10話:変な馬達と密猟者*4
人間だ。男性。背は僕より高いし、僕よりがっしりしている。
白いシャツに臙脂のクロスタイ、同じ色のベストに黒い細身のズボン、それからブーツ。耳と手首とタイの結び目とに赤い宝石の付いた金の飾りがある。
そして、濃い色の赤毛に……緋色の瞳だ。
……ちょっと現実離れした容姿のその人は、僕と馬とを見て、ぽかんとしていた。
そうか、天馬も一角獣も、この人に怯えていたのか。
……それで、僕を囲んでとりあえず『守った』のかな。うん、確かにこの中だと僕が一番弱そうだよ。分かってるよ。
「お、おお……?」
やってきた人間は、僕を見て、泉の方へ近づいてきた。これに天馬も一角獣も警戒して、天馬は翼を広げて、一角獣は角をその人に向ける。
「おわっ、ちょ、ちょっと待て!な、攻撃の意思は無い!無いからな?ええっと……」
流石にこれ以上近づいたら危ない、ということは分かったらしく、その人はその場で立ち止まって……そこから、僕に向かって声をかけてきた。
「あなたはこの泉の精霊か!?」
……うん。
「違います」
違います!
「え!?何だって!?」
「違います」
ばさばさばさ。天馬達が一斉に羽を動かして音を立てる。
「ちょ、ちょっと聞こえな……!もう一回!もう一回頼む!」
「違います!」
今度は一角獣が歩いていって、赤毛の人を角で小突き始めた。
「あ、くそ、おい、俺は悪い奴じゃないって!つつくなつつくな!悪かったから!お前らの家に踏み込んだのは本当に悪かったから!すみませんね!精霊様!すぐ出て行きますから!」
「だ、だから違います!待って!待ってください!」
とりあえず、天馬達をちょっと無理矢理掻き分けて、なんとか泉から出て誤解を解いた。僕は人間です。
「え!?あ……え?精霊、様……?」
「人間です!」
……やっと誤解が解けた、と思う。ぽかんとした赤毛の人と、馬を掻き分けて疲れた僕。相変わらず落ち着きのない馬達……。
なんというか、凄く、疲れた。
「そ、そうか。人間、かぁ……。いや、女かな?と思ったけど男に見えたし、けれどその割にはユニコーンがよく懐いてるように見えたから……てっきり『これが精霊か!』と思っちまったんだ。悪かったな」
僕が誤解を解いてからもずっと、周りに天馬と一角獣がくっついてくる。だから、中々落ち着いて話ができない。赤毛の人とは常に馬2頭分ぐらいの距離を取って話す羽目になってる。
……もしかして馬達は知らない人が怖いのだろうか。人見知りしてるのだろうか。……そう考えると少しかわいい。落ち着かなげな彼らの首のあたりを撫でてやることにした。
「いや、びっくりしたぜ。精霊がペガサスとユニコーンと一緒に水浴びしてる泉、なんて、絶対に聖域だからな。うっかり道に迷って聖域に入り込んじまってたのかと思って焦った!」
……聖域、って、何だろうか。ついでに精霊って、何だろう。ちょっとこの世界のことはよく分からない。馬と仲がいい奴のことを精霊と言うんだろうか。いや、多分違う気がする。もっとすごい勘違いをされていた気がする。
「まあよかったよかった。もし精霊だったら俺、殺されてたかもしれねえしな。ははははは」
精霊っていうのはどうやら、人を殺すかもしれないものらしい。物騒だな。僕、そんなことしない。
というか、この世界にはそんな物騒なものが沢山いるの?ちょっと怖いんだけれど。……本当にここ、異世界なんだなあ。
「ああ、そうだ。名乗り忘れてたな。俺はフェイ・ブラード・レッドガルド。レッドガルド家の次男坊だ。よろしくな」
……そしてなんというか、彼の名乗りを聞いて、僕は改めて、思った。
ここ、異世界なんだなあ、と。
「で、そっちの名前を聞いてもいいか?」
レッドガルドさんにそう聞かれたので、僕は……一瞬悩んだけれど、素直に答えることにした。
「上空桐吾。多分、異世界から来た」
「……異世界から?」
「うん。多分……」
「そ、そりゃあ……すげえ」
レッドガルドさんは嬉しそうな顔、というか、好奇心の塊みたいな顔で、僕に詰め寄ってくる。
「噂に聞いたことはあったんだ。時々、別の世界から迷い込んでくる奴が居る、って。でもそんなの、ただの御伽噺だと思ってた」
そして、彼は満面の笑みを浮かべるのだ。
「異世界人のお客人よ!ようこそ、この世界へ!お会いできて光栄だ!」
……それを見て僕は、『ああ、この人は善い人だな』と思った。
根拠はない。多分、こういう風に人を信用してしまうのって、本当はよくない。
けれど、なんとなく。彼の好奇心いっぱいの表情が、ちょっと、先生に似ていたから。
「他所にも土地も森も沢山あるけど、その中でも我らがレッドガルド領の森にやってきてくれてありがとうな!」
……あと、この人が悪い人だと、僕、大変なことになるんじゃないかな。
この人、この森の権利者っぽいし……つまり僕、この人の家の土地に無断で滞在してることになるし……。
それからしばらく、僕は質問攻めに遭った。
僕が居た世界はどんなところだった、とか。この泉の周りに生えている果物はどうしてこんなに美味いんだ、とか。どうやってペガサスとユニコーン(どうやら天馬と一角獣のことらしい)を手懐けたんだ、とか。
……そこら辺を説明する過程で、なんかもう隠すことはできない気がしたので、『絵に描いたものを実体化できる』っていう話はしてしまった。するとレッドガルドさんはこれまた目を輝かせて喜んで、『絵を実体化させる』ことについても質問攻めにして来たけれど……正直、こっちは僕自身もよく分かってないから答えられないことが多かった。
それでもレッドガルドさんは特に気にしていないらしく、ただ好奇心の塊みたいな、緋色に輝く目で僕を見ていた。
……その途中で、この世界のことについても少し、教えてくれた。
どうやらここはやっぱり、異世界らしい。うん、まあ、これは知ってたけれど。
そしてここは、レッドガルド家が治める土地の一角だそうだ。うん、これも何となく知ってた。
「まあ、ここら一帯の土地は貧乏くじみたいなもんさ。ほどほどに王都に近くてほどほどに面積も広いが……何と言っても、領地のほとんどは未開の森だ。しかも、領地のど真ん中に森があるようなもんだからな。実質、レッドガルド領は森の周りの細い輪っかの部分だけなのさ」
それは……なんというか、日本人としては思うところがある。日本もなんか、こう……本州のど真ん中に山脈があるせいで、面積の割に農地が少ない国だから。
ちょっと神妙な気持ちで聞いていると、レッドガルドさんは少し悪戯っぽく笑った。
「そもそもこの森、精霊のものかもしれないからな。下手に入ったら精霊の怒りに触れる。開墾はできない。何なら、人間が不用意にずかずか入り込むことだって、嫌がられるかもしれない。ここはそういう森だ。……だから俺もお前も、ヤバいかもな?」
「え」
……えっ。
……この森は精霊の森、で、精霊は、森に人間が入ると、怒る……?
ということは、僕は……もう、怒られている……?
僕がしばらく固まっていたら……レッドガルドさんはやがて、耐えきれなくなったように噴き出した。
「っははは、冗談冗談!大丈夫だって!いや、悪い悪い。冗談だからそんな顔するなよ」
彼の様子を見るに、どうやら僕は揶揄われたらしい。
……こっちは異世界人だから、この世界のことなんて分からない。冗談なのか本当なのかも判別がつかないから、あんまり揶揄わないでほしい。
「……本当に?」
「さあな。精霊様がどうお考えになるかは分からねえ。ま、俺が駄目でも、お前は大丈夫だろうな。ユニコーンにもペガサスにも、こんなに懐かれてるぐらいだし」
それ、本当に大丈夫なんだろうか?僕は未だに『精霊』っていうものが何なのか、よく分かっていないのだけれど……何となく、日本でいうところの『山の神様』みたいなものかな、という気がする。となると、その怒りに触れるって、まあ……あんまりよくないんじゃないだろうか。
僕の場合は、この森の中に入ってしまったのは……まあ、不可抗力みたいなものだ。気づいたらここに居たんだから、しょうがない。それは許してもらいたい。
でも、レッドガルドさんは多分、ここに自ら来た、んだよな。
「……その、あなたはどうしてここへ?あんまり入りたくない森だっていうことは、本当なんでしょう?」
僕は気になって聞いてみた。
『精霊』というものを畏れるあまり、邪魔な森をそのままにしておくような人達だ。理由もなくわざわざ、『精霊が怒るかもしれない』のに森の中へ入ってくる理由が分からない。
「んー……まあ、そうなんだが、そうも言ってられねえ事態になっちまってな」
僕が尋ねると、レッドガルドさんは眉を八の字、口をへの字にして首の後ろをぽりぽり掻いて……それから、そっと、答えた。
「この森に、密猟者が入ってるらしい。俺はそいつらを探しに来た」
「……密猟者?」
「そうだ。……どうやら連中、ペガサスの羽やユニコーンの角を狙っているらしい」
そこで僕ははっとした。だって、馬達は皆、怪我をしていた。切り傷のような、どう考えても自然にできたわけじゃないだろう傷も多かったし……翼が切り取られたり、角が折り取られている馬も居た。
「……心当たりがありそうだな?」
そんな僕を見て、レッドガルドさんは少しだけ視線を鋭くした。……この人、悪い人じゃないし、むしろきっと善い人だけれど、少し怖い人だ。
「……密猟者自体に、じゃあ、ないけれど。怪我をした馬が居たから」
僕がそう答えると、レッドガルドさんは納得がいったような顔で頷いた。
「成程な。そっか。こんだけ仲良しなんだもんな。怪我したところも見せに来るか。……うーん、本当に信頼されてるんだなあ、お前」
僕、馬達とはそんなに深い付き合いじゃないけれど……まあいいか。
「まあ、お前を疑う気は無いね。そうは見えねえ。細っこいし、体力無さそうだし。密猟やる気力なんて無いだろ、お前」
「うん……」
素直に頷きたくないような言葉だったけれど、絶対にそう見えるだろうな、というのは分かるので頷いた。そうだよ。僕はどうせ細っこくて体力なくて気力もないよ。
「なんかお前、血とか争いとか、苦手そうだもんな」
「……うん」
こっちは素直に頷いた。
「大体、これだけペガサスもユニコーンも懐いてるんだ。疑う余地は無いなあ。お前がいい奴だって分かってるから、こいつら懐いてるんだろうし」
「そうかな」
「おお。そうだろ。……え?それともお前、こいつら虐めてんの?」
虐めないけど。虐めないけど……うん。
もし、馬達が僕のことを『いい奴』だと思って僕に懐いてくれているのなら、嬉しい。
「あー……しっかし、どうするかな。手がかりが何もねえ」
そしてレッドガルドさんは、そう言ってぐったりとため息を吐いた。どうやら相当参ってるらしい。
「ここにユニコーンやペガサスがこんだけ集まってるんだから、密猟し放題なのは分かるんだけどな。でも、実際の犯行現場を押さえる、ってなると難しい」
うん。それはそうだと思う。だって、密猟者、っていうのだってバカじゃないんだろうし。隠れて何かやるくらいはするだろうし。決まった時間決まった場所に出てくるようなもんでもないんだろうし。
「……しかも暗くなってきやがったし」
それに、そろそろ夕暮れだ。森の中を歩くのは少し難しい明るさになる。
「大体俺、ここまで道に迷ってきてるわけだし」
……うん。
それは……知らないけど。
でも確かに、そうか。僕が天馬に乗せてもらって森を上空から見た限りでは、ここ、相当に森の奥の方みたいだし、『精霊を畏れる』人がこんな奥にまでは来ないよね。道に迷いでもしない限り。
「……ってことで、だ」
レッドガルドさんは、僕に向かって、勢いよく頭を下げた。
「ここで出会ったのも何かの縁!ってことで、ちょっと一晩、泊めてくれねえか?」
……うーん、断れない。