9話:嵐を呼ぶコンクール*3
「凄かったわよ。調べれば調べる程、面白い話が出てくるんだから」
「よく調べられたね」
僕がそう言うと、クロアさんはウインクしつつにっこり笑って、『詳細は秘密よ』と言ってきた。気になるけれど、この秘密の多さがクロアさんの魅力なのかもしれない……。
「彼女、いくつかの貴族の家を転々としてきたみたいね。雇われて貴族の名前で絵を描いて、その名前が高名になってきたら追い出される。そういう暮らしだったみたい」
「ほら、美術館にあったろ。オーリン・ハルクって人の絵。あれも、ライラ・ラズワルドが描いたもんだってさ」
……そうか。あの王都の絵、彼女の作品だったんだ。
確かに、似てる。嵐の森の絵と、共通するところがある。画風は大分違うし、モチーフなんて正反対のようなものだけれど……きっと、そこに込められた思いみたいなものが、似ている。すごく。
孤独で、苦しくて、怖くて、やけっぱちなかんじだ。それが、似てるんだ。
そっか。あれを、彼女が……。
「このネタで強請れば、いくつかの家を好きにできそうだけれど、やる?」
「え、ええ?いや、いいよ、べつに……」
クロアさんがさらりと怖いことを言った気がするけれど、聞かなかったことにしておこう。うん……。
「……それでね。彼女、ブロンパ家のお抱えになる前に、彼女のお母様を亡くしているみたい」
「え」
……人伝に聞いている話だからか、なんだか、実感が湧かない。けれど、聞いているだけでなんとなく、胸にぽっかり穴が開いたような気持ちになる。
「それまで貴族に代わって絵を描いていたのに、今回は『トウゴ・ウエソラ』を頼まれもせずに名乗ってる。きっと、何か意図があるんだと思うわ」
「……そっか」
何か、感情の変化があったのかもしれないし、彼女が彼女のお母さんを心の支えにしてたなら、支えを失って一気に倒れてしまったのかもしれないし……とにかく、何か、あったんだろうな、とは思う。
「それから、ブロンパ家ね。まあ、予想していた通りだけれど……」
「あそこの息子が、トウゴ・ウエソラを名乗ろうとしたんだってよ」
……ちょっと、頭がいっぱいになってきたから待ってほしい。
「つまり、ブロンパ家の息子さんがトウゴ・ウエソラになりたくて、でも、そういう絵は描けないから、ライラに描いて貰ったっていうことだろうか……?」
駄目だ、自分で言っててよく分からない。なんで?なんで僕になりたかったの?しかも人の力で僕になりたかったのか?どういうことだ?
「おお、トウゴの混乱ぶりがよく分かるぜ……いや、俺もそういう気分だけどさあ」
「うん。駄目だ。僕の理解を超えてる」
何も分からない。頭の中をヒヨコフェニックスが飛んでる。そういう気分だ。ぴよぴよ……。
僕が頭の中でヒヨコフェニックスの盆踊りを開催していると、横からラオクレスが整理して言ってくれた。
「……ライラにトウゴ・ウエソラとして絵を描かせて、後からブロンパ家の息子が『あの絵は自分が描いた』と名乗り出る、という手筈だったのか」
あ、そういうことか。それならなんとなく、理屈は分かる。気持ちはまるで分からない。こんなに人の気持ちが分からないのは初めてかもしれない。
「まあ、多分そうでしょうね。随分と考え無しだけれど……貴族のバカ息子なんてそんなものかもしれないわ」
フェイが胃の痛そうな顔をしている。うん……フェイも貴族の息子だもんね。でもフェイは馬鹿息子じゃないって僕は知ってるよ。大丈夫だよ。
「……ただ、こんな話は幾らでも断れたはずなのよ。むしろ、トウゴ・ウエソラを名乗ることにはライラ自身が乗り気だったみたいだわ」
そっか。ええと……ブロンパ家の息子さんが僕になりたがっていて、そのためにライラに絵を描いて貰っていた。
それにはライラ自身が乗り気だった……?うーん……?
「……トウゴが混乱してるなあ」
これは混乱するよ。混乱しない訳が無い。これ、誰の気持ちも分からないな。ブロンパさんの家の息子さんの気持ちも分からないし、ライラが何を考えているのかもわからない。というか、自分の息子がこういうことをするって知っても、ブロンパさん自身は止めないものなんだろうか……?貴族の間ではこれが普通?
「あ、あのさ。ところで、これ、どこから聞いたの……?」
とりあえず分からないことだらけなので、1つでも分からないことを減らそうと思ってそう聞いてみると。
「ブロンパのバカ息子本人。クロアさんがさらっと通りでぶつかって、酒場に連れ込んで、酒飲ませて酔わせてしかも薬を盛って、そんでしなだれかかったら全部、自慢げに話してたぜ……」
……うわあ。それは……う、うわあ……。
「……まあ、そういう手で聞きだしてしまったけれど、本人から聞いたんだから間違いないと思うわよ」
クロアさんって、プロなんだなあ。うん……。
とりあえず、フェイとクロアさんの報告を聞いて、僕はますます分からなくなった。
けれど……1つ確かなことは、とりあえず、僕はもう一度ライラに会ってみたい、っていうことだ。
彼女の話を聞いてみたい。どうしてゴーストライターみたいなこと、ずっとやってたのか。どうして、ブロンパさんの家のお抱えになることに乗り気だったのか。そういうことも聞いてみたいし……何より、彼女の絵について、聞いてみたい。
嵐の森の絵についても聞きたい。それから、『オーリン・ハルク』の王都の絵も。
荒々しくてやけっぱちで孤独で寒くて冷たくて怖くて……そういう感情がいっぱいの絵が、彼女自身の表現なら、彼女はやっぱり嵐みたいな人なんだ。
だから、そういう嵐と話してみたい。彼女が描く絵をもっと見てみたい。それから彼女自身を描かせてほしい。うん。描きたい。あれ描きたい。すごく描きたい!
……そのためにも僕は、絵を描かなきゃいけない。
今の僕は、『ライラ・ラズワルド』だ。嵐の名前に相応しいような絵を描いて、コンクールで入選……。
……うーん。
「ねえ、フェイ。どうやったら入選する絵になるんだろうか」
僕は、入選する絵を知らない。
ライラの話だと、入選するかどうかは人の名前で決まってしまうらしいし、だとしたら、僕は一体何を参考にして、入選を目指せばいいんだろう。
「そりゃ、お前……うーん」
フェイも僕と一緒に悩み始めてしまった。うん。そうだよね。あの美術館の基準が名前だっていうなら、コンクールの基準だって分からないよ。
「……うん。考えるだけ無駄だな!」
そしてフェイは、そういう結論を出した。
「トウゴ。お前が入選を狙って入選する未来がまるで見えねえ」
「うん。僕もだ」
そうなんだよ。僕、入選しようと思って描いたことが無いから、まるで分からないんだ。そして、この世界では絵の入選の基準がちょっとおかしいらしいし、そうなったら余計に分からない。
だから、考えるだけ無駄だ。うん。
「お前はもう、なんかこう、好きなように描けよ。うん。折角だから楽しんでこい」
「うん。そうする」
だから僕は、好きに絵を描くことにした。もう、しょうがない。絵で大成するようなのは僕には向いていないし、人の評価を貰いに行くっていうのはどうにも苦手らしいし。
ただ……それでも、好きに描いたものを見た人がいいなと思ってくれたら、嬉しい。
入選、したら嬉しいな。
その日から早速、絵を描き始めた。
夜からになってしまったけれど、描きたかったから描き始めた。
描くものはもう、決まってる。見てきたから描ける。だから後は、筆を動かすだけだ。
……久しぶりだ。モチーフを見ないで描くの。覚えている限りで描くのは、あんまり得意じゃない。僕は、どちらかというと実物を見て描きたい方だ。
けれど、今回は上手くいく気がしていた。うん。きっと、上手くいくよ。
僕は、瓶のキャンディを1つ取って口に放り込んで、早速、下描きを始めた。
……キャンディは桃の味だった。美味しい。
1日目は下描き、というか、ラフ。何枚も何枚も原案を出して、その中から気に入るものを選んで、ざっと色を置いて、イメージ通りにいくかどうか考えてみて、そして、ようやく絵の構図を決めた。
2日目からやっと画用紙に向き合い始めて、この日に水張りまでしてしまった。森は冬らしく寒かったけれど、空気はからりと乾燥していて、水張りした画用紙は無事、からりと乾燥した。
3日目から少しずつ、着彩していく。ちょっとずつ。実物が目の前に無い分、確実に、イメージ通りの色を乗せていくように。
……そうして僕は、5日ぐらいずっと家の中に引きこもって、絵を描いていた。実物を見る必要が無いから、ずっと部屋に籠って描いていた。
時々、部屋にラオクレスがずかずかやってきて、僕に食事を持ってきて、僕がそれを食べたらお風呂へ放り込んで、お風呂から出たらベッドに放り込む、っていうようなことをしていった。うん。いつもありがとうございます……。
なんというか、初めての体験だった。
実物を見ないで大きな絵を描くっていうのは初めてだったし、それで5日も家の中から出ないのも初めてだった。
実物を見ないで描く絵は、自分の頭の中や心の中との対話みたいだった。ここはどうだろうか、って自分に聞いて、こうした方がいいんじゃないか、って返事を貰って、成程、と思って描く。そういうことをしていたから、水彩だったけれど5日かかってしまった。
そうして僕は、コンクールの為の絵を描き終えることができた。
完成した絵を前にして、満足していたら、僕が生きているか確認しにきたラオクレスが、僕を見て、絵を見て……それから、いいんじゃないか、と言って笑った。
うん。僕もいいと思う。
そうして僕は、美術館に絵を持っていって、『ライラ・ラズワルド』の名前で絵を出した。
美術館の人はちょっと困った顔をしていたけれど、しょうがない。
出品し終わって、僕らは美術館の外に出た。それから、なんとなく、気が向いて美術館の裏の公園に行くと……そこには見覚えのある馬車が停まっていて、その近くに、ライラが居た。
「ライラー!」
僕が声を掛けると、彼女は酷くびっくりした様子でこちらを向いた。
「……な、何よ」
すっかり警戒した様子の彼女に駆け寄って、僕は報告する。
「絵、出してきた。君の名前で」
僕がそう報告したら、ライラはまた、びっくりした顔をした。
「……本当にやったの?」
「うん」
やった。本当にやった。だからしっかり頷くと、ライラは困惑したような、呆れたような顔をした。
「あんなの本気にしなきゃよかったじゃない。どうしてそんなこと」
「なんとなく……?」
どうして、と言われてしまうと困る。けれど、やってみたかったのは確かだ。自分以外の人の名前で絵を描くっていうのがどういう感覚なのか、ちゃんと知りたかった。
「だ、大体、あんたね。自分の名前で出品された絵に対して、怒りとか無いの?」
怒り。ええと、怒り?……うーん。
「忘れてた」
「わ、忘れ……」
多分、怒りが無い訳じゃ、ない、と、思う。うん。けれど、忘れてた。そういう感情があるんだってことを忘れてた気がするし、大体、怒る気になる前に彼女の絵を見て感動してしまっていたし……。
「……あんた、本当に変なやつね」
「うん。夢でも君にそう言われた」
「夢?夢って……」
「君が夢に出てきた。『変なやつ!』って大声で言われた。あ、ええと、君が嵐の中、王都の大通りに1人で立ってて、僕はその嵐に巻き込まれて森から飛んできたんだけれど」
そうやって自分が見た夢の話をして、それからふと、これ、別に話さなくてもいいんじゃないか、とか、こういうことを話しているから変なやつって言われるんじゃないだろうか、とか、色々思って途中で話すのをやめた。
……けれど、ライラはその時にはもう、ぽかんとしていて、それから、くすくす笑い始めた。
「……何?あんた、嵐に巻かれて飛ばされたの?ふわふわー、って?」
「うん……」
なんというか、急に恥ずかしくなってきてしまった。僕は一体何を喋っていたんだ。
けれど、ライラはそんな僕すら楽しいらしくて、くすくす、どころじゃなくてけらけら笑い始めた。
「あはは!それっぽいわ!あんた、風が吹いたら飛ばされそうだもん!」
「そこまで軽くないよ……」
……僕、そんなに細っこく見えるんだろうか。ちょっとショックだ。
ライラはしばらく笑っていたけれど、やがて、ふと、ばつの悪そうな顔をした。
「……あんたさ、コンクールが終わるまではこっちに何もしないって言ってたでしょ?」
「うん」
「じゃあ、コンクールが終わった後、どうするの?ちゃんとフェイ様に言って、ブロンパ様に訴え出るの?」
「うーん……」
コンクールの、後。
……うーん。悩みどころだ。
僕としては、僕の名前を彼女が名乗っていたって、まあ、そこまで気にならない、というか……『気にしなきゃいけないよなあ』と思いながらも、それほど嫌じゃない、というか、他人事、というか……。
でも、当然、彼女がやっているのは悪いことだ。だから、やめさせなきゃいけない。それに、フェイ達にも迷惑がかかるかもしれないんだったら、尚更だ。
けれど……うーん。
僕は、悩んだ。すごく、悩んだ。途中でライラが『そ、そんなに悩む理由、ある……?』って心配そうになり始めたけれど、それでも悩んで……結論を出した。
「……そうしたら、君が絵を描くことをやめなきゃいけないんじゃないかと、思って、悩んでる」
僕、全部彼女に相談してしまうことにした。
「……は?」
「うん。だから悩んでる。どうしたらいいだろうか」
「……それ、私に相談することじゃないんじゃない?」
「そうだろうか」
ちょっと考えるけれど、でも、やっぱりライラに聞いてみた方がいいと思う。
「僕がどうしたら君がどうなっちゃうのか、分からないから判断がつかないみたいで……だから、君の事情が分かれば、僕はもうちょっと動きやすいかな、って思ってるんだけれど」
「だから、どうしてそこで私が関係するのよ。私のことなんて気にせずに判断すればいいじゃない」
「気になっちゃったんだからしょうがないよ。そういうもんだよ」
どうやら、僕は彼女のことが気になるらしい。だから、彼女にとって悪いかもしれない判断を下すことができずにいるんだ。それはもう、一度気になっちゃったんだからしょうがない。そういうもんだ。そういうもん。
「君は、フェイとブロンパさんが喧嘩すればいいと思ってるみたいだけれど、それはどうして?」
「どうして、って……」
ライラは、随分と困ったみたいだった。多分、言いにくいことなんだろうな、とは思ってたから、僕は黙って待つ。
……しばらく待っていたら、ライラはため息を吐いて、言った。
「それで全部終わりにするためよ」