11話:嵐を呼ぶコンクール*5
……そうして迎えた、コンクールの結果発表の日。
僕はちょっと緊張しながら、美術館に入る。
美術館の中央で、コンクールの結果発表と受賞作の展示があった。
僕は、真っ先に、一番目立つ場所、優秀賞の場所を見て……。
「……駄目だった」
そこにあったのは、僕が描いた絵でもなく、ライラが描いた絵でもなかった。何かの抽象画らしい絵が、優秀賞の札を横に飾られつつ展示してあった。
「あー……ま、残念だったな」
「うん」
フェイが心底残念そうな、ちょっと納得のいかなそうな顔をしながら僕の肩を、ぽん、と叩いてくれる。
「これは何の絵だ?」
「さあ……抽象画ってそういうものよね……」
ラオクレスとクロアさんも優秀賞の絵を見上げながら、フェイと同じような顔をしてくれる。
……ライラに啖呵を切ったのに、優勝できなかった。皆に期待されてたのに、優勝できなかった。
それがすごく、悔しい。
「……あれ」
「ん?どうした?」
僕、悔しいのか。
どうしたんだろう、と、自分でも思う。なんというか、こういう感覚、すごく久しぶりっていうか……ええと、これ、よくない感覚なのかもしれない。欲張りっていうか、なんか、その……。
……いや、でも僕は、今、悔しい。確かに、悔しいんだ。これがいいことか悪いことかは分からないけれど。でも、悔しい。
なんだか新鮮な気持ちだ。
新鮮な、ちょっともやもやした、そういう気持ちで部屋の中を歩く。飾ってある絵の中にはちらほら、見ていて楽しい絵もあった。うん。普段の美術館の展示よりは、ずっとずっと素敵だ。
……そして。
「あら。……まあ、これで良しとしてやりましょう。ここの美術館にしてはよく頑張ったわ」
クロアさんがそう言って指差す先。『佳作』という、ちょっと粗末な札が付いた一角。
……そこに、ライラの絵と僕の絵が並んで飾ってあった。
「これを並べて飾ったのか。なら、この美術館の連中も中々、洒落が分かるということだな」
ライラの絵は、嵐の森の絵だ。冷たくて孤独で怖い、そういう森を下から見上げた絵だ。
……そして僕の絵は、上から森を見下ろした絵だ。嵐の森の中で、栗色の髪に藍色の瞳をした女の子が『変なやつ!』って叫んでるところの絵。
ライラの絵がライラの主観で描かれたものだっていうことは分かったから、僕は、ライラを客観で描くことにした。2つの絵は、同じ絵だ。ただ、視点が違うだけで。
「トウゴの絵がこれだから、ライラの絵もちょっと明るく見えるよな」
ライラの絵には、ライラは居ない。当然。だってこれは、彼女の主観で描かれているから。
だけれど……この時の彼女も、きっと、上空に向かって『変なやつ!』って言って、笑っていた。そういう風にしたかったから、僕は、僕の絵を描いた。
……そういう絵2枚が並んで飾ってあるから、お客さん達は、ざわざわしながらそれを見ていた。……多分、優秀賞の絵よりも、見られてたと思う。ちょっと恥ずかしくて、ちょっと嬉しい。あと、誇らしい、っていうのかな、そういう気分だ。
……そして、僕らが一通り、コンクールの受賞作品を見て回った後。
ぱりん、という音と共に、きゃあ、と誰かの悲鳴が上がる。
「お。来たか」
フェイがにやにやしながらそう呟く。
僕も思わずちょっとにこにこしてしまいながら、そっと、通路の端の方に避けておいた。
……すると。
にゅるん、と、龍が入ってくる。
厳めしい表情で、厳めしい唸り声を上げながら、美術館に龍が入ってくる。
悲鳴がそこかしこで上がる。ぱりんぱりんと音がするのは、ガラスが割れている音かな。芸術品は壊さないでね、と龍に言ってあるから、多分大丈夫だと思うけれど。
……龍は、美術館の中へ堂々と入ってくると、恐れ慄く人々を前に……絵の横の名札を、咥えて、引き剥がしてしまった。
龍はどんどん、名札を引き剥がしていく。千切っては投げ、千切っては投げ、っていうかんじだ。美術館の人が悲鳴を上げていたけれど、まさか、龍に文句を言う訳にもいかない。龍は皆に見守られ、或いは恐れられる中、悠々と部屋の中を回って、全部の名札を引き剥がしてしまった。
……そして、龍の長い長い体が部屋の中をすっかり回った後。
龍は今度は元来た道を戻りながら、適当に、かつ器用に、名札を戻していった。
どんどん、描いた絵と作者の名前がばらばらになっていく。人々はぽかんとしてそれを見守ることしかできず、結局、龍が全部の名札をばらばらに戻して出て行ってしまうまで、何もできなかった。
……僕は、龍がでたらめに戻していった名札を見て、思わず笑ってしまった。
ライラが描いた絵の横に、『ライラ・ラズワルド』の名札がある。そして僕が描いた絵の横には、『トウゴ・ウエソラ』の名札が来ていた。
でたらめになった名札が、見事、正しい位置に戻ってしまった!
正しい位置に戻ってしまった名札を見て僕がなんだか嬉しい気持ちになっていると、そこに、ライラがやってきた。彼女もコンクールの結果を見に来たらしい。
ライラは優秀賞が自分の絵ではないのを見てそっとため息を吐いて、けれど、特に悔しそうでもなく、なんとなく、諦めたような顔でこっちに歩いてきて……。
「……えっ」
正しい名札がついた絵と、その横でにこにこしている僕らを見て、ライラは戸惑った。
「な、なによ、これ。どういうこと?あんたがやったの?」
「ううん。龍が来て、名札を全部外して、全部でたらめに付け直していったんだ」
「へ……龍?」
ライラはぽかん、としていたけれど、ざわつく周囲の様子を見て、『ここで何かあったことは確からしい』というような顔をした。
……その時だった。
ざっ、と、雨音が一気に強くなる。
僕らが近くの窓から外を見ると、外は猛烈な嵐に包まれていた。
「……綺麗」
ライラは、窓ガラスに叩きつける雨粒や、その向こうで揺れる木々、雨に濡れて逃げ惑う人々なんかを見て、そう呟いて……そして、それらの向こう、鉛色の空へとするする登っていく龍を見て、目を見開いた。
「あれが、龍?」
「うん」
龍は1つ咆哮を上げると、雲と雨の分厚いカーテンの向こう側へ消えていってしまった。けれど、ライラはずっと、龍が消えた方を見ていた。
「……なんだか、変な気分だわ。すっきりしちゃったような、そういう気分」
「うん。それはよかった」
それから、慌てふためきながら名札を元の位置に戻そうとする美術館の人達を眺めて、僕らは美術館の片隅の椅子に座って話すことにした。
「あのドラゴン、面白いわね。あれが意図してやったことなら、すっごく皮肉が利いてる」
……うん。意図してやってると思うよ。僕はただ『美術館に嵐を呼んでほしいんだけれど』ってお願いして、事情を説明しただけなんだけれど、そうしたら龍は見事にとんでもない嵐を呼んでくれた。あの龍、結構、皮肉屋なんじゃないかな。多分だけれど。
「私の絵に私の名前がついたの、初めて見たわ」
「えっ」
それから、ライラがそう言うのを聞いて、流石にちょっと、驚いた。……初めて、って。つまり、彼女は今まで一度も、彼女の名前で作品を出したことが無かったのか。
「……しょうがないでしょ。私の名前で出したって、お金にならなかったんだからさ」
そんな僕の視線に思うところがあったのか、ライラは少しばつの悪そうな顔でそう言った。
「お金が必要だったの?」
「……ええ。まあ、もう、必要ないけど……」
僕が聞き返したら、ライラは沈んだ顔で、けれど努めてそれを気取らせないように、静かな返事をした。
「その……母さんが、病気だったのよ。でも、薬が高くて」
ライラの、お母さん。
……確か、ライラがブロンパ家と契約する少し前に、亡くなった、って、クロアさんが言っていたっけ。
「私の絵が初めて他人の名前で出品されたのは、13歳の時。工場が休みの時に王都の裏通りで絵を描いていたら、通りがかった貴族が絵を買っていったの。その時は嬉しかったわよ。私の絵が売れたんだから。そのお金で母さんの薬も買えたし」
ライラはそう、話し始めた。あんまり悲壮なかんじもなく。ちょっとした世間話みたいなかんじに。
「でも、その絵が王都の広場に飾られたのよ。絵を買った貴族の作品がコンクールで受賞した、ってことでね。賞金は私が絵を売った額の100倍ぐらいだったわ」
「100倍……」
「惜しかったわね。あのお金があったら……まあ、考えるだけ無駄か」
何が『無駄』だったのか、知っている。知っているから、悲しい。
「……けれどね。その時、怒るより先に、希望があったのよ。ああ、私の絵って、王都の広場に飾られることができるんだ、って」
悲しい話なのだけれど、ライラはそう言ってちょっと笑った。
「お金になることが嬉しかったのかな。それとも、絵が認められたのが嬉しかったのか……よく、分かんないけど。でも、私はそれから、貴族の名前で絵を描くようになった。最初に絵を売った貴族から依頼が来たから、最初はそこで。その内、そこから伝手で手を広げていってさ」
うん。何人もの貴族の名前で描いてた、っていうのも、クロアさんから聞いてる。それだけ彼女自身が貪欲に仕事を求めたってことなんだろう。
そしてその仕事の動機は……多分、お金の為だったんだろうし、絵が認められることへの渇望、だったんじゃないかと、思う。多分、その2つは混ざり合ってしまって、もう分からなかったんだろうけれど。
「名前こそ私の名前じゃなかったけれど、私が描いた絵が美術館に飾られてるの。嬉しかった。私の絵を見て何か思ってくれる人が居るってこともそこで知って、それが……うん。嬉しかったの。お金と無関係に嬉しかったと、思う」
「うん」
ちょっと分かるから、頷いて返す。するとライラはまたちょっと笑って、話を続けた。
「お金も手に入ったから、そのお金で母さんの薬も買えたし、いいお医者さんに診てもらえたし。それに、私の絵は色んな人に見てもらえて、それが嬉しかったから、色々頑張れて……」
そこで、ふと、言葉が途切れる。
途切れてから、言葉は空気を彷徨って、それからやっと、ライラの口から出てきた。
「でも多分、嫌だったんだろうなあ」
ぽつん、と出てきた言葉に強い感情が見え隠れする。なのにライラの表情は、あんまり変化が無くて、それを見た僕の胸の奥がざわざわする。
「母さん、結局、死んじゃったんだよね。つい、半年くらい前だけど。そしたらさ。もう、お金も要らないじゃない。なら、私がやってることって何なんだろうって思っちゃって……もう全部終わりにしようと思って、あんたの名前を騙ることにしたの」
「……僕を選んだのは、なんで?」
「一番訴えてくれそうなやつだったから。……レッドガルド家にはそれだけの力があって、あんたの絵にもそれだけの力があるって、思ったから。だから、『私にトウゴ・ウエソラの名前を騙らせてみませんか』ってブロンパ家に掛け合ったの」
「全部終わりにするつもりで?」
「そうね」
また、ちょっと沈黙が揺蕩う。
……ええと、こういう時、なんて言ったらいいんだろうか。
「……選んでもらえて光栄です」
「あの、あんたさ。言うことそれで合ってんの?」
合ってないかもしれない。うん……。
「……あんた、もっと怒っていいと思うんだけど」
「そうだろうか」
「そうよ」
ライラは今度は、ちょっと怒った顔で僕を睨む。
「もっと怒りなさいよね。自分の名前が勝手に騙られて、あんた、勝手に知らないところでコンクールにも出品されてたんだから。これ、あんた達が訴えに出なかったら、あんたの名声が全部私のものになっちゃってたかもしれないのよ?」
「うーん……」
「フェイ様に迷惑が掛かるとか、それ以前の問題よ!あんた、絵描きとしてそこんとこ、どう思ってんの?」
「うん……」
「ねえ、聞いてんの?」
ライラは怒りが一周回って呆れになってしまった、みたいな顔をして僕を見ている。その顔を見て、やっぱり、僕は思った。
「……やっぱり、僕、君ともっと話したい」
「……は」
ライラは『どうしてそうなんのよ』みたいな顔をしていた。うん。馬より表情豊かだからか分かりやすい。いや、あの馬達も相当分かりやすいけれど……。
「だから、全部片付いたら、森に遊びにおいでよ」
僕がそう言うと、ライラはちょっと、顔を歪めた。
「……何言ってんの?全部片付いたら、って、裁判とかでしょ?それが終わる頃には私は……」
「森に遊びに来るの、嫌かな」
けれど僕がそう聞き直すと……ライラは、ちょっと寂しそうな顔で、言った。
「……嫌じゃ、ないわ」
そっか。よかった!
「じゃあ、そういうことにしよう。よろしくね」
ライラはまた、『変なやつ』と呟いていたけれど、多分それ、最高の褒め言葉だ。
……結局、美術館はその後、大変だったらしい。
何せ、誰も、どの絵が誰のものか、正しく全部記憶している人は居なかったんだ。……なんと、絵を描いたはずの本人ですら、自分の絵がどれか分からなかったらしい。まあ、つまり、そういう人は自分で描いてなかったんだろうけれど……。
……ということで、コンクールは突然現れた龍に引っかき回されて、よく分からないまま終わってしまったのだった。
龍を見た人々は、『あのドラゴンはきっと、貴族の不正を暴きに来たのだ』とか、『神の使いだったのかもしれない』とか、はたまた『悪戯好きなドラゴンだったなあ』とか、色々言っていたけれど、龍の行いに文句を言う人は誰も居なかった。
だって、龍だ。神様のお使いだったのかも、なんて言われているような龍なら、そうそう文句は言われない、っていうことなんだろう。
「人間じゃない奴がやった事なら、そりゃ、文句言えねえよなあ……」
「しかもドラゴンだ。王家としても、嫌うような事はできないだろうな」
うん。王家の人達、王立美術館でのこの騒動に何も文句は言わなかったらしい。やっぱり彼らはドラゴンが大好きみたいだ。
王家の人達は龍を探して一生懸命らしいけれど、龍はあの後、すぐに王都を嵐で包んでからするする飛んで逃げてしまったので、結局、王家の人は龍を捕まえ損なってしまっている。
けれど、王家の人達は諦めなかったらしい。龍に好かれようと思ったからか、龍が名札を入れ替えていった意図を一生懸命に推察し始めて……。
……そこでライラが『自供』し始めたから、また、ちょっとした嵐が王都に呼びこまれてしまった。