18話:広い広い大地へ*5
……種を、蒔くかどうか。
すごく難しい問題だと思う。この種はいわば、ライラのお母さんの形見みたいなものだし、大切にしたい気持ちはすごく分かる。でも同時に、種って蒔いて芽吹くものだから、そうやって植物の形にするのが正しいんじゃないかとも思う。
けれど、蒔いた種が必ずしも芽吹くとは限らないっていうことも、僕は知っている。……蒔いた種から何も芽吹かずにただ土に還ってしまったら、それは悲しい。
ライラの気持ちも、そういうところでぐらぐらしているんだろうな、と思う。僕よりもずっとさっぱりしている彼女が悩んでいるんだから、僕よりもずっとずっと悩んでいるんだろう。当然だ。この種は彼女のものだし、彼女のお母さんのものだし……。
「……ま、いいわ。もうちょっと考えてみる。どうせ蒔くなら、もうちょっと先だろうし」
ライラはそう言って、ため息交じりに窓の外を眺めた。
窓の外は雪景色だ。確かに、種を蒔くにはちょっと早い季節かもしれない。……いや、種によって蒔くのに適した季節って、あるよね?春に蒔けばいいのかも、本当の所は定かじゃないのか。うーん。
……なんとかならないかな。
「……っていうことがあったんだけれど」
ということで、僕は相談しに来た。……龍と鳥に。
龍はくるくる喉の奥で鳴きながらやっぱり僕に木の実を勧めてくるし、鳥は水晶の小島にちょこんと座り込んで、我が物顔でそこに居る。……龍ははじめ、この鳥が来て『なんだこいつは』みたいな顔をしていたのだけれど、鳥があまりにも自然に当たり前のようにそこに居るので、その内諦めたらしい。うん。
「僕って森の精霊なんだよね?だったら、種を芽吹かせたりとか、そういうこともできるんだろうか?」
……僕が相談しているのは、ライラが持っている種のことだ。
ほら、龍は豊穣の神様になることだってあるから何か知っているかもしれないし、鳥は一応、精霊の先輩だ。困ったらここに聞くのがいいかな、と思って。
ただ……2匹の反応は、よく分からない。
龍は髭で僕をつっつきながら僕が木の実の中身を飲むのを眺めているばかりだし、鳥は鳥で、羽づくろいしているだけだし。……さてはこいつ、僕の話、聞いてないな?
「芽吹くか分からないものを蒔けだなんて、無責任だと思うし、何か、僕にできることがあればいいなって思ったんだけれど……」
けれど、僕がそう言うと、鳥はちょっと僕の方を向いて、それから、ちょこちょこ寄ってきて、ぴったり僕に寄り添った。
……ふわふわだ。
そしてしばらく寄り添った後、また鳥は離れていく。あ、また羽づくろいし始めた。ええと……。
僕が困っていると、今度は龍も、同じようにし始めた。僕にくるくる巻き付いて、きゅ、とごく軽く締め付けて、そのまま僕が適度な圧迫感に包まれていると、やがて龍はするりと解けて離れていく。
龍はそのまま、少し離れたところから僕をじっと見つめている。気が付けば、いつの間にか鳥も、僕をじっと見ていた。
「……くっついて、離れる?」
違うよな、と思いながらそう言ってみると、龍はちょっと呆れた顔をして、鳥はくるっと首を傾げた。ああ、やっぱり違うか。
ええと、2匹とも、くっついて、離れた。僕にぎゅっとくっついて……。
……あ。
「ええと……一緒にいてやれ、ってこと、かな」
僕がそう言うと、2匹はそれぞれ、満足げに頷いた。
「ライラ!」
食事の支度をしていたライラに声を掛けると、ライラはちょっと驚いたような顔をした。
「あら、何よ。珍しいわね、そんなに大きな声出して」
おたまで鍋をかき混ぜていたライラの手を捕まえて、僕は早速、言う。
「あの種、蒔いてみない?」
ライラが迷っているっていうことは、蒔きたい気持ちもあるっていうことだ。そうじゃなかったら、さっぱりした彼女のことだから、この種はしまっておこう、って決めて、その通りにしてしまうだろう。
そうできないのは、迷っているからだ。
ライラだって、迷っているんだ。蒔いた種が芽吹かないかもしれないっていう思いと、でもこのままにしておくよりは芽吹かせて育てて見たいっていう気持ちとがあるから、迷っているんだろう。
……そこについて、僕はどうにもできない。種を描いて増やすっていうことも考えたけれど、多分、それって狡いと思う。だから、僕にできることは、ほんの少ししかない。
「蒔いて、それで失敗だったら……僕、一緒に悔しがるよ」
成功するか失敗するか分からない人に対してできることって、ただ、一緒に居ることだけだ。
でも……それが僕は、嬉しかったから。
ライラもそうとは限らないけれど、でも、だからと言って申し出ないのは、それもなんだか違う気がしたから。
「……そう」
ライラは目をぱちり、と瞬かせて……それから、ふわ、と笑った。
「なら、お願いしようかな」
「うん。そっか。私、失敗した時に一緒に悔しがったりしてくれる人が欲しかったのかも」
ライラはちょっとにやにや笑いながら、そう言って、それから……きゅっ、と、僕の手を握って言った。
「ありがとう。……よろしくね」
「うん」
僕にできることは少ないけれど……けれど、僕は、失敗した時に一緒に悔しがったり笑ったりしてくれる人が居るってどういうことか、もう、知っている。
だから、今度はそれを返せるようになりたい。
……それからも森の冬は続いた。
一応、絵を描くばっかりじゃなくて、森の精霊としての仕事もした。結界の点検はちゃんとしたし、森の生き物があんまり寒くないように、穴を掘って巣穴にしてみたり、そこに植物の繊維で作ったふわふわの寝床を用意してみたり。それを森の生き物全員分にやっていたら、結構大変だった。
でも、おかげで森は大分楽しく、冬を越せた、と思う。生き物達は巣穴の中、ふわふわした寝床の上で身を寄せ合って温め合ってのんびり過ごしていたし、僕らは僕らで家の中でできることをしたりしながらのんびり過ごしたし。
……ああ、そうだ。僕、薪割りができるようになった。勿論、ラオクレスみたいに上手にはできないし、時間もかかるけれど。
けれど動作のコツを覚えたら、なんとか仕事にはなるようになったから……時々、ラオクレスに代わって薪割りするようにしている。
……こうやって薪割りをしていたら少しは筋肉がついて情けなくない体になるかな、と、ちょっとだけ期待してる。いや、それはオマケくらいに考えてるけれど……。
薪割りは上達して僕も仕事になるようになったからそれはよくて、それから、僕は……レース編みが上手くなってしまった。こっちはもう、クロアさんやライラに負けないくらいの物が作れるようになってしまった。
……やっぱり複雑な気分だ!
そうして冬を楽しみながら過ごしていたら、やがて、春が来る。
溶けた雪がちょっとずつ流れて小川を作るようになる。木の枝を見てみたら、芽が膨らんでいるのが分かる。ちょっとずつ空気が緩んできているみたいに……冬の張りつめた冷たさが段々薄らいでいって、春らしくなるように、なってきた。
……そうして僕らは、雪の溶けた土の上に、若葉色の植物の芽を見つけるようになった。
うん。もう春だ!
春になってきてからも、ライラはまだ少し悩んでいるようだった。
けれど……ある日、意を決したように、僕を呼びに来た。
「うちの隣の畑に、あの種、蒔こうと思うの。……一緒にやってくれる?」
「うん。勿論」
少し緊張した表情のライラと一緒に、僕はライラの家の隣の畑まででかけていく。
ライラの家の隣の小さな畑は、もう雪もすっかり溶けていて、如何にも森のものらしい、ふっくらした黒い土が顔を覗かせていた。
「……ええと、じゃあ、こっち、お願い」
ライラはそう言って、僕の掌に、種をさらさらと乗せた。……小さな小さな黒っぽい粒は、軽くて、でも、すごく重く感じる。
「どうやって蒔いたらいいんだろう」
「え?うーん……そうね、適当でいいわ。適当で」
適当って言われても……。
僕はちょっと困りつつ、でも、先生の家で畑に種を蒔いた時のことを思い出しながら、指でちょっと土に窪みを作って、そこに種を落として、そっと薄く土を被せることにした。いや、この蒔き方で合ってるか分からないけれどさ。でも、適当にバラバラ蒔いて終わり、っていうことにはしたくない種だから。
……そうやって、できるだけ丁寧に、できるだけ大切に、種を蒔く。ふと見たライラの表情はすごく真剣で、ちょっと不安そうでもあった。
「……無事に生えてくるといいね」
だから僕は、そう、声を掛ける。声を掛けられたライラはちょっと驚いたような顔をしていたけれど、やがて、そうね、と言って笑った。
「駄目だったら一緒に悔しがってもらうからね」
「うん。勿論」
そうして僕らは、種を蒔いた。
どうか芽吹いてくれますように、と、強く強く思いながら。
……蒔いた種を、毎日見に行った。水をあげすぎたらよくないってことくらいは分かるし、水をあげるのはライラの役目だったから、僕は本当に、ただ見るだけだった。
僕が毎日、ライラの隣で畑を見ていたら、その内リアンとアンジェも見に来るようになって、妖精も馬も、クロアさんもラオクレスも気にし始めて、その内全員で代わる代わる覗き続けているような状態になってしまった。
「なんていうか……この森って、いいところよね」
種を蒔いて5日ですっかり畑の周りが賑やかになって、ライラは嬉しそうに笑う。
「皆でこうやってくれるから、好きだわ」
「うん。僕も好きだ」
つくづく、恵まれてるよなあ、と思う。この森、いい人やいい生き物、いいものでいっぱいだから。
「……最近ね。早く芽が出てこないかなあ、って思うのよ。本当に芽が出てくるかしら、じゃなくて」
ライラはそう言って、畑を眺める。
「芽は、出てくる気がするの。だってこんなに見守られてるんだから!」
……そうして、皆で畑を覗きに覗いて、10日くらいした頃。
朝、見に行ったら、畑の前でライラが立ち尽くしていた。
「……どうしたの?」
僕がそっと、ライラに近づくと……ライラは、言葉を出さずに、そっと、畑の土を指さした。
……黒い土の上に、緑色の芽が、ちょこん、と顔を出していた。蒔いた種の殻を芽の先っぽに被った状態で。
「……出てきたわ」
「……出てきたね」
僕とライラは顔を見合わせることもなく、ただじっと、土の上に顔を出した芽を眺めていた。
その内、馬達が『どうしたどうした』と言わんばかりにやってきて、そして僕らと同じように、出てきた芽をじっと眺めることになった。それを見に来たリアンとアンジェと妖精達も畑の芽に大喜びしながら畑の傍で飛び跳ね始めて、それを見たクロアさんとラオクレスも、やっぱり畑を見に来て顔を綻ばせた。
その内、向こうの方でさっと雨が降って、唐突に虹がかかり始めた。もしかして龍がお祝いしてくれてるんだろうか。虹の前を堂々と横切る巨大なコマツグミを眺めつつ、僕は思う。
……これだからこの森は、いいところなんだ!