11話:変な馬達と密猟者*5
結局その日、僕は初めて、他人を家に上げることになった。
物珍しいらしく、レッドガルドさんは家の中をきょろきょろと見回していたけれど、下品な人ではなかったからか、嫌な気持ちにはならなかった。
「どうぞ」
「いや、ベッドまで借りるわけにはいかねえって!急に押し掛けた身分だし!雨風さえ凌がせてもらえりゃそれでいい!」
……それに、ほら。この人はこの森に棲んでいる馬達を助けてくれるかもしれない人だし。馬達の代わりに親切にしておいてもいいよね、と思う。
あと、単純に、初めてのお客さんを床で寝かすのは、なんかちょっと。
と、いうことで……僕は、その場でざっくり、絵を描く。
描くのは、ソファだ。あと、ブランケット。
絵の具が使えるようになってから、面をむらなく塗るのが格段に速くなった。鉛筆一本だとどうしても、面を塗るのに時間が掛かる。
その点、ソファみたいな人工物を描く時は、絵の具があると大助かりだ。
「おおお……すげえ、本当に出てきた……」
「どうぞ」
ベッドは辞退されたので、レッドガルドさんにはソファを提供することにした。彼は僕よりも身長が高いし、僕よりちゃんとした……がっしりした体形だ。だから、そんな彼でもゆったり使えるような大きさのソファにしてしまったので……うん、少し、家が狭くなった。まあいいか。
「それにしても、こんな魔法、見た事ねえな。これ、どこで覚えたんだ?」
「知らない」
そもそもこれ、魔法なのか?僕には何も分からないので碌な答えはできないのだけれど。
他人が家の中に居るのって、予想以上に落ち着かない。レッドガルドさんよりも僕の方が落ち着いてない。彼はもう寝付いているのに、僕は何となく眠れずにゴロゴロしている。
……駄目だ。眠れない。そして、眠れない時には絵を描くに限る。
何を描こうかな。描きたいものは……。
「人物デッサン……」
……いや、止めておこう。人物デッサンにはちょっと惹かれるものがあるけれど、流石に、寝ている人を勝手に描くのは、ちょっと。
レッドガルドさんはなんというか、描いていて楽しいだろうな、とは思う。男の僕から見てもそれなりに整った容姿だし、髪や目の色が綺麗だし、何より、表情がいい人だ。うん。描いたらきっと楽しい。
けれど、寝込みを描くのは、駄目だろう。多分。流石に。
……ということで、人参にしておこう。馬達に食べさせてみたいから。
僕はランプに火を入れて(マッチも描いたら出てきた。便利だ)、その光と窓から差し込む月明かりを頼りに、人参を描き始める。
……そういえば、馬達はこの家の周りに住み着くことに決めたのかな。泉の周りの木の下なんかでのんびり眠っていたり、夜だというのに歩き回ったりしている。まあ、いいんだけれど。
「密猟者、か……」
それにしても、密猟者、か。この世界にもそういうの、居るんだな。まあ、当たり前と言えば当たり前のことなのかもしれないけれど。
天馬の羽も、一角獣の角も、綺麗だ。だから、欲しくなる気持ちは分かるよ。密猟で、無理矢理取っていってしまえ、ってなる気持ちも、分からないでもない。
でも……正しくはない、とは、思う。特に僕は、馬を撫でたり治したり、馬に擦り寄られたり乗せられたりした後だから。思い入れがあるから、彼らを傷つけてほしくは無いな、と、思う。
……解決すればいいな。この問題。
朝になった。人参が山ほどできた。人参の山を見たレッドガルドさんが驚いていた。うん、僕も驚いた。なんで僕は徹夜で人参を増やし続けていたんだろうか。
まあいいや。できちゃったものは仕方ない。僕は「朝ごはんだよ」と呼びかけながら外に出て、馬に人参を配って歩いた。……人参は好評だった。美味しかったなら何よりです。
「あ、これ美味いな。人参ばっかりこんなにどうするんだって思ったけど……まあ、食って不味い訳でもねえか」
そして僕らの朝食も人参になった。
レッドガルドさんは人参を生のままボリボリ食べている。僕はそのまま齧る勇気はなかったから、ナイフで適当に細く切って、それをポリポリ食べている。
ちなみに調味料は塩。こういう時、マヨネーズとかあるといいのかな、っていう気がしたけれど、マヨネーズを今の眠たい僕が描いたら白い絵の具になることは間違いない気がしたのでやめた。
「それにしても、いい天気だな。こりゃ、精霊様も俺達にお怒りじゃあなさそうだ」
レッドガルドさんは人参を齧りながら、窓の外を見て明るく笑う。
今日は快晴。いい天気だ。……でもこれ『精霊』っていうのが怒ったら、嵐とかになるんだろうか?
「あの、聞いてもいい?」
「ん?おう。どうぞ」
気になったので、いい加減聞いてみることにした。
「精霊って、何?」
レッドガルドさんは悩んで、悩んで、それから、説明しながら悩むことに決めたらしい。とりあえず思いついた言葉を口に出してくれた。
「うーん……そうだなあ、まあ、人間よりも魔法に近い生き物?いや、生き物なのか……?分からんな」
最初から僕には理解できなかった。異文化の壁を感じる。
「ええと、精霊ってのはだな、森だったり、泉だったり、そういう所に住んでてだな……森や泉の化身だったりもするらしいんだが、まあ、とりあえずその辺り一帯を守っている、らしい。それから、人間なんかよりずっと多くの魔力を持っているんだと」
魔力って何、とは聞かないでおこう。多分、何かのパワーだ。多分。それは何となく雰囲気で分かるからいいや。
「大体の精霊は人間嫌いだな。けれど、気に入った人間が居れば助けてくれるらしい。御伽噺の勇者とかは大体、高位の精霊に気に入られて力を授けられる奴だしな。……まあ、人間より力の強い、人間とは違う、それでいてちょいと気まぐれな誰か、ってところか」
そっか。大体そこらへんに落ち着くのか。ということは、日本での『山の神様』みたいなのに感覚としては近いのかな。
要は、自然信仰の1つの形、なんだと思う。いや、この世界には魔法だ何だがあるらしいから、本当にそういう『精霊』が居てもおかしくはないけれど……。
「あ、そうだ。あと、精霊ってのは綺麗な姿をしてるんだって話だ。御伽噺の精霊様も美男美女揃いだしな。……まあ、実物見た事ねえから、実際がどうなのかは分かんねえけど」
「ええ……」
……そういうのに僕、間違われたの?なんか……どういう顔したらいいんだ、僕は。
『どういう顔したらいいんだ』という顔をしていたからか、レッドガルドさんは気づいて、苦笑いしながら補足してくれた。
「ああ、お前はなんかな?こう……うん。ペガサスとユニコーンに囲まれてにこにこしながら水浴びしてる人間、なんつう光景見たら、そりゃ、精霊だと思うだろ。あんまりにも現実離れしてたぜ、あの光景」
ああ、うん、そう……。いや、でも、ここの馬がおかしいのであって、僕がおかしい訳じゃないから……。
それから小一時間後。
「世話になったな!ありがとう!」
人参と果物の朝食の後、レッドガルドさんは出ていくことになった。また密猟者探し、頑張るらしい。
「絶対に密猟者を見つけてボコボコにしてやるぜ!もうここの馬達に手出しはさせねえからな!」
「うん。頑張って」
笑顔で去っていくレッドガルドさんを見送って、僕は、彼の派手な色の頭が木々の向こうに見えなくなるまで、のんびり手を振って見送った。
さて。
馬達はよっぽど人参が気に入ったらしい。鼻で僕をつついては人参を催促してくる。
僕は今日も馬達のお世話係だ。……あと、鳥の。
鳥は今日も来た。ちょっと時間をずらしてきたのは、レッドガルドさんが居たから警戒していたのかな。
まあとにかく、今日もこの巨大なコマツグミは元気にやってきて……泉を占領している。うん、いいよ、別に。好きなだけ水浴びしていって。
ただ、今日はその巨大な鳥は……僕に何かを持ってきた、らしい。
僕が水浴びを始めるや否や、鳥は僕をつついて……くちばしに咥えたものを、押し付けてきた。
「え?え?な、何?これ」
それは、紙……だった。のだけれど……。
「読めない」
鳥が持ってきてくれた紙を頑張って眺めていたのだけれど、読めなかった。だってこの文字、僕が知ってるどの文字とも違うし。
どうやら異世界の文字で書いてあるらしいそれは、残念ながら僕が読めない代物だったのだ。唯一分かることがあるとすれば……ええと、多分、これ、何かの証文、じゃないのかな。判子みたいなものが押してあるし、拇印みたいなのもあるし。
ただ……それ以上のことは何も分からない。なので、うん、鳥には悪いけれど、これはちょっとしまい込ませてもらうね。
……けれど、鳥としてはそれで満足したらしい。僕が紙をポケットの中に入れたのを見て、キュン、と機嫌良さそうに鳴いた。
それから僕は、ベッドの上でごろごろのんびりしていた。ここ最近、ずっと馬を治すために気絶し続ける毎日だったから、今日くらいは物を描かない方がいいかもしれない。
けれど、絵を描かずにいたらそれはそれでむずむずしてくるので、やっぱり何か描こうかな、と、スケッチブックと画材一式を持って外に出る。近場をぶらぶらして、気に入ったものがあったら描こうかな、と思って。
うーん、出発前にレッドガルドさんを描かせてもらうべきだっただろうか。人物デッサン、惜しかったな……。
と、そんなことを思っていた時だった。
ひひん、と、馬が鳴きながら、僕の所に寄ってくる。
そして……鼻面で、僕をぐいぐい押していくのだ。
「え?え?」
僕はぐいぐいやられるがままに家の前から泉の横を通り抜けて、それから……広いところに出た途端、僕は一角獣の角に掬い上げられて、そのまま天馬の背中に乗せられていた。
「……え?」
これは一体どういうことだろう、と思ったのも束の間。天馬は僕を乗せたまま、森の中を駆けだしてしまったのだ。
天馬は速かった。
森の中を、すいすい進んでいく。木の間をすり抜けるようにして、スピードを落とさずに走る。しかも時々、飛ぶ。
どんどん後方に流れ去っていく森の木々を見ながら、僕は……ひたすら頑張って、天馬にしがみつくことしかできない。これ、振り落とされたら絶対に死ぬ。
天馬はそんな僕にはお構いなしで、どんどん走っていく。
……そういえば、急いでいるようだけれど、飛びはしないんだな、とか、これどこに向かっているんだろう、とか、これだけ急ぐんだから何かあったのかな、とか、色々考えながら、僕はただ、天馬に運ばれ続けたのだった。
天馬に運ばれ続けて10分くらい。
僕を乗せた天馬は、ようやく止まった。そして、そこから先は、まるで気配を消しながら進むかのように、ゆっくりと、ゆっくりと進む。
やがて、木々の向こうから声のようなものが聞こえ始める。少し開けた場所が見えるようになってくる。
「ここは……」
そして僕は、そこにあった光景を見て、出かかった言葉を引っ込める。
……そこにあったのは、2頭の天馬を取り囲んで、十数名の人達が……天馬の翼を、切り落としにかかっている光景だった。