゃダメよ!私なら身内だからいいと思ったのかもしれないけれど、だったら空き巣だなんてみっともないことしないで、堂々と私にお金の無心をすればよかったんだわ!」
続く続く。
……次第にジオレンさん達の顔色が悪くなっていくというか、怒りと戸惑いがごちゃ混ぜになりながら彼らを満たしていくのが分かるというか。
「大体、居ないことにしていた娘を今更自分達のもの扱いするなんてどうかしてるわ!恥ずかしいと思わないの!?あなた達には貴族の、いいえ、人間としての誇りっていうものがないのかしら!?」
すごい。なんだかすごい言葉が続いていく。僕も圧倒されてる。
ジオレンさん達も、圧倒されてる、んだと思う。少なくとも、感じているのは怒りだけじゃなくて、戸惑いとか、そういうものも沢山あるんだろう。『思っていたのと違う』みたいな、そういう顔をしている。
……そんな父と兄を見たカーネリアちゃんは、一旦言葉を区切って、紙を読み上げるんじゃなくて、彼らの顔を見て、言った。
「……私がこんなに喋るなんて知らなかったでしょう?」
ジオレンさん達は、答えない。けれど、正にその通りなんだろうな、と思う。
カーネリアちゃんがこんなに喋るなんて知らなかった。或いは、『喋るなんて知らなかった』のかもしれないし、『何かを思うことがあるなんて知らなかった』のかも。
「あなた達、私の声を聞いたのだって、数えるほどの回数しか無いでしょう。でもね!私はこれだけ喋るのよ!ついでに、腹が立ったら腹が立ったって言うの!」
カーネリアちゃんは堂々と、そして誇らしげに、胸を張る。
「ここに宣言するわ!私!あなた達には本当に腹が立っています!」
……そこに立っていたのは、堂々として立派な、1人のレディだった。絵に描きたくなる凛々しさだった。
「……それで、あなた達は私に会いたがっていたみたいだけれど、何のご用事だったのかしら!?」
カーネリアちゃんは『腹が立っています』宣言の後にそう言って、後は腕組みしながら仁王立ちの姿勢だ。
「生憎だけれど、私、あなた達を助けてあげる気は無いわ!フェニックスだってあげないわ!なんなら、私、あなた達に家族扱いされることだって許したくないのよ!」
徹底抗戦の構えのカーネリアちゃんに、ジオレンさん達はいよいよ、『これは想定していたより厄介そうだ』というような顔をする。
「……用件がこれ以上特に無いなら、面会はこれで終了とするが」
「いや、まだだ」
ラオクレスがそう言うと、ジオレンさん達は少し慌ててラオクレスを制止する。それから、何か考えて……喋り出した。
「久しぶりだな、カーネリア。その……」
ジオレンさんはしどろもどろ、慣れない様子で言葉を選ぶ。カーネリアちゃんはその間ずっと仁王立ちの構えで、リアンはその横に寄り添いながら、じっとジオレンさんを見ている。
……そしてジオレンさんは、言った。
「元気にしているか?」
「見てのとおりだわ」
当たり障りのない、特に意味もない言葉にカーネリアちゃんはそう返して、それきりまた黙る。ジオレンさん達も、黙る。……沈黙が続く。
「それで、その、今はどういう暮らしをしているのかね?」
「あなた達が見た通りだわ。空き巣に入ったんでしょう?なら、暮らしぶりは分かるんじゃないかしら!……ああ、そうだったわ!お話の前に、まず、私のお家に空き巣に入ったことについて聞きたいの!どうして空き巣に入ったの?」
「お前がどういう暮らしをしているのか気になったのだ。お前に会えるかもしれないと思って……」
「あら!オレヴィ様は認めたわよ!あなた達が私の持っている宝石を盗もうとしている、って!」
「そ、それは誤解だ。私は、ただ、家族に会いに……」
「よくそんなことが言えるわね!」
カーネリアちゃんの心配をしているようにも聞こえる言葉は、また、カーネリアちゃんの言葉で切って捨てられてしまう。もう色々な事情をあちこちから聞き出してしまっている彼女には、嘘なんて通用しない。
「私、知ってるのよ!お父様もお兄様も、私のことなんて家族だと思ってないわ!それに、私より宝石が気になったし、私よりフェニックスが気になったんでしょう?」
更に、カーネリアちゃんはそう、詰め寄った。
「なんなら、私は死んじゃってた方が都合が良かったはずだわ!」
ジオレンさん達は黙っていた。咄嗟に言葉が見つからない、というような顔をしたままだった。
否定の言葉なんて一欠片も出なかった。『私は死んじゃってた方が都合が良かったはずだわ』なんて言葉にも、何も、言わなかったんだ。
……先に沈黙を破ったのは、カーネリアちゃんだった。
「……どうして何も言ってくれないの?」
金柑の甘露煮みたいな目が溶けだしてしまうんじゃないかと思った。瞳の表面に、厚く涙の膜が張って、それがじわじわと揺れ動く。
「どうして……何も言えないのに、面会したいだなんて言ったの?」
そしてついに、ぽろぽろ涙が零れ始める。カーネリアちゃんの頬を伝って、何粒も何粒も涙が落ちていっては足元に小さな水溜りを作った。
「カーネリア……」
牢の中でジオレンさんが、ちょっとおろおろする。躊躇いながら、でも何を言う訳でもなく、ただ黙っている。中途半端に伸ばされた手も、牢の鉄格子を隔てた先では何の意味も無い。
……その時だった。
ふにゅ、と、カーネリアちゃんの頬に、羽が触れる。
「きゃ」
……羽は、鸞の羽だ。青くて柔らかくてふわふわして、きっとぬくぬくしているんだろう鳥の体が、カーネリアちゃんの顔面を、覆っていた。
というか、カーネリアちゃんの顔が、すっぽり、鸞の羽毛に埋もれてしまっていた……。
鸞はふわふわの羽毛がたっぷりの胸にすっぽりカーネリアちゃんを包みながらその場に立っていて、ちょっと誇らしげにしている。
カーネリアちゃんははじめこそ、自分が急に現れた羽毛に埋もれてびっくりして固まっていたのだけれど、それがリアンの鸞の羽だと分かってからは、おずおずと鸞の胴に手をまわして、きゅ、と抱き着くようにして自分からより深く埋もれにいった。
とりあえず僕もリアンに倣って鳳凰を出す。鳳凰はカーネリアちゃんを右からすぽんと包んだ。それを見ていたのか、カーネリアちゃんのフェニックスも飛び出してきて、カーネリアちゃんを左からすぽんと包んだ。
……こうして、カーネリアちゃんは3羽の鳥の中心で羽毛にすっぽり埋もれることになる。
鳥がカーネリアちゃんをすっぽりやってしまうのを見ていたジオレンさん達は、ただ、ぽかん、としてそれを見ていた。
そう。ただ、ぽかんとしつつ、見ているだけだった。……フェニックスを見ても鸞を見ても鳳凰を見ても、それを盗ろうとする気には、なれなかったみたいだった。だって、鳥3羽の中には泣いている女の子が居るんだから。
「……あー、あの、俺が話すの、なんか変な気もするんだけどさ」
ぽかんとしながら、何かを思い出しかけているみたいな、そういうジオレンさん達の前に、リアンが進み出た。
「俺、あの子の友達で……その、ついてきてって言われたから、ついてきたんだけど。何か言ってとも言われてねえけど……いいかな」
鉄格子越し、初対面の、それも貴族じゃない少年の、そう言いながら気まずそうにしている姿に、ジオレンさん達はただ、戸惑っているみたいだった。
「今回、カーネリアに会いたがってたのは、やっぱり、その、金とフェニックスが欲しかったからだよな」
リアンが気まずげに確認すると、ジオレンさん達はちょっとだけ、否定するような素振りを見せる。けれどそれより先に、リアンが話を続けた。
「親だから、とか、家族だから、とか言わねえよ。あんた達がこの子の家族だって、俺は思ってねえし。親とか家族とか、そういうのに夢見てねえし」
ちょっと冷たくてシビアな言葉は、リアンの素性を知らないジオレンさんから見たら、どう見えるんだろうか。
親とか家族とかそういうものに『夢見てない』子供の姿って、親の人から見たら、どう見えるんだろう。
「けどさ、あんた達は、『家族だから』って夢見てたんだろ?カーネリアが助けてくれるって思ってたんだろ?だったら……自分達も『家族だから』って思って、カーネリアに言う言葉ぐらい、用意しておけばよかっただろ」
リアンの言葉はだんだん尻すぼみになって、ちょっとだけ、震える。
「用意、しておいてくれよ。嘘でもいいから。せめて、何か一言くらい……親なんだったら、それぐらい、してくれよ。なあ」
きっと、『親』に対して色々思うところがあるんだろうリアンの言葉は、ちょっとだけ、僕も、悲しかった。
しばらく、皆、黙っていた。黙ったまま、時々鳥がきゅるきゅる鳴くだけの時間が通り過ぎていって、それで……。
「……そうね」
カーネリアちゃんは、ちょっと赤くなった目元を拭って、鳥の隙間から顔を出した。
「家族だっていうのなら、ちゃんと、愛してほしかったわ。嘘でもいいから、ちゃんと分かる形で」
じっとジオレンさん達を見つめる目は、随分と大人びていた。
「愛しているとも。当然だ。自分の子を愛さない親が居るわけがない」
ジオレンさんの言葉に、カーネリアちゃんはちょっと悲しそうな眼を向けて、それから俯いて、しばらく黙った。
「そんなの知らなかったわ。愛されてるって感じたことなんて一度も無かった。ねえ、本当にあなた達は、私のこと、愛してた?」
その後、ジオレンさん達が言葉を失って何も言わなかったのは、カーネリアちゃんを騙す言葉が思いつかなかったからじゃなくて……彼らの中の罪悪感が、カーネリアちゃんを騙すことを躊躇わせたからだと、思う。思いたい。
「じゃあ、さよなら。もう二度とお会いすることは無いと思うけれど。……うん。そうなの。私、さよならを言いに来たのよ」
それからすっかり落ち着いたカーネリアちゃんは、そう言ってふわふわのスカートの裾をつまみながら、優雅にお辞儀した。
「……それでは、さようなら。お父様。お兄様」
カーネリアちゃんはそう言うと、ぱたぱたと階段を上がっていった。
ジオレンさん達は、その後姿をじっと見ながら、なんだか大事なものを失くしていたことに気づいたような、そんな顔をしていた。