10話:嵐を呼ぶコンクール*4
「終わりに?」
どういうことかな、と思って聞き返すと、ライラは『こんな話するつもりはなかった』とでも言いたげな顔をして、ちら、と僕を見た。
……けれど、諦めたようにため息を吐くと、話し始めてくれた。
「ええ。終わり。ブロンパ家には傷が付くし、多くの絵師達の名を騙っていた私は糾弾されて王都を追われて絵師をやめる。ついでに、王都に住む平民達は、『他人が描いた絵が貴族の名前で美術館に展示されて褒めちぎられていた』っていう醜聞を聞いて、暴動でも起こすかもね」
ライラはそう言って、ちょっと皮肉気に笑った。
……そ、それは駄目だ。
「君、絵を描くのをやめるの?」
僕が聞くと、ライラはちょっと意外そうな顔をした。
「ええ。まあ、当然そうなるでしょうね」
やっぱり駄目だった!
「やめないでほしい。僕、君の絵、好きなんだ。ええと……『オーリン・ハルク』の絵も!」
僕がそう言うと、ライラはちょっとびっくりしたような顔をして……それから、ほっとしたような、そういう顔をした。
「なんだ。ちゃんともう動いてるんだ。よかった。あんた、ふわふわしてるからさ。下調べも何にもしてないのかと思った」
うん。僕じゃなくて、フェイとクロアさんが調べてくれたんだけれどね……。
「……オーリン・ハルクの絵は、私が描いたわ。あの美術館に飾られた一枚と、あと何枚かだけは、ね」
ライラは小さくため息を吐いて、そう言った。
「驚いたわ。本当に。それから……嬉しかったの。あんたが、『オーリン・ハルクの絵がよかった、あれはごみじゃない』って言ったのが」
「名前だけあれば評価されて美術館に飾られる。名前が無ければ見向きもされない。そういうもんでしょ。芸術なんてさ」
ライラはちょっとやさぐれたようにそう言った。
「どうせ分かりっこないのよ。私が描いたものだって、私が『トウゴ・ウエソラ』を名乗ってたら、トウゴ・ウエソラの絵だと思うんだから」
「うん」
そうだろうな、と思う。特に、彼女が今までゴーストライターみたいなことをやってた、って知っている今は、余計にそう思う。
この国の美術館では……或いは、この国全体では。何を描いたかよりも、誰が描いたかが重要で、そして、本当は誰が描いたかすら重要じゃなくて、誰が描いたことになっているかが重要なんだ。
……納得がいかないし、なんとなく腹が立つけれど、それはその通りなんだろう。悲しいことに。
「でも、それならそういう名前を使ってやろうって思ったわ。名前さえ偽れば、それで私の絵が見てもらえるっていうなら、それでいいって思って……色んな奴の名前で描いたわ。何枚も」
ライラは今、僕に、『自分はゴーストライターみたいなことをやっていた』って告白しているようなものなのだけれど、僕はそれを黙って聞く。もう知っていることだし、ライラだってもう知られてると思って話しているんだろうから。
「私は、私が評価されたいわけじゃないの。私の絵が評価されればそれでいい。なんなら、評価されなくてもいい。多くの人に見られて、何かを与えて、或いは何かを奪って……影響すれば、それでいい。誰が描いたことにされても、同じことだわ。絵自体には何も変わりがないもの」
そしてライラはそう言って、手元に目を落とした。
彼女の手元にあるのは、彼女が描いた絵だ。スケッチブックに描いてあるのは、緻密なデッサンだ。どうやら、公園の外灯を描いていたらしい。
この絵は、確かに、変わらない。この絵にどんな名札がついていても、この絵自体は、確かに、変わらない。
「絵に対する評価なんてくれてやるわよ。どうせ、王立美術館にある絵を評価する奴らなんて、お世辞言うだけでしょ。そういうの全部、貴族共にくれてやるわ。だから……お世辞以外のものを、何か、思ってほしかった。他ならぬ私の絵で。そのためなら……まあ、よかったわ。私の絵について、他の誰かが褒められていても」
ライラは持っていた鉛筆を、手慰みに、ふりふりと軽く振っている。こうすると鉛筆がゴムでできてるみたいにくにゃくにゃするんだ。うん。僕も時々やる。
「……それでもあんたは見つけてくれたのね」
「え?」
少し間を置いて、唐突にライラがそう言った。
「別に、よかったのに」
そしてライラはそう言うと……ちょっとだけ、笑った。
「ありがとうね。これで満足したわ」
「……だから、私のことは考えなくていいわ。もう全部どうでもいいし、身軽なもんだし……もう満足したから」
ライラはそう言って、立ち上がった。
「強いて言うなら、ちゃんとフェイ様にお願いして、ブロンパ家をぶっ潰して。この国の、名札だけ飾って喜んでる貴族共も美術館も、全部、ぶっ潰してよ。……できるでしょ、レッドガルド家ならさ」
そして、嵐みたいな事を言う。
全部ぶっ潰して、って。……なんというか、彼女はこういう人なんだなあ、と、改めて思う。やっぱり、嵐みたいな子だ。
「……その、あんた達には迷惑掛けたわね。勝手に利用させてもらって」
それから、ライラはそう言って、ばつの悪そうな顔をした。それがなんとなく珍しいような気がして、僕はちょっと不思議な気分になる。
「でも、まあ、レッドドラゴン持ってるような家とそこのお抱えなんだから、なんとかできるでしょ。ブロンパ家なんて、所詮は親の七光りだけでやってる家なんだからさ。叩いてやればいくらでもボロが出ると思うわ」
更にそう言って、ライラはちょっとあくどい笑い方をした。『へっ』みたいな。そういう。
「……ま、そういうことだから。あんたの名誉はすぐ取り戻せるわよ。こっちだって訴えられたらちゃんと自供してやるからさ」
「ええと……」
ライラの顔を見て、なんて言っていいのか分からなくなって、でも何か言わないといけないな、と思って……僕は、言う。
「先に、相談してくれればよかったのにな、って、僕、思ってる」
僕がそう言った途端、ライラはきょとん、として、それから、けらけら笑いだした。
「ほんと、変なやつ!そんなことしたって何の得にもならないのにさ!……ああ、でも、そうね。あんたがこういうやつだって分かってたなら、相談してからやってもよかったかもね」
なんとなく、彼女の言葉が寂しい。
「でもまあ……許してよ、なんて言わないけどさ、諦めてちょうだいね、とは言わせてもらうわ」
寂しい。すごく。
諦めさせられるのは寂しいし、諦められてしまっているのも寂しい。胸の中がざわざわするようなかんじがする。
「じゃあ、フェイ様によろしくね」
そう言って、ライラはさっと歩き出してしまう。
「あの……」
僕が声を掛けても、もう、ライラは立ち止まらなかった。ただ、一言だけ、言い残していった。
「コンクールの結果とあんたの絵、楽しみにしてるわ」
僕は彼女が乗り込んだ馬車が動き出すまで、じっと、彼女を見ていた。
胸の中がざわざわする。どうにかしなきゃ、と思うのだけれど、具体的にどうしたらいいかは分からない。
……ライラの言う通り、フェイに頼んで何とかしてもらわなきゃいけないものなんだろうな、とは思う。僕は貴族の関係に強くないし、貴族の間の話なら、貴族の間でやらなきゃいけないんだろうし。
けれど……そうしたら、きっと、ライラは絵を描くのをやめてしまう。
それどころか、きっと、どこかへふらっと居なくなって消えてしまうんじゃないだろうか。
彼女、お母さんを失くしたって、クロアさんが言ってた。ライラ自身も、『身軽だ』って言ってた。
だったら……もしかしたら、彼女は、本当にふらっと居なくなって……こう……。
ちょっと考えて、すごく嫌な気持ちになった。
やっぱり駄目だ。僕は彼女の絵を気に入っているし、何より……もうちょっと、話してみたい。ちゃんと。こういう形じゃなくて。
彼女の考え方は、僕が知らないものだ。けれど、僕にとって、きっと必要なものだと思う。
僕は評価ってものが分からなくて、名声を求める気持ちが分からなくて、でも、きっと。僕にはそれが必要なんだと思う。或いは、今は必要じゃなくても、きっといつかは必要になる……んじゃないかな。
だから、ライラともっと話してみたい。僕とはまた違う形で『評価』っていうものに疑問を持っていて、僕と同じように絵が好きな人と。そういう彼女と、もっと話してみたい。
うーん……どうしたらいいだろう。どうしたら、コンクールが終わって、フェイがブロンパさんを訴えに出て、その後でもライラと話せるだろう。そして、どうやったら、その時もライラは絵を描いていてくれるだろうか。
僕には森がある。そこで幾らでも絵を描いていられる。けれど、ライラはそうじゃないんだろう。ブロンパ家みたいな、誰かの保護がある場所じゃないと、絵を描けないのかもしれない。画材だってアトリエだって必要だろうし、それから……世間体とか居場所とかも、必要、なのかな。
……ライラがどういうことをするつもりなのかは、僕にはよく分からない部分がある。
ただ、『全部終わりにするため』に動いているらしい彼女は、そういうものを全部放り出そうとしている訳だし、彼女がもし放り出したくなくなっても、それは許されないんだろうし……。
……うーん。
「どうやったらライラを攫ってこられるだろうか」
その日、王都の宿の部屋の中で夕食をとりながらそう言ったら、フェイが咳き込んだ。
「大丈夫?」
「いや、お前、大丈夫?じゃねえよ……。大丈夫?は俺の台詞だよ……」
そうか。……えっ?
「お前、誘拐はちょっと流石にな?駄目だろ?な?」
……あ、そうか。うん。駄目だ。
あっ、うん!駄目だ!すごく駄目だ!どうしよう、僕、やっちゃいけないことを普通にやろうとしていた気がする!うわあ……!
「……感覚が人間離れしてきているな」
「精霊になっちゃったからなのかしら」
「気を付けます……」
なんというか、うーん……僕、この世界に来てから、色々と欲しいものが手に入りすぎて、感覚がおかしくなってしまったのかもしれない。或いは、精霊になってしまったからなのかもしれないけれど……。
「それにしても、どうして急に誘拐なんかしようとしたんだよ」
少し落ち着いた僕に、少し落ち着いたフェイがそう聞いてくる。ええと、どうして、と言われると……。
「彼女が、絵を描かなくなってしまうのは嫌だったから。あと、もっと彼女と話してみたい」
それから、僕は公園で彼女から聞いたことを話した。僕らがライラを訴えることによって、ブロンパ家も罪に問われるんだろうし、それから、今まで彼女がゴーストライターみたいなことをやっていたっていうことも明るみに出て、それで、美術館の『名札の展示』について、問題になるんじゃないか、っていう話だ。
……すると、フェイもクロアさんもラオクレスも、複雑そうな顔になる。
「そっか。成程なあ……」
「まあ、ブロンパ家に恨みがあるんじゃないかとは思っていたけれど、そういうことだったの。結構やるじゃない。あの子」
「その為にトウゴとレッドガルド家を利用するというのは褒められたことではないと思うがな」
それぞれに思うところがあるらしくて、それぞれ皆、しばらく黙っていた。
「多分、このままいくと、ライラ・ラズワルドは貴族を騙した罪で投獄だな。投獄で済めばいいけどよ、もしかしたら、口封じのために……ってこともあり得るかもしれねえ」
それから少しして最初に口を開いたフェイは、そういうことを言う。
そうか。やっぱり、『口封じ』っていうことも、あるのか。……嫌だな。
「だから、まあ……褒められたやり方じゃねえけど、そうされる前にライラを攫っちまえ、ってのはまあ、分からなくもないぜ。勿論、ぶっとんだやり方だけどよ」
「うん」
そうだよね。うん。なんというか、そうするしかない気がしてきた……。いや、分かってるよ。人を攫うのは悪い事だって、分かってるよ。分かってはいるんだけれど……。
「そうね……彼女自身が望んでいるなら、今回の騒動を全て無かったことにしてしまう、っていうのもよくないのかも」
次に、クロアさんがそう言って、悩まし気に小首を傾げた。
「できるの?」
「ええ。やろうと思えば。今までライラちゃんに絵を描かせてきた貴族達に予め根回ししておけば、彼らの名誉を傷つけない為にライラちゃんをこっそり『消す』ことが許されるでしょうから」
「消しちゃ駄目だってば」
「ええ。だから、『森に隠す』のよ」
成程。つまり、人攫いか。やっぱりここに帰結してしまうのか……。
「でも、そうすると今の美術館の在り方を問うことはできないわね。嵐みたいな彼女としては、不満の残る結果になるかも」
「だろうな。……命を捨ててでも訴え出たいと彼女が望むなら、そうさせてやるべきだと俺は思うが」
ライラにとって、何事もなかったことにされてしまうのは、僕が『これから一生絵を描けなくなるけれど健康に生きていられるよ』って言われるようなものなのかもしれない。それはよくない。
「攫うにしても、投獄されてから保釈金を積んで攫ってきた方がいいだろうな。そんなことをすれば当然、不審がられるだろうが……案外、牢獄の職員は暇だし外界に興味もない。金さえくれてやれば黙っているだろう」
「詳しいね」
「忘れたのか?俺は犯罪奴隷だぞ」
そっか。そう言われてみれば、ラオクレスは犯罪奴隷だった。忘れてた。
……あれっ。
「もしかして、ライラも犯罪奴隷になる?」
「どうだろうなあ。貴族共を糾弾しちまうわけだし、何なら王立美術館に文句付けるようなもんだろ?それって即ち、国王陛下への文句みてえなもんだからよ。結構問題視されるんじゃねえかと思うぜ?犯罪奴隷で済むかは怪しいよな」
彼女が奴隷になったら買って帰ればいいじゃないか、と思ったけれど、そんなに甘くないらしい。
「……そもそも、女の子1人の主張なんざ、貴族や王族が揉み消して終わっちまうかもしれねえ。民衆の記憶の片隅に残りゃあいいけど、民衆だって、国王陛下に盾突くようなことはしたくねえだろうしな」
「つまり、王様の言うことが絶対?」
「まあ、そういう面が強いよな。この国で一番偉い人だぜ?そりゃ、国王陛下だって民意はある程度汲むだろうけどよ、『美術館で名札に価値を付けるな』ってのは受け入れがたいかもな」
そうか。なんだかちょっと腹が立ってきた気がする。
「国王陛下に文句付けるなら、それこそ、ライラみたいに捨て身で行くしかねえよ。王様より偉い奴なんて神様ぐらいなもんだろ?」
そっか。捨て身か、神様……。
……神様?
「あの、神様っぽいやつなら、1匹居るけれど、駄目だろうか」
ほら、龍って、ところによっては神様だけれど……。駄目?