15話:広い広い大地へ*2
僕とライラは困っていた。すごく、困っていた。
「どうしようかしら……。まさか、私達の絵はしっかり覚えられてたなんてね」
「印象的だったのかな……ちょっと嬉しいけれど」
まさか、王立美術館から『あなたの絵を所蔵品にしたい』なんて言われること、考えてなかった。
……どうやら、美術館の人達の何人かが、僕らの絵を覚えていたらしい。つまり、『トウゴ・ウエソラ』の名前でライラが描いた嵐の森の絵と、『ライラ・ラズワルド』の名前で僕が描いたライラの絵。どっちにどっちの名札が付いてて、それが龍のにょろにょろの後に入れ替わってしまった、っていうことについても、覚えていたらしい。
特にライラは、鳥に攫われたっていうことで、ちょっとした話題の人だ。……一部の貴族の人達には嫌がられているそうだけれど、特に庶民層には『貴族に手柄を奪われ続けていたが神の助けによって名誉を取り戻した少女絵師』っていうことで、ちょっとした人気になっているらしいから、余計に印象に残ってるんだろう。
……これについてライラは複雑そうだ。貴族に賞賛を全部持っていかれてしまったとしても、彼女の絵が多くの人に見られて、時々見た人に影響を与えたっていうことは変わらないからだ、って。それが彼女にとっては一番の報酬だから、自分が被害者だったように言われるのは落ち着かないらしい。
「事情があるから、断るべきか悩むわね。……ねえ、あんたはどう思う?」
「うーん……これが自分の絵じゃなかったら、面白がってると思うけど」
何というか、僕らは当事者だし、名札をわざと最初に入れ替えて絵を描いたようなものだから、そこも含めて、ちょっと……うーんと、美術館に飾ってしまっていいのか、悩む。
「俺はいいと思うぜ。面白いだろ」
「他人事だと思って……」
フェイはけらけら笑っているけれど、それでいいんだろうか?
「俺としては、お前らの絵が飾られるの、嬉しいけどな」
「うーん……」
そっか。僕らの絵が飾られたら、嬉しいのか。そっか……。
「でも、フェイには迷惑かけるかもしれない」
「ん?それならいいぜ。レッドガルド家が舐められないようにするには丁度良かったんだ。今回の事件は」
「ブロンパさんをやっつけたから?」
「おう。『レッドガルド家は面子を潰されたら怒るし龍も出るし鳥も出るぜ』って対外的に知らせることになったからな。ま、レッドドラゴンのことも霊脈のこともあるし、助かったぜ」
そっか。フェイも色々あるんだなあ。うん……。
……レッドガルド家を怒らせると龍と鳥が出てくるっていうのは、いいんだろうか?
「まあ、いいんじゃないかしら。民意を反映するというのなら、あなた達の絵は今回の一連の事件で一番民衆の心に残った絵なのでしょうし、美術館はあなた達の絵を選んだんだもの。それだけ気に入ったってことじゃない?」
「そうかもしれないけれど……」
僕は、何となく、もやもやする。
「絵が評価されてるのか、事件が評価されてるのか、龍が評価されてるのか……よく分からないから」
求められているものと求められたいものが、本当に一致しているのか、よく分からないから、僕、悩んでいる。
僕とライラは随分悩んだ。
僕は、『本当に絵自体が評価されているのか分からないから悩んでる』。ライラは、『自分が被害者の顔をして美術館で威張ることを躊躇ってる』。
僕にはライラの悩みは無いし、ライラは僕の悩みについて「どっちでも同じことじゃない?絵が飾られて見に来る人が増えれば、絵を見て何か思ってくれる人も居るだろうし、逆に事件に思いを馳せちゃう人だっているんだろうからさ」とさっぱりしている。ライラはいいなあ、ここのところがさっぱりしてて……。
「……何にせよ、一度、王立美術館で話を聞いてみたらどうだ」
そこで、ラオクレスが僕の悩みぶりを見かねたのか、そう、言ってくれた。
「ここで考えていても埒が明かないだろう」
「……うん。そうだね」
僕らの絵を飾りたいって言ってくれている人が居るのだから、彼らの話を聞くべきだ。うん。アージェントさんの時もそうだったけれど、やっぱり、話すことって大切なことだと思うから。
そうして僕らは王都に向かった。
……なんだか最近、すっかり王都によく行くようになってしまった。王都へは速い生き物に乗って飛んでも半日くらいかかるから、ちょっと不便だ。しょうがないけれど。
「なんだか変なかんじ。『帰ってきた』っていう感覚、無いのよね。『王都に来た』っていうようなかんじだわ。それで私、森に帰ると『帰ってきた』って気分になるのよ。森に住んでる期間なんて、まだ全然、大したことないのに」
ライラはそんなことを言いつつ、ちょっぴり複雑そうに王都の街並みを見つめた。……そっか。森で『帰ってきた』気分になってくれるなら、なんというか、嬉しい。
「でも、美術館だけは、ちょっとだけ『帰ってきた』気分になれる場所かも」
そしてライラは、更にそんなことを言う。……彼女はずっと、美術館の裏の小さな公園で絵を描いていたらしいし、ここは彼女にとって馴染みがあるんだろう。
「顔見知りもそれなりに居るし。ね」
ライラが小さく手を振ると、美術館の職員らしい女性が、ちょっと表情を明るくして、僕らに手を振って返してくれた。……成程。
「ってことで、私はそんなに緊張してないわ。あんたは?」
「……僕はちょっと緊張してる」
僕は、ライラのようにはいかない。ここは馴染みのない場所だし、馴染みがあっても、自分の絵をここに飾るかもしれない、って思ったら、緊張しないわけがない。
ライラは僕の返答にけらけら笑って、『本当にあんたって恰好つけられないやつなのね!』とか何とか言っていたけれど、うーんと、僕は正直なことはいいことだって思ってるよ……。
美術館の中に入って、受付で用件を伝える。すると、僕らはあっさりと、美術館の奥の部屋へ通された。
展示室ではない、普通の応接間みたいな部屋は、普通の部屋なのだけれど、壁に絵が飾ってあったり、部屋の隅に彫刻がおいてあったりする。美術館っぽい。
「いやあ、お待たせしました!」
そこへ入ってきた恰幅の良い男性は、嬉しそうに笑って僕とライラの手を取った。名札に『王立美術館館長』って書いてある。そっか。館長さんか。
「この度は若く人気もある画家お2人とお話しできるということで、非常に光栄に思っていますよ!さあさあ、どうぞ座ってください!」
僕らは勧められるまま、ソファに座る。僕らの横にはフェイが。僕の後ろにはクロアさんとラオクレスが。ライラの後ろは……ええと、とりあえず、というように、妖精が陣取っている。うん。頑張って。
「それで……お2人とも、今日は美術館にお2人の絵を収めて下さるということで、よろしいですか?」
早速、館長さんはそう言ってきた。気が早い人だなあ……。
「いえ、あの、迷ってて」
だから僕は、ちゃんと言う。ただ、『迷ってて』と言った時、館長さんが『なんで?』というような顔をしたのがちょっと申し訳ない。
「その、何を気に入ってもらえたのか分からなくて、聞きたいと、思ったから……それで今日はここに来ました」
僕がそう言うと、館長さんは、きょとんとして僕を見つめた。
「私は、今回の事件が独り歩きするのが嫌なんです。私はのうのうと被害者ヅラして憐れまれる趣味なんて無いの。そういう紹介のされ方をするなら、絵は渡したくないわ」
続けてライラもそう言うと、そっちの方が分かりやすかったようで、館長さんはちょっとだけ、反応した。
「ふむ、そうですか……いや、しかし、事件については民衆も気にしているところですからね。興味関心があることを、否定できはしないでしょう」
うん。それは僕も思う。興味を持たれるのは仕方ないことだ。だって、僕らがそう仕向けたんだから。そうしないと、ライラがこっそり黙らされてしまうかもしれなかったから、しょうがなかった。
「お2人とも、あの事件の関係者です。何も気にする必要はないと思いますよ?」
……その上で、館長さんはそう言って笑う。
「人気に関してもご安心ください。お2人なら話題性抜群ですし、共感する人も多い!きっと美術館を大いに盛り上げてくれると信じていますよ!」
館長さんの朗らかな笑顔を見て、ライラが『そうじゃないのよね』というような顔をしている。気持ちは分かる。僕もアージェントさんと話している時、多分、こういう顔だった。
少し、ライラは悩んでいた。けれどそれは本当に少しだったし、その少しの後には、もう、言葉を出していた。
「……その、あなた達が展示しようとしているのは、何ですか?私達の絵だけ?それとも、龍が名札を入れ替えていった事件も一緒に?或いは……私の裁判も含めて?」
ライラがそう聞くと、館長さんはちょっとびっくりしたような顔をして……それから、ちょっと考えて、答えた。
「その、あなた方の絵を展示するということは、やはり、どうしても、事件について想起させることになるでしょう。ですが……もちろん、ここは美術館ですので。ええ。流石に、裁判までは、展示しませんよ。我々が展示したいものは芸術であって、ゴシップではない。これは胸を張ってお答えできます」
館長さんの答えに、ライラは静かに頷いた。どうやら、これでとりあえず多少は納得がいったらしい。うん。
「それで、トウゴ・ウエソラさんの方ですが……」
「……ええと、僕らの絵の、どこを気に入ってくださったんでしょうか」
だから僕はちゃんと聞く。アージェントさんの時と同じだ。
「どこ、と言いますと……?」
「ええと、その、ドラゴンが名札を入れ替えたから、気に入ってくださったんですか?それとも僕らが裁判の原告と被告だから?」
僕がそう聞くと、館長さんは……大体、僕が聞きたいことが分かったらしい。そしてその上で、悩み始めた。
「えー……そ、そうですねえ。やはり……芸術というものは、見る人によって、見方が違います。どんな絵でも、です。誰かにとっての傑作が誰かにとっての凡作かもしれない。だからこそ、私はあなた方の絵を展示してみたいのです。ドラゴンが選んだかもしれない、あなた方の絵を」
館長さんは、絵のどこを気に入ったかは言ってくれない。多分、あんまり絵自体を気に入っていないんだな、と思う。
「人々があなた方の絵を見てどう思うかを見てみたい。そういう気持ちです。……申し訳ないが、ドラゴンの話があなた方の絵の価値を高めていることは間違いありません。しかし、それによってあなた方の絵がより輝き、見る人によりものを考えさせるのなら、それ自体がもう1つの芸術なのではないかと思うのです」
「……成程ね」
ライラは館長さんの話を聞いて、一つ、ため息を吐いた。
そして、言った。
「いいわ。私はこの話、お受けします」
「本当ですか!いやあ、よかった!」
「ただし、条件付きで。この美術館では『ライラ・ラズワルドは被害者だ』という主張を一切しないこと。ライラ・ラズワルドも貴族達の事件に納得して加担していたとちゃんと明記すること。被害者が居るとすればトウゴ・ウエソラだけだって、ちゃんと主張すること。それでも良ければ」
……ライラの条件に、館長さんはちょっとだけ、言葉に詰まった。
けれど、やがて、しっかり頷いた。
「分かりました。その条件で構いません。しかし、我々は来館者が何を思うかまでは決められませんよ?」
「ええ。それでもいいわ。よろしくお願いします。光栄だわ」
ライラは明るく笑って、館長さんと握手した。
「……いいの?」
館長さんが小躍りしそうな勢いで喜ぶ中、僕がライラにそっと聞くと、ライラはちょっと渋い顔で頷いた。
「この間も言った気がするけれど、私、とりあえず絵を見てもらえるなら、それが一番なのよ。絵を見た誰かに何かを思わせたり、何かを感じさせたり、そういうことができればそれでいいの。だから……まあ、これは完全な信念の一致じゃあないけれど、ひとまず利害は一致、っていうことにしたわ」
そ、そっか。ライラは、なんというか……さっぱりしている。うん。さっぱりっていうか、スッパリ?うーん……。
「では、トウゴ・ウエソラさんは……」
館長さんが続けて僕の方からも了承を得ようと、きらきらした眼差しを僕へ向けてくる。
ええと……ええと、うん。
「ごめんなさい。もうちょっと考えさせてください」
「うーん……」
美術館の裏の公園の芝生の上に座って、僕は悩む。
……どうしようかな。
「いいんじゃない?お抱え絵師の話みたいな契約じゃないんだし、絵1枚だけ、美術館に置いておくだけじゃない」
「そう、なんだけれど……」
なんとなく、ずるい気がする。美術館に飾られるのは僕の絵であって、でも同時に、龍の事件でもある。多分、見る人だってそういう風に見る。だから、その……嬉しくない、気がする。
それから、僕の名前だけが見られるかもしれないって、思ってしまう。今も尚美術館で飾られている絵みたいに、絵よりも名札に価値があるような、そういうことになってしまうんじゃないかって、思うと……ええと、上手く言葉にできないけれど。
「……僕、わがままだろうか」
唯一、なんとなく言葉になったものを呟いてみたら、ライラに少しびっくりした様子があった。
「まあ……わがままとも言えるかもね。でも、あんたの気持ちも分かるから何とも言えないわ」
上手く言葉にできない気持ちだけれど、ライラにはなんとなく、伝わるらしい。ちょっと沈んだような、ちょっと気遣わし気な、そういう顔をする。
「……ライラはどうして、さっきの話、受けたの?」
ちょっと困って、聞いてみた。するとライラは、悩むことも無く答えた。
「言った通りよ。信念の一致じゃないけれど、利害の一致だから。私は、絵を多くの人に見てもらえれば、それでいいわ。勿論、馬鹿にするために飾られるのは嬉しくないし、そこに私のものじゃない考えを乗せられるのは嫌だけれどね」
そっか。……やっぱりさっぱりスッパリしてる。
どうしようかな。
そもそも僕は、今回の話、何が嫌かっていうと……まず、絵自体を気に入ってもらえているわけじゃなさそうなところ。次に、龍の事件が絵の評価に上乗せされていて、むしろ、そっちがメインになっているのであろうこと。それから、そうやってできた『芸術』は、僕の絵じゃなくて、僕の名前に価値を生じさせてしまうんじゃないだろうか、っていうこと。
そういうのが多分、嫌、というか……うーん。
……やっぱり、ライラみたいに割り切った方がいいのかな。でも、なんだか引っかかるというか……。
そうやって考えながら、芝生の上で風に吹かれてぼんやり空を眺めていたら。
「……あの、すみません」
声を掛けられて、我に返る。
すると、僕らの横に、美術館の職員の制服を着た女性が居た。
「ライラ・ラズワルドさんとトウゴ・ウエソラさんですよね?」
「あ、はい」
僕が答えると、女性は顔を輝かせて……僕ら2人に、そっと、遠慮がちに、手帳を差し出してきた。
「あの、サインを頂けませんか?」
……ええと、その、サインって……あ、もしかして、宅配便の受け取り……?