19話:剣ではなく盾でもなく*3
「……精霊、ですって?私が?」
クロアさんは極力、混乱とか呆れとかを表に出さないようにしていた。流石、プロだ。一方、僕は力が抜けているし、妖精達はカウンターの後ろでひっくり返っている。うん。気持ちは分かるよ……。
「ああ。君が翼を広げて森の奥から出てくるのを、目撃している者が居るんだよ」
ああ、それか……。それを見てこの人、クロアさんの方が精霊だって思っちゃったのか……。うん、まあ、こっちも気持ちは分かる。
「森の精霊様としては、森の周辺が荒れているのは喜ばしくないことなんじゃないかな?何せ、精霊様自身がお菓子屋さんをやっているくらいだ。そうだろう?」
クロアさんは黙っていた。ただ、黙ったまま、『こいつ、どうしましょうか?』というような顔で僕を見た。いや、それ、僕も聞きたい。
「ええと、あの、ちょっといいですか」
けれど、クロアさんもほとほと困り果てている様子だったから、僕が間に割って入ることにした。
「何だ、また君か」
また僕だよ。どうも。
「あの、彼女は精霊様じゃないですから、その、そういう物騒な話をされても困るんです」
「ふうん。まあ、いいのさ。彼女が精霊様じゃなくても、僕は彼女を気に入っているからね。彼女が僕のものになってくれるなら、派兵くらいは訳ないことさ。何なら、君も一緒に来るかい?そうしたらこの辺りの治安維持だけじゃなくて、物流とか、そっちの方に手を貸してあげてもいいよ」
うう……僕、この人、苦手だ。すごく。
「お引き取りください」
とりあえず、ぐいぐい押して、花束の人を店から追い出すことに決めた。
「お、おいおい。いいのかい?この辺りには僕の助けが必要なんじゃないかな?君1人の気持ちでそれをふいにしてしまっていいのかな?」
……森のことなんだから僕が決めたっていいだろ。
「お引き取りください」
「う、うわ、なんだ!?」
花束の人をぐいぐいやる手を止めずにいたら、妖精達も加勢し始めた。
花束の人は妖精が見えないらしいから、急に、自分を押す力が強くなったように感じたんじゃないかな。実際は、手とか脚とか、あちこちを妖精がぐいぐいやっているのだけれど。
「ああ、トウゴ君、ちょっとその辺りにしてもらってもいいかしら」
……そして、僕らがぐいぐいやっていたら、冷静さを取り戻して、ついでに何かを考え終わったらしいクロアさんが、僕らにストップをかけてきた。なので僕らは、止まる。でもいつでも再開できる構え。
「……まず、確認したいのだけれど、あなた、マーピンク家の領主ね?最近、領地を継いだっていう」
クロアさんが聞くと、花束の人はちょっと驚いた顔をしつつ、頷いた。
「ああ、そうさ。僕がターマ・イゴス・マーピンク。マーピンク領の領主。よく知っていたね」
「まあ、ね」
これについては、クロアさんがフェイと相談したんじゃないかな。或いは、クロアさん自身の知識の中にあったのかもしれないけれど。
「……まあ、いいわ。それで、マーピンクさん。先ほどのお返事なのだけれど、今ここですぐに返事を出す、なんてことはできないわ」
「えっ」
僕は、クロアさんはすぐにお断りの返事をするんだと思っていた。けれど、『保留』にする、みたいなことを言っている。……どうしてだろう。まさか、クロアさん、こいつの所に行ってしまうつもりじゃ、ないよね?
「ということで、今日の所はお引き取り頂けるかしら」
クロアさんがそう言うと、マーピンクさんはちょっと不服そうな顔をしていたのだけれど、でも、僕がまだ押し出す構えをしているのを見て、クロアさんも動く気配が無いのを見て……やれやれ、と言いたげな顔でため息を吐いた。
「まあ、君にも色々とあるのだろうし、それは構わないよ。けれど僕らの警備無しでは、この周辺はどんどん荒れていくだろうからね。返事は早めにほしいな」
マーピンクさんはそう言って、僕が押し出すまでもなく、自分でさっさと歩いて店を出ていった。
……ただ、店を出るところで、くるり、と振り返って、にやにや笑う。
「それでは、また近い内に来るよ。精霊様」
そして、マーピンクさんは今度こそ、馬車に乗って去っていった。
「……どうしましょうかしら」
「うん……」
そして僕とクロアさんは、ちょっと、その……途方に暮れる、っていう気持ちになっている。うん。
「……精霊。クロアが、か」
「ええ。そうよ。どうも、アレキサンドライト蝶の羽で飛んでるところを見つかったらしいのよね。それで精霊だと勘違いされたみたい」
確かに、実在しない生物っぽい何かを出してしまったわけだから、アレキサンドライト蝶の羽は、どの図鑑を見ても載っていないだろう。でも、それで精霊だ、っていうのは、あんまりにも早計じゃないだろうか。
「おもしれーなあ。精霊様の目の前で、人間に『精霊様』っつってるんだもんなあ……」
フェイは半笑いぐらいの顔でそう言うと、その周りで妖精達が何とも言えない顔で頷いている。うん。彼ら、マーピンクさんに麺棒とか構えてたのに、『精霊様』のくだりでひっくり返ってたから、思うところがあるらしい。うん。
「ま、笑ってばっかも居られねえけど」
フェイはそこで椅子に座り直して、それから僕の方を見た。
「これ、どうする?喧嘩吹っ掛けてきてんのは向こうだ。レッドガルド家が出てもいいなら、出兵しちまうけど」
「しゅっぺい……」
それって、つまるところ、戦争なんじゃないだろうか。
「まあ……精霊様云々を、こっちは言えねえところが辛いな。精霊様の実在を認めちまうと、王家からも攻撃食らいそうだし……出兵の理由はどうすっかなあ」
「あの、それはちょっと待って。そうなっちゃうとレッドガルド家が大変だから、その、森の精霊とレッドガルド家は全く別の考えを持っているものだってことにしておいた方がいいと思う」
森のことに対して、レッドガルド家が下手に手を出すと、フェイ達が、王家の人達に『じゃああの壁は何だ、門は何だ』ってやられかねない。だから、できるだけ、森のことは森だけで対処できたほうがいいんだけれど……。
「いくつか、気になってることがあるのよね」
僕が悩んでいたら、クロアさんがそう、言い始めた。
「まず1つ目は、あの野郎に私の魔法が通じなかったことなのよ」
「ああ……すごく睨んでたのに、全然堪えた様子が無かった」
よく考えたら、あれ、変だ。あの人、僕に対して誘惑してきた時はそんなに強くなかったのに、クロアさんの魔法にはびくともしなかった。ええと、攻撃は苦手で防御が得意、みたいな人、なんだろうか?
「普通に考えれば、あり得ないことよね。あの程度の魔法しか使えない奴が、私の魔法を防ぐなんて、ちょっとあり得ないわよ」
「……自信があるんだな」
「当然。私、誘惑魅了その他諸々だけで裏の世界を渡ってきてたんだもの」
うん。流石のプロ。すごく頼もしい。
「……だから、そのあたりにすごく、違和感があるのよね。私がどういう魔法を使ってくるか知っていて対策してきた、ってことになるんでしょうし、対策するだけの物資や手段があった、ってことなんでしょうから」
成程。……それは確かに、気になる。
「あー……あんまり考えたくねえけどよお、これ、裏に王家がくっついてねえか?」
そこでフェイが、嫌そうな顔をしながらそう言った。
「王家が、物資の提供をしている。そう考えれば、クロアさんの魅了の魔法だって防げるような道具……お守りとか魔鏡とかか?そういうの、手に入るだろ?」
「王家がマーピンク家に肩入れする理由が分からんが」
「そこは幾らでも考えられるぜ?精霊様が欲しいっつうんなら、その精霊様の力を王家にも使わせることを条件にしている、とか。或いは、マーピンク家が失敗しても、それを口実にして森を攻撃できるから、とかかもしれねえし」
……フェイの話を聞いていたら、なんだか、ちょっと頭が痛くなってきた。うう、これ、すごく嫌だ。
「王宮の魔導士がマーピンク家についている、ということなら、色々と納得がいくわね。私の魔法が通らなかったことも、今までの犯罪者達にしっかり口封じの呪いが掛けてあることも、納得がいくわ」
うん。今回、結構ふんだんに魔法が使ってある気がする。だから、魔法が得意な人が後ろに付いてるんだろうな、という気はするし……それはクロアさんの言う通り、王宮の魔導士、っていうやつなのかもしれない。
「そういう奴らが後ろに付いてることを考えると、うかつには動けないのよね。下手すると本当に、王家に攻め込ませる口実を与えてしまうわ」
「うわー、ごめんな、トウゴ。こっちが厄介なかんじなもんだから……」
「ううん、こっちこそごめん、フェイ。こっちも厄介なかんじなもんだから……」
お互いに厄介だ。色々と。でも大体の原因はこっちだ。というか、僕だ。本当にごめんなさい。
「……ねえ。私、気になったんだけどさ」
僕とフェイが互いにしょんぼりしていたら、見かねたようにライラが割り込んできた。
「あの、今牢屋に入れてある人達の呪いって、解けないの?舌の模様、落としちゃうとか。駄目?」
舌の模様。呪い。……ああ、うん。分かった。そうだよね。あの犯罪者の人達が口を割ってくれれば、僕らは正統な理由でマーピンク家をやっつけることができるから……。
「駄目でしょうね。それで呪いが解けるなら、舌を切り落とせばそれで済む話だもの」
あ、駄目なのか。……え、あ、舌を切り落とす!?こ、こわい……。
「それくらいは対策されていると思うわ。解呪できるとしたら、正規の方法で呪いを解くしかないんでしょうけれど……それができるのって、王宮の魔導士ぐらいなのよねえ……」
ああ、ふりだしに戻る……。
……なんというか、考えてしまう。
僕らはただ平和に暮らしていたいだけなのだけれど、それが嫌だっていう人が居るんだろう。マーピンクさんみたいに。或いは、もしかしたら王家の人も。
それは……なんでだろう。自分が不幸せだったら誰かも不幸せじゃないといけないんだろうか。自分と他人は別のことをしていていいんじゃないだろうか。
……寛容であるべきだ。
僕らは、寛容であるべきなんだ。
自分とは違う考えや、自分が知らない幸せや、自分が持っていない何かに対して、寛容であるべきなんだ。
誰かを責めたり攻撃したりするんじゃなくて、いっそのこと、他人のことなんて良くも悪くもどうでもいいって、そう思ってお互いにお互いを放っておけるのが一番いいんだと思う。そういう風に、寛容でいられないなら、せめて、無関心であるべきで……。
……そして僕らは、理不尽な不寛容に対しては、どうすればいいんだろう?
……先生は、何て、言っていたっけ。
ええと……。
……うん。壁。壁だ。