17話:広い広い大地へ*4
それから僕は美術館の館長さんに絵を所蔵品にする契約をした。……さっきまで悩んでいた分、ちょっと、恥ずかしい。けれど、館長さんは喜んでくれたし、僕はやっぱり、絵を見てもらいたい気持ちが強くなっていたから、これでいいんだよな、と、思う。
……変なかんじだ。けれど、気分は悪くない。割と前向き。色々怖いような不安なような、そういう気持ちもあるし、まだ、頭の中に声は聞こえる。けれど、僕を止めようとする声には、『うるさいよバカ』って、頭の中で言い返すんだ。
それで、絵を描こう。やっぱり、絵を描こう。それでまず、幸せだ。
更に、描いた絵を見てもらって、好きだって言ってもらえたら、もっと幸せなんだ。
僕はこの世界に来てから、とんでもなく欲張りになってしまったみたいなのだけれど……でも、それでいいんだって、思うことにした。
……まだ、慣れないけれど。でも、頑張る。
僕らはまた森に戻って、そこで生活することにした。僕は絵を描くし、ライラも絵を描く。……その内、ライラの画廊も必要になってくるだろうか。
リアンとアンジェは積もった雪で遊び回っている。いつの間にか、馬達と一緒に雪玉を転がして、大きな雪だるまを作っていた。楽しそうだ。
ラオクレスは増えてしまった人数分、薪割りの仕事が増えてしまった。だから僕も手伝おうとしたのだけれど……あまり、うまくいかなかった。ラオクレスは軽々と持ち上げる斧だけれど、僕にはちょっと重い。それを狙い通りに薪へ振り下ろすのは、もっと難しい。……でも、これはちょっとずつ練習させてもらって、上手くなりたい。
クロアさんは、『久しぶりだわ』なんて言いながら、レースを編んでいる。ライラがやっているのを見て懐かしくなったらしい。クロアさんが編むレースは繊細で正確で、見事だ。……僕もちょっと試しにやらせてもらったら、こっちは薪割りよりも上手くできた。ちょっと複雑な気分だ……。
……冬の寒さに晒されながら、でも、それはそれで森の生活が楽しい。
薪をぱちぱちさせながら火を揺らめかせる暖炉を延々と眺めているのは楽しいし、雪が降ったら真っ白になる森のスケッチが始まる。水たまりは翌朝には凍っていて、そこを踏んで歩いてみたり、滑って転んだりするのもこれはこれで楽しい。
それから、寒さで集まって固まって饅頭みたいになっている馬を見るのも楽しい。その馬の真ん中で堂々としている鳥はちょっぴり小憎たらしい。
ちなみに龍は、寒さが平気らしい。いつもみたいに水晶の小島でゆったり過ごしているし、僕が遊びに行くと、いつものように僕を島の真ん中まで運んで、そこで木の実を食べさせてくる。……そして僕はいつもお腹いっぱいになって小島から帰ってくることになる。うん。
……そうして数日過ごしていると、森に手紙が届いた。
届けてくれたのは、リアンだ。彼はフェイの家に届いた手紙を森まで運んできてくれる。
……届いた手紙を見て、僕は、ちょっと、びっくりしてしまった。
「よかったな!フェイの兄ちゃんが言ってたぞ!ファンレターだ、って!」
「……うん」
びっくりした。届いた手紙は、ファンレターというやつだった。僕宛ての。僕の絵についての。……すごくびっくりした。そっか。ファンレターって、実在するのか。先生の家で時々見たけれど、でも、そっか、僕のところにも、来ること、あるんだ……。
……ファンレターの中身は、どれもこれも、読んでいて嬉しくなるものばかりだった。どうしてこんなに僕を嬉しくさせる言葉が分かるんだろう、っていうくらい、嬉しくなる言葉がたくさん書いてあった。
絵を見て何か思ってくれて、それを言葉にしてくれて、手紙にしてくれるって、すごいことだな、って思う。特に僕は、言葉を使うのがあんまり得意じゃないから、多分、僕は思った事があってもファンレターを書けない。
すごいなあ、ファンレターを書く人。すごいなあ……。
「……浮かれてるわね」
「うん」
ファンレターを貰って数日、僕は浮かれていた。浮かれながら絵を描いていた。楽しい。物凄く楽しい。楽しいし嬉しい。最高じゃないだろうか、これ。
そういう僕を見て、ライラはこれまた楽しそうに笑っている。
「ま、いいけど。あんたらしくて」
「うん」
嬉しくて楽しくて、もう満面の笑みで頷き返す。するとライラはまた、くすくす笑う。
「……あんた、やっぱりそうしてるのがいいわよ。私が言うのも変だけどさ」
「……うん?」
どういうことかな、と思って鉛筆を動かしていた手を止めると、ライラはにんまり笑う。
「絵を描くの、好きなんでしょ?」
「うん」
迷わず頷くと、ライラも頷く。
「生き生きしてるもん。なんだか、見てるこっちが楽しくなってくるくらいだわ」
……そっか。うん。まあ、楽しい顔をしている自覚はあるよ。
「だから、そのままでいなさいよね」
「……うん」
素直に頷く。
……そうだ。僕は、このままでいよう。絵を描くのが楽しくて、絵を褒めてもらえるのが嬉しくて……これでいいんだって思って、生きていることにする。
色んな人から、『これでいいんだ』って言ってもらって……そう思ってもらえてるって、思えるようになったから。だから。
「あーあ。あんたの絵見てると、私も描きたくなってきちゃうのよね。変な感覚だわ」
「……ライラは、絵を描くの、好きじゃないの?」
試しに聞いてみると、ライラはちょっと肩を竦めた。
「好きか嫌いかなんて、あんまり考えたこと無かったのよ」
……えっ。
「意外だ……」
「……いや、あのね?全人類、絵を描くのが楽しい、ってわけじゃないのよ」
それはそうだろうけれどさ。先生とかは絵があまり上手じゃないからか、絵を描くのはそれほど好きじゃないらしかったし。うん。
「あんなに上手いのに?」
「うーん……なんというか、私にとっての絵って、長らくずっと、お金を稼ぐ為の手段で、それって母さんの薬を買ったり、食事を買ったりするための手段だったから……好きとか嫌いとか、言ってられなかったのよね」
……そっか。ライラは、絵を描くために生きていたんじゃなくて、生きるために絵を描いていたんだ。
そう考えると、なんとなく、胸が苦しいような感覚になる。
「でも……そうね。好きだったんだわ。私。最近気づいたけれど、私、絵を描くのが好き」
けれど、ライラは明るく笑ってそう言う。
「そう、気付けたのは、あんたのおかげ」
「えっ」
「絵を描くあんたを見てると、描きたくなってくるの。絵を描いて『楽しい楽しい!』ってにこにこしたり、絵を評価されて『嬉しい……』ってもじもじしたりしてるあんたを見てると、ああ、絵を描くのって楽しいし、評価されるのって嬉しいのよね、って、思い出せるのよね」
……僕、そんなににこにこもじもじしてるだろうか。なんか、ちょっと、嫌だ。
「だから、私は絵が好きだって思い出せたのは、あんたのおかげ。……あ、でも、あんたもだけれど、フェイ様のおかげかも。森で暮らさせてもらって、お金に不自由が無くなって、ただ何の目的もなく絵を描くようになったから気付けたのかも」
……そっか。うん。それなら、よかった。
森での生活は……その、クロアさんも前に言っていたけれど、都会でやるみたいな贅沢ができるわけじゃない。だから、何かと不便だし、森での生活を気に入る人ばっかりじゃないっていうことは、分かってるつもりだ。
けれど、それでも、森で生活して、衣食住はとりあえず足りてる、っていう状態になって……それでライラが満足してくれているなら、それは、嬉しい。その、1人の絵描きとしても、森の精霊としても。
それから僕らはまたのんびり絵を描いて、6時間ぐらいして……その途中でラオクレスが「休憩しろ」って呼びに来てくれたので、僕らは休憩することにする。
休憩する時に出てきたのは、お茶とクッキーと小さなカップケーキだ。……妖精達はカップケーキを作ることを覚えたらしい。指2本の上にちょこんと乗ってしまうくらいの大きさのカップケーキなのだけれど、上には一丁前にクリームが絞ってあったり、砂糖菓子が飾ってあったりして、なんだか可愛らしい。
「おいしい!ふわふわしていて甘くって……幸せになる味ね!」
ライラがそう言うと、妖精とアンジェが照れていた。よかったね。
「この森って本当に変なところよね。妖精が作るお菓子が食べられるところなんて、ここ以外に無いんじゃないかしら……。不思議な生き物も多いし、なんというか、本当に変な森だわ」
森を褒められると、今度は僕がちょっと照れる。……あれっ、これって正しいんだろうか?確かに僕は森の精霊になってしまったけれど、でも、森を褒められて僕が照れるのは、なんか、こう、ちょっと違う気がしてきた……。
「……何、変な顔してるのよ」
「いや……なんでもないよ」
考えていたら、ライラに不審がられてしまった。ううん……。
「まあ、いいんだけれどさ……あーあ、こんな森だから、ちょっと迷うわね」
クッキーをさくさく齧りながら、ライラはそう言ってちょっとため息を吐いた。
「何を?」
「畑の位置。……あんまりこの森に手は入れたくないような、そういう気持ちになっちゃって」
ライラはそう言って、またため息を吐く。
……彼女の家の隣に、彼女1人分くらいの大きさの畑がもう、耕されてるのは知ってる。
けれど、どうやらライラはそれ以外にも畑を作るつもりらしい。
「ねえ、ここってもっと大規模になる予定、ある?」
……大規模?
「人数が増えるとかさ。そうなったら、ほら、畑の大きさって、結構大きくしなきゃいけないじゃない?」
そっか。ええと……考えてなかったな。
けれどやっぱり、ある程度はこの森の中だけで自給自足できた方がいいよね。うん。今までまるでそういうところ、やってなかったけれど。
「畑を後々大きくするかもしれないって考えたら、森の外の方がいいわよね、やっぱり。でも、その度にお馬さん、借りるのもなあ……」
何せ、フェイが召喚獣で飛ばして1時間弱っていう道程だ。歩いていたらとんでもないことになってしまう。是非、そこは馬を使ってほしいんだけれど……。
「それからさあ……」
そして、ライラはもう1つ、ため息を吐きつつ、言った。
「覚えてる?これ」
ライラは服の襟の中から、鎖を手繰って、ペンダントを取り出す。藍色の宝石が嵌まっているそれは……うん。覚えてるよ。ライラのお母さんのペンダントだ。中に、植物の種みたいなものが入ってるやつ。
「覚えてるよ」
中身も含めて、覚えてる。ライラが、中身の処遇について迷ってる、ってことも、覚えてる。
僕が答えると、ライラはまた、少し迷うような表情で……聞いてきた。
「……ねえ。もしあんただったらさ。これ、蒔く?」