9話:復讐の骨格標本*4
僕らがジュリアさんとクロアさんのところへ戻ると、そこではクロアさんが風船をたくさん持って待っていた。
「ああ、トウゴ君。これ、どうしましょう」
あれ、この風船、蝙蝠につけておいたはずなんだけれど……。
「蝙蝠は?」
「それがね、消えちゃったのよ。黒い霧みたいになって、ぱっ、て」
あ、やっぱりこっちもか。そっか……。
とりあえず、クロアさんが捕まえておいてくれた風船は全部回収してちょっと適当にラオクレスに持ってもらっておいて、クロアさんとジュリアさんの話を聞く。
「こっちに蝙蝠みたいなのが来てから、大丈夫だった?」
「ええ。大丈夫よ。この程度に後れを取るほどには鈍っちゃいないわ。幾ら森っぽくなっちゃった私といえども、ね。……だって、蝙蝠に急にこのふわふわしたものがくっついて、蝙蝠は皆、動けなくなっちゃったんだもの。一体、誰の仕業かしらね?」
クロアさんはウインクしてそう答えてくれた。うーん、頼もしい。
「けれど……まあ、それを聞きにトウゴ君達もこっちに来てくれたんでしょうから、私も聞いてしまうけれど……」
けれどクロアさんはそこで表情を曇らせて、ジュリアさんに向き直った。
「ねえ、ジュリアさん。私の目には、さっきの蝙蝠みたいな魔物達は、あなたを狙っているように見えたわ。それから、この間の馬車の襲撃。あれは犯人が全員『逃げた』んだったわね?……それって、今回の蝙蝠みたいに、消えてしまったってことじゃない?」
クロアさんがちらりとフェイを見ると、フェイは黙って頷いた。
……それを見ていたジュリアさんは、躊躇うような、戸惑うような、そういう表情をしている。
「何か、悩みがあるなら教えてくれないかしら。私達でよければ、力になれると思うわ。……精霊様だってきっと、それをお望みよ」
そしてクロアさんがそう言うと……ジュリアさんは、意を決したように、口を開いた。
「……私、この森の町へ、精霊様のお力をお借りしに参りました」
僕の、力を。そっか。……ええと。
僕らが困っていると、ジュリアさんは懐から、布の包みを取り出した。
「私はどうしても、これを守らなければならないんです」
ジュリアさんの掌に乗る大きさのそれは、極上の絹に包まれている。ジュリアさんの細い指が、つやつやした絹の布をそっと捲ると……その中から、不思議なものが出てきた。
「これ、剣……の、柄の部分、か?妙なもんだなあ。綺麗だけど」
フェイが怪訝な顔をして覗き込む。僕もそういう顔になってしまう。
ジュリアさんの手の上にあるのは、剣の柄、だけ。
それはすごく綺麗な装飾がなされていて、目を見張るような美術品でもあるのだけれど……まあ、不思議なものであることに変わりはないよね。
「これは何だ」
ラオクレスがちょっと手を伸ばすと、ジュリアさんはそれをさっと引っ込めた。
「い、いけません。これは勇者の剣。下手に人の手に触れさせては危険を生みます」
……ゆ、勇者の剣?
「これは、勇者の剣。勇者はこれを持って魔王と戦ったとされています。聖なる力が込められたこれは、魔王を滅ぼすに相応しい……この世で最も強い、光の剣なのです」
ジュリアさんはそう語ってくれるのだけれど……その、剣に見えない。これ、どう見ても、柄にしか見えない。
「……あの、ええと、これ、今は柄だけの姿ですけれど……ひとたび魔力を流せば、たちどころに光の刃が生まれて、全てを何の抵抗もなく切り伏せることができるという、そういう代物なんです。その威力は使い手の望むがまま、願うままであるとか……」
僕らが不思議そうな顔をしているのを見てか、ジュリアさんは更にそう、説明してくれた。ええと、説明されてもよく分からない。
「へー。そりゃあ珍しいなあ。ちょっとその光の刃、出してみていいか?」
僕よりは分かったらしいフェイが嬉々としてジュリアさんの手の上のそれに手を伸ばすけれど、ジュリアさんはまたそれを胸に抱くようにして隠してしまった。
「い、いけません!そもそもこれは、選ばれし勇者にしか扱えぬ程、強大な魔力を必要とする剣なのです!下手に触れれば、たちどころに魔力切れを起こしてしまいます!」
そっか。全自動昼寝機なのか。なら触るの、やめておこう。……光の刃っていうのは気になったけれど、しょうがない。
「……話を聞いている限り、それは相当由緒正しい代物のように聞こえる」
そこで、ラオクレスが腕組みしながら渋い顔でそう、言う。
「まるで、王家の宝物庫か大神殿の地下にでもしまってあるような代物だ。お前の話が真実ならな」
ちょっと厳しい声と表情に、ジュリアさんが怯んだような顔をする。
「お前はその『勇者の剣』とやらを、守らなければならないと言っていたな。それは、一体『誰から』守らねばならないと?」
半歩、前に出たラオクレス。威圧感の塊。鋼の石膏像。……そんなラオクレスを前に、ジュリアさんは、怯んだような顔で、目を泳がせて……ぎゅっと目を閉じてから、絞り出すように、言った。
「ええ。私は、守らねばならないのです。これを狙う魔物達と……何よりも……私の父である、国王アウル・フリッサ・フェニオスから」
僕らがぽかん、としている間に、ジュリアさんは決意を固めたような顔で、綺麗に一礼して見せた。
「申し遅れました。私、ジュリア・ラル改め、ラージュ・ルース・フェニオスと申します。……この国の、第三王女です」
しばらく、僕らはぽかんとしていた。
王様が勇者の剣を狙っていて、魔物も狙っていて、ジュリアさんはラージュさんで王女様だった……。
……駄目だ、頭が追いつかない。
「……へ」
中でも、フェイは一番、追いついていなかった。僕よりも追いついていなかった。ええと……あ、うん、そうか。無理もないか……。
「ら、ラージュ、様」
「はい。ラージュ・ルース・フェニオスです。フェイ・ブラード・レッドガルド様。……あなたに、このように実際にお目にかかるのは初めてでしたね」
ジュリアさん……じゃない、ええと、ラージュ姫?は、ちょっと苦笑いしながらフェイにそう言う。
うん。
ええと、第三王女ラージュ姫は、確か……フェイが、婚約を断った相手、だったと、思う。
……あああ。
「……えー、あ、あの、ですね、ラージュ様。その、俺、じゃねえや、ええと、私、は、この度、大変失礼ながら、婚約の打診を、お断りさせて、いただいた次第、なのですが……」
フェイがしどろもどろになりながら何か弁明し始めた。
うん。まあ、そうだよね。王族の人って偉い人だし、その人からの婚約の申し入れを蹴っちゃったんだから、その、気まずいと思うよ。すごく。
……でも、フェイらしくないよ。
「フェイ」
だから僕、僭越ながら、隣からフェイをつつかせてもらう。フェイの親友として。
「『お前らしくないぜ』……って言わせてもらうね」
フェイはぽかん、としたまま僕を見ていた。僕もじっとフェイを見ていた。
……すると、フェイは、表情を崩して、盛大にため息を吐いて、それから頭をがしがし掻いて……ラージュ姫に、向き合った。
「申し訳ねえが、俺はレッドドラゴン目当ての婚約なんざ結ぶ気になれなかった!甘っちょろい考えだって俺も分かっちゃあいる。だが、どうしても……あなたの裏に透けて見える意図が、気に食わなかったんだ」
フェイが突然、そう言い始めたから、ラージュ姫はちょっとびっくりしたような顔をする。
「あなた個人が気にいる気に入らないっていう話じゃあない。そこは分かってほしい。だが、そちらからの申し出を蹴っちまったのは俺だ。許せとは言えねえよな……」
「フェイ様……」
ラージュ姫は、ほ、と、ため息を吐いた。なんだか、安心しているようにも見える。
「……で。とりあえず、そこらへんは一切合切、抜きにさせてもらうぜ。俺はこの町も含めたレッドガルド領の領主の次男坊だ。将来、この領地を継ぐのは俺じゃあねえけれど、レッドガルドの血が流れている者として、領内で助けを求める声には全力で応える義務がある。だから……」
フェイは、ラージュ姫の手を握った。今度こそ、ラージュ姫はびっくりしてたけれど、フェイは真剣だ。
「あなたが助けを求めるなら、俺はあなたを全力で助ける!滅茶苦茶気まずいけれどな!でもそれはあなただって同じだろうし、この際、もう何も無しって事にしようぜ!どうだ!?」
……うん。
フェイらしくていいと思うよ。
……フェイがそう言ってから二呼吸くらい置いて、ラージュ姫は……くすくす笑い始めた。
「……不思議な方」
「あー……不思議、ですかね」
フェイは、とりあえずラージュ姫が怒っていない、と分かった時点で、気が抜けた顔になっている。ちょっとばつが悪そうに、頭を掻いているけれど、それを見て僕は、やっとフェイがフェイっぽくなったぞ、と思って嬉しくなっている。
「ええ。すごく不思議な方だわ。……あの、婚約の話はどうか、お気になさらないでくださいね。父が決めた婚約の話でしたから、私個人として、あなたに恨みがあるだとか、そういうことは一切ありません」
ラージュ姫はそう言って、申し訳なさそうに笑う。……そっか。婚約の話って、本人関係無しに決まっちゃったりするのか。うーん……まあ、そういう世界なんだな、って思うしかない。
「それに私は、王女という立場を捨てて、今ここに個人として、厚かましくもお願いに上がっているのです。許す許さないというお話をされるのであれば、それは私『が』許す許さないという話ではなく、あなた方が私『を』許す許さないという話になるでしょうから」
ラージュ姫はそう言って、唇を牽き結ぶ。それから、沈んだ声で、続けた。
「今回の魔物の襲撃は……浅慮でした。あなた方を巻き込まない為にも、勇者の剣はあなた方にも隠しておくべきだと、そう、考えていたのですが……その結果、この町の皆様を、危険にさらすことになってしまいました」
……ラージュ姫が持っている剣の柄、『勇者の剣』を狙って魔物がやってきたっていうのなら、確かに、彼女のせいでこの町は危険な目に遭った、っていうことになる、のかもしれない。
勿論、僕はそうは思わないし、フェイだってそう思ってないだろう。他の皆だって、そのはずだ。
「その上で、このような厚かましくもお願いすることを、どうぞ、お許しください。……改めまして、どうか、お願いします。……この勇者の剣を、どうか、魔物達と国王から、守って頂けませんか」
「あー、ちょっと、失礼」
僕らは困った。そして、フェイがそう申し出てくれたのを皮切りに、僕らだけでちょっと集まって、ひそひそ話す。
「どうするよ、これ」
「……町のことだけを考えるなら、追い出すべきだな」
ラオクレスは容赦が無い。うん。鋼のラオクレス……。
「そうね。あれを置いておくとこの森に被害が出かねないわ。……でも、あれを放っておくと、この世界に被害が出かねない、ということなのかもしれないわね。詳しい話をもっと聞きたいわ」
うん。……どうして、魔物が勇者の剣を狙っているのか、は、なんとなく分からないでもないよ。でも、王様も狙ってるって、どういうことなんだろう。色々と、事情が分からないよね、これ。
「で……もし、ラージュ姫を匿うってなった時、どうやれば上手くいくかなあ……。そこんとこの考えも無しに安請け合いはできねえよな」
……うん。
それから僕らは、満場一致で、結論を出した。
……出したので、僕は、代表者として、ラージュ姫に、言いに行く。
「あの」
「はい」
ラージュ姫は緊張した面持ちで、僕の言葉を待って……。
「ええと……ちょっと精霊様と相談してきていいですか?」
僕がそう言った途端、ぽかん、としてしまった。
うん、あの、ごめんなさい。ちょっとタンマってことで……。




