8話:森と村、そして壁*7
目が覚めたら、もう夜だった。そして、目が覚めたからといって、門が出来上がっているわけでもなくて、ただ、何もないただの門がそこにあるだけだった。
改めて、がっかりする。
何が足りなかったんだろう。デッサンが狂ってた?色が再現しきれていない?表現が足りてない?……考える程、分からない。
考えながら落ち込んでいたら、不意に、鳥の首が僕の首筋に向かって後ろからつっこんできた。
「うわっ」
急に首筋にふわふわした頭が来たから、びっくりした。しかも鳥はそのまま頭をぶるぶる振るものだから、ふわふわの羽毛でくすぐられて、僕の首筋がくすぐったい。
「や、やめて。くすぐったいよ」
抗議の声を上げてみるのだけれど、鳥のふわふわは止まらない。それどころか、鳳凰が首の反対側をくすぐり始めたし、管狐がシャツの隙間から潜り込んでくすぐり始めた。アリコーンも何気ないふりして尻尾でくすぐってくる。レッドドラゴンと龍はちょっと遠巻きに僕を見ているけれど、なんだか面白がってるみたいだ。
……そうやって一通りくすぐられたら、なんだか、ちょっと元気が出てきてしまった。うーん、僕って単純なんだろうか。
「……励ましてくれたのかな。ありがとう」
でも、僕の元気がちょっと出たのは確かだから、彼らにお礼を言うことにした。そうしたら鳥の、随分と自慢げな顔が見られた。うん。君はいつでも自信たっぷりだね。ちょっと羨ましい。
「ただいま」
それから僕は家に帰る。ライラが作っていたらしい夕食の美味しそうな匂いが家の外まで漂っていたから、それでまた、少し元気になる。
「あら、お帰りなさい。……自力で帰ってきたってことは、今日中には完成しなかった、ってことよね?」
ライラはお鍋の中をおたまでかき混ぜながら、そう聞いてきた。慣れてきたなあ、彼女……。
「それがね、完成したんだけれど、実体化に失敗してしまって」
そう説明すると、ライラはきょとん、として、首を傾げた。
「……そういうこともあるんだ?」
「うーん、僕も初めてなんだ。こういう風に失敗するのって」
僕は自分で言ってまたちょっと落ち込むけれど、ライラは、『ふーん、そういうもんなのね』という調子だ。……それを見てたら、ちょっとまた、元気が出る、というか、落ち込み方が減る、というか。
それから皆が集まってきて、ご飯を食べながら僕の話を聞いてくれた。
「門の絵を描いてみたんだけれど、実体化しなかった。ただの絵になってしまって、全然、ピクリとも動かない状態」
「……まあ、今までとは訳が違うからな」
大規模になる、っていう意味でもそうだし、魔法を描く、っていう点でも確かにそれはそうなんだ。けれど、レッドドラゴンだって龍だって出せたんだから、今度のだって、出せたっていいと思うのだけれど。
「失われた魔法を再現しようとしているんだ。そう簡単にいくものでもないだろう」
「……うん」
ラオクレスの言い方はそっけないようだけれど、要は、あんまり気にしないで元気出せ、っていうことだから、ありがたく受け取っておく。
「その絵、トウゴ君としては納得がいっているの?」
それからクロアさんにそう聞かれて、僕は……ちょっと曖昧に頷いた。うん。曖昧に。
「……自分でもどっちか分かってない、っていう顔ね」
「うん……」
クロアさんは苦笑しつつ、壁際に置いてある絵に目を向けた。
「立派な出来栄えだと思うのだけれど」
……うん。そう、かな。確かに、すごく、力は込めた。細部までひたすら描き込みを深めていって、何度も色を重ねて……デッサンだって、すごく気を遣って描いた。けれど、それでも足りないから、今、こうして実体化せずに絵のままでいいるわけで……。
「ねえ、ライラはどう思う?」
「え?私?」
たまらなくなって、僕はライラに聞いてみた。
「君も絵を描く人だから、聞いておきたくて……この絵、どこが足りないんだろう。僕、自分でよく分からなくなってきてしまった」
実際、よく分からない。今回の絵に何が足りていないのか、まるで分からない。
ライラは絵を描く人だから、彼女なら何か、分かるかもしれない。そう思って、聞いてみたのだけれど……。
「そ、そう言われても……うーん、実体化しなかったっていうのなら、もしかして……画材じゃない?」
……画材?
「ほら、水彩だとちょっと、色が軽すぎるのかもしれないわ。透明感があって、門の外の表現はすごくいいのよ。けれどその分、門の内側……建物の中は、あんまり暗いかんじがしないのかも」
成程。
確かに……今回は、水彩よりも油彩の方が、向いていたかもしれない。やっぱり重くて重厚感のある表現には、水彩はあんまり向いていない。
そっか。なら、やっぱり油絵の方も練習しなきゃいけない。急いで練習して、なんとか、自分の思い通りに絵が描けるように……。
……そう、思っていたら。
「だから、魔法画、やってみたら?」
……えっ、そっち?
「イメージ通りのものが描けるのよ?なら、あんたのこの能力には丁度いいじゃない?」
うーん……いや、確かにそうなんだけれどさ。
……魔法画って、要は、魔石の粉の絵の具を魔法で動かして、自分のイメージ通りに画面に作っていく、っていう、そういうものなんだけれど……それが僕はどうも、下手糞らしいから。
「あんた、魔力は多いみたいだし、慣れれば水彩よりも得意になると思うわ!ね、やってみない?」
「うーん……」
……うん。折角だから、やってみようかな。
だって、他に何も、解決方法が思いつくわけでもないし。何かやっていれば、気が紛れるし、そうすると、もう少し元気になるかもしれないし……。
……ということで、魔石の絵の具を作る。
使うものは魔石だ。魔石。つまり……ええと、僕が描いて出した宝石だ。
「宝石のストックは沢山あるから……」
売ってもいい宝石はフェイが売ってきてくれた。それで無事、農夫の人達の当面のお給料は確保できた。……のだけれど、売れない宝石はずっと僕の手元に残っているだけだ。この宝石、魔力が多すぎて売れない、ってことだったから、絵の具にするにはちょうどいいんじゃないかな。
「こ、これ潰すの!?ねえ、これ潰すの!?」
「え?うん。丁度いいと思って……」
前、クロアさんにお土産に買ってきたクッキーが入っていた厚紙の箱の中に、出すだけ出してそれっきりの宝石がざらざら入ってる。それを取り出してきたら、ライラが顔を引き攣らせた。
「こ、こんな高価そうな魔石……絵の具にするもんじゃないでしょ」
「いや、でも、絵の具以外に使おうとしても、使えないし……」
うん。どうせ売れないし、召喚獣用の宝石ならもっといい奴をいくらでも出すし。だからこれは、本当に使い道が無い宝石なんだ。
「……ええと、じゃあ、ライラ。これ、いる?」
「え?ええと、その、宝石なんて要らないわよ。似合う訳でもないし、ちょっと、私には高価すぎるし……身の丈に余るっていうか……」
……似合わないっていうことは、ないと思うんだけれどな。でも、気後れする気持ちはちょっと分かるから、無理にとは言わない。
でも、青く透き通った宝石がなんとなくライラに似合いそうだったから、別の箱によけておく。いつか、ライラが宝石に慣れてきたらプレゼントしよう。
「クロアさんは?」
宝石だったらやっぱりクロアさんかな、と思って、クロアさんにも宝石を持っていってみる。
「……とんでもないお値段の宝石なんて身に余るけれど、でも、まあ、貰っておこうかしら」
クロアさんはそう言って笑って、緑色の宝石をつまみ上げて取った。似合う?と胸元にあてがってみせてくれるのだけれど、すごく似合う。
ああ、そうだ。僕、クロアさんを飾る装飾品のデザインとかもやってみたい。今度、描いて出してみようかな。
……うん。ちょっとまた、元気が出てきた。
「ええと、じゃあ、これを潰せばいいんだよね」
「……そうよ。そうだけど……」
ラピスラズリからとった青で描いたラピスラズリは、やっぱりとんでもない出来になってしまっていたらしいので、僕はそれを砕いて、粉にしてみる。
「うわあ……うわあ……分かっちゃいたけど、とんでもない光景よね、これ!これ1つだけでお屋敷が買えちゃうような宝石を、すり潰すなんて……!」
うん。まあ……ちょっと僕も思うよ。
……フェイのレッドドラゴンに踏んで粉砕してもらった破片を、今度は乳鉢でごりごりやって粉にする。そうしてラピスラズリはすっかり粉末になった。日本絵の具とかだと、今度はこれを水で溶いて、沈殿させたり、ちょっと流したりして、粒子の荒いの細かいのを分けていくんだ。この粒の細かさで値段が変わったりするんだよね。今回は乳鉢でちょっとしか潰していないから、それはやらない。
……こうして僕が作った、魔法絵の具が完成。魔石の粉で作った初めての絵の具は……あれ、思いのほか、するする描ける、気がする。
あれ?あれ……な、なんか妙なくらい、するする描ける。どうしてだろう。
「う、うわあ……だ、駄目だわ。私にはこの絵の具、ちょっと、重すぎて扱えそうにないもの」
僕がラピスラズリの粉でするする絵を描いていく隣で、ライラはぜえぜえと荒く呼吸している。……あれっ?
「……え、あんた、まさか、この絵の具で絵が描けるの?」
「え、あ、うん……」
一方の僕は、青い絵の具で絵を描いている。魔法画が初めて思い通りに描けて、ちょっと感動してる。
「……随分上達したのね。もしかしてあんた、隠れてずっと練習してた?」
「うん……?」
……ええと。僕、魔法画の練習は、最近、あんまりしていなかった。それに、したとしても、木炭の粉を持ち上げるのがすごく大変で、すぐにあっちこっちに行ってしまう絵の具をどうにかして思い通りにしようとして、すごく頑張っていた。
なのに今、ラピスラズリの青は、実に思い通りに扱えている。一方、ライラはこの絵の具、うまく使えないみたいだ。僕よりもずっとずっと魔法画が巧い、ライラが。
……うーん。
これ、もしかして、今まで魔法画が上手くいかなかったのって……画材が僕に合ってなかったから、なんだろうか?
それから僕は、夢中になって絵の具を作った。
色々な色の魔石を砕いて……砕いている途中で、『これ、自力でやってたら全然終わらないな』って気づいたので、『端から砕けて粉になっている宝石』を描いて出して、それを絵の具にして、魔法画を描く。
すると……。
「できた……」
……すごいな。魔法画。イメージした通りの絵が、ばっ、とできてしまう。これにもっと慣れて、楽に魔石絵の具の操作ができるようになったら、1日に何枚でも絵が描けてしまいそうだ……!
「ば、化け物じみてるわね、あんた……」
「うん!」
ライラはそんな僕を見て顔を引きつらせているのだけれど、僕としては、生まれて初めての魔法画に夢中になるしかない。
思った通りだ。本当に、思った通り。思った通りに描けてしまう!
筆じゃなくて、自分の意識に絵の具を乗せて描くような感覚。自分が意識した通りに絵の具がふわふわ動いて、そこで定着して、どんどん絵になっていく。
すごい。本当にすごい!濡れた紙の上に水彩絵の具を落としたような表現もできるし、その上に油彩みたいに濃く不透明な線を引くこともできてしまう。乾湿は自由自在。絵の具のぼかしも滲みも自由自在。筆の跡の1つ1つまで全部、理想通りに仕上げられる!すごい!
「……こんなに細かく魔石絵の具を操作する人、初めて見たわ」
「そういうものなの?」
ライラは僕の作業風景をまじまじと見て、ほう、と感嘆のため息を吐いた。
「ええ。そういうものよ。……これだけの絵の具を定着させてしまわずに動かし続けているなんて、あり得ないわ」
それからライラに詳しく聞いてみたら、どうやら、魔法画っていうものは、短時間で仕上げるもの、らしい。
キャンバスの上に魔石絵の具をイメージ通りにばっ、と置いて、それで終わりなんだ、って言ってた。大きめのキャンバスについては、部分部分に分けて何日にも跨って描き上げたりするんだって。
……僕がさっきやっていたみたいに、乾湿自由自在、絵の具を定着させきらずに画面全部を延々と弄り続ける、なんていうことは、普通、やらないんだそうだ。
「あんた、一度に操れる絵の具の量がとんでもないのね。全く、羨ましい……いえ、いっそのこと妬ましいわ!」
ライラはそう言って、ちょっとじっとりした目で僕を見る。……多分、嫉妬だ。あ、どうしよう。嫉妬されるのがちょっと嬉しいようなむず痒いような、そういう気分だ。よくないって、分かってるけれど。分かってるけれど……でも、ちょっと嬉しい。
「この大きさの絵を魔法画で描けるなんて……あんたの魔力って、よっぽど多いのね。それに加えて、イメージがすごく、はっきりしてるってことでしょう?これ。ううん、なんか……なんか、ぶっ飛びすぎてて、ちょっと、妬ましさすら消し飛びそうだわ……」
ええと、多分、画材が僕に合ってるんだと思う。僕は、その、人間を中退してしまったから、その分魔力が多くて、だから、魔力が多い魔石の絵の具を使う方が上手くいくんだ。
木炭の粉で描いてた時は、なんかこう、ほんの少し力を入れただけで粉が飛び散ってしまって絵にならないような、そういう感覚だった。あれって僕の制御が未熟だからかと思っていたけれど、単純に僕の魔力と画材の魔力が合わなすぎていただけだったのかもしれない。
こういうのって、向き不向きがあるんだと思う。この絵の具、僕にとっては最高の絵の具なのだけれど、ライラには重すぎるらしいし。逆に、ライラがするする扱う絵の具は、僕にとってはとんでもなく扱いにくい絵の具だ。だから、ええと……適材適所!
自分にぴったりの画材を見つけて、僕はすごく、嬉しくなる。こんなに何もかも思い通りになる画材なんて、初めてだ!
「ちょっと。トウゴ。何してるのよ」
「折角だからこの調子で門も描いてこようと思って!」
ということで、僕は画材を一式持って、早速、また森の中央の建物へ向かう。よし!これからもう一度、門に挑戦だ!
……と思っていたら。
「やめときなさいよ。あんた、すごく目がきらきらしてるけど、顔色が悪いから」
ライラに、肩を掴まれて止められてしまった。
「ラオクレス!ラオクレス!来て!トウゴがまた駄目だわ!」
「よし」
しかも、ラオクレスを呼ばれてしまった。そしてあっさり、ひょい、と抱えられてしまった。
「ハンモックとベッド、どっちがいい」
あの……じゃあ、ハンモックでお願いします……。
ハンモックに下ろされた後も、なんというか、その、興奮して寝付けそうになかった。だって、こんなに思い通りに絵が描けるって、すごい。すごすぎる!これから何だって描ける!これなら僕、本当に、何だって……。
……ただ、そんなことを考えていたら、段々眠くなってきてしまった。やっぱり体力が追い付いていないらしい。悔しいなあ。
でも、失意の昼寝とは比べ物にならないくらい、すっきりしていてわくわくした気持ちだ。このまま眠れるなら、いい夢が見られそうだ。
よし。おやすみなさい!