16話:緋色の竜*3
……ぼんやりしながら目を覚ました。夢を見ていたような気もしたけれど、思い起こそうとしてみると何も思い出せなかった。
代わりに目を開いたら、そこにあったのは見慣れない風景。
暗い灰色の石でできた床と壁。ころりと寝返りを打ってみれば、天井も石。それから……僕が初めに向いていたのと逆方向の壁は、鉄格子。そして、鉄格子の側で倒れている、レッドガルドさん。
……眠ってしまう前のことを一気に思い出して、動こうと思って却って動けなくなる。意思が一気に溢れると、頭が混乱して咄嗟に動けなくなるんだって、先生が言ってた気がする。
結局それから二呼吸。僕はやっと、体を動かし始める。
手足が上手く動かないのは、どうやら縛られているかららしい。手首と足首がそれぞれ縛ってあるらしかった。
仕方が無いから、もぞもぞ寝返りを打って転がっていって、レッドガルドさんの傍まで進む。
床を転がる度に、床の上の埃が体についた。でもそんなこと気にしていられない。床の冷たさも、気にしている場合じゃない。
「……レッドガルドさん」
ようやくレッドガルドさんの傍まで辿り着いて声をかけてみるけれど、彼の返事は無い。
「レッドガルドさん」
もう一度呼びながら、揺り起こしてみる。手が使えないから、申し訳ないけれどちょっと足で脚の方を蹴らせてもらった。ちょっと小突くくらい。
「う……」
すると、レッドガルドさんは呻いて、それからもぞもぞ動き出して……僕の方を向いた。
「……トウゴ?無事か?」
「多分」
レッドガルドさんは寝ぼけているようだったけれど、開ききっていない目を何度か瞬きして、それから首をゆるゆる振って、ようやく起き上がった。それを見て僕も頑張って体を起こす。……手を使わずに起き上がるのは、腹筋運動みたいでちょっと辛かった。
「ってて……くそ、ここはどこだ?」
「分からない」
レッドガルドさんは周りを見渡して、「牢屋だな」と言った。うん、それは僕も分かるよ。流石に。
「くそ、あの野郎共……ぜってえ許さねえぞ」
呻きながら地の底を這うような声でそう言いながら、レッドガルドさんは牢屋の外、鉄格子の向こうを睨んで……誰も居ないし何もないそこに向かって、やがて大きくため息を吐いた。
「ああくそ、すまん、トウゴ。俺の不手際でお前を巻き込んだ」
「うん、まあ、しょうがない」
続いた第一声が僕への謝罪だから、なんというか、本当に良い人だなあ、この人。
「いいよ。どうせあの人達、密猟の人達の仲間でしょう。なら僕も無関係とは言い難いし」
「そ、そうは言っても、お前まで巻き込まれるはずじゃ……」
レッドガルドさんから謝罪が続きそうだったから、僕は彼の言葉を遮って、尋ねる。
「でも巻き込まれてる。だから教えてほしい。これ、どういう状況?」
とりあえず、状況確認。石の床に寝っ転がってるだけじゃ、状況は好転しない。
「……俺とお前をここへぶち込みやがったのは多分、お前が察してる通りだ。密猟者の仲間……ペガサスやユニコーンの素材を『買ってた』連中だな」
ああ、証文を使って芋蔓できたっていう人達か。
「密猟者共をとっちめる時に『買う』側もそれなりにやったんだが、それが闇市の連中の気に食わなかったらしい。逆恨みしてきやがった」
よくある話、だと思う。うん。密猟者と闇市の人からしてみれば、自分達が捕まるのって気分が良くないだろうし。
「それでここ数日、ずっと付け狙われてたんだが」
あ、そうだったんだ。それは……大変だったね。
お疲れ様、という意味を込めてレッドガルドさんを見つめると、彼は気まずげな顔をして……それから、思い切ったように言った。
「連中も言ってたかもしれねえが……その、俺な?雨が降ってるとな、戦えねえんだわ。だから、雨が降りそうなの見て、お前のところに逃げ込ませてもらったんだ。まさか森まで追ってくるなんて思わなかったが……その結果、お前を巻き込んだ。本当に、すまなかった」
それからレッドガルドさんは、彼の能力について、話してくれた。
「俺な、魔法がそんなに使えるわけでもねえし、剣術ができるわけでもねえ。……『無能』なんだ。連中の言う通りな」
最初にレッドガルドさんはそう言った。僕はそうは思わないけれど、多分、彼自身は自分のことを『無能』だと思ってるんだろう。そういう声だった。
「だから……金で買った。能力を。俺の耳飾りとか腕輪とかブローチとか、覚えてるか?あれな、俺の武器なんだ。あそこに召喚獣を仕込んである」
「召喚獣?」
「ああ。火の精を4匹。それぞれ、狼の形が2匹と、鳥の形が2匹だ」
火の精……?駄目だ、全然想像ができないや。ここを出たら見せてもらいたい。
それにしても、狼の形の火の精と、鳥の形の火の精、か。……あ。
「……もしかして、森の中へ来る時は、それに乗ってきてたの?」
「ははは。察しがいいな。うん。そういうことだ。森の中なら狼に乗ってくる。外なら鳥で、ってな」
成程。それで、片道半日の道が、1時間で。……とんでもなく速いってことだよね、それ。うーん、ちょっと怖いけれど、やっぱり見てみたくもある。
「……ただ、あいつら、火でできてるからな。雨の日は使えねえ」
「消えちゃうもんね」
火の精がどんなものかはよく分からないけれど、まあ、多分、火なんだろう。だったら、雨の中に出したら可哀相だ。
「おう。ま、だからできれば、火じゃねえ召喚獣を使いたかったんだが……俺には、火の召喚獣以外、使う才能がまるきりなかったんだよな」
レッドガルドさんはそこで、自嘲、というのかな。そういう顔をした。
「自力じゃまともな魔法が使えなくて、それで金で能力を買って、しかもそれすら使えねえんだ。情けねえだろ」
「そんなことはない」
そんなことはない、と、僕は思う。僕からしてみれば、宝石の中に火の精が居て、火の精を使役できるっていうだけでも相当にすごい。
けれどやっぱり、それはレッドガルドさんの気持ちじゃないんだろうから。だから、僕が何を言っても、彼の助けにはならない。
そういうのは、分かってるつもりだ。多少は。
「……レッドガルド家はな。代々、魔物使いの家系だったらしい。ご先祖様はレッドドラゴンを使役して戦っていたんだそうだ」
それからレッドガルドさんは話題を変えるようにそう言って、それから、ベルトのバックルについている紋章を見せてくれた。
「ほら。家紋に入ってるだろ。ドラゴン」
「……ドラゴン」
紋章はどうやら、レッドガルドさんの家の家紋らしい。そしてそこには、炎を抱くドラゴンの姿があった。
「かっこいいだろ」
「うん」
にやり、と笑顔を向けられて、素直に頷く。これはかっこいい。ドラゴンの描き方がいい。紋章にしてあるわけだから、デザインは相当デフォルメされているんだけれど、それでもちゃんとドラゴンで、ちゃんと炎なんだ。いいな。単純な絵とは違うけれど、デザインの勉強も一度、してみたいんだ。
「俺もドラゴン、一度でいいから使役してみてえなあ」
レッドガルドさんはそう言って、ちょっと遠い目をした。
「ま、レッドドラゴンはもう絶滅しちまってるらしいけどな。でも、普通のドラゴンならまだ居るから、可能性はゼロじゃない。……まあ、ゼロじゃないからって、叶うとも思ってねえけど」
彼の目が、少し陰る。
「親父も兄貴も、火以外の召喚獣が使えるけれど、ドラゴンは駄目だ。だから、もし俺が……」
ぎゅ、と、彼の目が閉じられる。
「……ま、火の召喚獣しか使えねえような俺がドラゴンなんて、高望みが過ぎるんだけどな」
……結局、彼の目が閉じていたのは、ほんの数秒のことだった。
「でも、想像するだけならタダだ!」
そう言って、レッドガルドさんは笑うのだ。その目にちゃんと、夢を宿して。
「……うん」
そうだ。その通りだ。想像するだけならタダ、だ。
どんな夢見たって、それは自由だ。叶えられないものだって、何なら叶えようと本気で思っていないものだって、別にいいだろう。夢見ることは自由だから。
うん。夢見ることは、自由だから。
……だから僕も、絵を描いている。
「よし。じゃ、これで状況は分かったな?」
「まあ、大体は」
レッドガルドさんの話を聞いて、一通り、事情は分かった。
要は、密猟者と繋がっていた闇市の人達が、逆恨みしてレッドガルドさんに危害を加えようとしてきた。オーケー。
「色々隠していたことは悪かったな。巻き込んだことも。……だが、絶対にお前だけは逃がす。詫びはそれで勘弁してくれや」
詫びも何も、僕はそんなことは気にしてない。悪いのは密猟者の人達と闇市の人達なんだし、レッドガルドさんは別に悪くない。僕が巻き込まれたことだって、彼らが密猟を続けていたら、いつかきっとどこかでは巻き込まれていたと思う。
……そういう風に僕は思ったのだけれど、その時の僕の顔を見て、僕が心配がっていると思ったんだろう。レッドガルドさんは僕に笑いかけてきた。
「大丈夫!何とかするさ!恩を仇で返すようなことはしたくねえ」
「何とか、って……」
うーん、別に、レッドガルドさんを恨んでも居ないし、お詫びも別に欲しいとは思わないんだけれど、それとは別として、この状況を『何とか』できるかは心配だな。だって、手足、縛られてるし。
……けれど、レッドガルドさんは流石だった。
「……ってことで、まずは手と足、なんとかするかな」
そう言うと、もそもそと動き始める。
「あいつら舐めすぎだろ。ははっ。ほら見ろ」
そして、もそもそした挙句、ブーツから、きらりと煌めくものを取り出した。
「ナイフだぜ」
おー。
……そんなところに隠してて、足、切らないの?大丈夫?




